episode53 現状把握

 タイラの仲間たちは、みな一様に状況の説明を麗美に求めた。あの男は彼らに何も言っていないらしい。当然というか、あの男ならそうするだろうとは思うけれど。

「言っとくけど私もよく知らないのよ。主要メンバーは毎度の如くタイラとか荒木章とかそこら辺ですからね」

 そう前置きをして、麗美は腕を組む。ここらで整理をしておきたかったのも事実だ。「把握している中で時系列順に話していくけど」と人差し指を立てる。


「まず、あんたら美雨メイユイのことは知ってるわよね」

 スッと手をあげたノゾムが、「存じ上げません!」とはっきり言った。麗美は呆れて、「噂にぐらい聞いておきなさいよ」と苦言を呈す。

「最近よその国から来た宗教団体の教祖よ。スズキくんだって多少は関りがあったでしょ。あの、長谷川少年が入れ込んでた宗教の」

「……あれかぁ」

「その教祖で、かつ荒木章の母親よ」

「母親が新興宗教の教祖って、オレだったら高確率でグレてますね」

「あんたはそうじゃなくても思春期こじらせてるのに?」

「おおっと、それ以上は聞きたくないっす。本題に入って」


 ふん、と麗美は鼻を鳴らす。

「もうちょっとバックグラウンドを話しておくと……この前ユメノちゃんには言ったわね。美雨とタイラは友人関係だったことがある。色々あって喧嘩別れして、それが原因で美雨は母国に帰ったわけだけど」

先輩あのひとと対等に喧嘩した女性っていうだけで普通にこわいんですけど」

「その美雨が今回この街に戻ってきたのは、まあ息子を迎えに来たっていうのが妥当なんだけど……それはいいわ。ここまでがバックグラウンド」


 簡潔にそう片付けて、麗美は「話を戻すけど」と目を細めた。「今回同時に起こった厄介ごとは3つよ」と話し始める。


「1つ、美雨の部下がたくさん美雨を裏切ったこと。そしてそれを先導したのがタイラだって噂になっていること」

「のっけからあの人かよ」

「残念ながら3つともタイラよ、諦めて」


 あからさまに表情が曇るメンバーの前で、麗美は空咳を一つした。「ただこれは本当に巻き込まれただけというか……とんだ濡れ衣というか……あいつはそんな面倒なことはしないから」と本人の代わりに釈明をしておく。

「それで……さっきユメノちゃんのスマホをお借りしてタイラに状況の確認をしたわけだけれど。厄介ごとが増えただけ……いえ、なんでもありません。2つめですが、これはタイラワイチ発信です。タイラが荒木章を殺した」

「……はぁ?」

「と広めなくちゃいけない」

「う、嘘ですよね!?」

「もちろん嘘です。紛れもなく嘘です。だけどタイラが、そう広めたがってる」

「なんで!?」

 なんでと言われても、と麗美はため息をついた。「それがわかってりゃ、こうなる前に止めたわよ」とこめかみを押さえる。


「でも……そうね、難しい話なんでしょう。あの男はあの男なりに、荒木章という少年に対して責任を感じていたのかもしれない。あるいは、傍で見ていた私なんかにはわからないものがあの二人の間にはあったのかもしれない」


 言いながら、麗美はうつむく。

 見ていただけ。そう、見ていただけだ。7年前、流れを止めようとするにはあまりに無力だった。そして今では、あろうことかその流れを自分の手で早めようとすらしている。

 迷いが生じた。このままあの男の破滅に加担していいのか、という迷いだ。

 数秒考え、麗美は瞬きをする。都幸枝が心配そうに「麗美さん?」と声をかけてきた。

「……何でもない」と呟く。


 ――――やろう。きっといくら考えても私には、やらないという選択肢はない。

 迷いを吹っ切るのはいつも平和一の存在だ。きっとあの男は破滅などしない、と思わせるその強さだ。あいつはあいつなりに考えているはず。それならこっちはこっちで、最善を尽くすしかない。


 ため息をつきそうになるのをこらえて、麗美は心の内で気合いを入れる。

「簡単に言えば今日一日であいつは敵をたくさん作るのよ。もともと敵は多いけど、もう四方八方敵だらけよ。あんたたちも気をつけなさいよね」

 不安そうな顔をしたユメノが、恐る恐るという風に麗美を見た。

「でも……麗美さんは、味方?」

 少し驚いて、麗美は思わず憎まれ口の一つでも言いそうになる。しかしすぐに考え直し、ふっと口元を緩めた。「……そうね」と静かに呟く。


 これから麗美のやることは、結果的に平和一のことを多少なりとも追い詰めるだろう。それはタイラが望んだことだ。つまり、タイラの守りたいものを守るためだ。

 私は決して平和一が守ろうとしているものの敵にはならない。平和一自身と天秤にかけても、私は彼らを選ぶ。それがあの男のためになると信じて。

「あなたたちの味方よ、私」

 その場にいる全員が、少し安心したような顔をする。まあなんて可愛いんでしょう、と肩をすくめて麗美は笑ってしまった。


(守るものが多すぎるのよ、あんたには。フォローするこっちの身にもなれっつうの。別に頼まれてないけど)


「で、厄介ごとの3つめなんだけど」と麗美が口を開けば、「3つもあったんだったわね」とカツトシの警戒心溢れる声が聞こえる。

「これはあんたたちの様子を見るに察せられることであって、つまり私よりあんたたちの方がよく状況をわかっていることだと思うけど」

「どういうこと?」

「3つめ、『友坂勇気の行方が知れない』ってことよ」

 全員が閉口した。『仰る通りそれも大変な問題ではありますが、今までの経緯に何か関係がありますか?』という顔だ。

「心配していただいてるのはありがたいんすけど、厄介ごとというほどじゃ……ちょっと友達の家に行ってるぐらいかもしれないし」とノゾムが当惑の表情を浮かべる。甘いのよねえ、と麗美は呆れた。

「さっき、あんたたちも気をつけろって言ったわよね? タイラの敵はあんたたちの敵にもなりえるでしょ。あの小学生が一人で外を歩いてたら危険なの、わかる? それだけでも十分厄介だけど、ここでユウキくんを人質にでもとられたらもっと厄介。あいつもそれを危惧してるんだろうけど、なんせ今はそこまでの余裕がない。早めに見つけ出しておかないと、まずいかもしれないって話よ」


 各々が想像力を働かせているようで、一拍のちに全員顔を青ざめさせる。ユメノなど思わず立ち上がって「探しに行かないと」と呟いた。そんなユメノの腕を、都が掴む。

「待って。待って、ユメちゃん」

 そう言ってユメノを止めたものの、都自身も悩んでいる様子だった。ユウキの身を案じているのは確かだが、その場にいる大人としてユメノたちを危険にさらすことも許せないでいるのだろう。やがて都が、「私が探すから、みんなはここで待っていて」と言い出した。

「いや、全員で行け」と、麗美は都の言葉を遮って声を荒げる。


「タイラはあんたたちに大人しくしていてほしいんでしょう。だから今どんな状況か言わなかった。それなら私が言ってやる。あんたたち、友坂勇気を探しに行きなさい。ただし、全員で。絶対に単独行動せず、誰も欠かすことなく、一つになって動け。

 あんたたちは一人だとあまりにも隙が多すぎる。だけど全員でなら……あの男が思っているより、強い」


 ごくりと喉を鳴らした都は、それでも迷っている様子で仲間たちを見た。不意に都の服の袖を掴んだ実結が、「ミユ、ユウキくんのことさがしにいくよ?」と不安そうに言う。

「……ありがとう、麗美さん。ユウキのことは私たちで探すわ」

 ようやく決意したようで、都は顎を引いた。「タイラのことをよろしく」と付け加える。「だから私はいまからタイラの悪評を流しに行くんだって」と麗美が肩をすくめた。

「ケツ叩いておいてなんだけど、あんたら本当に気をつけなさいよね」

 そう言い残してその場を去ろうとし――――途中で振り返る。


「そうだ。人探しなら、お巡りさんを頼ってみるのも手かもしれないわよ」とだけ言って、今度こそ外に出た。




☮☮☮





 煌びやかなドレスを脱いだ美雨は、街を悠々と歩く。呼び止める者はいない。それもそのはずだ。美雨の顔を知っている者は少ない。近しい部下と、特別に金を積んだ信者くらいのものだ。

 由良が生きていたころは、この街もよく歩いた。あの人は美雨の手を引いて街中を見せて回った。

 だけれど美雨が見ていたのは、結局あの人のことだけだったのだ。今思い出しても、彼の笑った顔ばかり浮かぶ。


 街はひどく浮き足立っていた。その一因が自分であることは容易に察せられたが、しかし誰も美雨の先行きを気にしてはいない。彼らはただ、今まで続いて来ていた若松派と荒木派の均衡が崩れることを極端に恐れ怯えていたり、あるいは興奮状態にあったりした。若松優勢の見方が多数を占めるようだが、中には『平和一が2人とも殺して上に立つつもりでは?』という見方もあった。

(馬鹿馬鹿しい。あの男がそんなものに興味を持つものですか。あれは上に立つ器があったとしても、一兵卒として死ぬ方がマシだと考える男でしょうに。誰かに担がれない限り、そんなことはしない)


 前から小走りで歩いてくる男が、周りを気にしながら近くの店に入る。何とはなしに美雨もその店に入った。男はやはり周りを気にしながら、店のマスターに「ビール」と頼む。


「なあ、おいマスター。知ってるか」

「なんです? 今日はどのような話でお会計をチャラにする気ですか」

「平和一が、荒木章を殺した」

「は……?」

 店主と同じ顔を、恐らく美雨もしていたと思う。


 馬鹿馬鹿しいにも、程がある。


 あの男が、章を殺した? なぜそんな、自棄っぱちのようなデマが。さすがタイラワイチ、敵が多すぎる。

 発信源はどこだろうかと気になった。別にあの男が誰に陥れられようとしているのかなどはどうでもいいが、章が絡む噂となると話は別だ。先ほどのイマダの例もあるし、タイラだけではなく章のことすら陥れようとしている可能性だってある。


 男は話を続けた。

「いや、これはガチな話だ。なんせ情報源は瀬戸さんだからな……。しかも瀬戸さんはこうも言った。『街の人間は誰もが知っていてしかるべき話だから、早急に広めて今後の動きに気をつけるのよ』と」


 瀬戸――――

 瀬戸、麗美?


 なぜ瀬戸麗美がそんなことを広めようとしているのか。彼女は平和一に対して、少女のような好意を抱いていたはず。イマダクルヒトのようにあの男を陥れようとはしないだろう。美雨が国に帰っている間に心変わりしたのだろうか。

 それとも、いやまさか。――――まさか。

 


 そんなはずはない、と理性が告げている。あの男が章に手を出すはずはない。

 だけれど根源的な不安が、焦燥が、こうも言っている。

『もしそれが誰かの望みなら?』


 頭痛を覚えながら、美雨は店を出た。そんなはずはない、そんなはずはない、と呟く。

 道を歩いてぼんやりと空を見た。自分の立っているところがどこなのかよくわからない。これからどこへ向かうべきなのか。そろそろ笠と合流するべきだろう。それは、もうわかってはいた。

 一度国に帰り、体勢を整える。それから、また章と――――


「そこのお姉さん」と声をかけられ、美雨は立ち止まる。年老いた男が、ひそひそと耳打ちしてきた。

「異国の方だろうが、今日は外に出歩かない方がいいですよ。いやしばらくは出ない方がいい」

「ご忠告どうもありがとう」

「おや、日本語が上手なんだね。この街の権力者の一人が殺されたんだ。しばらく荒れるだろう。気をつけなさい」

「……権力者というのは、14歳の少年のことですか」

「よくご存知ですね、そうですよ。そう思うと可哀想にねえ、まだほんの子供のなのに」

「それはどなたから聞いたのです」

「瀬戸という情報屋ですよ。だからね、お姉さん。これはここだけの話でしてね、平和一っていう男が荒木の跡取りを殺して、異国から来たマフィアの女ボスともやりあうらしいんですよ」


 一時目を閉じて、美雨は「デマに決まってる、そんなはずないですもの」と呟く。そして、老人に背を向けた。後ろから何か言われたような気がしたが、振り向かない。もう何も聞こえはしなかった。

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