3・恋と政略


 親友が自分の為を思って朝から見舞いに来てくれた事を素直に喜ぶユーリンダに対し、ティラールに目を奪われていたフィリアは、はっとして恥ずかしそうに、

「あなたがすぐに元気になっただけで、私もとても嬉しいわ」

 と俯きがちに応えた。

「早朝から、妹の為にわざわざお越し頂き、本当にありがとうございます、ティラール殿、フィリア姫」

 柔らかな声音でファルシスは客人に礼を述べた。完璧な笑顔を浮かべているが、『早朝から』という台詞には、『殆ど寝ていないのに朝早くから起こしてくれて……』という恨みが含まれている。しかしティラールもフィリアも、そんな事には気づきもしなかった。

「こうしてお話しするのは久しぶりですわね、ファルシス」

 幾分つんとしながらフィリアが挨拶すると、ティラールは、

「フィリア姫は随分ルーン家のご兄妹とお親しいのですね。ファルシス殿ともユーリンダ姫とも、わたくしも是非もっとお近づきになりたいものです」

 と人好きのする笑顔を浮かべてファルシスに握手を求める。

「こちらこそ、お知り合いになれて喜ばしく思っております」

 握手を返しながらファルシスはティラールを観察する。昨日の言葉がどこまで本気なのか確かめたい。何しろ、事によっては義弟になる可能性のある男なのだ。

「まあ、とにかくお座りになって下さい。もうすぐ軽食が来ますから」

 ファルシスの言葉で四人は席につく。ユーリンダは顔を輝かせながらフィリアに、

「昨日は全然お喋り出来なかったから、こうしてゆっくり会えてすごく嬉しいわ」

 と言う。対してフィリアは、ユーリンダを見たりティラールをちらちら見たりと落ち着きのなさを露わにしながら、

「そうね、私も本当に、今回会えるのを楽しみにしていたのよ。でも貴女はダンスが一段落したら倒れてしまって……」

「よく覚えていないのよ。もっと踊っていたかったのに残念だったわ! 貴女はどうしていたの、たくさん踊って楽しめた?」

「ええ……色んな方が申し込んで下さったから、忙しくて」

 そう言いながらフィリアはまたティラールをちらと見る。ティラールはダンスを申し込んでくれなかった。身分的には同等な二人であり、社交の為に本来ティラールは、ローズナー家の長女にダンスを申し込むべきだったのだが、あんなに広いホールにあれだけの人がいて、ティラールの歓心を得ようと集まってくる女性が多い上に、本人はユーリンダの事ばかり気にしていたので、フィリアは忘れられた形になってしまっていたのだ。フィリアの視線でさすがにティラールもその事に気づき、

「そう言えば、フィリア姫にお声をおかけ出来ずに失礼致しました」

 と頭を下げる。

「まぁそんな。こうしてお会いして覚えて頂けただけで光栄ですわ。また、機会があれば誘って下さいませ」

「僕が声をかけようとしたら、さっさと向こうに行ってしまった癖によく言うなぁ」

 ファルシスがからかうように言うと、フィリアは羞恥と怒りに顔を赤く染めてきっとファルシスを睨み、

「あなたはお忙しいでしょうから、わたくしなどに構ってお時間を取らせては申し訳ないと思っただけですわ!」

 と言い返す。ティラールの前で、不作法な女と思われたくないのだろうが、別に彼女に何かした訳でもないのに、この調子でずっと避けられているファルシスは肩をすくめて、

「貴女は大事な幼馴染みですよ。そんなにつれなくせずに、少しくらい相手をしてくれてもいいじゃありませんか」

「相手ですって?! わたくし、あなたのお相手なんかとても出来ません!」

「そんなにおかしな意味で言ったんじゃありませんよ。お話したりダンスをしたり……社交ですよ?」

 フィリアのずれた返事に、相当な自意識過剰だなとファルシスは呆れて苦笑する。要するに耳年増なのだろう。

「何のこと? フィリアとファルは喧嘩をしているの?」

 と、状況をよく飲み込めないユーリンダが口を出す。

「け、喧嘩だなんて、そんなはしたない真似をする訳ないわ」

「そうそう、軽い冗談だよ」

「あらそう、なんだかちょっと言い争っているように見えたから。ごめんなさい」

 それだけで納得してしまうユーリンダと、無理に微笑みかけてくるフィリアは、容姿はまるで違うけれど、姉妹みたいに似ているなとファルシスは思う。ローズナー女公は、娘を王妃に、という野心があったようだが、フィリアにはとても重荷だった事だろう。リーリア・バロック――今はリーリア・ヴェルサリアの、美しくも才智溢れる物言いや立ち居振る舞いの前では、初めて出仕した頃には、『宮廷に舞い降りた可憐な薔薇の妖精』と讃えられた愛らしさも、すっかり萎縮して霞んでしまう。だから、王妃がリーリアに決まり、母親の期待を裏切ってしまった後の方が、重荷を下ろした彼女はずっと本来の通りに思った事を口にできるような活気を取り戻しているようにも見えた。ローズナー女公も、その事で娘を叱責するような女性ではない。もう、次に娘の夫に相応しい相手は、と探し始めているだろう。

(そう、いくらフィリアが僕を嫌っても、その候補には僕も入っているだろう。何しろ、父上とローズナー女公にもそういう話があったと聞くからな)

 フィリアには弟がいるので、スザナと違って他家に嫁ぐ事に問題はない。むしろ、男の後継者を失った一族の地盤を固める為に一族から婿を迎えねばならなかったスザナは、娘には他家に嫁ぐ事で大貴族同士の繋がりを強める事を望む筈である。そうなると、候補は限られる。かなり歳は離れるが、まだ妻帯していないリッター・ブルーブランもあり得るだろう。それから、目の前にいる、宰相の息子、ティラール・バロックも。

(フィリアが好きなら、ティラール殿との縁組みは、ローズナー家にとっては好都合の筈……)

 いくら放蕩息子でも、宰相の正式な息子である事は動かしようのない事実である。バロック家の娘を嫡男の妃に迎えたヴェイヨン公は、裏切らないという意味で宰相に信を置かれ、多大な益を得ていると皆から見られている。バロック家との縁組みは貴族の殆ど誰もが望む事であるが、アロール・バロックの正式な子どもで未婚であるのはティラールだけの筈で、今まで全く宮廷に姿を現さなかったものだから、宮廷人からは忘れられがちであったが、舞踏会でこの堂々たる美男子ぶりを見せつけた事で、今や彼の妃の座は垂涎の的の筈である。

(僕は、フィリアを妃になんて考えられない。幼馴染みとして、ユーリィの親友として、幸せになってもらいたい。愛のない結婚では、彼女は幸せになれない……僕はフィリアを女性として愛する事は出来ない。ティラール殿は、どうなんだろうか……)

 ティラールがユーリンダを望み、フィリアがティラールを望んでいるようであるこの状況で、宰相は、ユーリンダとフィリア、どちらを息子の妃に選ぶだろうか? ユーリンダは次期聖炎の神子の身、他家に嫁ぐ事は出来ないので、ユーリンダを選んだ場合は、ティラールはルーン家の入り婿という立場になる。

(父上はどう思われるだろう……)

 宰相がもしも縁組みを申し入れてきたなら、それを断るのは、如何に大貴族のルーン家と言えども、父は宮廷での将来を失う事に繋がりかねない。それから、ローズナー女公がフィリアをルーン家の次代の公妃にと望んできたら、父はそれを受けるだろうか? 父とローズナー女公は親しいし、これも断るのは難しいだろう……。ユーリンダとフィリアが他愛もない会話に花を咲かせるのをぼんやりと聞き流しながら、ファルシスはそんな風に考えを巡らせていた。


 軽食が運ばれてきて、庭園に面したガラスの扉から朝の日差しが燦々と降り注いでくる中で、四人は朝食をとりはじめたが、ファルシスが言い聞かせていたにも関わらず、ユーリンダはフィリアとばかり話して、殆どティラールには声をかけなかった。仕方なくファルシスがティラールの話し相手を務め、同じ年頃の貴公子として二人はそれなりに打ち解けた風になってきたが、ティラールの来訪の目的は無論そんな事ではない。また、フィリアはちらちらと話の合間に、ティラールの姿を目に焼き付けておこうとしているかのように熱い視線を送っているが、ユーリンダは全く気づいていないようである。当のティラールは、遊び慣れた男であるので、フィリアの気持ちに気づいているようだが、ただただ礼儀正しく接するのみだった。この道化じみた集まりに、疲れもあってファルシスは段々苛々してきた。

「ティラール殿は、色々な土地を旅してこられて、各地にお知り合いも多いのでしょうね」

 とファルシスは暗に、お知り合いとは女性、という意味を込めて言ってみた。だがそれが通じたのかどうか、ティラールはにこやかに、背後に立っている従者を振り返り、

「そうですね、私はずっと、こいつと二人で気儘な旅をするのが性分に合っているのです。これはザハドと言って、私が子どもの頃から私に付いているんです。気心も知り尽くしているので楽なものですよ」

 と、当たり障りのない返事をする。三人は従者を見た。浅黒い肌の青年は、ティラールと同じくらいの歳に見えるが、その黒い瞳はあるじよりもずっと落ち着いた雰囲気を持っている。

「先程から思っていましたけど、従者の方は、どちらのご出身ですの?」

 とフィリアが問いかける。浅黒い肌色はバルトリアでは珍しい容姿だからだ。従者はやや戸惑った様子を見せ、あるじに、

「わたくしが姫君に直答してもよろしいのでしょうか?」

 と許可を求める。

「いいでしょう、ねぇ、フィリア姫?」

 ティラールに問われてフィリアは赤くなりながら、

「勿論ですわ」

 と答える。ティラールが頷くと、従者は、

「わたくしの名は、ザハド・ジークスと申します。出身は南部諸島……つまり元々はヴェルサリアの臣民ではなかったのでございます。とある部族の長の息子として生まれましたが、まだ幼い頃に部族間の闘争に敗れ、捕まって奴隷として売られたのでございます」

「まあ……」

 フィリアとユーリンダは息を呑む。ヴェルサリアには公然とした奴隷制度はないが、ヴェイヨン家の治める海岸地方の交易都市ジョーレイ辺りでは、下働きと称して南部諸島から働き手を買い入れているというのは、王家からも特段咎めも受けずに行われている事である。だが勿論、深窓の姫君たちは、奴隷など見た事もなかったし、どんな暮らしなのか想像もつかなかった。

「幼い身で家族と引き離され、辛い労役に付かされていた所を、通りかかった若に救って頂いたのです」

「まあ……ティラール様、なんてお優しい」

 単純な姫君たちは、ザハドがあるじの為に、偽りではないが計算した通りに、ユーリンダさえもが幾分心を動かされたようだった。ましてやフィリアの中では、ティラールの評価はおそろしく跳ね上がったようで、目を潤ませて、ザハドではなくティラールを見つめていた。

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