剣士マーシャと魔剣

第1話

 怪異――自らの理解の及ばぬ現象を、人々はそう称する。幽霊、妖精、そして悪魔。怪異を引き起こすのもまた、人知の及ばぬ存在とされるのも、至極自然な考えであるだろう。こうした「怪異」というもののは、古今東西を問わず、人間社会のなかに存在し続けている。

 幽霊を見た、怪物に襲われた、妖精に悪戯されたなどという体験談は、このシーラント王国内に限っても枚挙に暇がない。嵐のラージェス海で船乗りを惑わす女幽霊、フルーム台地に住まうという怪狼ローヴァン、霊峰ガルラの雪男伝説などは、シーラントに生まれ育った者なら子供のころに一度や二度は耳にしたことがあるはずだ。

 近年の学問の発展に伴って、それら怪異のうち、いくつかは純然たる自然現象であることがわかってきている。

 たとえば、近寄る者の魂を吸い取ると言われるベストリア沼の伝承――実際、沼の近辺で多くの人々が昏倒するという事例が多発していた――これは、沼の底に沈殿した動植物の屍骸が腐敗する際に発生する、ある種の気体が原因であるとされている。

 しかし――すべての「怪異」の謎が解き明かされたわけではない。世界には、人の知恵では説明がつかぬ現象が、いまだ数多く存在し続けている。


 マーシャ・グレンヴィルは、いわゆる現実主義者だ。

 とはいえ、別に神の存在を疑うわけでもないし、上で書き述べた「怪異」についても、頭ごなしに否定するではない。ただ、人間を幸福に――あるいは不幸に――するのは、神の御手でも悪魔の悪戯でもなく、多くの場合人間の意思に基づく行為だと考えているのだ。

 実力こそがすべての武術界で頂点をきわめたマーシャらしい考え方である。そして、秘密部隊「蜃気楼」で数多くの人間を手にかけてきたマーシャならではの考え方であるともいえるだろう。

 そんなマーシャであるが、厳冬期の王都レンで、彼女は不可思議な事件に巻き込まれることになる。


 マルグリッド杯を巡る事件が解決を見てから、ひと月ほども経っただろうか。王都レンでは日ごとに寒さが増し、まさに本格的な冬を迎えている。

 ここ三日間、レンでは雪が降り続いた。この時期の降雪は、レンでもさほど珍しいことではない。しかし、脛まで埋まるほどに雪が積もるというのは尋常なことではなく、街の古老に言わせれば、これだけ降り積もったのは五十年来記憶にないとのことである。

 こんな日は、よほどの物好き以外家から出たいとは思わないだろう。例外は子供たちであるが、珍しい積雪にはしゃぎまわっていたのも最初の二日目までであった。

 とりわけ出不精なマーシャ・グレンヴィルであるから、この三日間はほとんど部屋を出ず、暖炉にかじりつくように生活していたというのも当然のことである。

 通いの弟子であるミネルヴァ・フォーサイスは、家族とともに公爵家の所領であるエージルへ里帰りしている。

 アイニッキ・ウェンライトはというと、亡師ケヴィンの生まれ故郷であるカンドラ島へ赴いているところだ。王都での生活も落ち着いてきたことだし、グレン・ウェンライトの事件のことも含め、ケヴィンの墓前で王都でのできごとを報告したい、とのことである。

(こうして数日も独りで過ごすというのは、いつぶりだろうか……)

 人々に囲まれ、そのぬくもりに触れながら過ごすのは、マーシャにとってかけがえのない時間である。しかし、こうして独り静かに時を過ごすというのも、

(たまには、悪くない……)

 そう感じるマーシャであった。

 幸い、食料と酒の買い置きもある。書物などを片手に、のんびりとした時を過ごすのであった。


 久しぶりの孤独を満喫しているマーシャのもとへ客が訪れたのは、その日の夕刻も近くなったころのことだ。

「いやあ、お久しぶりですな」

 背中に大荷物を背負い、すっかり薄くなった頭頂部から湯気を上げつつ部屋に上がったのは、カート・バックスという五十がらみの男であった。

 小太りの小男であるバックスは、桜蓮荘のあるロータス街の一角で、古物商を営んでいる。かつてこの男は、自宅を兼ねた店舗を修繕する際、妻のエイダとともに一時的に桜蓮荘に身を寄せたことがあった。マーシャとは、それ以来の付き合いだ。

「そういえば、ここしばらくバックスさんをお見かけしませんでしたが――また『仕入れ』ですか?」

「はい。そうですな――ひと月ほど方々を回って、いい品をたくさん仕入れさせてもらいましたよ」

 身体こそ小さいものの、こと商売に関しては驚くほど精力的な男だ。彼は定期的にシーラント国内を旅して、商品の仕入れを行っているのだ。

 バックスは、世間で「珍品」と呼ばれるものを主に取り扱う。一般的にはほとんど無価値だが、その道の蒐集家にとってはこの上なく貴重な品――そんな珍品を探し出し、好事家に高値で売りつけるのがバックスの商いである。

「して、ご用件はまたいつもの――」

「ええ、剣の鑑定をお願いしたいと思いまして」

 バックスは、美術品から日用品まで、多岐に渡る品々を取引する。そしてその品揃えの中に、数はさほど多くないものの、武具刀剣類も存在する。

 バックスはマーシャと知り合ってからというもの、剣を仕入れるたびマーシャに鑑定を頼んでいた。

 最初にこの話が持ちかけられた際、マーシャは

「私にはものの価値なんて判定できませんよ。それに、真贋を見極める眼も持ち合わせていない」

 と断った。

 古物の値段というのは、希少性や需要など、様々な要素が絡み合って決まる。言うまでもなくそれは、ずぶの素人が判断できるものではない。そして剣の場合は美術品と同様に、それを製作した鍛冶職人の知名度、これが値段に大きく影響する。マーシャは、仮に剣に高名な鍛冶の銘が刻まれていたとしても、それが本物であるか偽者であるか見分けることができない、そう主張したのだ。

 しかしバックスは笑い、こう言った。

「あなたに観ていただきたいのはそこではありません。伺いたいのはこの剣の良し悪し、それだけです」

 つまり、剣本来が持つ品質を見極めてほしい、そういうことだ。

「それならば、しかるべき鑑定家に見せられるがいいでしょう」

「包丁の良し悪しなら料理人に、釣竿の良し悪しなら漁師に尋ねるのが一番、というのが私の持論でしてね。剣のことなら、やはりそれを扱うのを生業とする人間に尋ねるのが一番、ってわけです。それに――鑑定家を頼るにしても、これ・・がかかりますからね」

 そう言ってバックスは、人差し指と親指で輪を作って見せた。

 バックスの持論はマーシャも理解した。しかし、大家と店子という縁があるのをいいことに、タダで鑑定をしてもらおうと言うのだから、あきれた商魂であるといえよう。

 もみ手をしながら、その身体をさらに小さく丸めて頼み込むバックスを見て、マーシャも毒気を抜かれたようになってしまった。そして、バックスの依頼を受け入れることにしたのである。

 話は現在に戻る。

「それにしても、この大雪の中わざわざお出でになるとは……よほどお急ぎで?」

「はい。これから年の瀬を迎えますからな。人々の財布の紐が緩くなるぶん、高価な商品も売りやすくなるというわけです。一日たりとも無駄にはできませんよ」

 いかにもバックスらしい返答である。

「では、早いこと鑑定を済ますとしましょうか」

 マーシャが促すと、バックスは荷物を紐解いて細長い包みを取り出した。

 包みの中身は、鞘に収まった三振みふりの剣であった。三本とも、寸分たがわぬ拵えの細身の剣で、刃渡りはやや短い。

 マーシャは、そのうちの一振りを手に取った。

 鑑定の際余計な先入観を抱かせぬよう、剣の由来などの情報は一切語らぬのがいつものやり方である。バックスは無言でマーシャを見守る。

 鞘や柄に装飾らしい装飾は施されていない。世の中には彫金や宝石類で装飾され、それだけでも相当の価値がある鞘というものが存在するけれども、どうやらその類の品ではないようだ。

 マーシャは右手で剣の柄を握ると、鞘からゆっくりと引き抜いた。りぃん、と金属が震える音が響く。

「ほう、これは……」

 はっとするほど、美しい剣であった。

 剣身にも、装飾の類は一切施されていない。ただまっすぐな細剣。しかしその刃は磨きこまれ、鏡のようにマーシャの姿を映した。どこか優美さすら感じさせる佇まいである。

 そして、一見しただけでもわかる。相当な業物だ。

「試し斬りをしても?」

「ええ、もちろん」

 マーシャならば売り物の剣を傷めるようなことはしない。バックスはマーシャの腕前を信頼している。

「では、少し離れていてください」

 マーシャは、机の上にあった紙切れを手に取る。手を上に伸ばし、頭の上の高さからその紙片を手放した。

「ふッ!!」

 十字に剣閃が疾った。

 宙を舞った紙切れに、マーシャは瞬きほどの間に二度の斬撃を加えている。紙切れは、四つに切断され床に落ちた。

 なんの支えもなく宙を漂う軽い物体を切断するということは、見た目以上に難しい。いかにマーシャの技量が優れていようと、なまくらの刃ではなかなかこうはいかぬ。

「見事な切れ味だ。これほど鋭い刃は、私もお目にかかったことがない」

 と、マーシャは太鼓判を押した。

「いやあ、先生にそう言っていただければ安心」

 バックスが顔をほころばせる。

 マーシャは、いま一度剣を見やる。卓上のランプの光を反射し刃はぎらりと輝いている。

(しかし――なんだろう、この感覚は)

 名状しがたい違和感のようなものが、剣を持つマーシャの右掌に残っていた。剣から発せられた得体の知れぬなにかが、マーシャの掌を伝って身体の奥底を刺激するような――不思議な感覚である。不意に、マーシャの身体がぞくりと震えた。

 剣を鞘に収め卓上に置き、右の掌をなんども閉じたり開いたりしてみる。奇妙な感覚は、徐々に薄れていった。

「おや、どうされましたかな」

 マーシャの様子を不審に思ったか、バックスが尋ねた。

 自分でも説明のつかない感覚。それをバックスに話したものか迷ったが、いまのマーシャは鑑定の依頼を受けている身である。感じたことを、包み隠さず述べることにした。

「いや――剣を振った際、なにかおかしな感じがしたものでね。言葉ではなんとも言い表せないのだが」

「ほうほう。それはそれは」

 バックスは、にやにや笑いながらうんうんと頷く。

「なんですか、気味の悪い」

「これは失礼。実はですな、この剣――がありましてね。なんでも、『持ち主の魂を喰らい、力に変える魔剣である』のだとか」

「魔剣――ですか」

 魔剣に聖剣など、超常の力が宿る武具の言い伝えというのはシーラントでも数限りがない。

 一番有名なのは、古代神話に名を残す英雄、トランヴァルが振るったという炎の魔剣グラーズであろう。悪魔の秘術を用いて打たれたというその魔剣は、持ち主が傷つけば傷つくほどに力を増したという。

 魔剣など、ばかばかしい――そう言いたいところであるが、奇妙な感覚があったのも事実であり、マーシャも一笑に付すことができないでいる。

「私も眉唾物だと思っていたんですがね。他ならぬあなたが何か感じたと言うのなら、あながち法螺でもないのかもしれませんな」

「いったいどこで手に入れたので?」

 この剣に興味が出てきたマーシャが、そう尋ねた。

「北のラ-イルの町――大河ドゥーネに沿って五日ほど行った先の町に、とある資産家がおりましてね。この資産家というのが、相当なお人よしだったらしいのです。涙ながらに頼み込めば、たとえほとんど面識のなかった人物相手だろうとぽんぽんと金を貸してしまうのだとか」

 なんとも気前のいい話である。しかし、金貸しというのは非情でなければやっていけない。貸した相手に舐められては、商売にならぬ。

 お人よしの資産家は、「金の代わりにこれこれの品物で弁済させてほしい」と頼み込まれると、すんなりと承諾したのだとか。

「そんなわけだから、資産家の蔵には借金のかたとして受け取った得体の知れない物品が山と積まれていたのです。このほどその資産家が亡くなり、ご遺族がその品々をまとめて処分したい、というので私が呼ばれたというわけで」

 一見すると、ただのがらくたの山である。しかし、そんながらくたでも買い取ってくれる、物好きな古物商がいる――資産家の遺族は、どこからかバックスの評判を聞きつけたのだとか。

「この剣は、そこで手に入れたということですか」

「ええ。前の持ち主が誰だったのかもわからないそうなのですが、これが収められていた箱に、さきほど申し上げた内容の書き付けがありまして」

「なるほど、それで魔剣と」

「はい。しかし、先生のお墨付きがあれば、この剣も高く売ることができそうだ。売り込みの文句は――そうですな、『マーシャ・グレンヴィルも認めた切れ味、魂喰らう魔性の剣』。これでいきましょう。ええと、今回の仕入れに使ったのが路銀と買い取り金合わせて金貨五枚だから――」

 バックスは、早くも頭の中で算盤を弾き始めた。その商魂に、マーシャも苦笑を禁じえない。

「バックスさん、私の名を商売に使うのは構わないが、ほどほどにして下さいよ」

「ええ、ええ。心得ておりますとも。さて、私はそろそろお暇させてもらいます。今日はありがとうございました」

 バックスは荷物をまとめると、せかせかとした足取りで部屋を出て行った。

「なんだか、どっと疲れてしまった……」

 ミネルヴァの父、ギルバート・フォーサシスなどにも言えることだが、必要以上の活力にあふれる人間というのは、ときとして周囲の人間を辟易させる。疲労感に包まれたマーシャは、大きく嘆息した。

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