第442話 掌を打ち合わせる音

地下から地上へと戻ると、既に日は傾きかけていた。

思っていたよりも地下にいた時間は長かったようだ。


「生き返るな」


と護衛についていたスイベリーが言う。

スイベリーは地下から地上へ出た際の気分のことを言っているのだろうが、

実際、下手をうてば私設小法廷からそのまま処刑場行きというルートだって有り得たのだ。

その意味では、また生き返ったと言っても良いのかもしれない。


「これから、忙しくなりますね」


とクラウディオがこれからの作業量を推し量ってか、額を指で押さえる。

そうしたちょっとした所作がニコロ司祭と重なって見え、少し微笑んでしまった。


「余裕があるのですね」


何を勘違いしたのか、そんなことを言う。

余裕などあるものかと反射的に答えようとして、実際にいけそうだ、という余裕が心の中にあることに気づく。


考えてみれば、今回の裁判沙汰をうまく切り抜けたおかげで、今後の領地経営が非常にやりやすくなっているのは事実だ。


「そうだな。余裕というわけではないが、領地を発展させるための幾つかの条件が揃っている、とは言えるだろうな」


「条件ですか?教会の支援ですか?」


クラウディオが関心も高く食いついてくる。いい傾向だ。


「それもある。だが、それだけじゃない。そうだな。1つずつ列挙してみるか。1つ目は、前任者が最悪の統治をやらかしたこと。これは大きな利点だ」


「なぜですか?それで領地は困窮したではないですか」


カツラ代官の無茶な税をかけたせいで村民は困窮している。

クラウディオが言うように、それが事実だ。


「領民には気の毒なことだ。だが、お陰で後任の俺が何をしても、前よりはマシ、ということで評価はあがる。極端な話、前任者がしたことを全て取りやめるだけでも良いんだ」


「それは・・・確かに」


「2つ目は投資のための、まとまった資産が手に入ったことだ。資金を借りて同じこともできるが、できれば借金はない方がいい。何しろ、平民の新米代官の信用力などないも同然だからな。開発のための資金をせっせと前任のカツラ代官が貯めておいてくれたわけだ。せいぜい有効に使わないとな」


この世界に平民を相手にした、まともな銀行はない。

俺も靴の事業を起こすときには、それで非常に苦労した。

今でも先祖伝来の土地などという担保がないから、金を貸してもらうのは難しいだろう。


「教会からの支援もあるのでは?」


「それが3つめだ。教会からは技術者を出してもらう。測量士と建築士、水車の専門家も必要だ。それと艀だ。川船が横付けできる場所も設けたい」


「そこが、私にはよくわかりませんでした。農民達は必要となれば自分達で小麦を粉にしています。それなのに、わざわざ船を仕立ててまで他の村に小麦の製粉を依頼するでしょうか?」


「そうだな。それについては、いくつか考えていることがあるから、今は置こう。だが、必ずそうなる」


「そうですか・・・」


クラウディオは残念そうだが、計画自体は未だ詰めるところも多い。

人目もある中で、大声で話せる内容でもない。


「その上、今の村には畑を耕せない農民という労働力がある。彼らに技術者の指導の元で土木工事の仕事を与えることができる。村では貴重な現金収入となるだろう」


ある種の公共事業であり、困窮した農民への福祉事業でもある。

前任者の苛政を廃し、仕事と収入を持ってきてくれる代官を農民の支持は集まるだろう。


「最後に・・・」


「まだあるんですか?」


呆れ顔でクラウディオが言う。


「最後が重要だ。前任者が処分されて、村で美味い汁を吸っていた偉い奴らも、反対しそうな司祭様も綺麗さっぱりいなくなったわけだ。つまり・・・


「つまり?」


「面倒くさい反対者はいない!やりたい放題ってことだ!」


そう言って両の掌を打ち合わせると、思っていたよりも大きな音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る