第618話 将来の選択肢

「ところで、ケンジのところで人手が足りないことはないか」


麦酒の杯をあっと言う間にあけたジルボアが、人手について聞いてきた。


「そりゃあ、人手はいくらあっても足りないが」


靴の工房はフル稼働中。冒険者の靴は作るそばから売れていく。

代官を引き受けた領地の統治準備や、製粉所の準備も行っている。

おまけに印刷業の対応だ。


想定していた作業量の5割増の状態が続いている。


「兵団(うち)から何人か出してもいいが」


出す、と言っている人員は、剣の達者な連中ではないだろう。

剣牙の兵団では限られた、学があって机の上の仕事ができる奴らのことだ。


「なぜだ」


問い返しながら、ジルボアの思惑について色々と予測する。

麦酒と祭りの浮いた雰囲気のせいで、イマイチ頭がまわらない。


「あの2人が、かなり出来るようになっているからな」


工房(うち)に来ている出向組のことだろう。

確かに、会社(うち)に来た当初より、かなり仕事ができるようになった。


剣牙の兵団からの出向組は、知識こそ聖職者組には及ばないが、動き出しが早く、コネの使い方を知っていて、決断に度胸がある。

現場で使いやすい人材だ。


ジルボアも、彼らから定期的に報告書や面談という形で報告を受けているだろうから、その際の評価ということだろう。


「つまり、会社(うち)で人材を育てろと?」


聞き返すと、ジルボアは笑顔で「それもある」と返してきた。


しかし、これ以上に後ろの人材を増やしてどうするのか。

剣牙の兵団は、ジルボアとスイベリーの2頭制で上手く運営できている。

多少の増員があっても、今の体制で耐えられるはずだ。


今の体制なら?


酒精のまわった頭で、ようやく気がつくと、ジルボアの笑顔も、別の意味合いを帯びてくる。


「拡大する?もう1チームを作るとか?」


口に出してみて、それは違うと感じた。

スイベリー以外にジルボアと並んで補佐できる奴はいない。


ジルボアは直接に答えず、言った。


「ケンジ、お前は将来をどう考えている?」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


将来のことを考える。


上から下まで身分と秩序がキッチリと固まっている世界で、それを言う特権を持つ人間がどれだけいるだろうか。

貴族であっても、財産があっても、それだけで人は自由には生きられない。


ジルボアのように、飛び抜けた実力を持つ者が口にする「将来を考える」とは「何者になるか」という宣言でもある。


「目の前のことで、いつも手一杯さ」


ジルボアを失望させたくはないが、それが正直な気持ちだ。

最初は、駆け出し冒険者の連中を何とかしようと始めた事業だが、何かを始めようとする度に壁にぶち当たり、それを乗り越えようと知恵を絞ると横槍が入る、それを何度も繰り返してジタバタとしているうちに、今の場所に流れついた、という感覚だ。


「あの娘はどうするんだ。ずいぶんと待たせているのだろう?」


ジルボアの視線の先には、職人の奥さん達と談笑するサラの姿があった。

それにしても、右手に麦酒の杯、左手にパンという完全武装のスタイルはどうなのか。


何となく、ジルボアの言いたいことは理解できた。


「つまり、婚姻の話が来ているんだな。たぶん、どこかの貴族から」


俺が予測を口にすると、ようやく気がついたか、とばかりにジルボアが頷いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


ジルボアに貴族から婚姻の話があること自体は、別に驚くようなことではない。

ただ、本人が検討したくなるような魅力的な条件があった、ということだろう。


人材を育成したい、というのは俺が代官を引き受けたときと同じように、家臣団として内政が見られる官吏を育成したいのだろう。


「しかし、貴族同士の婚姻についてなら、アドバイスはできないぞ」


王国貴族の誰が何派で、関係性がどうだ、などの貴族らしい知識は殆ど無い。

まして、どこの娘が美人だとか、関係が派手だとか、その手の社交ネタに至ってはゼロである。


「それは元から求めていない。選択肢は3つある。1つ目は、貴族との婚姻。2つ目は、教会との契約。3つ目は、もう1つの道だな」


「もう1つの道?いや、それより教会との契約ってのは何だ」


その選択肢は、初めて聞いた。


「教会の方から打診を受けているのさ。教会直属の戦士団になる気はないか、とな」


「それって・・・」


「そうだ。聖堂騎士団、あるいは教会騎士団、どういう言い方になるかはわからないが。剣牙の兵団ごと、まとめて抱えたいとのことさ」


「すごい話じゃないか」


剣牙の兵団として集団で教会に抱えられれば、教会という巨大組織の武力集団として、身分にとらわれず国をまたいで活躍できる道が開ける。

まさに、ジルボアが目指していた英雄の道である。

活躍によっては、聖人として讃えられることもあるかもしれない。


何を迷うことがあるのだろうか。

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