第96話 理想と現実のギャップ

俺は考えて考えて考えて考えた結果、悩むのをやめることにした。


俺の仕事は成果を出すことであって、悩むのに酔うことじゃない。


自分で出来ないことは、人に頼めばいい。

自分で知らないことは、人に聞けばいい。


自分のやることは、足を運び、人を使い、工夫を凝らして仕事を円滑にすることだ。


そう割り切ると、何かが明るくなった気がした。

俺はもう一人じゃない。明るくない人間に、人はついてこない。

周囲の人間を心配させていいことは何もない。


櫂から始めよ、という。

まずは自分の事務所を掃除することにした。


仕事のできる人間というのは、机が綺麗なものだ。

儲かっている会社のオフィスは整理整頓されている。


続いて顧客情報を整理する。

数の多い順から「ツアー参加した駆け出し冒険者の記録」「足型を取った駆け出し冒険者の記録」「守護の靴を注文した下級貴族と騎士」「守護の靴を注文した一部の上級貴族客」の4種類である。


整理してみると、データの偏りと欠損が見えて来る。

だが、その分析は後の話だ。まずは整理と掃除を優先する。


整理を前提とした目で見ると、工房も酷いものだ。

作業場所の配置こそ初期通りであるものの、治具や道具は乱雑に置き捨てられており、革の切れ端やゴミなども床一面に散らかっている。


工場には5Sが必要である。

整理、整頓、清掃、清潔、躾である。


これは、明日からしばらく工房にいて指導を始めなければ。

制服とラジオ体操、は、ないから何か集団行動の習慣を導入せねばならない。


将来の潜在顧客のことで悩むのもいいが、まずは靴製造の足腰をキチンと整備しなければ先はない。

靴の製造権を独占できている今の機会を逃すわけにはいかない。


工房の強さとは、仕組みの強さだ。

幸い、自分には工場を指導した経験も豊富にある。

自重を投げ捨て、現代の仕組みをひたすら入れることにする。

この工房を、今日から日本式製造業の工場にするのだ。


・出退勤管理

自分の外出予定のスケジュール表を作り、わかるようにする。

5日間程度の先がわかれば、それでいいだろう。


職人達の出退勤管理も必要だ。

カードリーダーはないから、名前を書いた木片を下げて、出勤したら裏返す。退勤するときに表に戻す。


・工具と治具の管理

工具にも誰の責任か表すために普通は名前を書くのだが、名前は読めないものも多いから番号を書く。

点数を数えてみると2点ほどなくなっていた。

これは、工具の在庫管理をしていなかった俺が悪い。


・仕掛在庫管理

製作途中の守護の靴の在庫がどこに詰まっているか。それを視えるようにしてやらなければならない。


・ボトルネックの視える化

各工程の間に靴を入れる籠(かご)を置いて、積みあがっているところの跡が作業場のボトルネックだ。

各職人は、今のところ1作業しかできないが、2作業をできるようになってボトルネック工程を手伝えるようにしてもらう必要もある。


・職人の技能管理

各職人が、どの工程をできるのか。職人のスキル表を作る必要がある。


・学習に応じた報酬整備

複数工程をこなせるようになった職人には、賃金を上乗せしてやる必要もあるし、それを周知して学習意欲を高める必要もある。


・工程ごと目標管理

そもそも、各工程で、今日は何足の靴を作る必要があり、そのうち何足を製作したか、という目標管理の仕組みも入れていない。

大きな板に数字を表す木片を書いて、最終工程の職人が完成したら1つずつ、ひっくり返すようにする。


・品質検査

最終の品質検査は、今のところ俺が引き受けるのがいいだろう。

本当は、破壊検査もしたい。

ここだけは、職人に任せる気になれない。


職人の意識が向上したら、改善活動もしたい。

修理に回ってきた靴を見ながら改善について議論もしたい。


夕食後、ブツブツと言いながら、自重を投げ捨てて、木片を削ったり羊皮紙を並べ替えたり、冊子を作ったり、板に線を引いたりしている俺を見て、サラは完全にドン引きしていた。


俺だって異世界に日本式製造業を誕生させていいものか悩んだが、それは今さらの話である。

株式会社を作り、駆け出し冒険者向けに靴を製造する、と決めたのだからチートなしの凡人としては凡事を徹底するしかない。


まずは体を動かす。動かして仕組みを作る。うまくいかないことがあれば改善する。

それでもうまくいかなければ、立ち止まって考える。考えてわからなければ人に聞く。相談する。


これをできるだけ繰り返していくしかない。

仕事っていうのは、そういうものだろう?


これだけやれば、きっとうまく行く。


その夜の俺は、能天気にも、そう考えていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


翌日から、バラバラと出勤してきた職人達に説明し、指導を始めた。


だが、日本人の規律と倫理感を前提とした俺の仕組みは、サッパリ上手くいかなかった。

絵に描いた餅とはこのことだ。


本当に基本的なところから常識が違うのだ。

俺も5年あまりを、この世界で過ごしてきたのだが、そのあたりを甘く見ていたことは否めない。


職人達は、全てのことに必ず質問してきた。


「なんで、そんなことするのか?」


若い職人を集めたのだから指導しやすいと思っていたのだが、常識が離れているという点では年齢は全く関係なかった。


出退勤管理をしようとすると


「何で、そんなことをするのか?」


彼らは小規模の工房出身で親方に数人の弟子がつくのがせいぜいの環境なので、人員管理という概念がないのだ。

出勤状況によって月毎の給与を決めるためだ、と答えたが納得の様子はない。


この世界では管理技術が発達していないので職人への給与は、日払いか成果給が一般的なのだ。

仕方ないので、月給の支給を諦め日給の支給記録をつけることにした。


工具を使ったら決められたところに置く、と指導すれば


「何で、そんなことをするのか?」


これも定着しないようなので、各員に工具を刺して持ち歩けるベルトを作り、数字と紐づけた。

自分のものである、と納得すると工具を自分で持ち歩くようになったので同じ効果が得られた。

退勤するときは、ベルトごと工具を決められた場所に置くことはできた。


仕掛品在庫を視えるようにすると、とても嫌がった。


「何で、そんなことをするのか?」


自分の作業は丁寧に進めるから、遅れるのは仕方ない、というのだ。

俺は、目的は遅れを視えるようにすることで全体で手伝えるようにするためだ、と説明したがチームワークという概念がない職人には伝わらなかった。


まあ、嫌がろうが何だろうがモノが流れているのは見えるので、これは強引に導入した。

前工程の籠から仕掛品を取って、担当部分の作業をし、次の籠に入れるだけだ。

習慣にするしかない。


一事が万事、この調子である。


職人達の意識改革や自主的な改善活動など、望むべくもない。


理想は理想として、現地の職人達の意欲や習慣に合わせつつ、仕組みを整備していく日々。


何となく、アジアで工場指導した時に似てるなあ、などと思いつつも、周囲の工房よりも高めの賃金と成果報酬を餌に工房の経営を軌道に乗せるため、指導を続ける。


職人肌のゴルゴゴには指導に回ってもらうのは無理だったので、今の職人達の中から工程を管理する人材が出てきてほしかったが、しばらくは望む術もなさそうだ。


理想と現実のギャップは、かくも大きい。

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