第567話 奇跡と名声
「それにしても、初めて見る内容ばかりです」
「ですが、一つ一つの内容は、合理的なものばかりですよ」
新人官吏達が苦労して作成した見本の羊皮紙を一枚一枚取り上げて、いったいこれは何のために作成したのか。どのような場面での使用を想定しているのかを丁寧に説明していくと、ミケリーノ助祭は眉間に寄った皺をますます深くした。
「神書の印刷、これは教会にとっても議論の対象になるでしょう。教会内でも昔から、王都にある原初の書を正確に写本したモノを末端の聖職者まで配るべし、という派閥と、一定の修行期間を経て正確に神書の中身を解釈する力量を備えた聖職者のみに閲覧を許すべし、という派閥の2つの派閥がありまして、論争が続けられてきたのです。あなたの印刷業は、その派閥争いの天秤に大きな岩を投じかねないわけです。ケンジさんは、その派閥争いに加わりたいですか?」
「いいえ。謹んで辞退させていただきます」
教会内の争いからは距離をとるべく返答すると、ミケリーノ助祭は小さくため息をついて言葉を続けた。
「そうですか。ですが、どちらにせよ巻き込まれると思いますがね。ちなみにニコロ司祭も私も、原初の書を全ての聖職者に配るべし、という派に所属しています。誤った写本など押し付けられては効率が悪いですからね」
「ニコロ司祭なら、そう仰るかもしれませんね」
何となく、若い頃から上役の無能や誤った神書の記述が許せずに文句を言いそうな様子が目に浮かぶ。
「次に、剣牙の兵団の団長の英雄譚、ですか?平民には人気の出そうな読み物です。これは吟遊詩人の唄に絵をつけたようなものでしょうね。この手法は、教会でも使えるかもしれません」
「と、おっしゃいますと?」
「そうですね。これもケンジさんが私に放り投げた教会の政治の話になりますが。聖職者の出世というのは、どのように成されるか知っていますか?」
「いえ、まったく」
「聖職者の出世というのは、基本的に上役の推薦で決まります。上役が出世すると、空いたポストの後任を上役が指名します。後任がいたポストも空きますから、それをまた指名します。そうして鎖がつながるように、1人の出世が多くの人間の出世につながっているわけです。これが教会の派閥です」
「はあ」
理屈は理解できるが、それが印刷の話とどう結びつくのか。
「そうして聖職者が出世していくためには、あるものが必要になります。それが何かわかりますか」
元の世界でも出世する度に必要とされる要件は変わっていくのが普通だった。
スタッフである間は自分の能力が高ければよかったが、マネージャーレベルになると管理能力や指導力が問われる。
それ以上になると営業力や政治力が問われていくわけだが、そのあたりのイメージであたりをつけて答えてみる。
「資金と権限、ですか?」
俺がニコロ司祭の派閥に提供しているのは、基本的には資金と権限という、いわゆる利権だ。
新しい製品やサービスを作り、その管理や運営に関わる監督権限を提供することで教会の収入を増やし、組織のポストを増やしてきた。
その対価として、教会は会社(うち)を保護している。
だが、ミケリーノ助祭は、首を左右に振った。
「それで上がれるのは司教までです。それ以上の出世に必要なのは、奇跡と名声です」
ようやく話が見えてきた。
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