第625話 避難訓練

とりあえず、革通りで土がのぞいている場所には石ころを持ってきて舗装することにする。

石畳に比べれば安価で済むし、籠城する際には引き剥がして石弾にすればいい。


「あとは、訓練あるのみだな」


との言葉だけを残して、ジルボアは去っていった。


訓練か。確かに訓練は重要だ。


ジルボアの指摘を全面的に受け入れることで、設備(ハードウェア)としての革通りの防御力は高まった。

100や200の暴徒が押し寄せたところで、ビクともしないだけの体制は整ったと言っていい。


あとは訓練(ソフトウェア)が問題となる。


「でも、職人さん達は冒険者じゃないし、武器とかは扱えないでしょ?」


そもそも武器を扱わせる気なら、工房で生産活動への従事に専念させようとはしない。


「そうだ。だから、まずは逃げる訓練をする」


「逃げる?」


サラが、俺の言葉に目を瞬かせる。


「そう。慌てず、騒がず、速やかに逃げる訓練だ」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「と、言うわけで本日は逃げる訓練をします」


朝食後、職人と家族達がいる時間帯に、話をする。


改造した荷車やジルボアの予感のことは明確に説明したわけではないので、以前のように暴動が起きたときにとるべき行動として、速やかに工房の一角に逃げるという想定だ。


もっとも、ほとんどの職人も家族も説明を聞いてはいるが、内容を理解したわけではないようだ。

今は、それでいい。訓練の効用は、体で理解することにあるのだから。


一度目は、避難場所として倉庫を建設する予定の土地に一緒に移動する。


「何かあったら、ここに集まること。いいですね?」


一応、全員がうなずいたのを見て、仕事に戻ってもらう。


ある程度、時間をおいてから「はい、避難して!」と手を叩いて指示をしたが結果はひどいものだった。


母親は子供を探すし、子供は面白がって一目散に走っていく。父親の職人は仕事道具を片付けてからノロノロと移動を始める。

そして、全員が集団行動など全くとれないのだ。点呼も取れないから、誰が居て誰がいないもかもわからない。


「これはひどい・・」


思わず声が漏れる。


だが、逆に言えば今、発覚して良かったのだ。

これがぶっつけ本番で起こっていたら、阿鼻叫喚の嵐となっていたことだろう。


どこから手をつけるべきか。

多くの指示をしても、絶対に忘れる。


「2点だけ、指示をします。まずは、避難してください。夫、妻、子供が近くにいなくても、とりあえず避難はこの場所に集まって下さい。

次に、点呼は、こちらでやります。逃げ遅れた人がいれば剣牙の兵団で助けに行きます」


最低限の注意をし、返事を聞いてから仕事に戻ってもらう。

街の城壁の内側にいたからか、やはり緊張感が足りないように見える。

これが怪物の脅威にさらされている農村の村人だと、また反応も違うのだが。


「少し脅かしてやった方がいいんじゃないですかね」


普段から危険に対処しているキリクから見ると、その反応がひどく不満なようだ。


「キリク、頼まれてくれるか?」


「任して下さい。脅すのは得意です」


巨漢の護衛は、実にいい笑顔で頷いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


突然、木材がガラガラとひっくり返される音がして、工房の者達の視線が外に集中する。


そこへ、ギラリと光を剣を反射させ、目を血走らせ食い詰めた様子の男達が物凄い勢いで剣を振りかざしながら駆け込んできた。


「ごぅらぁあああ!!ぶっ殺すぞぉぉぉおおお!!」


「がぁああ!!」


傭兵達の本気の獣声と迫力に、女性も子供たちも真っ青になって立ちすくむ。

職人の男達も同じように、唖然として立ち尽くしていた。


「逃げねえと死ぬぞぉぉぉ!」


荒くれ者に扮したキリクがもう一度、吠え声をあげると、悲鳴を上げて職人達が逃げ出した。

それはいいのだが、泣きだした子供たちは放置され、立ちすくんだ女性達は今にも気絶しそうになっている。


訓練の甲斐なく、避難は失敗である。


「あー、よし、中止中止」


俺がぱんぱんと手を叩くと、キリクと一党は剣を下ろし、殺気を撒き散らすのをやめる。


「・・・ちょっとやり過ぎたかな」


脅したのは一瞬のことだったが、工房はちょっとした修羅場になっていた。

街で普通に暮らしていれば、本気の殺気というものに触れる機会もないのだろう。


これが訓練の一環だと理解した者達の顔色が戻り、だんだんと俺とキリクのところに集まってくる。


「えー。今の暴漢は、キリクの扮装です。ですが、本当にこういった事態は起こり得るものと考えています。これから、ときどき今のような抜き打ちの訓練をします。皆さんの命を守るためです。その際は、素早く避難して下さい」


キリクの扮装がよほど怖かったのだろう。職人達も家族も全員が青い顔で何度も頷いた。

刺激が強すぎたかもしれないし、怖がられるかもしれないが、死ぬよりはいい。


これからもときどき訓練をすれば、職人達を守ることができるだろう。


「とは言え、この状態から杖投石紐や長槍の訓練なんてできるのかねえ」


避難もまともにこなせない集団に、ある程度の戦闘訓練を施すなど、不可能にしか思えない。

だが、やるしかないのだ。

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