第389話 この幸福な日々

「しかし、不思議なものだなあ」


ロドルフの言葉に対し、板切れに数字を書き込んでいたパペリーノが「なにがですか?」と応じた。


「いやあ、こうしてみると、只の板切れだろう?仕事の内容と、名前と、数字が書いてあるだけの板切れだ」


「そうですね。それが何か?」


「この板切れを並べてるだけで、計画全体の細かい仕事の責任や、仕事量がわかるってんだからな。不思議に思うのも当然だろう?」


ロドルフの疑問に、パペリーノが答える。


「・・・それだけではありません。この板切れに書かれた数字を全て足せば、それだけで計画に要する仕事量の全体がわかりますし、もし日当の計算ができれば、人夫に払う金銭も計算できますよね」


「つまり、計画全部の予算が板切れを並べるだけで出せるってことか。なんていうか、すごいことだよな」


「そうですね。何より、この方式で優れている点は、私達のような素人でも計画が立てられることです」


「そうだな。おまけに、板切れを並べ替えるだけで、計画の修正ができる」


「そう。数字が書けて、簡単な計算ができて、簡単な字が読めれば、計画が立てられます」


「しかも、今まで立てたことのない複雑な計画でも立てられる。今、俺達が見たこともない領地の開発計画を立てられているのが、その証拠だ。正直なところ、教会はこの手法が喉から手が出るほど欲しいんじゃないのか?」


「・・・否定はしません。私では教会の領地開発、あるいは聖堂建設に与える影響は想像もできません。これまで、聖堂の建設などは、ある種の名人芸が必要な世界でした。そこに、この手法が持ち込まれれば土木工事の概念が変わります。河川に橋をかけ、街道を整備し、城壁を築く費用が何割も削減されるでしょう。そうして人間社会が、ますます広がるのに資するはずです」


パペリーノの評価に、今度はロドルフが驚く番だった。


「そんなにか?」


「ええ、それだけの影響力があると思います。報告書の件でも驚きましたが、この計画手法も、これを広めるだけで聖人に伍されるだけの功績だと思います」


「・・・いったい、代官様は何を考えてるんだろうな?自分で独占すれば、とんでもない功績になるだろうに。俺達みたいな人間に簡単に教えて・・・」


「なにも考えてないわよ」


聖職者と元貴族の議論は、途中に割り込んだサラの言葉で中断された。


「聖人とか功績とか、ケンジは昔から、そういうことは何も考えてないわよ。ただ、どうやったらうまくいくか、それだけしか考えてないんだから」


一心に板切れに数字を書きながら、サラが断言する。


その確信を持って言う様子に、それ以上の言葉を続けることができず、パペリーノとロドルフは板切れに数字を書く作業に戻るのだった。


そうして全ての板切れに数字が書き込まれた頃には、太陽がすっかり沈んでいたので、続きの作業は翌日に持ち越されることとなった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


すっかり疲れきって事務所に戻ると、昨日と同じようにケンジが温かい茶とスープを用意してサラを待っていた。


「おつかれ。なかなか順調なようじゃないか」


「もう、この2日で頭を使いすぎて、爆発しそう。今なら、頭の熱でお茶がわかせる気がする」


「それは困るな。とりあえず、飯食おうぜ」


「うん・・・」


サラは、仕事が終わりにケンジと軽口を叩きながら食事をする時間が好きだった。

つい数年前までは、命がけの依頼をこなしながら、安宿で銅貨を数えて冷たい麦粥か、顎が疲れるほど固いパンを齧っていたのだ。

それが、今では暖かい家があり、生命の危険のない仕事があり、温かく肉の入った食事が食べられる。

おまけに、農民で冒険者あがりの自分が聖職者と並んで、誰も学んだことのない仕事をしている。


この幸福な日々が、少しでも長く続いて欲しい。

サラは、そう思うのだった。

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