第41話 抜剣(フューリー) その9
暴力の化身のごとく振り下ろされるオーガの一撃。
だが、一体何が起こったというのだろう―――アリシアは青ざめながら狼狽え、頭上より襲い来る圧倒的現実を見ようとさえしない。
「馬鹿野郎! アリシア! 避けろ!!」
そこでようやく、アリシアは、自身が置かれている状況を理解した。だが、体が理解に追いつこうとしていない。
「何やって―――くそっ!!」
アルフレッドは言い終わる前に動いていた。頭から突進するような勢いで、左脇でアリシアを抱え、彼女を腕で庇いながら地面に転がり込み、離脱した。
―――間一髪だった。
ドズゥウウウン……という激しい落下音とともに、オーガの一撃が、アリシアが棒立ちしていた地点へと直下。地面が深く抉れ、石と砂の飛礫(つぶて)が降り注ぐ。
「んっ……あ、アルフレッド!! 大丈夫!?」
アルフレッドの腕の中で、我に返ったアリシアが起き上がり、必死な形相で顔を覗き込んでくる。
その答えに関して言えば、是だ。傷は、転げまわった際に腕に出来た擦り傷。そして、オーガの爪がかすった際に背中に負わさた切り傷程度。戦闘に支障は無い。
だが、そんな事は問題ではない。
「大丈夫かだって? それはこっちのセリフだ馬鹿野郎!! 何考えてんだ!!」
アリシアは「ひっ」、と怯むと、今にも涙ぐみそうな目でアルフレッドを見る。
「『防護』の
矢継ぎ早に、責め立てるようにぶつけられる詰問。
「ご、ごめん……なさい」
アリシアは顔を伏せた。アルフレッドは「しまった」と思い、ばつの悪そうな表情を浮かべる。
「アルフレッド! アリシア! 大丈夫か!」
エルフィオーネが血相を変えながら、叫ぶように安否を尋ねてくる。
「平気だ!」
顔を上げると、ディエゴ神父とエルフィオーネが、もう一方のオーガ相手に大立ち回りを見せていた。辛うじて両者とも怪我はないようだが、様子が明らかにおかしい。
神父の動きが鈍いのだ。まるで、鉄球の重みに体を引きずられている感すらある。それに、鉄球の動きも悪い。たまの直撃も「当てた」というより「たまたま当たった」といった風で、力が籠っておらず効いている様子が見られない。狙いも急所を外れ、滅茶苦茶だ。
何よりおかしいのはエルフィオーネだ。
魔術式も展開せず、ひたすらに回避に―――と言うよりも、逃げに徹している。
何故だ。このような状況下にあって、何故、魔術を使おうとしない。
何考えてる。
おかしい。
何故。
先刻から、分からないことばかり、おかしいことだらけだ。
いろいろ言いたいことはあるが、それらをいったん呑み込む。
ひとまずはアリシアを立ち上がらせ、砂埃を払ってやると、アルフレッドは励ます口調で言った。
「お説教は後だ。ほら、いつも体に纏ってる蒼いバチバチまで消えちまってる。とりあえずは、魔術式を展開しなおせ。慌てず、ゆっくりと―――」
「違う! 違うの!!」
アリシアは、ついには涙目になりながら、哀願するかのようにアルフレッドを見上げた。
「魔術が発動しないの!! さっきから!! 『防護』も『俊敏』も『軽量』も―――『蒼雷』も!!!」
アリシアはエルフィオーネ達の方角を見遣る。
「私だけじゃない。たぶん神父も、サーノスも。エルフィオーネだって!! こんなこと、今の今まで、一度もなかったのに!! どうして!? どうしてよぉ!!」
「―――馬鹿な!! 魔術が発動しないなんて、俺じゃあるまいし。そんな事が」
「彼女の言ってること。本当だよ」
背後で、震え声。
「本当に、発動しない。魔術……」
そう、辛うじて絞り出したサーノスは、絶望により、まるで魂が抜けたように突っ立っていた。
―――魔術を使用できないアルフレッドが気づかないのは当然だった。
だが、アリシアの悲痛な叫びが真実であるということは、彼女やサーノスを見ればわかる。それに、神父らの様子がおかしいのも頷ける。
聖法術も、魔術を基本原理とするものである以上、同じく発動できないのだ。あの鉄球を、素の状態で振り回している。
エルフィオーネに至っては、言うまでもなかった。魔術を封じられた彼女は、もはや攻撃の手段も、防御の手段もない、ただの少女に過ぎない。精々出来るのは、逃げることくらい―――なのだろう。
彼らの狼狽えかたにも、これで納得がいった。
そして確信した。これこそが、ハンター達を壊滅に追いやった、最後の「罠(トラップ)」なのだ、と。
エルフィオーネやアリシアら『魔術師』『術具使い』にとって、魔術の存在は欠かせないものだ。膂力や俊敏さを超絶強化し、物理の法則を無視した事象を引き起こし、炎や雷、氷結等の自然現象を召喚する―――常人とは違う『魔術師』『術具使い』の強さは、全て、魔術式を『展開』させ『発動』される魔術の恩恵によるものだ。
何故このような事態に陥ったかまでは分からないが、魔術を失った今、彼らの強さの源は、八、九割方消滅してしまったと言っていい。
言うなれば、武器や防具の全てを剥ぎ取られてしまったようなものだ。力の差は歴然である。
はるか昔、魔術も魔法も無かった時代。人間はこのオーガのような上級魔を討伐する際には、重装備の騎士軍団に加え、大砲や連弩まで持ち出したという。
つまり、そうでもしなければ、斃せなかったという事だ。
「ぐうっ!!」
ついに、ディエゴ神父がダメージを受けた。オーガが腕を横払いにし、それを避けきれなかったのだ。2ミター近くある神父の巨体が吹っ飛び、地面にたたきつけられる。
辛うじて胴体に直撃する前に、腕で庇ったおかげで、決定的な打撃とはならなかったようだが、打撃音に、骨が折れる鈍い音がかすかに混じっていた。
最早、あの鉄球は使えないだろう。
「神父!」
自身の近くまで吹き飛ばされた神父に、アルフレッドが叫ぶ。
「この程度なら平気です!! それより皆、ここは一旦退きましょう!! 逃げるのです!!」
激痛を堪え、あらぬ方向に捻じ曲がった腕を手で庇いながら、神父が素早く立ち上がる。
「そうだ! 全員、逃げるぞ!! 入口まで走れ!!」
エルフィオーネもそれに応じて全員に呼びかける。
すると、アリシアを襲ったオーガがむくり、と立ち上がり、口元をニィ……と釣り上げた。
エルフィオーネに視線を合わせながら。
「こいつ……」
そうつぶやいた後に、オーガが腕を振り上げ、突き出す。
「くっ!」
エルフィオーネはバックステップで躱す。
間髪入れずに、オーガが抱きつくようにして襲い来る。エルフィオーネは素早く横に跳び、それを躱す。
飛び掛かる。躱す。
掴みかかる。躱す。
まるで、逃げる兎を捕まえるかのようだ。そしてそれは、満更間違いでもなさそうだった。
「……狙いは私、というわけか。成程」
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