第179話 パンの日

結局、相当に苦戦はしつつも株主2人の同意は取り付けた。

これで経営陣の将来ビジョンは一致した、と言えるわけだ。

あとは事業を計画に基づいて進めるだけだ。


会社の事務所に戻ると、サラが出迎えてくれた。


「どうだったの?うまくいった?」


少し心配そうに聞いてくる。まあ、額に皺を寄せて入って来れば、心配にもなるか。


「まあまあだな。狼の首に首輪を何とかつけられた、ってことかな」


「なんだか、ひどい言い方ね。そんなに危なかったの?」


「まあな。グールジンには近づくなよ、噛みつかれるぞ」


そう答えてから、サラの顔を何となくジッと見つめる。

さっき、スイベリーに言われたことが気になっているのかも知れない。


「なに?顔に何かついてる?」


サラが自分の頬を両手でゴシゴシと撫でる。


「いや、何でもないよ。最近は実家に帰ってるか?」


「うん?帰ってるよ。お給金が増えたから、みんな喜んでるの」


そうか。まあ確かに、最近のサラは平均的な冒険者の数倍は稼いでいる。

農村で食い詰めて街に出てきた冒険者としては、成功者の部類と言ってもいいだろう。

そうして稼いだ分は、実家に持って帰っているのか。


「一度、お前の実家に行ってみるか」


何となく口にすると、サラは目に見えてうろたえた。


「え!?いや、嬉しいけど何で?」


「サラには世話になってるし、農村の実情を見たい」


そういうと、動揺していたサラは、少し立ち直ったようだ。


「え、ああ、そうね。ただ、最近は豊作が続いてるし、お祭りにはちゃんとパンが食べられてるよ」


「そうか。それは良かった」


「うん」


「なあ、パンが好きか?」


「大好き!」


「そうか。みんなが毎日パンが食べられる世の中が来るといいな」


「そうね。そんな日が来るといいね」


その日は何となく仕事をする気にはなれず、サラが淹れてくれた茶を飲みながら先の予定を、ぼんやりと考え込んでいたら、すっかり日が沈んでいた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


翌日から事業計画の修正をかける作業に着手した。

3年で靴の生産量を10倍にするとしても、この世界では事業計画を持って銀行に資金を借りるわけにはいかない。

靴の生産量を担保にして直接金融として資金を借りるしかないわけだが、靴の価値が理解できるだけの頭がある連中は、事業に口を出したくて仕方ない連中だ。


そういった連中が大勢入ってくると、靴を低価格で大量に販売するという基本方針に横槍が入るのが目に見えている。

それを避けるためには、短期で事業基盤を固める必要がある。

3年を長期計画として置いておいて、1年の中期計画を保守的なものに修正するべきだろう。


まず、基本方針として3つの方針を立てる。

1.1年間は追加の資金調達をしない。

2.土地建物のような短期で資金を生まない投資を控える。

3.教会向けの靴を早期に開発・生産を行う


この方針に基づいて、具体的な計画を立てる。


長期ビジョンと長期計画をつなぐ中期目標と中期の事業計画を具体的に立てられるかどうかが、口だけの夢想家と実務家の差を分けるのだ。


ここは、俺の腕の見せどころだ。

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