第431話 戸口に立つ女
そうして朝から安宿で飲んでいるところに、女が1人、ふらりと訪ねてきた。
朝から冒険者のところに来るような女が堅気なわけがない。
(娼婦?なのかしら・・・)
女を一瞥したサラは疑問に感じた。
サラは娼館などに行ったことはなかったから、冒険者仲間の男達の会話から、娼婦らしい格好というと胸元が開いて足の太腿が見えるような露出の多い服装を想像していたのだが、目の前の女は少し印象が違って見える。
襟元や手首まで体を隠すように布で覆われた服装に原因があるのだろうか。
色合いも、どことなく地味に見える。
その女は、宿の主人に向かって
「この宿にケンジという人は、いないかしら?」と訊ねた。
宿の主人が面倒くさそうに「いねえよ」と答えると、女が溜息をついて出ていこうとしたので
「ちょっと待って!あたし、ケンジと一緒に仕事してるの!」
とサラは思わず呼び止めていた。
振り返ってこちらを見つめてきた瞳は鳶色で、その奥に何かが揺れているのが見えたような気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで、ケンジという人には、どこに行ったら会えるの?」
と女は戸口に立ったまま聞いてきた。
サラは多少の推測もまじえてケンジの居場所について教えてあげた。
「今は難しいんじゃないかな。わりと走り回ってるから。冒険者ギルドにいることもあれば、宿にいるか、それとも市場の方にいるかも」
実際、ケンジは朝から晩まで動き回っている。
冒険者には珍しい勤勉なタイプだ、とサラは感心して見ている。
依頼のある時は働き、あとはダラダラと飲んだり休んだりしている。
それがサラの知っている冒険者の暮らしというものだ。
サラの話を聞いた女は、どうすべきか迷っているように見えた。
たしかに女ひとりで冒険者ギルドに行くのは躊躇われるだろう。
市場では人が多すぎて見つからないだろうし、宿に関する情報は、この宿に来たことからして間違って教えられたのだろうし。
「とりあえず座ったら?」と言いかけて、サラは飲みかけの麦酒が入った杯が転がっている卓の惨状に気がついた。
女からすれば、自分は安宿で朝から酒を飲んでいるダメな冒険者にしか見えないだろう。
今話した情報も、小遣い稼ぎにいい加減なことを言っていないか、疑いつつも必要だから仕方なく聞いている、という心持ちに違いない。
戸口に立ったままなのが、女の信頼度の低さと用心を表している。
これは、いけない。女としてダメな気がする。
「ちょ、ちょっとここで待ってて。少し顔を洗ってくるから!おじさん、お茶のお湯沸かして!2人分払うから!」
サラは大急ぎで裏の井戸に走り、汲んだ桶から器用に頭だけ水を被ると、残りの水で勢い良く顔を洗う。
井戸水の冷たさがアルコールで緩んでいたサラの頭をシャッキリとさせ、今更ながらに女の素性に関する警戒心と好奇心が芽生えてくる。
(あの女・・・ケンジのなんなんだろう?ケンジって人、とか他人行儀な呼び方だったから関係のある女ってことはないだろうけど。それにあの服装からすると堅気でもないのよね。依頼者かしら?でも冒険者って格好じゃないわよね)
乾いた布で頭と顔を拭いつつ、サラの頭はようやく普段通りの働きを取り戻しつつあった。
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