第4話
マーシャが向かったのは、ロータス街を含む一帯を受け持つ、警備部第五分隊詰め所である。
マーシャと親交の深い分隊長コーネリアスは、面会を求めるとすぐに現れた。
「本日はどうされましたかな」
にこにこ顔で、コーネリアスが応対する。
事情を説明しようとして、一瞬躊躇する。マーシャが鑑定したあの剣――マーシャとて、「魂喰らう魔性の剣」という言葉をまるまる信じているわけではないが、バックスが妻を真っ二つにしてしまったことといい、ドネリーなる男がバーグマンをも圧倒しかけるほどの豹変を見せたことといい、あの剣になにかあるのではないかという、確信に近い思いを抱いている。
しかし、いい歳をした大人が、それを口にするのが憚れるというのは無理もないことだ。
「実は、バックスさんが妻女どのの胴体を両断したと聞き及びまして。いかなる得物を用いたのか、剣士として興味を持った次第です」
ここまで言って、マーシャはコーネリアスの顔に、疲労の色が滲んでいるのに気付いた。仕事一筋な男であるから、その疲労は私生活に由来するものではないだろう。
(これは、まずいところを訪ねてしまったかもしれぬ……)
興味本位で訪ねたかのような物言いをしてしまったことを、後悔する。
「いや、本当につまらぬことでお伺いしてしまい、申し訳ありませぬ」
「お気になさらず。よろしければ凶器となったれいの剣、ご覧になりますか」
「よろしいのですか」
「もちろんですとも」
「ありがとうございます、コーネリアス殿」
まったく気を悪くした様子のないコーネリアスに、マーシャは深く感謝する。
コーネリアスは、マーシャを先導して詰め所の倉庫に向かった。過去のさまざまな事件の証拠品が山と積まれる中、バックスが心中に使ったと思しき剣は、布袋に入れられ無造作に置かれていた。
「これです。どうぞ」
「触っても?」
コーネリアスが頷く。マーシャは、恐る恐る剣を取り出してみる。しかし、それは思いのほか軽い。
「む、これは」
それもそのはずである。剣身は、柄から三分の一あたりのところで折れてしまっていたのだ。
「どうやら、バックスが振り回した際、おそらくは家の壁かと思われますが、どこか硬い場所を叩いたようですな」
柄の拵えは、たしかにバックスが鑑定に持ち込んだものと同じであるようだ。ためしに、軽く振ってみる。しかし、鑑定のときに感じたような、奇妙な違和感は伝わってこなかった。
「もう、よろしいですか」
マーシャは、渋々といったふうで剣を袋に戻す。
「よほど、この剣が気になっていらっしゃるようですな」
「いえ、そんなことは……」
「どうやらなにか深い理由がおありのようだ。どうかお話いただけませんか」
と、コーネリアスは真摯な表情で問う。
マーシャは考える。この男ならば、胡散臭い魔剣の話をしても、決して馬鹿になどしないはず。
「実は……」
マーシャは、バックス心中事件と、バーグマンが巻き込まれた事件――二つの事件の類似点を語る。おそらくはどちらもバックスが鑑定に持ち込んだ剣が凶器であること。そして鑑定の際、得体のしれぬ感覚があったことも。
「それで――その剣にはなにかあるのではないかと思った次第です」
「バックス氏が奥さんを殺したのは口論が直接的な原因ではない、そう仰る」
「はい。私の知り合いの証言が確かなら、バックスもなにかの理由で魔剣を手に取り、それが原因で正気を失って奥方を殺害してしまった。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませぬが、その可能性を考えているのです」
「ふうむ。人を狂わせ、凄まじい力を与える魔剣ですか。あなたの仰ることだから、頭ごなしに否定するわけではありませんが……」
「私とて、半信半疑ではあるのです。しかし、バーグマン殿が斬ったというドネリーにしても、バックスさんにしても――武術家の眼から見て、異常なことは確かなのですよ」
「しかし、私の目から見ても、この剣に特に変わったところはなかったように思いますがなぁ」
それには、マーシャも同意する。しかし――剣に魔力が宿っているというのが本当ならば、刃が折れたことで、魔力が失われたということも考えられる。
そう考えると、バックスが自殺したことも辻褄が合うだろう。妻を斬ったはずみで剣が折れてしまい、にわかに正気を取り戻し――眼前の光景に絶望したバックスは、残った刃で自らの命を断つ。
そして、バックスが買い取ったれいの剣は、三本だったはずだ。一本は、この場にある。そしてもう一本は、おそらくドネリーの事件を捜査した警備部の分隊が、証拠品として保管しているはず。ということは、もう一本、あの剣は存在するはずだ。
「バックスさんの店に、同じような剣はありませんでしたか」
「おそらく、なかったはずですよ。金目のものが盗られていないか、店の帳簿を総ざらいして調べましたから。凶器と同じ型の剣があれば、隊員の誰かが気付いていたはずです」
「そうですか……」
そうすると残り一本は、すでに誰かに売り渡されてしまった可能性が高いということだ。
すべてはマーシャの思い過ごしであって、魔剣などという御伽噺のようなものなど存在しない――そうであったならば、問題はない。
しかし、魔剣の謂われが本当であったならば、また新たな犠牲者が出る可能性がある。
「確かに、これ以上の犠牲者が出るとなれば見過ごせませんが……ううむ、参りましたな」
コーネリアス、いや、警備部にとっては、バックス心中事件は既に解決した案件である。ほかに捜査すべき事件もあるだろう。いつまでも終わった事件にこだわっているわけにもいかない。
コーネリアスは、しばし葛藤を見せる。警備部というのは、基本的に「既に起こった事件」に対してしか動くことができぬ。
無論、見回りで犯罪を未然に防ぐことはできるし、悪人を厳しく処断することは犯罪者への抑止力となるだろう。しかし、「事件が起こるかもしれない」という蓋然性のため、人員を割り振れるほど警備部は暇な組織ではない。
「……わかりました。民間人であるあなたにこんなことをお願いするのは心苦しいのですが――この事件、調べていただけないでしょうか。お礼はいたしますので」
と、コーネリアスは頭を下げた。
「いやいや、頭を上げてください。話は遠回りしましたが、もとよりそのつもりでここを訪れたのですから。無論、礼など要りませぬ」
「ありがとうございます。バックス氏同様の事件がふたたび起きるかもしれないと考えると、放ってはおけません。正直、あなたを利用するような形になってしまいましたが……」
「いえ、良いのです。こんな私が世間様の役に立てるならば、なによりです」
これは、マーシャ心からの言葉である。血塗られた過去を、なかったことにはできぬ。ならば、自分の手の届く範囲の平穏は守ってみせる――かつて、ヴァート・フェイロンにも同様のことを語ったマーシャだ。
「どうか、よろしくお願いいたします」
コーネリアスは、もう一度頭を下げるのだった。
「しかし……ひとりで調査をするのは骨でしょう」
コーネリアスの指摘は正しい。いつもならば、アイなり、ミネルヴァ・パメラなりに助力を求めるところであるが、三人がいつ戻るのかはまだはっきりとわかっていない。
「そうだ、シェインの奴をお貸ししましょう。まだまだ新米気分が抜けきらない男ですが、体力とやる気だけは一人前です。手足としてお使いいただくぶんにはうってつけですよ」
「コーネリアス殿、よろしいのですか?」
「ええ。手をこまねいていて、みすみす新たな犠牲者が出てしまったなら、後悔してもしきれませんので」
コーネリアスに呼びつけられたシェインは、マーシャの姿に意外そうな表情を見せる。
「あれ、先生。どうしたんですか、こんなところで」
「シェイン・アボット隊員、先日のバックス氏心中事件について、追加の調査が必要となった。こちらマーシャ・グレンヴィル殿に力添えをいただくことになったので、以降はグレンヴィル殿の指示に従って行動するように」
と、コーネリアスが命令を下すが、シェインは困惑顔だ。
「大将、いいんですか? れいの件――」
「いいんだ。ではグレンヴィル殿、シェインをよろしくお頼み申しますぞ」
詰め所を出たマーシャは、隣を歩くシェインにおおよその事情を伝える。
「魔剣、ですかい。にわかには信じられねぇ話だが……」
「まあ、そう思うのも当然さ。私とて、確信があるわけではないのだ」
コーネリアスのときと同じようなやりとりを繰り返す。
「しかし、コーネリアス殿は随分お疲れのようだ。ほかに大きな事件でもあったのか?」
「うーん、先生になら話してもいいんでしょうが――近頃、とある盗賊団による押し込みが続いてまして」
「押し込み?」
「ええ。金持ちや貴族ばかりを狙った盗賊でしてね。手口はいたって綺麗なもんで、殺しはしねぇし怪我人といったら殴りつけられて気絶させられるのが何人か出る程度でさ。まさに神出鬼没、ってやつで、レンのあっちこっちで盗みを働きやがる。そんなわけで、各分隊が合同で調べてるんですが、まったく尻尾を掴ませねぇんです」
「ほう、それで……」
コーネリアスが疲れているように見えた理由が、マーシャにもわかった。手強い盗賊団の相手に加え、凄惨な心中事件も重なったのだ。責任感の強い男ゆえ、身を粉にして働いているのだろう。
(なればこの件、早々にけりをつけてしまわねばならぬな)
第五分隊は、猫の手も借りたい状況だろう。早急にシェインを開放せねばならない。
「それで先生、まずはどうするんです」
「ドネリーの事件で使われた剣を回収し、売りに出されたと思われるもう一本の行方を突き止めなければならない。そうだな、手分けしたほうがいいだろう」
「なるほど。俺はどっちに行きます」
「そうだな――ドネリーの事件が起きたのは、アレンカ街だったはずだが」
「なら、十一分隊の管轄ですね」
「では、シェインは十一分隊の詰め所に行ってくれ。凶器は、証拠品として保管されているはずだ」
「合点で」
「私は、バックスの店に行ってみる。何かわかったら伝言屋でも使って第五分隊のほうに繋ぎをつける。もし剣を入手しても、決して鞘から抜かぬようにな。では、頼むぞ」
そう言うと、マーシャは駆け足でバックスの店に向かうのだった。
バックスの店では、亡きバックスの親戚たちが、家財の整理をしているところだった。
マーシャが話を聞くと、バックス夫妻には子供もおらず、古物商を継ぎたいという親戚もいなかったため、店の在庫品と建物を処分して現金に変えるつもりなのだという。
「店は繁盛していたと聞くが――閉めてしまうのか」
「ええ。なにしろ、あんな事件があったあとですからねぇ。同じ場所で商売をしよう、なんて酔狂な者はいないですよ」
バックスの従姉妹に当たるという中年の女が、そう語った。
「実は、この店にあった剣が前々から気になっていたのだが――もう、人手に渡ってしまっただろうか」
「どうでしょう。店先にはないみたいですけど、倉庫にはまだまだ売り物の品がありますからねぇ。よろしければ、帳簿をお見せしましょうか」
運がよければ、マーシャに在庫を売りつけられるかもしれない。そんな打算もあったのだろう。女は、愛想笑いを浮かべて数冊の帳簿を差し出した。
(これはまた、几帳面な……)
帳簿は商品の種別ごとに分かれており、店を出入りした品々が、いつ誰からいくらで買い取ったのか、いつ誰にいくらで売ったのか、こと細かく記されている。
金と商品の出入りをきちんと記録するということは、商売をやるうえで重要なことだ。この几帳面さが、商売繁盛の秘訣のひとつといえる。
武具類の帳簿をめくり始めたマーシャは、程なく目的の頁にたどり着く。
「ラーイルの町にて、三本金貨一枚で買い取り、か。これだな」
帳簿には、そのうち二本が売れてしまったことが記されていた。その買い手の一人は、予想通りドネリーであった。
「もう一人はブルーノ・ハリントン、か。待てよ、ハリントンといえば……」
マーシャは、その名に心当たりがあった。マーシャの記憶が確かなら、ハリントンとは毛織物の商いで巨万の財を成した男である。彼は武術愛好家として知られ、その私財をもって多くの武術大会を後援している。
とはいえ、同姓同名の別人ということも考えられる。
「申し訳ないが、目的の品はもう売れてしまったらしい。できれば、その買い手に剣を譲ってもらえるよう交渉してみたいのだが」
マーシャが金を落とさないとわかって、露骨に大儀そうな表情を浮かべる女に対し、マーシャは銀貨を握らせた。
「あら、そいうことでしたら、お客の名簿をお見せしますよ」
現金なもので、ふたたび女は上機嫌になった。
名簿に記された住所は、確かにマーシャの知るハリントンのものである。現役時代、マーシャはハリントンの後援する大会で優勝した際、その邸宅で行われた晩餐会に呼ばれたことがあった。
「ありがとう、助かった」
マーシャは、急ぎ店を出る。
(ハリントン殿とは運がいい。買い戻しは難しくなさそうだ)
大の武術愛好家であるハリントンなら、かつて一世を風靡した武術家であるマーシャの頼みを、むざむざ断ったりはするまい。
(あとは、ハリントン殿がみだりにあの剣を抜いたりしていなければいいのだが)
バーグマンの話を聞く限り、どうやられいの魔剣は、鞘から引き抜き一定の時間手に取っているといけないもののようだ。
大通りに出たマーシャは、そこで伝言屋を捕まえると、ハリントン宅に向かう旨第五分隊に託を頼む。
ハリントンが剣の魔性に取り付かれていないことを祈りつつ、マーシャは走る。
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