第515話 小さな炎

新人官吏達を帰すと、サラと2人だけになる。


深夜という程でもないが、夜の工房はガランとして、もの寂しい。

つい先程まで、大勢の人間たちと酒宴に参加していた反動で、より寂しさを感じるのだろう。

同じように感じたのか、サラがポツリと呟く。


「なんだか、静かになったね」


「ああ」


少しの間、自然な沈黙が落ちる。


「お茶、淹れるわね」


サラがソファーから立ち上がり、キッチンの奥へと向かう。

事務所には、改装工事をした時に作ってもらった小さなストーブがある。

ちょっとした暖を取るついでにお湯も沸かせるので重宝している。


サラが鍋に水を汲んでくる間に、火打ち石でストーブの火をおこしておく。


ストーブから覗く小さな炎の灯りは、人を落ち着かせる力がある。

小さな火種から大きめの薪へと火が移り、炎がゆっくりと大きくなっていくのを眺めていると、コトリと水の入った鍋が上に置かれる。


「この小さい薪の暖炉って便利よね。ケンジが注文したんでしょ?」


「ああ。少し高かったが、作ってもらってよかった」


暖炉が主流のこの辺りでは、移動式の鉄の薪ストーブというのが珍しいらしく、注文した鍛冶屋との打ち合わせでは仕様を説明するのに苦労したものだ。


実際に、なんの変哲もない箱型の鉄の薪ストーブに過ぎないのだが、普通の庶民の家では暖炉に火があれば充分であり、事務所のような場所に便利だから、という理由だけで火種を持つ家が少ないので鍛冶屋でも用途が理解できずに戸惑ったのだろう。


鉄のストーブが普及していないのは、街中で火災を防ぐために、屋内での暖炉以外の焚き火に税金がかかる、という政策的な理由もあるし、鉄をふんだんに使用している製品なので、実際に高価になるという経済的な理由もある。


だが、そういった小さな障害を乗り越えて据え付けた鉄の薪ストーブを、俺は気に入っている。


「そろそろ淹れても大丈夫かしら」


なんとなく黙って炎を眺めている間に、小さな鉄鍋から湯気が立ってくる。


「そうだな。ハーブの種類は・・・任せるよ」


「そうね。お酒を飲んだ後だから、これとこれね」


サラが棚に並べられた小さな陶製の壺を幾つか持ってきて、数種類のハーブを鍋に投入する。


「また増えたか?」


「うーん・・・ちょっとね。いろいろと試してるの」


意外、というほどのことでもないが、サラは最近、ハーブ茶に凝り出している。

字が読めるようになって、手元に仕送りをした後でも金銭に余裕が出てきたせいなのか、いろいろな葉を買っているらしい。


「本当は自分で摘みに行ったり、育てたりしたいけど、時間がないのよね」


ストーブにかけられた鍋からは、ほんのりと爽やかな香りがたってくる。


「・・・時間はできるさ。それに、ハーブが育てられる暮らしも、もうすぐ手に入る」


靴の事業と代官の2つの靴を履くのは、正直なところ負担がある。

だが、代官として農村で仕事をするならば、館に小さなハーブの畑を持つことぐらいは許されるだろう。


「そうね。でも、あんまり無理はしないでね」


サラが淹れてくれたハーブ茶は、少しの甘い香りとすっきりとした辛味が混じった複雑な味がしたが、何となく明日の朝は気持ちよく目覚められるような気がした。

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