第5話

 試合場で、マーシャは先ほどデューイと戦っていた男と対峙していた。

「オーハラ流、マーシャ・グレンヴィルと申す」

「ギネス・バイロン。修めた流派は数知れぬ」

 互いに名乗り、二人は剣を抜いた。得物は、二人とも長さ・太さともに平均的な片手剣だ。

 元練兵場だという草原を一陣の風が吹きぬけ、舞い上げられた草の葉が二人の間を流れる。

「始め!」

 オーギュストの合図とともに、二人は剣を構えた。

 マーシャは利き手である右腕に剣を持ち、右半身を前にして剣先をバイロンに向ける。間合いが大きくなるこの構えは、防御に優れている。

一方のバイロンは、剣を持った右手を後ろに引き、前に向けた剣先に左手を添える。腰をやや落とし、いつでも強く踏み込める構えだ。

(突きを繰り出してくるのがみえみえの構えではあるが――そう一筋縄でいく相手ではなさそうだ)

 試しに、剣先をやや下げてみる。しかし、バイロンはそこでうかつに仕掛けてくるほど軽率な真似はしない。あえてわずかな隙を作り、そこに打ち込ませてから『後の先』を取るのは、上級者にとっては常套手段である。

 バイロンは、マーシャの様子を覗うようにじりじりと左に回る。マーシャは自らの立ち位置は変えず、バイロンの動きに合わせて身体の向きを変える。

 試合開始から、ややしばらくこの膠着状態が続いた。観客たちは一言も発さず、固唾を呑んで展開を見守っている。

「さすがは『雲霞一断ヘイズ・ディバイダ』、マーシャ・グレンヴィルと言ったところか。数々の噂は耳にしたが、たかが女がそれほどまでに強いはずがあるものかと、どれも眉唾ものと思っていた。考えを改めねばならぬ」

 バイロンが、低い声でそう言った。

「お褒めに預かり光栄、とでも言っておこうか」

 バイロンは、なまなかの剣士ならそれだけで腰を抜かしかねぬマーシャの剣気を受け止めながら、まるで臆するところがない。

「されど、睨みあっていているばかりでは埒が明かぬ、か」

 バイロンが、ふっと構えを解いた。かと思われた瞬間、バイロンは一気にマーシャに踏み込んだ。

「鋭ッ!」

 上段から、斜め下への斬り下げだ。マーシャ一歩下がって紙一重でそれを避ける。バイロンの身体は剣の余勢に振り回され、大きく流れた。完全にマーシャに背を向ける格好だ。

 無論、大きな隙が生まれている。今度はマーシャが踏み込もうとする――が、とっさに横に跳び退いた。

 後ろ向きのバイロンの脇の下から、突きが繰り出されたからだ。

「今の技は――たしかボクスベルク流の」

「いかにも。ボクスベルク流奥義といわれる『針鼠ヘジホッグ』だ」

 言いつつ、バイロンはなおも攻勢をかける。

 左からの横薙ぎ――かと思われたが、マーシャの間合いに剣が届くか届かないかというところで、剣の軌道が大きく変わる。くると半円の軌跡を描き、マーシャの右上から斬撃が襲い掛かった。

 しかし、マーシャは落ち着き払ってその剣を打ち払う。

(今度は、バラネフ流の『半月ハーフムーン』か)

 肩から先の関節をしならせるように使うことで、強引に剣の軌道を変える荒業である。

 今度は、上段から斬り下げ――かに思えたが、斬撃の半ばでバイロンは左手に剣を持ち替え、マーシャの胸元に突きを放つ。

身をよじってこれを避けると、マーシャは大きく跳んで間合いを取り直す。

(今度は、レシチニスキ流――修めた流派は数知れぬ、と言っていたが、どうやら本当のことのようだ)

 男の剣技は、たくさんの流派を摘み食いしたような半端なものではない。いくつもの剣技を繰り出しているが、どれもしっかりと自分のものにしている。

 地道な反復練習なしでは、こうはいかぬ。

 今度はマーシャが仕掛ける番だ。下段に構えると、凄まじい速度で踏み込んだ。豪と風を切って、マーシャの剣が唸る。

「むうッ!」

 バイロンは、上段からの斬撃を目の高さのあたりで受け止めていた。観客から、どよめきの声が上がる。なぜなら、マーシャが下段から斬り上げたと思ったのに、なぜかバイロンは上からの剣を受け止めていたからだ。

 マーシャは下段から斬り上げ、そこで手首を返して斬り下げただけに過ぎぬ。ごくごく基本的な連撃であるが、マーシャの剣があまりに速かったため、観客の目には二撃目が認識できなかったのである。

「凄い……」

 多少なりと剣を修めたデューイだが、この攻防には口をあんぐりと開けて驚くことしかできない。

 二人の身体は一瞬ぱっと離れると、ふたたび斬り結ぶ。

 バイロンの剣は、まさに変幻自在。さまざまな流派の奥義と呼ばれる妙技を、次々と繰り出していく。マーシャはバイロンの剣を凌ぎつつ、合間を縫うように剣を繰り出す。

 篝火に照らされた二人の剣が、凄まじい速度で閃く。

 草原には二人の剣が上げる唸り声と、剣がぶつかる金属音が響くのみ。

 マーシャがバイロンの剣を大きく弾いたところで、二人は三たび間合いを取った。息を飲んで観戦していた観客たちから、大きなため息が漏れる。

 バイロンもまた嘆息する。

 国内外のさまざまな道場を回り、二十年近くもの時間をひたすら修行に費やしてきたバイロンの剣を、ここまで受けきった剣士はかつてなかった。

 一方のマーシャも、バイロンの剣に感嘆を禁じえない。

(なんという使い手であることか。なるべく傷を付けずに済ませたかったが、どうしたものか。それにしても――)

 マーシャには、納得いかぬことがある。なぜ、バイロンほどの男がならず者どもの賭け試合に出ているのか、ということだ。

 金目的ではないはずだ。これほどの腕ならば、武術試合でいくらでも賞金が稼げよう。

 かといって、いつぞやの通り魔のごとく、人斬りを楽しんでいるふうでもない。それどころか、その人品には高潔さすら感じる。

「一つ、聞きたい」

 マーシャが、バイロンに言った。

「なんだ」

「なぜ、このような試合に出ている」

「それはこちらも聞きたいのだが。まあいい、教えてやる。俺は、真の剣の奥義とは何か――その答えを求めるため、修行を続けてきた。ゆえに、数多くの流派を学び、自分のものとしてきた。しかし――」

 と、バイロンはどこか遠い目をする。

「どれも、何かが違うと心の中でもう一人の自分が叫ぶのだ。生死の狭間に身を置けば、何かが見えるかもしれん。そう考えて、真剣勝負のできる場を求めた結果だ」

「…………」

 真剣勝負自体が目的なのではない。己を高めるための手段なのだとバイロンは言う。

「人を斬ることになったとしても、構わぬと」

「それはあくまで結果論にすぎぬ。徒に他者を傷つけるのは本意ではないが――俺と戦う相手とて、それを覚悟の上のはず」

 その言葉に、マーシャは安堵する。バイロンがかつての自分のように、人を斬ることを武術家としての糧とするような人間ならば、この場でその考えを正さねばならぬと考えていたからだ。

 今度はバイロンがマーシャに尋ねた。

「俺の剣を受けきった貴公に聞きたい。貴公が考える剣の奥義とはなんだ」

「真の奥義、か。それは難問だ。一生かけても答えの出ぬ質問かもしれぬ。しかし――貴公が披露してくれた剣技には答えねばならぬな」

 そう言うと、マーシャは剣を構えた。足は肩幅に開き、身体はやや半身。右手の剣は上段に、左手を軽く柄頭に添えた。正眼――剣術を学ぶもののほとんどが最初に習う、基本中の基本といえる構えだった。

 いかなる奥義を見せるのかと期待していたバイロンは、肩透かしを食らった気分になる。しかし、それは一瞬のことだった。

 マーシャが見せたのは、ただの基本の構え。しかし――その立ち姿は、あまりに美しかった。凛として涼やか、真剣勝負の途中だということを忘れさせるような構えであった。

「では、一手披露する」

 マーシャの声にはっとしたバイロンは、慌てて構えを取った。マーシャの身体からは、まったくの「意」が消え去っている。マーシャの周りだけ時の流れが止まっているようであり、また次の瞬間には斬撃が繰り出されるようであり――バイロンは、奇妙な感覚に捕われる。

 つつっと、マーシャの剣がわずかに引かれた。バイロンは、こめかみに一筋の汗を流した。

「参る」

 マーシャは、実に自然に、さりげない動きで間合いを詰めた。マーシャの剣が閃く。

 次の瞬間、バイロンは――自分の身体が、構える剣もろとも縦に真っ二つになるのを感じた。そして、観客たちも、確かにバイロンの身体が両断されるのを見た――はずだった。

 しかし、バイロンの身体はいまだ健在であった。マーシャの剣は、バイロンの半歩ほど前を通過したに過ぎなかったのだ。

 バイロンに対し、マーシャが放ったのは――何の変哲もない上段斬り。

 それがなぜ、バイロンや観客たちを錯覚させたのか。それは、姿勢、重心の移動、足腰の回転、腕の振り――上段斬という技を構成するすべての要素が、完璧に行われたからだった。

「今、何が起こったんだ」

 ブレナンが、わが眼が信じられぬといった様子で呟く。

「俺にも、なにがなんだかさっぱり……」

 デューイは、しきりに両目を擦っている。ほかの観客たちも、似たようなものであった。

 バイロンは、脱力したように片膝をついた。

「まだ未熟者ながら――これが、私の考える奥義」

「…………」

 バイロンはしばしの沈黙の後、からからと快活な笑い声を上げた。

「くっ、ははははッ! なるほど、これは気付かなんだ。『奥義』などという特別な技など存在しない、ということか。なんと遠回りをしたものだ」

「すべての技の中に、『奥義』は存在する。それが、私の考えだ」

 たとえ基本の一振りであっても、極め尽くせば必殺の剣技へと昇華される。マーシャは、それを上段斬りの一撃で示して見せたのだ。

 バイロンは天を仰ぎ、大きく息を吐くと剣を鞘に収める。

「俺の完敗だ。感謝するぞ、マーシャ・グレンヴィル」

 くるりとマーシャに背を向け、歩き出した。

「あ、兄貴、どうします?」

 慌てる手下に対し、オーギュストは落ち着き払った様子で、手を叩き始めた。一人、また一人とそれに続き――試合場は拍手喝采に包まれた。

拍手が収まり始めると、オーギュストが試合場の真中に進み出た。

「さて、皆様! 試合は思わぬ形で終わってしまいましたが、この名勝負、ここで勝敗をつけてしまうのは野暮かと存じます。掛け金は払い戻しいたしますゆえ、この試合、無効とさせていただきたい」

 オーギュストの宣言に、異論は上がらなかった。観客たちも、マーシャたちの勝負にすっかり満足したようだ。

「それでは、マーシャ・グレンヴィルならびにギネス・バイロン両名が、ふたたびこの試合場で相まみえる日を期待しつつ――本日はお開きとさせていただきます」

 と、オーギュストが締めた。観客たちは皆、満ち足りた様子で家路についていく。

 観客たちがはけたのち、マーシャたちのもとにオーギュストが歩み寄った。

「ほら、約束のバッジだ」

「確かに。しかし、いいのか? 金を儲けそこなったのではないか」

「構わんさ。今日の試合の評判が広まれば、次からはもっとたくさんの客と金が集まる。『損して得取れ』、は商売の基本だからな」

「そんなものか」

「ああ。ただ――あの勝負、この場で勝ち負けを決めちまうのは野暮だ、ってのは本心だ」

 そう言うと肩を竦め、オーギュストは去って行った。

「さて先生、俺たちも帰ろうや」

「そうだな。デューイ、歩けるか」

「大丈夫です」

「ふむ。しかし……これでようやく一件落着、だな」

 マーシャは一度、試合場を振り返る。

(オーギュストという男、やくざ者ながら多少はまし・・な考えを持っている男で助かった。もし、この賭け試合を仕切るのがさらに非道な者であったなら――)

 いや、これ以上のことは考えるまい。マーシャは歩き出した。


 数日後。

 マーシャのアパートメントの中庭には、剣の素振りをするデューイと、それを見守るアンナの姿があった。

 あの一件以来、ホリスはさすがに反省し、日々人足として汗を流しているという。

「まだ本当に心を入れ替えたかはわからねぇ。しばらく真面目に働いてみせたら、バッジを返してやるさ」

 とは、ブレナンの弁である。

 デューイは、実に集中して剣を振っている。この間までの迷いはすっかり消えていた。それどころか、以前にも増して熱心に剣に打ち込むようになった。

「デューイの奴、すっかり元気になったようだな」

 マーシャが、傍らのアンナに語りかける。

「はい。あの夜何があったのか、デューイは教えてくれなかったけど……なんか、一晩ですっかり大きくなったみたい」

 アンナは、眩しげにデューイを見つめている。

 正直なところ、デューイは剣をやめてしまうかも知れぬとマーシャは考えていた。達人と言っていいバイロンから、本気の一撃を受けそうになったのだ。剣というものに対する恐怖心が植えつけられてもおかしくはなかった。

 しかし、デューイは逆にその経験を糧に、一段成長したようだった。

「デューイ、そろそろ一休みしたらどうだ」

「いえ、まだまだ!」

 と、なおもデューイは一心不乱に素振りを繰り返す。

「先生」

「ん? なんだ、アンナ」

「他の人には絶対に言うな、って言われてるんですけど……デューイ、こう言ってくれたんです。『ホリスの親父さんはどうにも頼りない。早く一人前になれるよう頑張るから、少しだけ待ってろ』って」

 と、アンナは頬を赤らめた。

(おや、まあ……デューイの奴、あれでなかなか隅に置けぬ)

 マーシャの口元が、思わず緩んだ。

(私も、若いころ恋愛の一つでもしていれば、今と違う人生になっていたのだろうか)

 そんなことを考える。

 ふと、空を見上げるマーシャの視界を、黒い影がよぎった。

「雁か……随分気が早い」

 呟くマーシャを、心地よい秋風が吹き抜ける。空は、透き通るような秋晴れであった。


剣士マーシャの賭事・了

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