第347話 代官就任の波紋

「代官をやることになった」


一連の行事から開放され、会社で事情を聞きたがる工房の職人達には、疲れていたこともあって投槍に説明したのだが。

その反応は、劇的だった。


「ええっ!小団長、お役人様になったの?」


「出世ですなあ、これは目出度い」


「はー、前から凄い人とは思ってましたが、お役人様ですか・・・」


と、人の気も知らずに、賞賛された。

それがまた、裏表のない純粋な言葉なので何とも反応しにくい。


そんな無責任な喧騒が、サラの一言で一瞬で静まり返った。


「ケンジ、工房を閉めちゃうの?」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


メディアの発達していないこの世界では、貴族階級というのは文字通り雲の上の人である。

肖像画なども滅多に置いていないから、自分達の領地を統治する貴族の顔を知らない、ということも普通にある。

だから貴族の関係者かどうか、ということを服装や動作、紋章などで見ることになる。


庶民からすると、貴族は何もせずに自分達の税を持っていく存在、に見えているし、代官は立派に貴族の範疇に入るらしい。

要するに、不労所得を労せずして得られる身分になったのだから、苦労して靴の事業で現金を稼ぐ必要はないだろう。だから、工房を閉めるのではないか。

そういう連想が働いたものらしい。


「工房を閉めたりするもんか。ここまでにするのに、俺と皆が、どれだけ苦労してきたと思ってるんだ。代官になるといっても、数年だけの話だよ。それに、今すぐの話じゃない。工房だって、これから、もっともっとでかくする予定だからな!」


そう大声で告げると、職人たちは一様にホッとした表情になった。

職人達からしても、若い時からそこそこの給与が貰えて、温かい飯がついてくる職場は貴重な筈であるし、結婚している連中も増えてきた。


ふと振り返れば、自分が背負っているものも大きくなってきている。

そうそう好き勝手に振る舞って、彼らを路頭に迷わせるわけにはいかないな、と思いつつも、やるべきことを通し続けているからこそ、現在の立場がある。

まだまだ、守りに入るわけにはいかない。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「しかし、どうするんですかい?代官と靴工房の兼任は難しいんじゃないですかい?」


とキリクが珍しく経営に口を出す。

そういえば、すっかり身内扱いしていたが、キリクは剣牙の兵団の目付け役でもあった。

大口支援者の剣牙の兵団とは、どうするのか話し合う必要がある。


キリクにはジルボアとの接見を調整してもらうこととして、まずは社内の話をつけなければ。

何よりも、サラには理解してもらいたい。


「代官をやることになった」と言ってから、何となくサラの様子がおかしいのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「サラ、何か気になることがあるのか?」


と声をかけても


「ううん、何でもないよ」


と首を左右に振るばかり。


俺もそれなりに、いい年をしているので「女の考えていることはわからない」などと言うつもりはない。

サラの手を握り


「俺が代官になるのが、不安か?」


と、顔を見つめて聞く。


「・・・うん。だって、ケンジに貴族様の真似が勤まるとか、ぜったい思えないし」


憎まれ口を叩けるようなら、大丈夫だ。


「そうだな、この服も借り物だし、祝宴では裾を踏んづけて転ぶところだった。貴族様には、なれないな」


軽い口調で言うと、サラは安心したように笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る