第138話 塵芥の矜持

俺が、聖職者になる。あり得ないだろ、そんなの、と反射的に思ったが、言葉を抑えることはできた。

だが、余程に顔を顰めていたのか、ニコロは真面目な顔で説得を始めた。


「ケンジよ、聖職者になり神の道に仕え説法をする生き方をせよ、というわけではない。それは別の者に任せるがいい。私はお前の計数の才を見込んでいる。今は珍奇な靴などを作っているそうだが、そのような事業は人に任せるがいい。


 聖職者になれば、これまでの身分は抹消される。お前が卑しい冒険者上がりだと指摘する者もいなくなるだろう。聖職者になるなら、すぐに司祭にはなれる。


お前であれば、10年もすれば司教への道も開かれるだろう。功績によっては、大司教も夢ではない。司祭となれば、一生食うに困ることはない。俗世の塵芥に煩わされることなく、真理の扉に到達すべく学究の徒として生きることも自由なのだぞ」


俺の反応が薄いのを見て、ニコロはさらに続けた。


「聖職者となっても、俗世の欲望を捨てる必要はない。節度を守れば、酒食は自由だ。それと、後ろの女はお前の妻か?聖職者になっても、妻帯は許されている。そこは安心するがいい」


「妻・・・」と、後ろでサラが何やら身じろぎしていたが、今はそれどころではない。


この世界で、聖職者の社会的地位は高い。平民が頭脳を生かして出世しようと思えば、唯一の道と言っても良い。必然的に、聖職者で出世するものは、教会のための集金能力に優れた者、カリスマで信者を集め教えを説くのに優れた者、そして優れた頭脳で組織運営に手腕を発揮する者の何れかに限られる。まあ、本当の上位者になると、その全てに加えて何らかのコネや政治力が必要になるのだが。


要するに、普通の冒険者あがりの人間が、この破格の申し出を断るのはおかしいのだ。ニコロも、おそらくは善意で勧めているに違いない。

このニコロは、論理の徒だ。であるならば、自分が断る理由を論理で示さねば納得しないだろう。


「ニコロ様、私はやらねばならぬ事がございます。それは、この街の駆け出しである冒険者達を救うことでございます。私は初め、彼らを個人として救おうと試みました。ですが、それは不可能でした。私の努力に関係なく、冒険者達は冒険で傷つき、死んでいきました。


私は次に、事業として冒険者を救おうと試みました。様々な巡り合わせと幸運により、一定の成功を収めました。しかし、それは冒険者でも上澄みの者たちのこと。駆け出しの者たちを救うには至りませんでした。


ことここに至り、私は悟りました。冒険者は世界を拓くもの。そうであれば、世界を広く、富ませなければ彼らは救われないのでございます。今、この街で起きているように、貴族の屋敷に眠っている財産が開拓に投資され、農村には働き口が増え、冒険者が不足し、駆け出し冒険者達の懐に多くの銅貨が入るようにする。そのためにこそ、私は命をかけているのでございます」


ニコロは、片方の眉をあげながら、この男には珍しく俺が話し終わるまで待っていた。


「ふむ。ケンジよ。お前の話が筋道立っていることは認めよう。そして、その手腕も認めよう。なまなかな頭脳の働きと運では成し得ぬことだ。だが、だからこそ、肝心の動機については、納得いかぬ。なぜ、冒険者如きのことを気にするのだ。お前は、冒険者となっているが、元はそうではあるまい。知識も知恵も教養もある。なぜ、塵芥の如き知識なき者どものために命をかけるのだ」


いかにも、納得のいかぬといった様子で聞き返して来た。

この答えについては胸を張って言える。


「私は、塵芥の如き人間です。冒険者であったことを誇りに思っております。冒険者の仲間を持つことを誇りに思っております。仲間のため、私は私のできる最大限のことをしているに過ぎません」


俺の迷いのない回答を聞いて何を思ったのか、小さな声で「そうか」とだけニコロは言った。

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