1・王国の慶事

 ヴェルサリア暦250年。

 この年は、ヴェルサリア王国建国250年という節目の年であるだけでなく、若き王太子が即位し、同時に王妃を娶ったという王家にとって大きな出来事があった。エルディス三世と王妃リーリア。聡明で寛容と評判の20歳の新王と才色兼備の誉れ高い18歳の王妃。王国の礎は盤石、安寧に繁栄が重なって国中がこの慶事を寿いだ。

 この年の初め、王都エルスタックのルルア神殿エルスタック大聖堂にて、新王の即位式と結婚式が二日続けて盛大に執り行われた。招待を受けたのは約千五百人。王族、聖職者、大小の貴族、富商……王国中からこういった人々が呼び集められたのは無論、王家の権威を誇る為である。晩餐会では、千五百人の招待客が味わい果せない程の料理や酒が振る舞われ、王宮の周囲で祝賀気分に浮かれ騒ぐ民衆にまで気前よく酒や砂糖菓子が届けられた。こうした大盤振る舞いは無論国庫を圧迫するが、長らく戦争も飢饉もなく平穏な時が流れていたのでそれなりの余裕はあったし、その支出の何割かは、宰相であるバロック公が工面していた。時の権力者アロール・バロック公爵。王族に次ぐ地位を持つ七公爵、その筆頭であり、若き王妃の祖父でもある。

 二百五十年前にヴェルサリア家が大陸を統べるまで乱立して鎬を削った八公国……ヴェルサリアを除く七公国の主の末裔、七公爵は年月を経た現在もなお、国の重鎮であり、それぞれの領地の自治権も持っている。晩餐会では、国王夫妻の右隣に宗教的権威の第一人者であり即位式も結婚式も執り行ったルルア大神官ダルシオン・ヴィーン、左隣に王太后が座る。その下に王弟以下の王族が並び、次に宰相バロック公に続いて年齢の順に公爵とその家族の席が用意されていた。


 即位したばかりの国王エルディス三世は、歴代の国王と同じく鳶色の瞳と髪を持った、繊細な顔立ちの若者である。少年時代から、聡明で、帝王の器を充分に備えていると評判が高かった。争い事を疎み、書を好み、しかし、武芸の腕前も天賦の才を持ち合わせている。下々の者にも常に公平で優しく、王太子時代からずっと、宮廷に仕える者を始め、民草に人気が高い。

 そして王妃リーリア。宰相アロール・バロックの嫡男シャサールの長女。結い上げられた焦茶色の髪は艶やかで、大きな緑色の瞳は知性の輝きを放っている。学問塔の賢者も舌をまいたという才女であり、しかも宮廷において敵う者もないような美貌を持つ。エルディスの心は既に、この新妻の虜である。だが、隣にいかめしい顔の大神官が座っている事もあり、まだ、この宴が終わった後にやって来る初夜の事を考えるゆとりはなかった。

 大神官ダルシオン・ヴィーンは37歳。黄金色の髪と瞳は常に人目をひきつける。常に崩さない謹厳な面持ちのせいで、美麗という感じはないものの、この髪と目の色の組み合わせは、大陸中でもルーン家とヴィーン家、合わせて数十人しか持たないもので、とても珍しいからだ。

 王太后とそれ以下の王族の次に座した宰相アロール・バロックは58歳。やや白いものの混じった焦茶色の頭髪の上に、宰相の位を示す緑石の嵌まった細い輪をつけている。人の心の奥底を見透かすような細く厳しい緑の瞳に高い鼻と引き結ばれた唇。がっしりとした体躯に宝石を散りばめた豪奢な礼服を纏い、相対する誰もに威厳を感じさせる堂々とした男である。彼の正妃は既に亡くなっているので、彼の下に座っているのは四人の息子たちである。

 その次に座るのは順に、ラングレイ公ポール、ヴェイヨン公ローダー、ローズナー公スザナ、グリンサム公エーリク、そしてルーン公アルフォンス、ブルーブラン公リッターである。独身のリッターを除いては、妃や公子、公女を伴っている。


 アルフォンス・ルーンは、光輝く黄金色の髪を背後に束ね、額にはルーン公に代々受け継がれている彫りの見事な黄金細工の輪を着けて、銀豹の毛皮で裏打ちした黒びろうどの胴衣に輪を彫ったのと同じ名工の手になる黄金の飾りをつけている。領内に大陸で最大の金鉱を有するルーン家にとって、黄金は家の繁栄の象徴であると共に、光の神ルルアに最も近いしもべの証と自負する希有な黄金色の髪と瞳を持つ事への誇りを示す重要なものなのである。三十代半ばとなっても二十代の頃と変わらず若々しく、息子と並んでも歳の離れた兄弟のようにしか見えなかった。穏やかな笑みを絶やさぬその美丈夫ぶりと温厚な人柄で、未だに宮中の婦女子に絶大な人気があった。妃のカレリンダは、聖炎の神子として聖都アルマヴィラを離れられぬ定めゆえ、かれは16になる双子の息子と娘のみを伴っていた。一族の掟を破ってまで結ばれた愛妃とは未だ変わらず仲睦まじいが、双子の出産の後、妃は身ごもる事はあっても無事に出産に至る事はなく、結局夫妻はそれ以上子を授かる事がなかった。

 世嗣のファルシスは凛々しい若者で、次期ルーン公として充分な教育を父から受け、また、父の類い希な資質と理念をよく継ぎ、剣の腕前も倣って、随代一の公子として名高い。幼い頃はどちらかというと母親に似ていたが、成長するに従って父に似るようになり、同じ年齢の頃の肖像画と見比べると見分けがつかぬようであった。二年ほど前から時折父について宮廷に出仕するようになり、彼の妃の座を狙って近づく貴族の姫君たちは後を絶たない。そんな女性達をファルシスは極めて優美に扱った。即ち、手を出しては後に引くような身分や気性の相手には紳士的に接し、遊びでも構わない、という相手とは「大人の付き合い」をして浮き名を流した。正妃のカレリンダだけを愛し、愛妾のひとりも持たない父とはそこだけが正反対であったが、アルフォンスは息子のそうした行状については、きちんと線を見極めて行動している、と信用を置き、あまり口を出さなかった。

 そして今回、人々の注目は、兄の隣に座るユーリンダ・ルーンに集まっていた。国王夫妻の次に興味を持たれている人物と言っても過言ではない。その身分や、王太子時代からのエルディスのアルフォンスに対する篤い信頼から、王妃候補の有力なひとりと目されていながら、アルフォンスは娘を宮廷に上がらせる事をやんわりと断り続け、王都へ伴ったのはこれが初めての事であったからだ。

 黄金色の髪を結い上げて大小の真珠と宝石を散りばめた黄金細工の豪奢な髪飾りをつけ、惜しみなく高価な生地の布をふんだんに重ねた袖の裾は流行に沿って下に長く垂れ、胸元には美しい金糸を編んだ飾り紐が複雑に絡み合っている青の上品なサテン地のドレスを纏った16歳のユーリンダは、まさに壁画に描かれた女神ルルアがそこから抜け出してきたかのように神々しいまでの美しさを人々に感じさせた。金の絹糸のような細く長い睫毛はそれ自体が光の結晶であるかのような黄金色の大きな瞳を縁取り、精巧な造りものでもこうは整わないと思える筋の通った鼻と薔薇色のくちびる。美男子と名高い父や兄にも、『光輝く聖炎の神子』と吟遊詩人に詠われる美貌の母にもよく似ている上に、年頃の乙女の艶やかさがそれに加わって、まさに開花したばかりの大輪の華を思わせる。

 だが、当人は、人々の視線を感じるたび、もじもじと居心地悪そうに目を上げたり伏せたりしていた。

「なんだよ、ユーリィ、もっとしゃんと顔を上げてないと。大貴族の姫君らしくないぞ」

 兄のファルシスがそっと囁くと、

「だって……こんなに人が多いところは初めてなんですもの。それに、何だかじろじろ見られているような気がして……ねぇ、ほんとに私の衣装、変じゃないかしら?」

 王都エルスタックという都会に初めて連れて来られて、更に、王国の歴史に確実に大きく刻まれるであろう盛大な式典と宴に参列して、ユーリンダは完全に気圧されていた。

「そんなに緊張しなくていい。ちゃんと立派なレディとして振る舞えているし、そのドレスだって、王都で一番人気の仕立て人に誂えさせたものなのだから」

 二人の会話が耳に入って、父親のアルフォンスは柔らかな笑みを浮かべて愛娘に小声で伝えた。人々が娘の美しさを賞賛する声を聞けば、無論親として嬉しからぬ筈もない。だが、このあがりようと周りの反応を見て、やはりこれまで宮廷に伴わなくてよかったと思うと共に、急な病とでも繕ってアルマヴィラに置いてきた方がよかったか、でなくば、抑えたつもりではあったが、もっとずっと地味な装いにさせた方がよかったか、と軽く悔いも感じた。この晴れやかな宴で、美しいと賞賛されるのは王妃のみであるべきなのだ。他の貴族の娘が、王妃より人目をひく事など、あってはならない。

 アルフォンスには、出世欲も競争心もない。ユーリンダをこれまで宮廷に伴わなかった理由は、王妃にと望まれる事を避けたかったからである。普通の考えを持つ者なら、器量のよい娘を持てば、自身の出世の道具にその婚姻を利用しようとするのはごく当然の事であるが、アルフォンスは、おっとりとした愛娘が、権謀渦巻く宮廷で心安らかに生きていける気性ではない事を理解し尽くしていた。

 まったく、ユーリンダは、両親と兄、周囲のひとびとすべてに愛されて育った少女だった。疑うことも憎むことも学ばず、他者の幸福を我が事のようによろこび、悲しい話を聞けばその感じやすい大きな瞳から大粒の涙を溢れさせた。類をみないほどの素直なこころの持主……それは、悪く言えば、単純、ということでもあった。その情の深さは、時として、彼女に比べ余りにも恵まれない者にとり、無神経と感じられる場合があったのだ。だが、余りの邪気のなさに、本心から彼女を悪く思うことは、多くの者にとって不可能だった。

 しかし、王妃ともなれば、善良であるだけでは務まらない。ただただ、ユーリンダが不幸な目に遭わないように、ただそれだけの為に、王太子直々に娘に逢ってみたいと言われた事さえあったのに、田舎育ちの不調法者だからと、柔らかく断り続けてきたのだ。勿論、ユーリンダ自身も王妃になりたいなどとは夢にも思っていない。生まれ育ったアルマヴィラを心底愛し、いずれ母の跡を継いで聖炎の神子となる事を願っている。

 だが、王国を挙げてのこの慶事に、招待を受けて断る訳にもゆかず、今回初めてアルフォンスは娘を伴って王都に出向いたのであった。ただ静かにアルマヴィラで暮らしていたユーリンダの、そしてその一家の運命が大きく変わってゆく、小さなきっかけになるとも知らずに。

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