第276話 司祭の長い話

セリオ司祭は語る。


「最初は出世の本流から外れたのではないか、という意識もありました。ニコロ司祭の下で教務に励んでいた頃であれば、同僚は私以上に頭の切れる優秀なものばかりでしたし、そういった者達に負けぬよう、私も努力したものです」


ミケリーノ助祭を見てもわかるように、ニコロ司祭の下には優秀な若手が多くいて、出世競争も激しい。

セリオ司祭も、そうした中で優秀な同僚たちと鎬を削っていたのだろう。

そんな中で、ニコロ司祭や同僚の元を離れて、3等街区の、しかも冒険者たちを相手にする教会に配属されるというのは、どんな気分だったのだろうか。


「この教会に赴任してからは戸惑うことばかりでした。何しろ市井の暮らしというものには長く触れていませんでしたので。この教会で様々な方と接するようになって、自分は聖職者の、その中でもごく一部の人間としか接したことがなかったのだ、と思い知らされましたよ」


僅かな苦笑とともにセリオ司祭は自らの無知を笑い話にして語ってみせる。


「この教会での暮らしは、以前とは全く違います。大きな教会組織の中にいて見えにくくなっていた、神書と暮らしが直接結びついている様子を肌で感じ取ることができるのです」


確かに、この小さな教会にいれば市民達と直接話す機会も多いだろう。

実際に手や体を動かして教会の運営に携わらなければならないことも多いはずだ。

それまでニコロ司祭の元で、いわば官僚として働いていた身が、中小企業の経営者になるようなものだ。

そのギャップの大きさに戸惑いはあったろうが、それを良い方向に捉えるだけの精神の柔軟性と器が、セリオ司祭にはあったようだ。


「恥ずかしながら、私は冒険者という方達を無学な農民が食うに困って武器を取った人達だ、と思っておりました」


セリオ司祭の、その認識は間違っていない。聖職者の偏見というより、この街の市民の多くも、そう思っているだろう。

実際、俺もこの世界の農民と経緯は異なるが、食うに困って武器をとって冒険者となったわけだし、サラも、広い意味では、その口だと言えるだろう。


「実際には、冒険者の方達は体を張り、人間の領域を広げるために命をかけています。金のためだ、と蔑む向きもあるかもしれません。しかし、それがどうしたというのですか。我々のような聖職者も、広い意味では暮らしの糧を得るために教会に尽くしているのですから」


セリオ司祭が、そのように考える何かきっかけがあったのだろうか。

俺の問いかけるような視線に応えてか、セリオ司祭が、そのきっかけ、について語ってくれた。


「私が最初に治療した冒険者は、エイベルという青年でした。運の悪いことに、洞窟を探検中に怪物と会って、切り結んでいる最中に足を滑らせて、傷を負ってしまったんですね。それで右腕が動かなくなった。もう冒険者を廃業するしかない、せめて村に戻って畑が耕せるように、と一縷の望みに縋って、教会の治療に来たそうです」


よくある話ではある。冒険者をしていれば、運の悪い瞬間というのはある。

そして、戦っている最中に運の悪い瞬間が訪れれば、その冒険者は死ぬのだ。

幸い、エイベルという青年の運は最悪ではなかったようだが、そのままであれば未来は暗かったろう。

武器の振れない冒険者など、冒険者とは言えないのだから引退するしかない。


だが、教会での魔術治療が、その運命を変えた。


「冒険者が受ける魔術を使った治療というのは、一流の冒険者で聖職者にコネがある者が個人的に受けるものだったそうですから、エイベルぐらいの冒険者だと多少の腕があっても届かないものだったそうですね。とにかく、私の魔術治療で、エイベルは冒険者に復帰することができるようになりました。その時の彼の喜びに弾んだ声と感謝を、私は生涯忘れることはないでしょう」


そう説明してから、何かを思い出すようにセリオ司祭は目を閉じた。

彼の閉じられた瞼の内では、その時の光景が再生されているのだろうか。


「それまでは教会が冒険者の治療をする、ということが信じられなかったのか訪れる方も少なかったのですが、エイベルの治療以降は噂が広まったのか、毎日が大忙しですよ」


そう言って笑った。


「エイベルは幸い、今でも冒険者として立派に活動していると聞いています。ですが、冒険者というのは本当に過酷な生き方です。毎月、多くの方が亡くなります。そうして命を張って戦う方達のために、教会は力を尽くすべきだと思うのです。それが、私があなた方に協力しよう、と考える理由です」


そうしてセリオ司祭は長い話を語り終えたのだった。

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