第549話 未来のために

「ここからは、どのようにニコロ司祭に説明すれば、時間稼ぎをしつつ最善の場合(ケース)につなげることができるか。それを考えるわけだが」


自分一人では考えが偏りそうなので、新人官吏達に問いかける。

特に、教会から派遣された2人には、教会の理屈、を代弁してもらいたい。


「教会の人間、具体的にはニコロ司祭は、印刷機を用いて、どんな成果や可能性が示されれば喜ぶだろうか?聖職者の2人、なにか思いつかないか?」


「喜ぶこと、ですか?」


「そうだ。あのくらいの人になってしまえば、金銭では動かないだろう。だとすると、印刷技術が象徴する未来を買ってもらうしか無い」


この時、俺の脳裏には冒険者ギルドの報告書の中身について問い詰めてきたニコロ司祭の姿が浮かんでいた。


報告書が俺の手によって書かれたものであることを喝破し、言葉は厳しくとも教会と国家の将来に希望を見出そうと苦悩する官僚の姿。

あの光景があったからこそ、自分もニコロ司祭に協力してきたのだ。


「もちろん、ニコロ司祭といえども教会組織の組織人として出世や権限、派閥人事も重視するだろう。ただ、その上で教会の未来と人間社会全体の未来を考えている。そういう人だ」


俺がニコロ司祭を評すると、周囲の新人官吏達は意外なものを見る目で、何か言いたそうにしていた。


「なにか?」


「いえ、その代官様は、てっきりニコロ司祭様を苦手としていらっしゃるかと・・・」


「教会から派遣された我々が言うのもなんですが、代官様には厳しい仕事が次々に振られておりますし、そのどれもが、とても普通の人にはついていけない難題ばかりです。ひょっとすると恨んでいらっしゃるのでは、とすら思っていたのですが・・・」


恨みか。考えたこともなかったな。


「領地を任されたことは、経緯としては不本意な仕儀ではあったが、結果としては良かったと思っている。優秀な人材を確保することもできたし、様々な専門家と知り合う機会も得た。

それに、飢える農村の人達を、直接なんとかする機会と事業も見つかった。ありがたいことだと思っている」


「すると、感謝している、と?」


感謝か。それも少し違うな。


「縁があった、という意味では感謝している。それに事業を助けてくれる皆には感謝のしどおしだ。ただ、教会に感謝しているかというと・・・。これは、取引だな。だから、ある意味では対等だと思っている」


「教会と対等?」


「おかしいか?まあ、こんな小さな工房と領地の代官が対等というのは、おかしいかもな。ただ、それでも一方的に教会に世話になったこともなければ、奉仕したこともない。だから、対等のつもりでいる」


生まれたときから教会が存在し、生誕名簿に登録されることで初めて地域社会で誕生したことになる、この世界の住人とは、俺は生まれが違う。

教会は、俺にとっては巨大な組織に過ぎないし、聖職者達も、そこで働く組織人に過ぎないと心の底から思っている。


「だから、印刷機を用いて教会にとっても、人類社会にとっても有益な未来像を見せたい。意見を聞かせてもらいたい」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


印刷機を用いて、どんなことができるのか。

その未来像についての議論は、最初から紛糾した。


理由としては、新人官吏達の出自が各々、かなり異なっていたということが挙げられる。

教会の聖職者、元商人、元貴族、職人、元農民の冒険者、そして俺。

各々が思い描く「豊かな社会の未来像」が全く異なるわけだ。


だが、それこそ望むところである。


自分が主導し過ぎれば、この世界は元の世界の劣化コピーにしかなれないだろう。


どのような未来を望むかは、この世界の人間が決めるべきだ。

俺の意見は、その中の一つの知見として採用されれば、それでいい。


そうして午後から始まった議論は、日が沈むまで続いた。

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