第85話 泥浴びをする猪のように

この世界で演劇人の地位は、高くもないが、低くもない。


大貴族などに認められ、一躍サロンの主役になることがあれば、パトロンを得て貴族のような生活を送ることもできるが、下町で庶民相手に大衆演劇を見せるのが精々のこともある。


そして多くは、圧倒的に後者の暮らしをしている者が多い。

ボロい宿を見て、最初は、蝶の羽ばたきも後者の団体だと思ったのだが、幾つか腑に落ちない点もある。


無人の宿屋の一階でアンヌと俺達3人は埃の浮いたテーブルを囲んで、とりあえず依頼について話をすることになったのだが。


「なんだい、変な目をして」


睨んでいるのか、アンヌは目を精一杯細めて、口を尖らす。

だが、最近は剣牙の兵団をはじめ、ゴツくて迫力のあるオッサンばかりを相手にしていたので、むしろ背後にある怯えと虚勢を感じてしまう。


「あんた、いい装飾品つけてるな。服も胸元が開きすぎだが、上等だ」


貧乏だと言われたことを根に持ったわけではないが、この女の服装は、泊まっている宿のランクとチグハグに上等だ。耳につけている宝飾品の価値も、相当なものだ。


急な訪問にも関わらず、服装がそうだということは、普段から似たような服装をしているということだ。

これが舞台衣装や晴れの日だけの衣装なら、傷んだり盗難を防ぐために普段はしまい込んでおくものだ。


なぜかサラが、テーブルの下で、ぎゅうっとわき腹をつねる。

別にこの女を褒めたわけじゃねえから。


それに、剣牙の兵団と知り合いなのも理屈に合わない。

兵団の中で、演劇を見に行くような上等な趣味を持っている人間は、ジルボアだけだろう。ジルボアはコネと教養のために意識して上流階級の趣味に参加しているので、大衆演劇の劇団員であれば知り合う伝手がない。


そして、この口の悪さと怯えを含んだ態度。と来れば、結論は自ずと出る。


「あんた、なにやったんだ」


俺は直接に尋ねた。

ギョッとした顔をした後、アンヌは反射的に返してきた。


「それが、あんたに関係あんのかい」


「大ありだよ。俺はあんたを雇いたい。だからトラブルを抱えてるなら予(あらかじ)め知っておきたい。当然のことだろう?」


剣牙の兵団の凱旋式を、この女が演出(プロデュース)したというのなら、実力はわかっている。

なんとなく金にも困っていそうだから雇用できるかも、との目算もある。


だが、抱えているトラブルの種類にもよる。単純な暴力なら、剣牙の兵団の庇護下にあれば安全は保障できる。金銭の場合も、それが莫大なものでなければ雇用には有利に働くだろう。

それでも権力に関わるトラブル、例えば貴族絡みは困る。


先日、俺も身の危険を感じて思い知ったのだが、権力の怖さってのは見えない怖さだ。

剣なら、目の前の剣を避ければいい。だが、権力を持つ者はジワジワと周囲から締め上げ、思いがけない形で背後から襲撃してくる。権力には、それ以上の権力や組織でないと対抗できない。


そして、何となくだが、この女の抱えているトラブルは貴族絡みの予感がするのだ。


「・・・別に、悪いことはやってない。夜のお誘いを断っただけだよ」


演劇をする者が、夜に春をひさぐのは、地球でもよくあったことだ。

この世界でも、女優がパトロンを得るためには普通の手段の筈だ。


「断った・・って、それは普通のことなのか?」


とサラに小声で尋ねると、サラは頭(かぶり)をふった。


「知らない。村にはたまにしか来なかったかから・・・。それにあたし、小さかったし・・・」


「キリクは、何か知ってるか」


「よほどの有名劇団であればともかく、普通は考えられんことです」


3人でアンヌを一斉に見つめると、居心地悪そうに身じろぎをした。


「私だって、最初は我慢してたのよ。パトロン欲しかったし。うちの劇団を売り込むチャンスだと思ったからニコニコして頑張ってたのよ。


 だけど、パトロンになる気もないケチでデブの貧乏貴族が、べたべた触って来るから、つい嫌だって押しのけたら、そいつが泥浴びする猪みたいに料理を巻き込んでゴロン、と転んで、しかもカツラが取れちゃって、あんたハゲじゃん!髪が生えたら来世で来な!って大声で言ったら祝宴の会場が大笑いになって、そいつが真っ赤になって追っかけて来たから、逃げてきちゃったの・・・」


ぷっ、と息を噴き出す音が聞こえた。

サラが肩を小刻みに震わせて、笑い出すのを懸命に堪(こら)えている。


だが、キリクは遠慮がなかった。


「がっははははっ!それは恨まれるわ!いやー愉快愉快!姉ちゃん!あんたなかなかやるなあ!銀貨を払っても同席したかったぞ!」


馬鹿力でボロイ机をバンバン叩きながら大声で笑った。


うーん・・・この女、雇って大丈夫だろうか。

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