第576話 代書屋の仕事
「何だ、妙な顔をして。私の服が気になるか」
剣牙の兵団の事務所に訪れると、珍しくジルボアが団長室で何やら書きつけていた。
傭兵隊長らしく革鎧を着ていることの多かったジルボアだが、最近は革鎧を着ているように見える特別な衣服を着ていることが多いそうだ。
「これは怪物の皮を加工した薄い内皮を貼り付けてあってね。作るのに素材と手間はかかるが軽い上に防御もそれなりにある」
「いや、別に衣服に興味はない」
ジルボアの説明をやり過ごそうとすると、護衛のキリクが余計な口を挟んだ。
「小団長はね、自分の腹の肉が気になるんだそうですよ」
「いや、腹の肉は出ていないからな」
ムキになって反論するも、現役の冒険者であった頃よりは格段に肉がついているのは認めざるを得ない。
「そういうことか。なに、そのぐらいの肉なら兵団(うち)の連中と一緒の訓練に参加するか、遠征に2、3回も同行すれば直ぐに取れるさ」
「よしてくれ、遠慮するよ」
王国中に名を轟かせる一流クランの訓練に、数年のブランクありの俺が参加したら間違いなく怪我をする。
まして、遠征に同行などしようものなら、物理的に死んでしまうだろう。
一方で、相変わらず遠征に出ては命がけの戦いを続けるジルボアは肥満の気配さえもない。
その癖、野外生活の疲労や苦労も、その秀麗な顔に一片も浮かんだりはしていないのだ。
英雄というのは、理不尽なものだ。
「ところで、また何か面白そうなことをしているそうだが。リュックとロドルフは役立っているか」
「ああ。しっかりと働いてもらっているさ。報告は受けているんだろう?」
「それはな。ただ、ここ最近の報告は少しわかりにくい」
ジルボアが理解しにくい、という時期は2人に冊子の見本を作るよう任せた時期と重なる。
「あの2人も成長した、ということかな」とジルボアは評価した。
代官としての領地開発と製粉業の計画にあたっては、新人官吏達にはあくまで代官の自分を補佐する能力を期待して動いてもらっていた。
彼らが動きやすいように、こちらも最大限に意図を説明したし、訓練に時間も十分に費やした。
そういった基礎の上に、印刷業の見本制作については自主性を重んじて各自の判断で動いてもらっている。
自主的に動いて仕事を作り出している、という状態を指してジルボアは2人を評価したのだろう。
「そうだな。2人は成長している。問題は自分だ」
任せていると言えば聞こえは良いが、リーダーである自分にビジョンが欠けているのも要因の一つだ。
そして、今日の来訪はまさに、そのビジョンを固めるために来たのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「・・・印刷業、か」
「そうだ。冊子を印刷機、という機械で複製する。そうやって情報を広め事業を興していくことになる」
ジルボアが、俺の説明を理解しようとして目を閉じる。
「団長、自分の意見を言っていいでしょうか」
そこへ、横から意見を挟んでくる者がいた。
副団長のスイベリーだ。
「構わない。何だ」
団長(ジルボア)の許可を受けて、スイベリーは言う。
「その、印刷業というのが自分はあまりピンと来ないのです。小団長が自分には理解できないほど学があるのは知っていますが、印刷というのは、商家の手伝いや下っ端の坊さんが小遣い稼ぎにやってる代書のことですよね?さっきから、それで世界が変わるだの、教会の組織がどうだの、と言われてもピンと来ないのです。騙されてるとは言いませんが、何がなにやら、という感じです」
所詮は代書屋の仕事でしょう?というわけだ。
自分の腕を頼みに、幾多の敵をその剣で斬り伏せてきた英雄からすれば、代書屋の仕事をちょっと便利にする道具がいったい何の役に立つのか、といったところだろうか。
確かに、そういう見方もある。
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