第4話

マーシャたち三人は、まずカッセルズの泊まっている宿からほど近い場所にある、大きな宿に部屋を取った。

「まずは私が様子を見て参ります」

 そう言うなり、パメラは街に走り出た。その気配は、夕闇に溶け込むかのように消えていく。

「しかし――見事な身のこなしにござるな」

 アイが目を見張った。パメラは、幼少時より密偵としての厳しい訓練を積んでいる。ゆえに彼女は行動時、意識せずともその気配を消すことができる――いや、無意識的に気配を消してしまう、と言ったほうが正しいだろう。

「ぜひ、一度手合わせ願いたいものにござるが」

「まあ、パメラは受けないだろうな」

 パメラは、基本的にミネルヴァの身を守ることを第一に考える。アイと立ち会うことがミネルヴァの安全に直接関わらない以上、彼女はその立会いに意味を見出さない。そして、怪我を追うことで本来の任務に支障をきたすような危険を、彼女は犯そうとしないだろう。

「ミネルヴァ様が強く望めば、パメラもそれに従うだろうが――ミネルヴァ様は、パメラに対し無理強いをするようなお人ではないからな」

「ううむ、残念」

「まあ、アイの気持ちもわかる。私も、気を張っているときのパメラを見て、何度仕掛けてみようと思ったことか」

「ははは、先生もお若い」

「失礼な。これでもまだ二十八だ」

 と、マーシャはおどけてみせるのだった。


 パメラの帰りは早かった。

「ちょうど、れいの宿の近くでカッセルズと出くわしまして。かつて、カッセルズの試合を見て以来、彼に憧れていた――そういう体で、接触を」

 まさか偶然、こんなところで出会えるとは――さも感激したふうに、パメラは話しかけたという。

 普段は物静かで地味な印象のパメラだが、必要とあらば明るく快活な女性にも、色っぽく妖艶な女性にも化けてみせる。演技力というのは、密偵にとっては不可欠なものだ。

 若い女性に熱っぽく話しかけられ、そこらの男ならば鼻の下を伸ばして対応するだろうが、カッセルズは違った。いかにも興味がなさそうに、パメラをあしらおうとした。

「ああ、なんとなく想像はつくな。禁欲的で、己の研鑽以外のことは眼中にない――そんな印象の男だった」

 ラルフ・ハミルトンや、かつて賭け試合で対決したギネス・バイロンと同じ種類の人間。マーシャは、そうカッセルズを評した。

「嫌々、といった風情ではありましたが、いくつかの質問には答えていただきました」

 調子はどうか、今大会の自信のほどは、などという質問には、ぶっきらぼうながらも答えを得ることができた。

「あくまでもその様子から察したにすぎないのですが――いまのところ、ハモンド殿のような異常事態に見舞われた、ということはないと思われます」

「ふむ。それはある意味幸運だったかもしれないな」

 ハモンドを襲ったと考えられる相手が、すでにカッセルズにも襲撃を仕掛けていたとしたら、調査は振り出しに戻ってしまう。マーシャたちの疑念が疑念のままに終わり、ハモンドが襲われたのもただの偶発的な出来事であった、という結果に落ち着くのが一番であるのは言うまでもないのだが。

「さしあたって、カッセルズの動向を監視することが肝要か」

 マーシャの言葉に、二人は頷く。

「数日かかるやもしれぬが――」

「無論、お付き合いするでござるよ。現場の作業もひと段落し、人足の手が余りがちであったところ。多少休んでも問題ござらぬ」

「お嬢様には、しかとお手伝いするよう言いつけられております」

「ありがとう。では……」

 その日、三人は夜更けまでじっくりと打ち合わせをするのだった。


 マルグリット杯開幕まではあと七日となった。

 ここへ至っては、出場者たちは厳しい訓練をしても仕方ない。疲れを残さぬ程度に身体を動かし、本番に向けて調子を整えるのが普通だ。

 カッセルズもまたご多分に漏れず、毎日郊外のエルド道場を訪ねては軽い稽古を行うという日々を送っていた。

 マーシャたち三人は、協力してカッセルズの尾行を行っていた。

 街中では、三人がそれぞれ別の方向からカッセルズの行方を見守る。郊外のエルド道場近くになると、人通りがぐっと減る。女性にしてはかなり長身のマーシャは目立つため、尾行から外れる。ここからは、アイとパメラが扮装してカッセルズを追う。

(襲撃するならば、街中だろう)

 マーシャはそう見ている。たしかに、人通りの少ない郊外のほうが人目にはつきにくい。しかし、逃走するときのことを考えると、開けた場所というのは襲撃者にとって都合が悪い。

 午後、エルド道場を出たカッセルズは、レン市街に入った。

 通る道はいつも同じであるから、マーシャは道沿いの飯屋でカッセルズを待ち構える。カッセルズが通り過ぎるのを確認し、静かに店を出た。

「先生」

 小声で話しかけてきたのは、アイである。商家の下働きの少年のような服装だ。アイは小柄で童顔だから、このような服装でもまったく違和感がない。

「パメラは」

「あちらに」

 アイの視線の先には、背中に野菜かごを背負い、農婦ふうの身なりをした女性の姿があった。パメラは、カッセルズのすぐ前を歩いている。さすがにその道の専門家だけあって、凄腕の武術家であるカッセルズも、まったく彼女を怪しむ様子を見せていない。

 と、パメラが動きを見せた。ごく自然に歩みを緩め、今度はカッセルズの斜め後ろに位置どった。

「アイ」

 マーシャはアイに注意を促す。アイは軽く頷いてみせた。

 カッセルズの進行方向から、ひとりの男が歩いてくる。何気ない足取りで、男はカッセルズの進路上に入った。ふたりの肩と肩がぶつかろうとした、その瞬間である。

「あらぁ、ごめんなさいねぇ」

 二人の間に割り込むように、パメラが身体を差し入れたのだ。

 パメラが甲高い素っ頓狂な声で謝罪したものだから、周囲の人たちの視線がそこに集まった。

 カッセルズにぶつかろうとしていた男は、舌打ちすると足早にその場を去っていく。マーシャとアイは目配せすると、男を追った。

 男は、人通りの少ない裏通りに入った。そこで、四人の男たちと合流した。みな、薄汚れた服装の怪しげな風体で、棍棒を携えている。

「すまねぇ、しくじった」

「仕方ない。まあ、まだ日にちに余裕はある。次の機会を狙おう――」

「いったいなんの悪巧みをしているのか、私にも聞かせてくれないか」

 マーシャが、男たちの会話に割り込んだ。

「なんだ? てめぇは」

「先ほどの剣士――カッセルズ殿に用があったのではないのかな」

 マーシャの言葉に、男たちは明らかな動揺を見せた。一瞬顔を見合わせたのち、男たちがとった行動。それは逃走であった。

「余計な騒ぎを起こさず、速やかにこの場を立ち去る、か。その判断は正しい。しかし――」

「ここから先は通行止めにござる」

 先回りしたアイとパメラが、男たちの行く手を阻む。

「退きやがれ!」

 先頭を走る男が、アイに体当たりを食らわせようとする。しかし、アイは身を伏せつつ男の足を払った。男は、空中で一回転せんばかりの勢いで地面に叩きつけられた。

 パメラも、手刀でもってすでに一人を打ち倒している。

「こいつら……只者じゃねぇぞ!」

 残った三人の男は、手に手に棍棒を構えた。逃走は諦めたらしい。

(こやつら……やはり、武術家くずれのようだ。それも、かなりの遣い手だ)

 棍棒の構えひとつにも、武術の心得というものは現れる。男たちがただのごろつきでないことは、マーシャの目には一目瞭然であった。この連中四人が相手ならば、ハモンドが不覚を取ったのも頷ける。

 厳しい修行のすえ身につけた武術の腕を、よからぬことに使おうとする不届き者は後を絶たない。マーシャの眼前の男たちも、その類の武術家くずれなのだろう。

「やっちまえ!」

 三人の男は、一斉にマーシャたちに打ちかかった。しかし、男たちの腕前は、マーシャたちに通用するほどの水準ではい。マーシャたち三人は、ほとんどひとり一撃で男たちを打ち倒してしまった。

「さて――話を聞かせてもらおうか。カッセルズ殿になにをするつもりだった」

 男の一人を引き立たせると、マーシャは尋問を開始した。しかし、男は口を閉ざしたままなにも答えぬ。

「強情だな。お前のような相手に口を割らせる方法はいくつか知っているが、どうするか」

「先生、ここは某にお任せを。なにか、縛るものをお持ちではござらぬか」

 パメラが、袖口から鋼糸を引き出した。アイは、男の腕を後ろで組ませると、左右の親指と親指をひとつに結わえ上げた。

「て、てめぇ、どうするつもりだ」

 顔を引きつらせる男に対し、アイは悪戯っぽく笑うのみだ。そして、両手の親指を立てると、男の背中のある点に向け、その指先を同時に突き刺した。

「っぎゃあああああ!!」

 男が、怪鳥の如き悲鳴を上げた。その表情から察するに、相当な苦痛なのだろう。

「それ、もうひとつ」

 今度は太ももだ。男は身体を仰け反らせ、地面をのた打ち回る。

「おいおい、大丈夫なのか?」

 マーシャも、男の尋常でない様子に、彼が死んでしまわないだろうかと配になってしまう。

「大丈夫、大丈夫。これは大陸はラダの国に伝わる一種の療法にござる。激しい痛みは伴うが、それに耐えればむしろ臓腑の調子がよくなるくらいにござるよ」

 と、アイはマーシャに耳打ちする。

「さあ、どうしても話さないと言うのなら、もうひとつ――」

 アイがにじり寄ったところで、男は早くも音を上げた。

「わ、わかった、話す、話すからもう勘弁してくれッ!」

「最初から素直にそう言えばいいのだ。で、やはりお前たちはカッセルズ殿を狙っていたのだな」

 マーシャの質問に、男は首を激しく縦に振った。

「目的はなんだ」

「お、俺たちは頼まれただけだ……」

「誰に頼まれた」

「どこの誰とも知らねぇ。腕の立つ人間を探している、って男が俺たちの馴染みの酒場に現れて……スリの仲間のふりをして、これこれの武術家に怪我を負わせろ、そう頼まれたんだ」

 男たちの依頼主は、彼らを雇う理由については一切語らなかったという。余計な詮索をすればこの話はなかったことにする、そう言われ、男たちもそれ以上の追求はしなかった。

「なるほど……ハモンド殿を襲ったのもお前たちか」

「ハモンド? ああ、あの小太りの男か。たしかにそれも、俺たちの仕事だ……」

「なるほど、よくわかった。これは、話してくれた礼だ」

 と、マーシャは男の横面を裏拳で打つ。血糊とともに、男の歯が数本飛び散った。

「先生、この連中はどうするのでござるか」

「これ以上聞き出せるることはないだろう……行くがいい」

 マーシャの言葉を受け、男たちはわれ先を争いその場を離れていった。

 男たちをハモンド襲撃のかどで警備部に突き出したとしても、ハモンドの左腕が治るわけではない。そして、ことが公になればハモンドに恥をかかせることになる。

「これで、ほぼはっきりしたな」

 マーシャが抱いていた疑念は、確信に近いものへと変わった。

「あとは、黒幕が誰であるか、それが問題だ」


 マーシャはその足でホプキンズの診療所に向かった。目的は、またもファイナである。

「これが、頼まれていたものです」

 ファイナは、紐でくくった紙束をマーシャに差し出した。

「忙しいところ、すまない」

 マーシャはファイナに依頼し、ここ数年、一定以上の規模の大会において、試合直前に出場者が欠場を決めたり負傷したという事例を集め、書き出してもらったのである。

 悪党というのは、同じ悪事を繰り返すものである。

 ハモンドを襲わせた黒幕は、過去にも同様の手段を用いたことがあるのではないか。そう考えたのだ。

「時間があれば、もっと詳しく調べられたんですけど」

「いや、十分すぎるよ。ありがとう」

 マーシャが心づけを渡そうとするが、ファイナは笑ってそれを断った。

「お小遣いなんかいらないですよ。それより、今度また先生の現役時代の話をゆっくり聞かせてください」

 かつてこの国の武術界の頂点に立っていたマーシャの武勇伝は、ファイナにとって最高の褒美となる。

「わかった、約束しよう」


 桜蓮荘に戻ったマーシャは、早速ファイナの作成した資料を読み解きにかかる。

 直前に欠場を決めたり、負傷したといっても、本当にやむを得ない理由で試合に出られなかった場合や、偶発的な出来事によって怪我を負ってしまった、という場合は当然存在する。いや、むしろその場合がほとんどのはずだ。卑劣な手を用いてまで勝利をつかもうとする輩がたくさんいるとは、マーシャも思いたくない。

 資料を読み進めるうち、マーシャはとあることに気づく。ファイナが用意した資料には、大会の出場者の略歴も添えられている。出場者の出身道場の項目に、特定の道場の名がよく見受けられるように感じたのだ。

 その特定の道場とは、カリム道場とヤーマス道場のふたつだ。

 ふたつの道場は、ともに名門として知られ、門下生の人数も多い。大きな大会に多くの門弟が出場するのも必然であるといえる。しかし、

「それでも、数が多すぎる……」

 のである。

 とある大会ではカリム道場の門弟が、またとある大会ではヤーマス道場の門弟が、というようにどちらか片方のみの道場の名が見出せる場合もあるが、同じ大会に、ふたつの道場両方の門弟が出場している場合も多い。

「しかし、カリム道場にヤーマス道場か。そういえば、ハモンド殿が巻き込まれた諍いを起こしたのは、このふたつの道場の若者たちだったか」

 マーシャにはひとつ疑問に思うことがあった。

 ハモンドは強い。マルグリット杯優勝を狙う何者かにとって、障害となることは間違いない。しかし、ハモンドは公式戦での戦跡がほとんどない、いわば無名の存在だったはずだ。事件の黒幕は、どうしてハモンドが強敵であることを知りえたのか。そのことである。

 しかし、カリム道場かヤーマス道場の人間が黒幕だとしたら、辻褄が合うように思われるのだ。

 ハモンドは、れいの揉め事を納めたあと、警備部で事情聴取を受けている。そのとき、ハモンドは自らの素性を明かしているはずだ。武術界と王国軍、そして警備部とのつながりは強い。警備部内に関係者がいるなどして、黒幕がハモンドの情報を手に入れたとしたら――助太刀があったとはいえ、十数人を向こうに回して引けをとらぬ男が、マルグリット杯に出場する。当然、黒幕はハモンドに目をつけることになるだろう。

「そういえば、マルグリット杯の対戦表――あった、これだ」

 ファイナからもらった写しだ。それを見ると、ハモンドは一回戦でカリム道場・アンドルーズと、カッセルズは一回戦を勝ち進めば二回戦でヤーマス道場・ブーアと当たることになる。マーシャの疑念はさらに深まる。

 無論、これはまだ推測の域を出ない。

「もう少し、調べてみる必要があるようだ」

 資料をテーブルに置くと、マーシャは立ち上がった。

 夕飯時が近い時刻であるが、ここは迅速に動く必要がある。カッセルズの襲撃が失敗に終わったことは、黒幕もすでに知るところであろう。マルグリット杯まではもう時間がない。この日のうちに、なんらかの動きを見せる可能性は高い。

 マーシャは、すぐに自室を走り出た。

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