第633話 嵐の余波

まる2日ほどサラの陣頭指揮で屋敷を整備すると、なんとか暮らせるだけの格好がついてきた。


「そろそろ代官の着任式でもやるか」


礼儀や形式には疎いが、ミケリーノ助祭から一応は聞いている。

正式な着任はもう少し後かもしれないが、簡単に村の有力者たちと顔合わせぐらいはしておいた方が便利だろう。


「そういえば、村の人間から挨拶が来ませんな」


「来ないわね」


キリクやサラが不思議がっているところを見ると、よくわからないが代官が来れば村人の方から挨拶に来るのが当然なようだ。


「一応、土地の教会と先に連絡をとってみます」


クラウディオを街に置いてきたので、聖職者のパペリーノを教会との仲介役として連れてきている。

早速、働いてもらうことにする。


何かが起こっている気がする。

いつもの、面倒事というやつが。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「いろいろと厄介なことになっているようです」


日が沈む頃になって戻ってきたパペリーノの第一声が、それだった。


「驚かれないのですね」


パペリーノは感心したように、こちらを見つめて瞬きをした。


「いつものことだからな」


なんどもトラブルに遭っていると、独特の勘が働くようになる。

小さな情報から違和感を拾う能力、とでも言うのだろうか。


それに、トラブルのたびに上の人間がいちいちオタついていると、下の人間も情報を上げにくくなる。

こういうものは、頭は働かせつつも、表面上の態度は不感症なぐらいでちょうど良いのだ。


「とりあえず、ご飯食べましょ!お腹を空かせて暗い顔をして考えてもいいことは何もないでしょ!」


「そうだな。長くなりそうだから、飯を食いながら話すか」


工房では職人達と一緒に朝食の食卓を囲むことに大きな意味があった。

通いの職人達も、其の家族も、同じ工房の仲間として尊重するという姿勢の表れであったからだ。


領地では、その姿勢がより重要になる。

ここにいる人間達は、本当に一連託生の運命共同体なのだ。


例えば怪物の群れが領地に押し寄せてきた場合、屋敷の門を守り、周囲の柵を守り、例え侵入を許しても屋敷のドアを守り、命をかけて土地と代官を守り抜かなければならない。

領地をあずかる、というのはそういうことだ。


そして食事を一緒に取るという行為は、その団結を確認する行為でもある。


街に工房を構えていた時は、職場に住み込んでいた俺とサラはともかく、他の人員は工房には通いであったので、いわば職住分離をしていたわけだが、この領地では代官屋敷に全員が住み込むことになる。


会社的組織の感覚で工房を運営するのとは違った、一家を構える経営と管理が求められるようになる。


ここまでの旅路で感じた自分の手に権力がある、という感覚もそうだが、一族の血族を統治原理とする貴族社会の仕組みに組み込まれる、という違和感はどうしても拭えないが、いずれは慣れていかないとならないのだろう。


なかなかに煩わしいことだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


食卓は政治の一部、とはよく言ったものだが、深刻な話題であるほど食卓で報告させるのが良い。

人間、美味い飯を食いながら深刻ぶるのは難しいからだ。


硬いパンを薄切りにし、サラ特製のソースにつけて、ハムを挟み、炙りながら食べる焼きサンドイッチのような食感になる。

本当はチーズがあればいいのだが、焦げ目のついたパンも悪くない。

何より、食べながら話をしやすいのがいい。


「それで教会から得た情報を教えてくれ、パペリーノ」


パンを噛みちぎりながら促すと、パペリーノは報告を始めた。


「ご存知の通り、前任の代官は罷免されました。現在は、教会で派遣された代理の者が統治しております」


「そうだな。それで問題が?」


「現在、この領地に村長がおりません」


「たしか前任の代官と癒着して罷免されたのだったな。それで代理は?」


「おりません。村長代理も村長の一族でして、同時に罷免されました」


狭い村社会の有力者など互いに癒着しているだろうから、一人がお縄になるとズルズルと一族全員が罷免されるわけか。もう少し目端の利く連中であれば、他の一族に嫁をいれるなどして政治リスクを分散しておくものだが、この狭い村ではそうもいかなかったわけか。


「すると、村側の代表者は代理も含めて不在なのか?」


「そうなります。そして、教会で派遣された方は明日にでも離任されるそうです」


「急だな」


明日の離任ではろくに引き継ぎもできないではないか。

これも何かの嫌がらせだろうか。


「何でも中央に呼び戻されたそうで」


「わかった」


パペリーノの報告に、それ以上に追求する意欲を失った。


おそらくは、印刷業の利権を巡って教会の中央で何かの政治闘争(ゲーム)が起きている。

これは事象の一側面の話なのだ。


教会という巨大なコップの中の嵐に対して、それを避けて自分はこの領地に避難することになり、元いた聖職者は呼び戻されて、別のどこかに送られる。


全ては自分の引き起こしたことが巡り巡ってのことだと思えば、無責任だと責める気にもなれない。


小さな溜息を土地の麦酒で流し込めば、少しばかり先々の憂いが薄れる心地がした。

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