第679話 複雑怪奇なり

大勢の男達が作業した結果、昼前には立派な鶏小屋が出来上がってしまった。


それはそうだ。せいぜい2、3人で作るところを20人からの人手で作ったのだから。

しまいには人手が余りだしたので、ぶらぶらしているよりは、と庭に植えるレンズ豆やハーブ園を拡げる手伝いまでしてもらった。


そうして豆や小麦、塩の日当を受け取るとニコニコとして帰っていった。


「それにしても、なんでまた早朝から来たのかね。ちっとばかり肝が冷えやしたぜ」


などとキリクが、まるで堪えていない顔でぼやいたところ、サラが真相を教えてくれた。


なんでも、昨日の教会大掃除で女性や子供が懸命に働き、小麦や豆の日当を受け取ったことで尻を叩かれた気分になったらしい。


「ケンジ、こうなることを知ってたんでしょ?」


「まあ、ここまでうまく行くとは思っていなかったが・・・」


業績の良くない部署を立て直す際の方策として、トップに習ってミドルを引き上げる方法とボトムを底上げする方法がある。


前者はベスト・プラクティスなどといい、要するにスゴイ人のやり方をみんなで真似することで、普通の人のパフォーマンスを上げようという方式である。

ただ、そのやり方は部署の士気が高い組織で行うものだ。

今回の出稼ぎ農民のように、士気がどん底まで落ちた人達の集団でやったところで、だからどうしたと白い目を向けられて終わりである。


だから、今回採用したのは、ボトムを引き上げる方法だ。

具体的には、集団のお荷物と見なされやすい女子供を優遇し、積極的に支援をすることで男達を焦らせるのである。

途上国の支援などでも、まず女性を支援しろ、という。

男に金を渡すと酒やギャンブルに使ってしまうが、女性は子供や将来のためにお金を使う傾向が高い、と言われている。


「いい投資だった、ということでしょうか。まるで魔法です」


パペリーノが、また何やら手持ちの羊皮紙に書き込んでいる。


「魔法じゃない。信用だよ」


人間はパンのみにて生きるにあらずとは言うものの、生きるためにまずはパンが必要なのだ。

働いたから小麦とレンズ豆と塩をもらった、という事実にまさる言葉はない。

どんな美辞麗句でも腹を満たすことはできないのだから。


「ねえねえ、それより卵産んでるわよ!」


少し深刻になりかけた雰囲気は、サラが鶏の卵を発見したことで霧消した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


産みたての卵は、まるでつくりもののように白く輝いていた。

元の世界で知っているものよりも少し小さく、だが生きている証拠に、ほんのりと温かい。


それが4つ。食卓に並んでいる。


「獲ってきちゃったけど、いいわよね!まずは食べないと!」


最初は鶏を増やすために食べない方針だったはずだが、サラは食欲に負けてしまったらしい。

とはいえ、それを咎める気のない俺達も同罪ではある。


問題は、どうやって食べるかだ。


ここに、領地に赴任して以来、最も低レベルで、しかし深刻な会議が始まった。


コホン、と軽く咳払いをして議論の口火をきったのはパペリーノ。


「そもそも、完成した食材というのは、それだけで完成してるわけですから、余計な手を加えるものではありません。ゆで卵、が唯一の完全な回答である、と主張します。


鍋に水を張って卵を茹で、沸騰したところで鍋から下ろす。ゆっくりと神書を1章読み終えるほどの時間をおいて湯から取り出し、その殻を尻から割ってのち塩をつけて食べる。それが卵の正しい食べ方、というものです」


肩をすくめて真っ向から反対したのがキリクである。


「はっ!さすが聖職者様はお上品だねえ。しかし傭兵の食べ方は違うんだな。傭兵暮らしってのは、戦争がない日は結構ひまなもんでな。賭け事と飯だけが楽しみってなわけだ。要領のいい奴は卵を近くの農家から調達してきてな、そんでどうやってくうかって言えば、細かくした干し肉と一緒に鉄板で焼いて混ぜるのよ!


戦場に鉄板なんかあるのかって?鎧があるじゃねえか!こう、干し肉を先に炒めて油を出してな。そこへ!卵を割ってかける!ジャジャっと手早くかき混ぜてな、そうすっと干し肉と卵と油が混じってな、何とも言えねえ美味さがあるわけさ」


ところが、サラはそれにも反対する。


「ちょっと!せっかくの卵をそんな勿体無い食べ方できないでしょ!小麦粉があるんだから、卵と一緒に練り込むのよ!そうしたら美味しいパンも、パイだって作れるでしょ?なのに卵だけ食べるとか、炒めるだけとか、そんな野蛮な食べ方は許さないんだから!ねえ、ケンジはどう思う?」


どう思う、と言われても。


気がつけばサラだけでなく、パペリーノもキリクも親の仇を見つけたように血走った目でこちらを見つめている。


卵はただの卵だろ?などとは口が割けても言えない雰囲気と情勢である。

中立であるということは全員に憎まれることと同義であり、そうした中途半端な外交政策をとることは許されない剣呑な国際情勢が、そこに出現していた。


欧州情勢は複雑にして怪奇なり。


などと現実逃避をしたくなったが、自分も幾つもの修羅場をくぐり抜けた身であるから、こうした時の対応は心得ている。


「そうだな。サラの言うとおりにしようか」


こうして、領地における小さな大戦は未然に防がれることとなった。

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