17・午餐会

 午餐会が始まり、和やかな雰囲気で食事が進んでゆく。控えの間での意外な演者のちょっとした茶番についてはもう誰もが忘れたかのように振る舞っていた。賓客達は、オルスの間の趣味の良さに唸ってさかんに褒めそやしている。ヴェルサリアの王族や大貴族たちには見慣れたものであったが、異国からの客人の殆どは訪れた事がなく伝聞でしか知らない。様々な異文化を持つ外国の貴人たちがこぞって、ヴェルサリアは世界の芸術の粋であると讃えるのは、勿論、ヴェルサリア側の人々にとって気分の良いものだった。

 

 こうした席では、アルフォンスの隣はこれまで大抵エーリクが座っていたが、彼はもういない。表向きは彼は急の闘病中である為、代理出席はなく、代わりにひとつ席が詰められて、そこにはスザナがいた。エーリクの永遠の不在は心寂しく思えたが、彼は回復を目指して闘病中という事になっているのでそんな感情はちらりとも面には出せない。笑顔で、彼が早く回復すると良いが、と言い合う茶番に我慢するしかない。茶番と言えば、流石に、国王夫妻や宰相のいるこの場では、スザナもシャサールも余計な振る舞いをする心配はなかったので、アルフォンスは先程の事はもう考えまいと気持ちを切り替え、上座からやたらと話しかけてくるフェルスタン帝国の皇子への丁寧な対応に努めていた。

「帰国前にもう一度お会いしたいものだ。それから、その黄金色の髪を一房頂けませんか。『これがあの、ルルアに愛されしルーン一族の髪だ』と国で自慢する土産にしたい」

 珍しがられる事には慣れているが、ここまで堂々とそんな事を申し入れられると、何か珍獣扱いされたような微妙な気分になる。だが笑顔で首肯するしかない。ただ、この皇子はユーリンダを気に入っていたようにも感じていたので、娘を外国に嫁がせる事は出来ないとどこかで匂わせておいた方が良いかも知れない、とも思う。フェルスタンにおいては、貴族の娘が第二皇子に嫁ぐのはこの上ない名誉であるかも知れないが、こちらはそんな望みはまるで持っていないのだ。


 主役である国王夫妻は、昨夜初めての契りを結び真の夫婦となった事で、その若々しい美しさに一層の輝きが添えられたように見える。南のサンドリア連合では、主君に対しても祝い事ではあけすけにものを言う風習だとは聞いていたが、祝いの使者は程よく酒も入り、ヴェルサリア人にとっては冷や冷やするような突っ込んだ冗談も言っていた。だが新王エルディスは新妻を庇い、困惑した様子など微塵も見せず、にこやかに応対している。

(成長された……)

 線の細い少年の印象もあった王太子も、王となり夫となった事で新たな気概を持たれたようだ、とアルフォンスは嬉しく思う。

 一方、王妃リーリアも取り澄ました笑顔を貼り付けたまま、夫の発言に添うように柔らかくそつなく返答している。

(まるで元々王女として宮廷で育てられたかのような完璧なお振る舞い。ユーリィやフィリア姫などでは全くああは出来まい。本当に、これで良かったのだ……)

 新国王・王妃の執る王政の、順風満帆の滑り出しである。鉄の柱のように堂々とした宰相も微笑を浮かべ、時に、そのいかめしい印象を拭うようなユーモアも交えて、孫娘である王妃の幼い頃の話などを披露しては、座の人々を愉しませ、寛がせている。常にその場に合わせた振る舞いが出来る老練ならではである。諸外国の大使達には、このヴェルサリアの新体制に、僅かの綻びを見出す隙さえ与えなかった筈だ。

 前王の治政より更に安定した良い時代が、新たなヴェルサリア王国に来るであろう。その、幸福な時代に自分も子ども達も生きて、繁栄の礎の一部分を担う事が出来る……そう思うと、アルフォンスは静かな喜びと満足感で満たされた。


 人の笑みの絶えない、和気に溢れた午餐会も、やがて終わりの刻を迎えた。

 隣席のスザナは、それまで全く、こっそり個人的に話しかけてくるような事はなかったが、終会の辞が述べられると、軽く肘でつついてきて、

「後でわたくしの館へ来て頂戴よ。昨夜の説明をまだ聞いてないもの」

 と囁きかけてきた。

 スザナを先に帰した後で起こった事を知る部外者は、リッターの他にはこれ以上絶対に増やしてはならない。彼女は既に充分知り過ぎてしまっているのだから、もう彼女が何を言おうとも、更なる危険に近づけるなど以ての外だ。とは言え、考える事があり過ぎて、聡い彼女をどうやって虚偽の話で納得させるかについては、まだ考えを纏めていなかった。リッターとも口裏を合わせておく必要がある。スザナに教えてはいけないとは、彼ももう充分に解っている筈だが、二人の話にかみ合わない部分があれば、スザナはしつこく追及してくるに決まっている。今朝の時点では、『わたくしが知っても大丈夫と、あなたが判断した事だけ教えてくれればいい』などとしおらしく言っていたが、急場を過ぎて危険に直面した時の感覚から離れてしまえば、好奇心の方が先に立ってくるのが彼女の性格だと、子どもの頃からアルフォンスはよく知っている。何しろ、スザナがこれ以上新たに知っても大丈夫な事など、何一つないのだ。むしろ、昨日知った事から彼女の興味を遠ざける話を考えねばならない。

 それに、そうだ、王立図書館の司書長の権利。エーリクの死が公になれば、誰かがそれを引き継ぐ事になる。あれを他の誰かに渡す訳にはいかない。元々名ばかりのもので、そんな肩書きに急いで飛びつく者がいるとも思えないが、早めに手を回しておくに越した事はない……。

「わかっているけど、宰相閣下にも呼ばれているんでね。夕刻になるかも知れない」

「夕餉を用意させましょうか」

「いや、用事が溜まっていて、早めに帰らなければならないんだ」

「あら残念ね。でも、特別良いお茶があるから、さっさと帰らないできちんと説明してよね」

「わかってるよ」

 先程の言動について文句を言いたい気はしたが、どうせ後で会うのだから、これ以上ここで話すのもよくないと思い、アルフォンスは彼女の傍を離れた。


「アルフォンス」

 ホールの外へ出ようとしている人をかき分けるように誰かが近づいてきた。

「やあ、リッター」

「改めて昨夜の事を考えてみました。今朝申し上げた通り、あなたの仰る事を守ろうと思います。ただ、スザナに話す事は、口裏を合わせておかなければと思いまして」

 スザナと話している様子を見たリッターは、彼の方から気を利かせて近づいてきてくれたのだ。

「全くその通りだよ。ありがたい」

 二人は並んで歩きながら小声で会話を交わした。アルフォンスは言う。

「今朝の様子では、スザナは危険には近づかずに事の顛末だけを知りたい、と思っているようだった。だが、喉元過ぎれば……で、おかしいと思えば、意地になって追及してくるかも知れない。彼女は、昔からそうだからな」

「彼女は昨夜の私と違って、あなたを疑ったりはしていないと思いますから、賊を成敗しようとしたが魔道を使って逃亡してしまった、という事でどうでしょうか。そしてその際に、賊が『これ以上秘密に近づく者には死が訪れる』と呪詛を吐いた事にすれば。彼女は死人が出て賊が襲って来たあたりから、危険に近づいてまで真実を知る事に消極的だった。それでうまくいくのではないですか」

 アルフォンスはリッターの言葉を吟味し、頷いた。

「そうだな。まぁ、消極的になっていたのは多少、あの香で具合を悪くしていたからと思えなくもないが、呪詛が降りかかる危険性を避ける事に同意し、賊を成敗しようとしたわたしを信用して、これ以上深入りしないと決めた、ときみが口添えしてくれれば、恐らく彼女もそれに倣うだろう」

 確かに、それでうまく行くように思えた。アルフォンスが同意した事をリッターは喜んだようで、

「これで少しでも、私の愚かしい行動が差し引きになるといいのですが」

 と謙遜する。

「愚かしくなどないさ。あの場面ではむしろ当然の反応だった。全てはわたしの見通しの甘さが招いた事だ。あまりにも色々思いがけない事があったので、後から思えばやはりかなり冷静さを失っていた」

「あなたでもそういう事があるのですか」

 笑いを含んだリッターの問いに、アルフォンスは静かに、

「勿論だ。わたしはただの人間に過ぎないのだから。人生にはいくつか重大な分岐点があるが、そこで冷静な判断が出来なければ、それは致命的な結果に繋がりかねない。いつもそれを忘れないようにしているつもりだったが、昨夜は……」

「友思いのあなたですから、エーリクの事で心が乱れるのは当然ですよ。昨夜の事は、そんなに重大な分岐点ではない。我々は皆、扉を開けなかったのだから問題はない……そうでしょう?」

「……そう、そうだな。ありがとう、リッター」

「あなたは私の求める風流の達人ですよ」

 そう言ってリッターは笑った。恐らくは彼自身も完全に不安から解き放たれた訳でもないであろうに、明るく振る舞ってくれるのが、アルフォンスには有り難かった。


「アルフォンス。少し時間を、いいかね? 前もって報せていた筈だが」

 宰相が賓客を送り出して戻ってきてそう言った時、アルフォンスは、エーリクの死について何を言われようと、もう誰も危険に近づけないように話そう、と心を決めていた。だが、先程自分で言ったばかりの『人生の重要な分岐点』がまさに近づいてきている、とまでは気付いていなかった。

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