12・宰相の忠告

「グリンサム公が、ルーン公を呼んで欲しいと言っている。さあ」

 バロック公は重ねて言った。その緑色の奥深い目は、少なくともエーリクの死への追悼はまるで感じさせない。アルフォンスは思わず一瞬返答に詰まった。エーリクは確実に自分の腕の中でその最期の一息をつき終えた。助かった筈はない……だがその名でわざわざ自分を呼び出す事に、宰相は何の意図を隠しているのだろうか。

 しかし勿論ここで否と言うのは不自然極まりないというものである。

「わかりました」

 頷くアルフォンスに、スザナは励ますように、

「わたくしからも、どうぞお大事に、とお伝え下さいな」

 と声をかけた。他の二人の公爵も同調した。

 耳をそばだてていた周囲の者は、もうこれですっかり、グリンサム公は話が出来るくらいに回復したのだと信じ込んだ。これが常のときであったなら或いは、どこにでもいる、なにごとも疑ってかかる性質の者が、何か裏があるのかもと勘ぐったかも知れない。だが今は、誰もがこの、生きている内に再び開かれてそれに立ち合えるかどうか判らぬような素晴らしい宴に酔い痴れたい気持ちが強かった。それにどのみち、大貴族同士の間でどんな話が交わされようと自分の身には関わりのない事である。そして、これから新しい歴史を築いてゆくエルディス三世の宮廷で、如才なく立ち回ってゆく為には、宰相の意向に逆らわず阿る事が何より必要だと、誰もがよく理解していた。宰相がグリンサム公は無事だと言うなら、そうだと思うべきなのだ。


 アルフォンスは無論宰相の言葉に騙される気はなかったが、上位者、年長者に従う礼をとって彼の後に続いた。宰相にどのような目的があるのか、さっぱり測り知れない。宰相は早足でホールを出て広く煌びやかな回廊から逸れて、当直の王宮騎士たちの起居する区画へ進んでゆく。大貴族の滞在する為の離宮はここから少し離れているので、一刻も早くエーリクを寝台へ横たえる為にこちらの方へ運ばれたのだろう、とアルフォンスは推察した。直廊はいくつかの小広間を突っ切って居室のある一角へ進む構造になっていたが、最後の小広間へ辿り着いた時、宰相はようやくアルフォンスを振り返った。人の気配は二人のもの以外全くない。宰相の事であるから、最初から入念に人払いしてあるのだろう。

「アルフォンス。エーリクは死んだ」

 宰相は厳かな声音で告げた。はい、とアルフォンスは応える。解りきっていた事ではあるが、一縷の望みを抱いていた事に、この時になってようやくアルフォンスは己で気付いた。宴の音楽は間遠く途切れ途切れに届くのみ、この小広間にはその明るさとは真逆の、締め付けられるような重苦しさが漂っていた。暫く、宰相はそれ以上言葉を発さずに鋭い目でアルフォンスを見ていた。流石にアルフォンスも居心地の悪さを感じ、思い切って、

「では、なにゆえにあのような仰りようでわたしを呼び出されたのですか」

 と先程から胸のうちの大半を占めていた疑問をぶつけてみる。どんな答えが返ってくるのかと息を呑んだアルフォンスだが、意外にあっさりと宰相は頷いて、

「エーリクではなく、別の者がそなたと話したがっているからだ」

 と答えた。

「別の者とは?」

「イサーナどのだ。エーリクの妃どのがそなたに話があると。そのように、あの場で言う訳にもいかぬだろう?」

「イサーナどのが? イサーナどのが宰相閣下に、わたしを連れてきて欲しいと仰ったのですか?」

 これもまた相当に不可解な話であった。エーリクとは親しくても、その妻とは社交的な会話を交わす以上の関係はまったくない。それに、仮に夫の事で何かを話したいと思ったとしても、宰相にそれを頼むなど、いかに夫の死で精神が乱れているにしても、お門違いでおかしな話であった。

「そうだ。ふむ、納得がいかなさそうな顔をしているな。勿論イサーナどのは、私を伝令扱いした訳ではない。ただ、誰か呼びにやって下さいとエーリクの屍に縋って離れずにそう言うばかりであるから、分かったと言って差し上げたまでだ。伝令ではなく直接私がそなたを呼びに行った理由は、エーリクの死についてまだ今はなるべくそれを知る可能性のある者の数を減らしておきたかった事と、私がそなたとこうして話しておきたいと思う事があったからだ」

「……なるほど、合点が行きました。それで閣下はわたしに何を話されたいのですか?」

「勿論、エーリクはなにゆえに殺されたのかを、そなたに尋ねたかったのだ」

 老練な鷹のような目がまっすぐにアルフォンスの黄金色の瞳を捉えて離さない。アルフォンスは額に汗が滲むのを感じたが、別段怯む理由もないとすぐに思い直し、

「閣下、エーリクが殺されたのだという証拠が挙がったのですか」

 と逆に問い返した。宰相の問いかけに答えずに逆に問い返す胆力があり、またそれを許される者は、このヴェルサリアにはそうそういない。だがアルフォンスの反応を宰相は充分に予期していたし、それを咎めるような相手でもないので、別段不機嫌な様子も見せずに、

「ではそなたは、あれが自然死だと思うのかね」

 と更に問いを向けた。そして続けて、

「アルフォンス、今宵はヴェルサリアの目出度き日、新王陛下の御代の門出。腹の探り合いで時間を無駄にする訳にもいかぬ。エーリクが回復し、宴が再開されたというのに私が長く中座する訳にはいかぬ。だから率直に答えてもらいたい。いかなる理由があれども、そなたがエーリクの死を望み、手を下すような人物でない事くらいは、そなたが幼少の折から見ている私にはよく判っている。別にそなたを疑っている訳ではない。ただ、エーリクが死ぬ前にそなたに話した事に何か思い当たる節はないかと聞きたかったのだ」

「……エーリクはあの時ただ、すまない、ありがとう、としか言いませんでした」

「アルフォンス、その事ではない。外へ出て二人で話しただろう。その時の事を聞いているのだ」

 アルフォンスの鼓動が再び早くなる。宰相は全て見通している。エーリクは、宰相に気付かれる事を避けたがっていたのに、結局は掌の上だった……そんな焦りが胸をよぎる。こうなった以上、隠し事はよくない。そもそも、何を宰相に対して隠すべきであるのかも判らないのだから。

「閣下、正直に申し上げますが、実の所、わたしにも何が何やらさっぱり判りません。確かに仰る通り、エーリクが何か秘かにわたしに相談したい事があると言うので、そっと場を外して彼に会いました。彼は自分が何者かに毒を盛られているがそれについてはもう諦めているというような事を言いました。そして更に何かを言おうとした時、曲者が襲ってきて、それに対応するうちに話は終わってしまったのです」

「なんと、王宮内に曲者だと! それでどうしたのだ、王宮騎士を呼んだのか」

 アルフォンスはこの時、曲者は宰相の配下ではないのかという疑いを可能性として心中否定し切れていなかったので、宰相の表情からその糸口を掴めないかと秘かに観察したが、宰相はアルフォンスの言葉に、心底驚きと憤りを感じているようにしか見えなかった。もっとも、見えるものが真実であるとは限らないし、宰相の真意を読み取る事ほど難しいこともそうそうないのだとはアルフォンスもよく知っていた。

「いえ、わたしが捕らえましたが、口を割らせるより先に自害してしまいました。今宵の寿ぎごとをそのような事で汚してはと思い、王宮騎士の取り調べや報告で人目をひくのも良くないと考えあぐねていた所、折良く金獅子騎士団長が通りましたので、彼に始末を頼んでしまいました。閣下へのご報告が遅れる事は、今日お心を煩わせるのは良くない事と、わたしから彼に頼んだ為ですので、どうか彼をお咎めなきようお願い致します」

「アルフォンス。そなたの気遣いは有り難いが、私は宰相なのだから、そのような重大事はすぐにこっそりとでも耳に入れてもらわねば困る。王宮内に曲者など、陛下の御身に何かあったら一体どう責任をとるつもりなのだ」

「陛下の警護は強めるように依頼しています。しかし、申し訳ありませんでした」

 アルフォンスが素直に謝罪したので宰相は今はそれ以上その件を追及しなかった。

「エーリクから本当に何も聞かなかったのかね?」

「ルルアにかけて、彼がどんな理由で何者に殺されねばならなかったのか、全く聞いていません。明日にでも聞き出さねばと思っていた矢先の事だったのです」

「解った、ならばこれ以上問うまい。時間をとらせて済まなかった。曲者の事はまた調べさせるので、明日王宮騎士が話を聞きに行くと思うが」

「それは勿論、全面的に協力致します」

 アルフォンスがそう答えると、宰相アロール・バロックは頷き、イサーナはこの先の三つ目の部屋にいると告げて踵を返そうとしたが、ふと足を止めて振り返った。

「アルフォンス、エーリクの事は本当に残念な事だと思う。あれは有能な男だったし、エーリクもそなたも、子どもの頃からよく知っていたからな。今が働き盛りであったのに、まったくもって残念な事だ。我々七公爵は皆、王家の為に力を合わせて尽くさねばならぬ。知るべきでない事を知ったり、要らぬ考えを起こしたりする事なく忠誠に励むことこそが、己自身とその家名の繁栄にも繋がるのだ。エーリクの嫡子はまだ幼く、イサーナ妃はその後見人としてはいささか心許ない。だから、これ以上公爵の身に間違いがあっては、国家の威光の翳りにも繋がりかねぬ」

 緩みかけた部屋の空気が再び氷のように冷たく張り詰めた。アルフォンスは宰相の言葉の一言一言を噛みしめ、険しい表情を隠しきれなかった。

「……どのような意味で仰っておられるのですか。勿論、そのような事は充分弁えておりますが」

「そうか、ならばよいのだ」

「宰相閣下!」

 思わずアルフォンスは一歩踏み出した。

「なんだ。私はもう行かなければ」

「宰相閣下の仰りよう……まるで、宰相閣下の方こそが、エーリクの亡くなった理由にお詳しくも思えます」

 この、歯に衣着せぬ言葉に、流石に宰相も不快感を露わに眉を顰めた。

「言葉を慎まないか。私はそなたに忠告を与えたのだぞ。それに、知っているならわざわざそなたに聞きはせぬ。今言った事は私の本心だ。そなたのその真っ直ぐな気性がそなたの身を滅ぼしてはと。陛下はそなたを頼りにしておられる。ヴェルサリアの未来の為、末永く陛下の忠臣として仕えてもらいたいのだ」

「それはむろん、その所存ですが、しかし……」

「問答は終わりだ。何か言い忘れた事があれば、また明日以降に聞こう」

 そう言い放つと、宰相はアルフォンスに背を向け、これ以上聞く耳は持たぬという意志を全身に漂わせながら室を出て行った。アルフォンスは唇を噛みしめ、その後ろ姿を見送るしかなかった。

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