第47話 死地よりの生還。そして (後編:第二章最終話)




「そろそろ、落ち着いたか?」

 アリシアは答えない。アルフレッドの胸板に顔を埋め、しがみついたままだ。一応、涙は引いてくれているようではある。

「なんて言うか―――悪ぃな。いろいろ、心配かけたみたいで」

 胸の中で首を振るアリシア。「でも、戻ってきてくれた」と、嬉しさを滲ませた声で呟く。シャツ越しに胸板に当たる顔の動きと吐息の感触が若干むず痒い。

 アルフレッドはふうと息をつきながら、彼女の頭を撫で、少し乱れた金髪をさらりと梳く。

 まったくもって、調子が狂う。いつもなら、「恥ずかしいから離れろよ」とか「何メソメソしてんだよ」とでも笑い飛ばすところなのだが。こんな風に、身体共々、一方的に寄りかかられることなど、今まで、一度としてなかった。

 底抜けの明るさと天真爛漫さに、幼いながらも凛とした気丈な心根、そして、雷光が迸るかの如くに鮮烈、そして頼もしき武勇の持ち主。巷のきこえでは、英雄・アリス聖武妃の再来とも呼ばれる、高貴なる「戦乙女」。それが、アルフレッドが抱くアリシアのイメージだった。10年。どんなに無邪気で、お転婆で、幼い一面を見せられても、それは一度たりとも揺らぐことはなかった。

 だから、こうして無防備に、甘えるように胸にしがみつく彼女の姿は、まるで別人を見ているかのようだった。

 アークライト騎士団の連中にこんな場面(シーン)を見られたら、何と言われるだろう。というより、どんな目に遭わされるだろう。主君の娘、姫という立場にありながら、彼女を妹、ないしは娘のように溺愛する騎士達は少なくない(それも男女問わず)。連中もこちらへ向かってきているらしいが、もう、その辺まで来ているのではないか。

 いずれにせよ、気恥ずかしさにもそろそろ限界にきていた。

「ほら、もういいだろ。第一、男の胸(オッパイ)なんて、気持ちよくもなんともないだろ。周りにもっと飛びつき甲斐がある子らが―――」

「もう、バカなこと言っちゃって。―――そんなことないよ。この大きくて広い感じ、なんだか落ち着くんだ。だから、もう少し居させて」

「やれやれ……そんなもんかね」

「そんなものなの……。私だって……女の子なんだし」

 そう言って、取り合わない。だが―――。

 女の子なんだし。

 その言葉は、妙に頭に残った。

「女の子……そう、女の子なんだよなぁ」

 アリシアがようやく顔を上げ、小さく頬を膨らませ、心外だと抗議してきた。若干だが、ようやく普段の調子が戻ってきたというべきか。

 先の戦闘では、魔術が使えなくなるという絶体絶命な状況下に陥って取り乱し、殿を残し撤退するという決断を迫られてもそれを果たせなかった。

 侯爵家の姫。領主代理、代行の肩書き。そして赫々たる武勇。小さな体に幾重にも纏う、ドレスというにはいささか重すぎる名声と立場。だが、それらを剥ぎ取られてしまえば、彼女も所詮、年頃の14歳の少女―――だったというわけだ。

「ねえ、アルフレッド」

「何だ?」

「今からその……するんでしょ?」

「何をだよ。するって。はっきり言ってみな」

「その……」

 顔を伏せたかと思えば、おずおずと上目遣いで見てくる。

「……せっ……ぅ……」

 小声で、それだけ聞こえた。

「んー?」

 しばらく考えて、アルフレッドは察する。

「―――ああ、そういえば、そんなことも言ったっけ。よく覚えてたなお前。こちとらも病み上がりだし、お前も今回の事で参ってるだろ。無かったことにして、また思い出した時にでもいいんだぜ?」

 アリシアは小さく首を横にふる。

「ううん。受け入れる。ぜんぶ。じゃないと、ダメな気がするもん」

「―――じゃあ、お望み通り、シてやるからな。覚悟しろよ」

 傷口に塩を塗るような罪悪感は多少あるが、目の前の少女は、ドレスを剥がされ、傷つき、泣きじゃくったままで居ることを良しとせず、尚も立ち上がり、それを着なおそうとしているのだ。

 本人が、甘んじて受け止めたいという覚悟なら、吝かではない。

 ―――お説教の時間だ。






「かっこ悪いところ、たくさん見せちゃったね」

「うん、まずはそれだ。少し、取り乱しすぎていたな」

 エルフィオーネが座っていた椅子にアリシアを座らせ、アルフレッドのお説教が始まった。一切の言い訳をせず、アリシアは真摯に受け止める覚悟で、姿勢を正している。

「なあ。お前、ああいう負け戦みたいなのって、実は初めてだったんだろ」

「―――うん」

 直後に「あっ、自慢してるわけじゃないよ」と慌てて両手を振る。その仕草がやけにかわいらしく見えて、アルフレッドは思わず顔をほころばせる。

「分かってるって。まあ、お前が負けてる姿ってのが、そもそも想像がつかねぇんだけどな」

「へへ……ありがと」

 一瞬だけ笑顔になって、そして再び、真面目な顔つきへと戻る。

「でも、そのせいだよね。エルフィオーネはサーノスに経験が足りないって駄目出ししてたけど、結局、それは私もおんなじ。あんな事態になるなんて、夢にも思ってなかった。だから気が動転して……アルフレッドのいいつけも、無視する形になっちゃったし……」

 アリシアは自嘲し、俯き加減で言う。だがアルフレッドは、なだめるような口調で返す。

「まあ、無理もない話ではあるがな。魔術がいきなり、一切合切、使えなくなるなんてなぁ。身体能力も、身を守る術も、攻撃力も、何もかもが大幅にダウンしちまうわけだろ? 俺からすれば、身ぐるみ全部剥がされてスッポンポンにされたも同然―――みたいな感じなのかな?」

「うん。あながち、間違ってない。加えて、あるはずのものが無いっていう衝撃も、結構……」

「なるほど。脱稿したはずの原稿も、同時に奪われて雲散霧消と。シャレにならない恐ろしさだ。俺だったら半狂乱になるな」

「ふふっ、何それ」

 手を口元にあてて微笑。「アルフレッド、私にお説教するんじゃなかったの?」と、笑いながらも眉を八の字に曲げる。脱稿した原稿を無くす絶望を彼女に説いたところで首を傾げられるだけだろうが―――結局は、そういうことなのだ。

「いや、よくよく考えてみれば―――俺は、魔術が使えなくなる絶望ってのを知らないし、知ることが出来ねぇ。さっきの原稿の話をお前が実感できないようにな。知ろうとしても、解かったつもりでいても、術者の想っているそれとは必ず齟齬が出る。だから、この件に関しては、俺がこれ以上説教してやれることは無いよ。その資格がないって言うか。エルフィオーネあたりだったら、もっと辛辣なコメントをいただけるかもしれないが」

 ごくり、とアリシアは生唾を呑む。先日、サーノスが激しく駄目出しされている様子を思い出したのだろうか。

「でも、エルフィオーネが言ったところで、結局のところは、不測の事態に慣れていない点の指摘に終始するだけだろう。俺が真に説教したいのは、そっちじゃない」

「あ……」

 察したのか、自身が晒してしまった失態を思い返し、アリシアは押し黙った。

「一人の殿(しんがり)で皆が逃げ果(おお)せられるものを、逆に全滅っていう、最悪の事態を招くところだった」

 その様相は容易に想像がつく。アリシアは言い返さない。

 追い打ちをかけるようで、心がギシッと軋む。だがアルフレッドはそれを堪え、心を鬼にしたまま、続けた。

「お前も自覚してるだろうが、それでも敢えて言わせてもらう。お前があの時選んだ、加勢に戻るっていう行動は、あの場においては、最低も最低の選択肢だった。お前は、ただ一言『任せる』とでも言って、力の限り皆と退避するべきだったんだ。ああいう負け戦においては、それは冷血でも非情でも何でもない、当たり前の行動なんだ」

 アリシアの表情が視界に入るたび、声がブレそうになる。

「殿(しんがり)は、追撃による全滅を防ぐため、皆が逃げる時間を稼ぐためにある。生かして帰したい者達の命を、自身の命と引き換えに、守るためにある。本来なら、決死の覚悟で行われる、生きて帰ることは叶わない、実質の死兵だ。―――俺は『抜剣』の能力で生き残る算段があったから、殿(しんがり)に志願した。事前に何も話していなかったのは悪かったと思ってるが、実は、そういう問題でもないんだ。知っていようがいまいが、俺があの能力を持っていようがいまいが、お前は俺を置いて逃げなきゃならなかった。なのに、それに付き合うために戻ってくるなんてのは、本末転倒もいいところだ。わかるな?」

 頷かない。頭では重々承知なのだろうが、本能はそれを肯定したくない。葛藤に、揺れているのだろう。

「お前は仮にも領主代理という、責任ある立場だ。親父殿やエーリックが居ない間に、アークライト騎士団を率いることも、この先あるかもしれない。そして、今回みたいな負け戦に遭遇する可能性だって、ゼロではないわけだ。あの騎士団は、忠誠心と仁義とを拗らせた連中の塊だ。アークライト家のために命散らすならこれ本望、侠(おとこ)示さんと、我先にと死を名乗り出るだろう。そんな時、お前は迷ってはならない。名乗り出た者に、『死んでくれ』と、冷静に命令を下さなければならない。何百もの家臣や騎士や兵の命が、お前の判断に託されているんだ。―――もし、名乗り出る者が居なければ、自ら選定してでも―――それで、遺族から、怨嗟の言葉で罵られようが―――だ」

 ああ。

 何という貧乏くじなのだろう。説教を続けるにつけ、アルフレッドは次第に、宙を仰ぎたい気分になってきた。

 責任ある者の心構えなど、家臣連中から、それこそ耳にタコができるくらい言い聞かされてきただろう。だがそれは、あくまで座学などの机上での話。現実味に些か乏しい「もし」や「いずれ」の話など、彼女の性格からして、右耳から左耳だっただろう。

 それなのに―――。

 今この時。アルフレッドの発する言葉の一つ一つは、まるで紙が水を吸うように彼女の心に沁みわたっていくことだろう。

 アークライト家からの庇護や縁を自ら切り、飛び出したはずの自分が、何故、今更しゃしゃり出るように、こんな役回りを果たさなければならないのか。なぜ、一介の領民が、畏れ多くも姫に対して。それも、こんな重大な局面で。わずか14歳の少女を、涙目にさせてまで―――。




 ―――妹を頼む。




 そう言い残して王都へと赴いた彼女の兄、エーリックの後ろ姿を思い出す。

 もし、こうなることを予見して言った台詞だったとしたなら、帰還した出会いがしらに一発、軽く拳骨をくれてやりたくなるところだ。これは、これこそは、お前の役割だろうに。親父殿も親父殿だ。肝心なときに、この場に居ない。

「お前がこういうの向いてないってのは分かってる。不憫だとも思うよ。でもな、それが貴族としての、上に立つ者責任ある者の宿命なんだよ。お前が望もうと望むまいと、それはずっと、呪いのように付きまとう。お前が剣を持ち、名門アークライト家の血をひいている以上は―――」

 アルフレッドはひとしきり語り終えると、大きく息をつき、目を掌で覆った。息切れしたかのように呼吸が荒く、鼓動も普段の倍に跳ね上がっているようだ。咳込んだふりをして、アルフレッドは目線を逸らす。

「―――やめにしよう」

「えっ?」

 アリシアが不意に顔を上げる。同時に、涙を溜めた瞳を擦る。

「少し、疲れた」

 アルフレッドは起こしていた上半身を布団の中に入れ、頭を枕に置いた。天井を見上げながら、言う。

「俺も、向いてないんだよ、こういうの。お前も十分頭では理解してるだろうし、これ以上湿っぽいツラをされるのもゴメンだ―――だから、課題を出す」

「課題?」

「ああ」

 アルフレッドは寝返りを打ち、アリシアを見る。

「次にさっき言った状況になった時、どうするか。どういう心構えで、どういう台詞でどう対応するか。自分なりに、じっくりイメージトレーニングしてみるんだ。―――提出日は、次に殿を出さなきゃならなくなった、その時だ。いつ提出日が来てもいいようにしておけよ。未提出の罰は、その場に居る者全員の死だ。そう思って、真摯に取り組め。―――以上で、俺のお説教は終わりだ」

 十数秒ほど、沈黙が場を支配する。

 それを破ったのは、意外にも、アリシアだった。

「嫌だな、課題なんて。騎士学校じゃあるまいし。提出日なんて、永遠に来なきゃいいのに」

 無理をして笑んで見せてはいるが、それがいやに痛々しく見える。

 いけないとはわかりつつ、心からあふれてくる言葉を、吐き出さずにはいられない。そしてそれは、あっけなく決壊した。

 たまらなくなったアルフレッドは、ゆっくりと、口を開いた。

「……なあ、課題の達成を妨害するような独り言を、今から呟く。アレだったら、耳塞げ」

 アリシアは微動だにしない。

 それを確認すると、アルフレッドは続ける。

「むかし、騎士学校に居た時にな。―――同じように上級魔と出くわして、まるで歯が立たずに、撤退已む無し、っていう状況に陥ったことがあるんだ。それで、同じように、俺が殿として志願した。時間稼ぎとして―――あわよくば、相打ちにまでもっていくって覚悟だった。あの時は、『抜剣』が、あそこまで強力で強大なモンだとは自覚してなかったからな」

 アルフレッドとアリシアは同時に、壁に立て掛けてある、封印の施された剣を見遣る。

「―――まあ、他の連中ときたら、しめたと言わんばかりに、我先にと逃げ出す逃げ出す。それが目的だから、好都合だとはいえ、それはもう忌々しいくらいに一目散にな」

 アルフレッドは、「はは」と乾いた笑いを作る。

「でもな、更に忌々しいことに、それを断固として認めず、『お前一人を残して逃げるなど、そんなことが出来るか!!』って、そこに残ると言って聞かなかった馬鹿が、一人いたんだ。一発ぶん殴って説得して、退避してもらったがな」

 アルフレッドは懐かしげに笑むと、瞳を閉じた。

 その様を見て、アリシアは「あっ……」と思わず声を漏らした。

 ああ、思い出したか、とアルフレッドは確信し、続けた。

「お前、そいつと壮絶に喧嘩して、俺が生還したとわかるまで、口を利かなかったって話じゃないか」

 ふぅ、とため息にも似た息をつく。

「本当に、お前ら兄妹は、どうして揃いも揃って……俺なんかの、」

 言おうとして、アルフレッドは口をつぐんだ。先刻の、エルフィオーネの台詞が、脳裏をよぎったからだ。

「……でも、嬉しかった。内心は、嬉しかったんだ。すごく。最低の行動なんだけど、本当に。本当にな……。だから、こいつのために死ねるなら、守ることが出来るなら、それで満足だって。心の底から、そう思ったんだ。もし、『抜剣』なんて使えなくても、きっと俺は、笑顔で満足して死んでいっただろうさ」

 不覚だった。

 声が、知らないうちに潤んでいる。アルフレッドは目を掌で覆い、隠した。だが、それはアリシアもお互い様な様子だった。

 彼女曰く格好悪い姿も、二人とも同じ状態なら、不思議と悪くないと思えてくるものだ。

「―――ありがとう。……あの時戻ってきてくれたの、本当はな、すげえ嬉しかったんだよ。本当に……ありがとうな、アリシア……」

 






 診療所の外が騒がしい。人の気配が増え、騎馬の嘶(いなな)きが聞こえる。アークライト騎士団が、早くも到着したらしい。

 アリシアとアルフレッドは―――結局、元のもくあみとなる形になった。

 明日からは、しっかりするから。だからもう少し、このままで、格好悪いままで居させて―――そのおねだりを、アルフレッドは黙って受け入れた。時折、彼女の頭を、優しく撫でる。

 大げさなくらい仰々しい足音と金属音が真下で聞こえる。早くも、嗅ぎ付けたようだ。まるで犬並みの嗅覚だと感心せざるを得ない。

 騎士団の連中が来るまで、という期限だったが、たぶん、ぎりぎりまで離れるつもりはないのだろう。アルフレッドはやはり気恥ずかしく、早く部屋まで到着してして欲しいような、それでいて、してほしくないような、複雑な心持ちだった。

 言葉の通り、明日からは、何事もなかったかのように、騒々しく姦しい、笑顔の彼女が待っているのだろう。それだけは確信できる。

 だが、雲一つない快晴のようだった彼女の心と、まばゆい笑顔には、本人さえ気づかない、僅かな陰りが生まれている。それも、もう一つの確信だった。

 彼女を守れたと思ってはいない。

 そこに、エルフィオーネが居たからこそ、守ることができた。剣を抜くことができた。ただの偶然に過ぎない。

 だが、結果はどうあれ、今はそれで満足だった。彼女の命がそこにある。温かさがそこにある。今、命を、実感している。



 もう、「あの夜」と同じ思いを、したくはない―――。


 

 アルフレッドは心の中で、小さく叫んでいた。 



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