第7話

 その日の夜。

 マルグリット杯という大きな催しによって起きた熱気は、いまだレンを包みこんだままだ。街の酒場では、武術愛好家以外の人間たちも、物知り顔で大会について語り合っている。

 そんなレンにある、一軒の料理屋での一幕である。


「……まったく、大枚をはたいて計画を進めたというのに。すべて台無しだ」

「カッセルズは仕方ないとしよう。しかし、あのハモンドという男、本当に腕を負傷しておったのか」

「それは間違いないはずだ。試合でのあの様子を見れば明らかであろう」

「しかし――こうなると、次の大会はどうするかという話になる」

「先ほど申したように、どうやらマーシャ・グレンヴィルがわれわれの関与に感づいているようだ」

「いったい、どうして秘密が漏れたのだ」

「皆目、見当もつかぬ。しかし、私と貴公の関係にも気づいている節があった」

「ううむ」

「それに、奴の師はあのマイカ・ローウェルだ。元王家指南役として王家との繋がりも深いし、警備部や武術局にも顔が利く。目をつけられるのは拙い」

「やはり――ほとぼりが冷めるまで、大人しくしているしかないだろう」

「うむ、そうだな」

 そんな言葉を交わしているのは、カリム道場のあるじ、ジェラード・オルグレンと、ヤーマス道場のあるじ、トニ・ヤーマスである。

 そして、料理屋の庭木の樹上に身を潜め、ふたりの様子を窺う黒い影。身体にぴったりと密着する仕立ての黒装束に身を包むのは、パメラである。

「やはり、有罪ですね」

 部屋の窓は閉め切られているため、会話を聞き取ることはできない。しかし、パメラはオルグレンたちの唇の動きを読むことにより、その内容を知ることができる。

 パメラは音もなく木の枝から飛び降りると、そのまま夜の闇に消えていく。


 数日後。

 怪我による発熱も収まったハモンドは、想い人の待つカーラックの街へと出立することになった。ハモンドは桜蓮荘のマーシャのもとにも、旅立ちの挨拶に立ち寄った。

「すっかりお世話になりました。このご恩は一生忘れませぬ」

「いや、そんな大げさな……私は結局なんの手助けもできませんでした」

 事実、マーシャはハモンドに対し、直接的に利益となるようなことはなにもしていないのだ。

「ときに、ハモンド殿。マルグリット杯を手中に収めずしてリンゲート道場に帰ることはできない――そんなことを仰っていたが、今のお気持ちはどうですか」

「いや、たしかにそうは申しましたが……」

 ハモンドは、気恥ずかしそうに頭をかく。

「しかし、今の私は、優勝にこだわりはありませぬ。ケネス・カッセルズ――あれほどの相手と、あそこまでの勝負ができた。あの戦いの後に抱いた気持ち、それを忘れずにいられるならば、この先なにがあっても乗り越えられる。そう思うのです」

 そう語ったハモンドの表情には、自信が満ち溢れていた。

「師にも、カミラにも、胸を張って此度のことを報告しようと思います。では、私はこれにて。そのうち、ぜひカーラックの町にもお越しください」

 ハモンドは最敬礼し、桜蓮荘をあとにした。

「これにて一件落着、というわけにもいかないか。ハモンド殿の左腕を傷つけた報いは、きっちり受けてもらわねば」


 さらに数日後の昼下がりのことである。

 カリム道場のあるじ、オルグレンは、所用のため三人の門弟を連れレンの街を歩いていた。

 人の多い通りを歩いていると、オルグレンはひとりの通行人と正面からぶつかった。その通行人は、酒屋の下働きの少年のようだった。

 少年は、赤ワインの瓶が数本入った籠を抱えていたのだが、オルグレンとぶつかった拍子に籠を取り落とし、ワインの中身はあたりにぶちまけられた。

「無礼者、なにをする!!」

 オルグレンが大喝する。マルグリット杯以来、ずっと不機嫌なままのオルグレンである。着衣にワインのしみができたことに、たちまち怒りを募らせた。

「それはこっちの台詞だ。売り物が台無しじゃないか。どこに眼をつけていやがる、このへっぽこ武術家め」

 少年は、声変わり前の甲高い声で言い返す。これでは、火に油を注ぐようなものだ。オルグレンの顔が、みるみる紅潮する。

「いくら子供とて、これ以上の無礼は許さぬぞ!」

「へぇ、許さないならどうするつもりだい」

 オルグレンの怒声に、少年は鼻を鳴らして答える。

「礼儀のなっておらぬ餓鬼を躾けるには、痛い目に遭わせてやるのが一番よ。そこへ直れ、小僧」

 オルグレンの後ろでは、門弟たちが狼狽している。師匠の不機嫌はわかるが、ここは人で溢れた往来である。すでに多数の人間の注目が集まっている中、大人気なく子供に折檻するようなことは、オルグレンの評判を落とすだけだ。

「先生、そのへんで――」

「やれるもんならやってみな。前から歩いてくるおいらの気配にすら気づけなかったんだ。どうせ大した腕前でもないんだろう」

 弟子たちが割って入ろうとしたところに、止めとばかりの挑発である。

「小僧、このジェラード・オルグレンに舐めた口をきいたこと、後悔するなよ」

 こめかみに青筋を立てたオルグレンが、左手で少年の胸倉を掴んだ。右手を振りかざし、少年の顔を殴りつけようとする。しかし、その拳は空を切った。

「喧嘩でいきなり相手の服を掴みにいくなんて、素人のやることだぜ、おっさん」

 少年は、オルグレンの背後に悠然と立っている。そして、少年の胸倉を掴んだはずのオルグレンの左手首は、あらぬ方向に捻じ曲がっていた。

「素振りから修行をやり直すんだな、カリム道場・・・・・のオルグレンさんよ!」

 ひときわ大きな声で叫ぶと、少年はオルグレンの股間を蹴り上げた。オルグレンが悶絶して倒れるのを尻目に、少年は人々の間を縫って風のように走り去った。

「よくやってくれたぞ、パメラ」

 少し離れた場所から騒動を見守っていたマーシャが、満足げに笑った。


 同日、まったく同じような出来事が、ヤーマス道場のトニ・ヤーマスにも降りかかった。

 名門道場のあるじともあろう者が、年端もいかぬ少年にきりきり舞いさせられ、左腕を折られた――噂は、またたく間にレンの街を駆け巡った。

 ふたつの道場の評判は地に落ち、門下生の数もずいぶん減ったということだ。


剣士ハモンドの熱情・了

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