3・王国の慶事ー3

 舞踏会の行われる大ホールは、まさに色彩の供宴かと思わせんばかりに明るく華やかないろどりに溢れていた。美の女神アデットの名を冠してアデットホールと呼ばれるこのホールは先々代の国王が作らせたものであり、晩餐会の大広間に勝るとも劣らぬ贅を凝らした造りである。大広間のしつらえが基本的に、王家もまたルルアの敬虔な僕である事を示すべく、ルルア神話をモチーフとした飾り物が多かったのに対し、ここではヴェルサリア王家の権威を見せつけるよう、王家の紋章である金獅子を強調した意匠があちこちに盛り込まれて力強さを感じさせると同時に、美の女神の嫋やかな胸像やレリーフが極めつけに煌らかで優美な印象を人々に与え、場の空気は一層賑々しく祝賀一色の喜びに包まれていた。ここに参加することを許された中小の貴族や庶民あがりの有力者にとっては、何という至福の時間であったろうか。王国の平和と繁栄が揺るぎなく、そしてその時代に生まれ、中心に立つ国王と同じ空間にいられる己の幸運を絶えず味わう事が出来るのであったから。

 国王が舞踏会の開催を宣言すると、ゆったりしたワルツの調べが流れ出す。優美な旋律に酔うかのように人々がうっとりとした目で見守る中、国王夫妻が中央に進み出る。胸元から長い裾にいたるまでふんだんにレースをあしらい、ちらちらと輝く小さな宝石を縫い込まれた純白のウエディングローブに身を包んだ美しい王妃は優雅な仕草で将来を誓い合ったばかりの王に手を取られ、一身に注目を浴びながら滑るように踊り出した。その完璧な若いカップルがこれからのヴェルサリアを導いてゆく事を思い、人々の目には、この上なく明るくこれまで以上に豊かで満たされた王国の未来が重ね見えるようで、ただただ心からの賞賛のどよめきが場を満たさない筈もなかった。

 ユーリンダもまたその人波のなかでうっとりと……本当になんの二心もなくただ王妃の美しさと洗練された動きに感動しながら新郎新婦を見つめていた。それから、想いを馳せるのは、いつか自分もこんな風に人々から祝福される花嫁になりたいという未来の夢であった。彼女はふと愛しいひとはどこにいるのかと辺りを見回したが、あまりの人の多さにその姿を見つける事は出来なかった。


 一方アルフォンスは、国王夫妻の立派な姿に周囲の人々と同様、王国の将来は益々確固たるものとなると信じ、ただ一人膝をつく主君、幼い頃から何かとかれに懐いて遊びたがり、長じてからは学について武術について何かと相談し、揺るぎない信頼を寄せてくれる新王エルディスの晴れ姿に深い喜びと感慨を溢れさせていた。宮廷人のなかには、かれが如何に無欲に振る舞おうと、内心は自分の娘が王妃選定レースに敗れた事を――端からかれ自身が頑なに辞退していたにも関わらず――さぞや歯痒がっているであろうと口さがなく噂する者たちもあった。どのように控えめに無私無欲に忠誠をもって王室に仕えようと、宮廷でまったく敵をつくらずに過ごすのは誰にも不可能な事である。現実と理想は同一にはならないと知ってはいてもそれに近づくよう努力すべきと考え、厭わしいことは厭わしいとはっきり口にし、正義が行われていないと感じた時には先王の不興をかう事も覚悟の上で歯に衣着せぬ物言いをする事もあるアルフォンスは、清廉潔白な人柄であればある程、一部の後ろ暗いところを持つ人間たちからすれば、取り澄まして正義漢ぶった目障りな存在でありもしたのである。

 若き王と王妃の晴れ姿に目を細めつつも、かれの心に陰をつくるのは、無論ユーリンダが王妃になれなかった事などではなく、先程のエーリクの言葉である。他の大貴族たちと共にエーリクも、青ざめた顔に多少無理やり作ったような笑みを浮かべて国王夫妻のダンスを眺めている。曲の合間に、スザナ・ローズナー女公爵が彼に近づいて何か耳打ちしている。彼女もまた年齢が近く、幼い頃には王都でよく共に遊んだ間柄、エーリクの様子を心配したのであろう。だが彼女に対してはエーリクはただ微笑して首を横に振っただけであった。


 やがて若夫妻の見事なダンスの披露が終わると、人々は口々に賞賛し、王家とヴェルサリアの繁栄を祝う声をこぞって上げた。それと共にホールに続く庭園にぱぁんぱぁんと次々に夜空を鮮やかに彩る花火が打ち上げられた。開放されたテラスから大庭園に目をやると、この日の為に用意された夜行性の塗料で染め上げられた樹木の枝葉が幻想的にそこここで光を放っている。そして夜空からはまだまだ流星のように花火が降り注いだ。その贅沢な趣向に、異国からの客達は無論のこと、日頃大庭園を見慣れている宮廷人の間からも一斉に歓声があがる。盛大で長い宴の最も浮かれ楽しむ時間がこれから訪れるという合図は、城壁の外に詰めかけている平民たちの目にもしっかりと焼き付いて、『国王陛下万歳!』『王妃陛下万歳!』『ルルアの御恵み永遠なれ』といった興奮状態の叫び声が風に乗って高貴な人々のもとにまで届いた。振る舞い酒の樽はまだまだ民衆のもとへ運び出されている。

 新王はこうした祝賀の声に興奮と感動に頬を上気させ、人々の期待とそれに伴う責任の重さにその繊細な心を震わせながらも、いまはただ喜びに満ちて新妻の手を思わず握り締めた。人々は喝采を浴びせ、そして輪が崩れ、いよいよ皆が楽しむ番になった。


 ユーリンダの元へ、ダンスを申し込もうと若い貴公子たちが先を競い合うように近づいてくるのを見て、彼女の貌は微かに曇った。彼女の想い人の姿がその中になかったからだ。いったい彼はどこにいるのだろう? 他の男性と踊る前にユーリンダはアトラウスと踊りたかった。妹の様子を見たファルシスはすぐに彼女の気分を察し、柔らかな笑みを浮かべると、

「僕と踊って頂けませんか、姫君?」

 と真っ先に申し出た。兄ならば数には入らない。気遣いを嬉しく思ってユーリンダは喜んで兄に手を預けた。人波がざわめいた。世にも美しい双子の兄妹のダンスが見られるのだ。

 アルフォンスは娘が更に目立ってしまうのを喜ばしくは思わなかったが、エーリクの事が心配であるので息子の心配りを有り難くも思った。故郷アルマヴィラでは社交界の中心にいるとはいえ、初めて宮廷に参内した娘、しかも注目の的になっているにも関わらず何とも頼りなくふわふわしている娘を放って場を離れるのは不安で堪らなかったからだ。

「ファル、少し席を外すからユーリィを頼むよ」

「わかりました、父上」

 ファルシスは頷いてから悪戯っぽく笑って、

「僕のレディ達は少しばかりお待たせしても逃げる事はありません。うちの大事な姫君はしっかり守っておりますから、ご心配なく」

 と冗談めかして言う。本当は父が差し迫った用でグリンサム公と話に行くのだと気付いてはいるが、周囲の誰にもそれを気取らせてはならないと察している。アルフォンスは息子の気配りにほっとしつつ、頼む、ともう一度言ってエーリクを探した。

 王妃は国王と二曲目を踊っている。そして妹の手を恭しくとって進み出るファルシス、この二組に人々の注目は集まっている。本当はアルフォンスもエーリクも、礼儀として王妃や他の公爵妃にダンスを申し込まなければならないが、まだ舞踏会は始まったばかり、宰相バロック公が国王夫妻に気をとられている今、人波に捕まる前にと、アルフォンスと、視線を交わし合ったエーリクはそっとそれぞれ別々の扉へと向かった。アルフォンスが動くと、その特異な髪の色からすぐに人目を引く事が多いのだが、今は子どもたちがその役を負ってくれているのが助かるところだった。だが……この、人の溢れる大ホールでその二人の動きを注意深く見つめている者が、ひとりだけいる事には気づく事が出来なかった。


「あまり長く席を外す訳にはいかない。とにかく本当に大丈夫なのか、身体は?」

 落ち合う場所は、先程の去り際にエーリクが指示した紙片をアルフォンスにそっと手渡していた。庭園の隅の木陰。少年時代によく、公務に勤しむ父を待つ間、共に書を広げ、拙いながらも真剣な議論を闘わせた場所。

「懐かしいな……」

 エーリクはぽつりと呟く。ぼんやりした様子のエーリクに、何の理由も解らないアルフォンスは焦燥と不安ばかりを感じる。

「医師には診せたのか。病の心配は……」

「アルフォンス。私はもう長くない」

 急いた口調のアルフォンスを遮り、エーリクは静かに告げた。

「何を言い出すんだ。何の病なんだ?」

 一瞬息を呑んだが、すぐにアルフォンスは彼の言葉を打ち消す為の言葉を探した。急な流行り病ならともかく、慢性的な患いならばそうすぐに諦める事もないのではないか……だが、この年齢でも病みついて死ぬ事は珍しい事ではない。わざわざ呼び出して打ち明けるからには、確信のある診断があるのだろう。アルフォンスは唇を噛んでいたましげに友人の青い顔を見つめた。

 しかし、次にエーリクが続けた言葉はかれの予想外のものであった。

「私は毒を盛られているんだ……毎日、少しずつ」

「なんだって?!」

「しっ……声が大きい」

「これが驚かずにいられるか! いったいどういう事なんだ? それが本当なら、なぜ犯人を捕らえないのか? そう言うからには理由も判っているのだろう? 毒を摂らないようにして治療を受ければ死ぬ事はないだろう、今こうしていられるのだから」

「もう……いいんだ。私の事は」

 何故かエーリクは既に毒殺される運命を受け入れてしまっているようだった。アルフォンスには理解しがたい。

「馬鹿な! きみの嫡男のシュリクはまだ幼少だし、そうでないにしたって、きみがむざむざと死んでいい筈もなかろう! どうして手を打たないんだ?!」

「シュリクの事は妻に任せるしかない。いや、私だって死にたくはない。色々と道を探ったが、どうしようもない現実、というやつにぶつかったのさ。まあそこを詳しく話す時間はないし、言いたくもない。私がきみに話したかったのは、きみは私の二の舞にならぬよう気をつけるべきだという事だ」

「なんだって? わたしが?」

「そう……済まない、混乱させるばかりだな。しかし詳しく知らせる訳にはいかないんだ、知ればきみは一層危険に晒される事になる。ただ、ひとつだけ助力して欲しいのは……」

 何とも、要領を得ない上に謎めいた話であった。元々エーリクは、頭はいいのに話し下手な男なのだ。アルフォンスは全く訳がわからないまま、次の言葉を待った。……が、エーリクが話し出そうとするのを止めたのもまたアルフォンスだった。考えるよりも先に本能が身体を動かす。痩せ細った友人をかれはものも言わずに土の上に押し倒した。

「……っ?!」

 刹那の差で、今までエーリクが立っていた場所に深々と一本の矢が突き立っていた。続き様に第二、第三の矢が襲う。式服のせいでひどく動きにくかったが、アルフォンスは何とかエーリクを庇いながらそれを避けた。二人の豪華な衣装は砂まみれになったが構っている暇はない。矢はエーリクを狙っており、元々武芸は達者でない上に身体を壊しているエーリクは、更に青ざめながらアルフォンスに全てを委ねるしかなかった。アルフォンスは信じがたい思いだった。この王宮の庭園に易々と曲者が入り込み、王国の七つの柱、七公爵を暗殺しようとする事態が起きるなど! 矢が襲ってくる方向から何とか避けるようにエーリクを木陰に隠し、彼を庇うように立つ。ひた、ひた……迫る足音はたったひとつのようだ。だが、一人とはいえ飛び道具を持っているし、こちらは相手の手の内がまったく判らない。自分ひとりの身ならそれでも充分に守る自信があったが、エーリクの事を考えると助けを呼んだほうがよいと判断し、衛兵を呼ぼうと声をあげかけたアルフォンスだったが、エーリクは弱々しくそれを制した。

「だめだ、絶対に人を呼ばないでくれ」

「しかし……」

「大丈夫だ、あれは脅しだ。とにかく人に知られてはまずい」

 頑なにエーリクは言い張った。

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