第620話 嵐の備え

翌日から、冒険者ギルドへの未決依頼や、遠方から来た冒険者からの話、遠隔地の教会の資料など、情報鮮度の新しいところから、調査と聞き取りを始めた。


ジルボアが「何かが起きる」と言うのであれば、それは何かが起きるに違いない。

その裏付けとなる資料や情報はないか。


開拓や冒険の前線から離れている自分としては、記録や伝聞などの二次的な情報から、何かを見つけるしかない。

各所に人をやって資料を集め始めた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「駄目だな。このやり方だと、何もわからんな」


数日間やってみたが、あまりの手応えの無さに、机に積み上げていた羊皮紙を脇に放り投げたくなった。

報告のどこをさらっても、何かが起きる兆候は読み取れない。


調査の真似事を始めてみてわかったのは、何かが起こると思っている人間が、どこにもいないことだ。

正確に言えば、何かが起こると感じて教会や冒険者ギルドに報告をよこす人間が、どこにもいないのだろう。


いつの時代も、本当に重要な情報というのは、文書にならないし、広まりもしない。


開拓の前線で怪物と対峙している冒険者や貴族の私兵は何かを感じているのかもしれないが、それらの情報は、こちらに入ってこない。


情報というのは、組織の上の方に伝わっていくに従って鮮度と情報量が削ぎ落とされていくものだ。

組織運営には、情報は適正な量に絞り込まれる必要がある。

しかし、今は捨て去られた情報の中の、何か、が必要なのだ。


「ケンジ、どうしたの?ご飯食べるでしょ?」


事務所で唸っていると、サラが顔を出してきた。

そういえば、昼過ぎから事務所にこもりきりだった。

外は、日が傾き始めている。


「そうだな。ちょっと一息入れるか」


サラの声に答えて、食事は工房の方で灯りをつけて摂ることにした。


職人達が帰宅した工房は、清掃と整頓が行き届いているせいか、宗教施設のような静謐さを感じさせる。

全てが無秩序なこの世界で、この一画だけが秩序だっているような、そんな気持ちになる。


「ケンジはどっち食べる?これは普通のパンだけどね、ソースをつけると全然違うんだから」


サラはパスタのために作ったソースをパンにつけて食べると美味しいことを発見したようだ。

例のバジルソースであれば高価なのは植物油ぐらいなので、経費で作って貰っている。


皿のソースをつけて食べると、モソモソとした食感が消えて、雑穀の匂いはバジルの香りで上書きされる。


「確かに、違うな」


「でっしょー?最近は貰ってきた種でね、新しいハーブも植えてるの。そうしたら、また違う味になるわよ?」


じっと、俺が食べるのを見つめていたサラが、嬉しそうに笑う。


「あーあ、パスタに使った卵があれば、きっとパンも、もう少し美味しく食べられるのに」


「そうだな。領地で製粉所ができれば、小麦粉も卵も安く手に入る。そうしたら、パスタも毎日食べられるさ」


「そうしたら、毎日がパスタのお祝い日だね!」


先日のお祭り騒ぎは、なぜか、パスタのお祝い、という名前がついていた。

工房の雰囲気はパスタのお祝いをやってから少し変化したように思う。


最近、忙しすぎて刺々しい雰囲気になっていた職人達の雰囲気が落ち着いたというか、作業中に怒鳴る回数が減ったように思う。


おかげで、昼間は調査に集中できた。もっとも、成果はあがらなかったわけだが。


「それで、何に悩んでたの?」


いろいろとサラに心配をかけたようだ。

とはいえ、今の段階で具体的に相談できるようなことは何もない。


ジルボアが、何かが起きると言った。しかし、証拠はまるで見つけられない。


何と言ってよいかわからなかったので、我ながら回りくどい言い方になった。


「ある人が、嵐が来ると言ったんだ」


「うん?それで?」


面倒くさい言い方をしても、サラは黙って聞いてくれる。


「だけど、空は青くて晴れてるし、皆は嵐なんか来ないと言ってる」


「あー、そういうこと、あるわよね。ケンジは、どう思ってるの?


どう思っているか、聞かれて答えに詰まる。


「悩んでる。証拠は見つからないけど、嵐は来るような気もする」


「じゃあ、戸締まりしなきゃね」


サラは何でもないことのように言った。


そうだ。サラは正しい。

悩むのは後だ。まずは嵐に備えるべきだ。

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