第5話
パメラは、すでにフォーサイス家の屋敷に帰してしまった。マーシャはアイの部屋の扉を叩くと、助力を求めた。
「無論のこと」
と、アイは快諾した。
マーシャはファイナの資料から推理したことを簡単にアイに伝えると、レン市街の地図を見せた。
「ええと……あった、ここだ」
指し示したのは、ヤーマス道場の所在地である。
「アイには、ヤーマス道場の動向を探ってもらいたい」
「なるほど。先生はカリム道場へ、そういうことにござるか」
「うむ。このような時間に申し訳ないのだが――よろしく頼む」
マーシャは、一路カリム道場へ向かった。
日はすっかり落ち、暗闇に包まれるレンの街を、マーシャは駆ける。
下町と新市街の境あたり、アレンカ街という区画にあるカリム道場は、立派な門構えを持つ広い道場であった。
マーシャは、道場の裏手に回ると、周囲に人がいないのを確認しつつ、ひらりと外塀を乗り越えた。かつて秘密舞台に所属し、隠密性が重視される作戦に参加した経験も多いマーシャである。パメラほどの水準ではないにせよ、その気配の消し方は見事なものだ。
(さて……母屋はあちらか)
時間が時間なので、道場らしき大きな建物にらは火の気が消えている。マーシャは、道場主が居住する母屋に足を向けた。
明かりのついた部屋の窓に忍び寄る。カーテンの細い隙間から、辛うじて中の様子を窺うことができた。
(あれは、たしか道場主の――ジェラード・オルグレンといったか)
五十歳を超えたあたりのオルグレンが、数人の男相手になにごとか怒鳴りつけているようであった。ガラス窓は閉め切られているため、話の内容を知ることはできない。しかし、オルグレンが相当いらついているということは、外からでも容易に見て取れた。怒鳴られてるのは道場の高弟であろうか――マーシャは、そう推測する。
ひとしきり怒鳴ったのち、オルグレンは部屋を出た。高弟らしき男たちもそれに付き従う。
(外出するのか……?)
マーシャは素早く道場の庭を走り抜けると、道場の外側に回った。道場の脇、正門を視界に納めることができる場所に陣取る。
程なくして――外出着姿のオルグレンが姿を見せた。二人の高弟らしき男が、お付きとして後に続く。
カリム道場を出た三人は、そのまま徒歩で繁華街に出た。このあたりは人通りも多く、尾行は容易である。
三人は、繁華街の一角にある二階建ての大きな料理屋に入った。その料理屋では、個室で酒食を楽しむことができる。恋人同士の語らいにも便利であるが、人目をはばかって密談するにももってこいの場所である。
自分もこの料理屋で部屋を取って、隙を見てオルグレンの様子を探ろうか。しかし、ひとりでこの料理屋に入るのも不自然だ――料理屋の門前でそんなことを考えていたマーシャは、そこで意外な人物に出会った。
「アイではないか。どうしたのだ、こんなところで」
ヤーマス道場に向かったはずのアイがこんなところに現れたのだから、マーシャが驚くのも無理はない。
「いや、某はヤーマス道場のあるじ、トニ・ヤーマスを追って来たのでござるが――先生のほうこそなぜ?」
二人は、まったく同じ理由でこの料理屋に辿り着いたことになる。
「これはいったい……いや、考えても始まらぬ。われわれも中に入るとしよう」
マーシャはアイと連れ立って、料理屋へと足を踏み入れた。一階の個室に通されたマーシャは、案内をした女給に
「さきほどちらりと見かけたのだが――オルグレンという偉い剣士の先生がここで食事をされているのでは?」
と、尋ねてみる。しかし女給は愛想笑いを浮かべ、曖昧にはぐらかすばかりであった。密談にも使われる料理屋であるから、客の秘密は漏らさぬよう、厳しく言い渡されているのだろう。
適当な酒と料理を注文すると、マーシャはアイを残して個室を出た。そのまま、二階に上がる。この料理屋は、それぞれの個室によって料金が異なる。格の高い上等な部屋ほど料金が高くなる仕組みだ。そして、料理屋の個室に限らず、上等なものはより上に、より高い場所に配置されるのが世の常だ。
すると、とある部屋の前で二人の男がまるで立ち番のように突っ立っているのをマーシャは発見した。そのうちのひとりは、たしかにカリム道場の高弟である。
そこへ、店の女給が酒を運んで来た。マーシャはさりげない足取りで部屋に近づくと、女給が扉を開いた瞬間、素早く室内を一瞥した。
(オルグレンと――話し合っていたのは、トニ・ヤーマスだ。間違いない)
部屋の前では二人の男が睨みをきかせているし、二階にある部屋のこと、外から盗み聞きをすることもできない。
マーシャはそのまま部屋を通り過ぎると、アイのもとへ戻った。
「なるほど、ふたりが密会を……どういう仔細にござろう」
「ううむ……少しずつ見えてきた気がする」
「と、申されると」
「黒幕は、ふたつの道場どちらかひとつ、というわけではなかったということだ」
「つまり?」
「ふたつの道場が手を組んでいた――そういうことなのだろう」
「しかし先生、ふたつの道場は仲が悪いと仰っていたはずにござる」
「それも、怪しまれぬための偽装。そう考えられないだろうか」
ふたつの道場が共謀し、邪魔者となるほかの出場者を排除する。互いの門弟同士の対戦となったときは、星を譲り合うことも可能だろう。不仲が広く知世に知られているから、まさかこのふたつの道場が裏で手を組んでいるとは誰も思うまい。
「おそらく、これを知るのは道場でも一部の人間のみであろう。下の門弟たちは、本気でいがみ合っているとは思う」
「それが正しいなら、なかなかに巧妙な手を使う連中にござるな」
「無論、証拠はなにもない。ハモンド殿を襲った連中のように、盛り場で腕の立つ人間を見繕って依頼するという形をとるなら、黒幕を知ることは不可能に近いしな」
「からくりは理解したが、今後どうするおつもりにござるか」
「難しいな。先ほども話したが、証拠がない。無理やり締め上げてやってもいいが、私の推測がまったくの的外れである可能性もあるしな」
ふたりは、料理に手もつけず考える。しかし、妙案は浮かばない。
「とりあえずは明日あたり、お師匠様にでも相談してみるか。さて、せっかくの料理だ。食べてしまおう」
決して安くない料理を、ふたりは胃の腑に納めた。盛り付けは凝っているし、味もそれなりではあるが、値段ほどの価値は見出せない――それがふたりの料理に対する評価であった。
翌日、マーシャはローウェル道場を訪ねた。
マイカとハモンドに対し、数日カッセルズに張り付き暴漢を退けたこと、そしてカリム道場とヤーマス道場が怪しい、ということを語った。
「ふうむ、にわかには信じられぬ話じゃが……言われてみれば、思い当たる節はある」
近年、大会に出場したふたつの道場の門弟たちのなかに、実力に見合わぬほどの好成績を収めている者が目立つというのだ。
「勝負は何が起こるかわらん。いわゆる番狂わせ、大物喰いといったことは起こりうるのじゃが――それにしても、首を傾げざるを得ないような結果を何度も目にしておる」
「しかし、われわれに調べられるのはここまでにございました。どちらかの道場を気長に監視し、尻尾を出すのを待つくらいしか取り得る行動はないかと」
「もし、マーシャの推測が正しかったなら、これは由々しき事態じゃ。わしとしても、見過ごすわけにはいかぬが……」
そこで、それまで押し黙っていたハモンドが、初めて口を開いた。
「お二人とも、お待ちください」
「なんじゃ」
「グレンヴィル殿のお話を聞く限り、そのカッセルズというお人には被害は及ばなかったのでしょう」
「そのとおりです」
「では、これ以上の追求は無用に願いたい」
「ハモンドよ、暴漢にやられたのを恥じる気持ちはわかるが――」
「いえ、そうではありませぬ、ローウェル様。油断から怪我を負わされたことは、私の未熟が原因。これを世に知らしめられたとしても仕方のないことです。世間に馬鹿にされようと、私はそれを受け入れるのみ」
「では、どうして?」
「そのような相手であるならば、なおのこと公の場で正々堂々戦い、打ち破ってみせる。卑劣な手段など通用せぬ相手がいること、思い知らせてやりたいのです」
ハモンドの両目は爛々と輝き、総身から闘志が漲っている。
「しかし、おぬしの骨はいまだ繋がっておらん。勝算はあるのか?」
「勝ちますとも。師・リンゲートから受け継いだわが剣は、これしきのことで鈍りはしませぬ」
ハモンドは、そう言い切った。
さらに数日が過ぎ――とうとう、マルグリット杯本戦の当日が訪れた。
マルグリット杯は、レン新市街にある競技場で行われる。古代の円形闘技場を模して作られたその競技場は、おおよそ二千人の人間が収容できる。
世間の注目を集める大会であるから、二千人分の観戦券はとうに売り切れている。マーシャは、マイカの伝手で、出場者の関係者のみが入ることのできる関係者席の券を手に入れ、会場に入った。
マーシャが関係者席に姿を見せると、あたりの人々の視線が一斉に集まった。数年前に引退したとはいえ、かつて国の頂点を極めた武術家であるマーシャゆえに、それも当然のことであろう。
マーシャは関係者席を見渡すと、カリム道場のあるじ、オルグレンを見つけた。
「失礼。お隣、よろしいかな」
と、オルグレンの隣の席に腰掛ける。
「これは、マーシャ・グレンヴィル殿か」
「ジェラード・オルグレン殿でいらっしゃいますね。何度かお顔を拝見したことはありましたが、こうしてお話するのは初めてでしたか」
微笑を浮かべ、マーシャが挨拶する。
「うむ。して、本日は誰ぞ縁のある方が出場されているのか?」
「ニール・ハモンドは、わが師マイカ・ローウェルの甥弟子にあたります。本日、師も観戦を望んでいたのですが、どうしても外せぬ用件がありましてね。名代として、私が参ったというわけです」
「なるほど」
「ハモンド殿の一回戦の相手は、カリム道場のアンドルース殿ですね。アンドルーズ殿の仕上がりはいかがですか」
「上々の調子と聞いている。ハモンド殿は重い怪我を負っていると聞き及んでいるが、残念なことだ。マルグリット杯という晴れの舞台で、全力を出し切ることができないのでは、さぞ悔しかろう」
同情的な表情を見せるオルグレンであるが、喜色は隠しきれていない。
マーシャはあらかじめマイカに頼み、「ハモンドが、事故によってかなりの重傷を負ってしまった。ともすれば出場すら危うい状況である」との噂を流してもらった。実際は出場が不可能なほどの怪我ではないが、その反応を見るに、オルグレンも噂を信じ込んでいるようだ。
「まったく、不幸なことです。しかし、ハモンド殿はかなりの遣い手。勝負はわかりませんよ」
マーシャが、口の端を上げてそう言った。その挑発めいた笑みに、オルグレンは表情を歪めた。
「わが弟子が片腕の使えぬ男に敗れる、そう言いたいのか」
「そのようなことは……ときにオルグレン殿、ハモンド殿の負傷が腕であると、どちらでお聞きになったのです?」
「ぬ、それは……そう、噂で聞いたのだ」
あからさまに動揺するオルグレンを見て、マーシャは内心ほくそ笑む。マイカが流した噂には、具体的な怪我の部位は含まれていない。オルグレンは、マーシャの誘導に見事に引っかかってしまったのだ。
「決して他意はありませぬ。勝負は水物、蓋を開けて見なければわからない、そう言いたかっただけです。お気を悪くされたなら謝罪いたします」
「い、いや、こちらもつい興奮してしまった。許されよ」
そのとき、ラッパが高らかに吹き鳴らされた。開会式が始まる合図だ。マーシャとオルグレンはそれ以上は語らず、競技場で行われる式典を見守るのだった。
マルグリット杯は、三十二人による全三十一試合が、一日で消化される。
一回戦と二回戦は、競技場を四つに区切り、同時に四試合ずつ。三回戦――準々決勝以降は、一試合ずつ行われる。
優勝するには、一日で五試合を勝ち抜かなければならない。一日五試合というのは、シーラントのに数ある武術大会のなかでも、とりわけ過酷なものだ。特に、負傷を抱えるハモンドにとっては厳しい条件である。
(私には見守ることしかできないが――このオルグレンに、あなたの意地を見せ付けてやってやれ)
競技場に姿を現したハモンドに、マーシャは心の中で声援を送った。
「一回戦第六試合、ニール・ハモンドとアラン・アンドルーズ、前へ!」
審判員の声が響き、ハモンドとアンドルーズは試合場の真ん中に進み出た。
ハモンドは、アンドルーズの両眼をじっと見つめる。ハモンドを睨み返すアンドルーズの瞳に、曇りはなかった。
(この男も、私が襲われたことは知らぬようだ。あくまで、道場主と一部の人間が、当人に知らせもせずにやっている――どうやら、そういうことらしい)
ハモンドに、思わず笑みが浮かんだ。これでなんのわだかまりもなく、戦いに集中することができる――そう思ったのだ。
「ハモンド殿、いかがなされた」
突如笑い出したハモンドに、アンドルーズが怪訝な表情を見せる。
「いえ、失礼。最高の舞台でわが力を試せること、嬉しく思っただけです」
「なるほど。負傷をされていると聞いたが、ここは勝負の場。手加減は致しませぬぞ」
「望むところ」
ふたりが、いったん距離をとる。
三人からなる副審判が配置につき――主審の旗が振り下ろされる。ハモンドの過酷な戦いが、ここに幕を開けた。
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