episode52 燃料投下

 ぼうっと外を眺めながら、「なんか騒がしいっすね」とノゾムは呟く。それから、ペンを持ったままどこか心ここにあらずのユメノを見た。不安そうにどこかを見ている。ユメノは集中力も理解力もあるが、精神状態によって波があるようだ。本番が心配なタイプだろうか――――縁起でもないが。

「ほーんと、騒がしいわね。何か起きてるの?」

 そう反応したのはカツトシだ。食器をピカピカに拭きながら、肩をすくめている。「何か準備しといたほうがいいかしら」と言いながら屈んだ。

「タイラはユウキのこと、迎えに行ったんだよねえ」

 ぽつりと、ユメノが呟く。「っすね」とノゾムは軽く答えた。

「なーんか……」とユメノは表情を曇らせたまま頬杖をつく。そんなユメノの台詞を受け止めたように都が「起こりそうな気が、する?」と首をかしげた。


「それは……女の勘っすか」

 そうノゾムが目を細めると、慌てた実結がカウンターの丸椅子によじ登って「ミユもそうおもうのよ」と訳知り顔でうんうん頷いた。その様子に和んでいると、いきなりカツトシが「あらぁー?」と叫んだ。

「銃がないんだけどー! なんで?」

 とっさに、ノゾムは周りを見て店内に客がいないことを確認した。「てか、シンクの下に銃隠してるのはどうかと思うんすけど」と顔をしかめる。

「他にどこに隠すのよ」

「そもそもどこで入手したんすか」

 それには答えず、カツトシは這って探している。都とユメノが探すのを手伝おうとして、「2人はいい、2人はいいから」と断られていた。

「それ、もしかして先輩が持ってったんじゃ?」

 全員の、動きが止まった。


「いやいや、それはないでしょー。なんでタイラが」とユメノは半笑いだ。

「彼に銃が必要だったこと、なかったと思うのだけど」と都は頬に手をあてる。

「まあワンチャン寝ぼけて持って行った可能性はあるわね」とカツトシが至極真面目な顔で言った。

「タイラ、さいきん、おねむだもん」と実結まで情報提供をする。


 あの人のイメージ、そんな感じか。

 とはいえ、確かにタイラが銃を持っていく理由がない。本格的に何かが起きているのか――――あの人が寝ぼけているんじゃなければ、だが。

 そうなってくるとユウキの安否も気になるな、とノゾムが腕を組んだ瞬間である。

 およそドアが、立てたことのないような音を立てて開いた。「ああッ、ドアが」とカツトシの悲痛な声が響く。


「平和一、どこにいるか知らない?」


 暴力的にドアを開けたその人は、しかし案外落ち着いた声でそう尋ねてきた。都とユメノが、「麗美さん」と声を合わせる。どうやら先ほどのダイナミック入店は一瞬で水に流されたようで、困ったような顔をしながらも都が「今はいないわ」と答えた。

「じゃあ、どこにいるか知ってる?」

「そうね……彼は“ぼっちゃん”のところにユウキを迎えに行ったのだと思うけど」

「荒木章? ……えっ」

 なぜか驚いた顔の麗美が、腕を組んで「それは、ちょっと、想定外」とぶつぶつ言う。

「ということは、荒木家にいるってことでいいわけ?」

「うーん……何時に行ったかわからないから微妙。電話で聞いてみよっか」

「無駄よ、朝からかけてるけど全然つながらないし」

 言っているうちに不満が噴出されてきたのか、麗美は「ほんと、大事な時にいないし連絡はつながらないし。何なのよあいつは」と呪詛のように何か吐き捨てた。


 それからまた麗美が口を開いた時、椅子をくるくる回しながらユメノが「あ、もしもし。タイラ?」と当然のように電話を片手に喋った。麗美は動きを止めて、「……はぁ?」と目を見開く。『この人ずっと怒ってんなぁ』とノゾムは思った。もちろん口には出さなかった。




☮☮☮




 何か一言二言会話をしているユメノを信じられない思いで見て、麗美はため息まじりに近づいて行く。「ちょっと貸してくれる?」と言ってユメノの手から携帯電話を強奪した。驚くユメノに一応『ごめんなさいね』と小声で言って、それを耳にあてる。

「あんた、いまどこにいるわけ?」

『…………なんでお前そこにいるんだよ、麗美』

 勝手にカウンター席に腰かけながら、大げさにため息をついてやった。


「質問に質問で返すな。どこにいるんだって聞いてんのよ、クソ天パ」

『もしかして機嫌悪いぃ?』

「悪いわよ、5割ぐらいはあんたに連絡がつかなかったせいで」

『あとの5割の方を積極的に聞きてえな』


 頭痛を覚えながら、麗美は「わかった、わかったわよ、こっちから話す」とお手上げのポーズを取る。いつもそうだ、あの男のペースなのだ。

 周囲を軽く見ながら、麗美は静かに店の外に出た。「えっ、それあたしのスマホ!」と叫んでいるユメノはこの際無視だ。


 ドアを閉め、麗美は腰に手を当てながら電話の向こうに「あんた、今自分がどんな状況に置かれてるかわかってます?」と問いかける。

『おう、どんな状況なんだ? どうせろくなことになってないんだろうな』

「まずこれは事前情報としてお伝えしておくけど、美雨メイユイのこっちでの部下が7割方美雨を裏切って反乱を起こしてるわ」

『それが事前情報なのか、なかなかハードだな』

「で、それを先導したのがあんたってことになってるわ」

『面白い冗談だ。俺はそこまで暇じゃない』

「だと思った。つまり、何も知らないってことでいいわけ?」

『お前の掴んだ情報を、俺が先に知っていたことなんてあったか』

「もう“情報”ってレベルじゃないんだけど。みんな知ってるから」

『なんで俺だけハブられてんだよ、俺の話なのに』

「まあ普通に考えて美雨とあんたを同時に陥れようとしてるやつがいるのよ。心当たりは?」

『いるよ、ざっと何十人かは。ああ、でも』

「何よ」

『そこまでするやつなら大体見当はつく』

「実は私も知ってたりする」

『ラムちゃん、だな』

来人クルヒトよねえ、やっぱり……」

 一瞬、2人して黙ってしまう。『イマダクルヒトならやりかねない』というよりは、『イマダクルヒトぐらいしかやらないだろう』という感慨だ。

『まあ、それはいいとして』

「いいわけあるか。あんた、美雨に殺されるわよ」

『はっ、殺されるぅ? 手駒を3割ほどに減らした美雨なんてお話にならねえな。ヤツは俺たち4人の中でも最弱』

「四天王みたいに言うな、もう半分いないくせに」

『まあ強さと生存率は比例しねえよ、現実には』

 向こう側で、ガチッと何か音がした。数秒考えて、麗美はあの男がライターを使用したのだと推測する。「人と話しているのに堂々と煙草を吸うのはいかがなものかしらね」と言ってやれば、『なぜバレた?』と返事があった。多少満足して、麗美は肩をすくめる。


 なあ麗美、と不意にタイラが呟いた。『お前に頼みたいことがあるんだ』と。その切り出し方でろくなことではないと身構えた麗美も、次のタイラの言葉で思わず頭が真っ白になる。


『俺が荒木章を殺したこと、情報として広めてもらえないか』


 この男には。

 この男には、いつも驚かされる。ここでさらに燃料を投下しようというのか。いや、そんなことより。

「嘘よね」

『真偽はいま関係ない』

「ああ、嘘だ。その言い方じゃ嘘ね。よかった……。あのおぼっちゃん、どこにいるの? そっちサイドもいないいないって騒いでるけど」

『まあ、俺の隣にいるよ』


 まだうるさく鳴っている心臓のあたりを撫でて、麗美はため息をつく。本当に殺していたらどうしようかと思った。冷静に考えれば、平和一が荒木由良の息子を殺すはずはないのだけれど。

「何で急にそんな話になるわけ? 突拍子がないにもほどがあるんですけど」

『どうせなら360度全方位を敵に回してみたい』

「魔王?」

 軽やかに弾けるような笑い声を響かせ、タイラは『まあ冗談だけどな』と言ってみせる。「どこからどこまでが?」と尋ねれば、『俺だって別に敵を作りたいわけじゃない』と涼しげに言った。

「荒木章を殺したと広めろ……とかいう無茶ぶりは」

『本気だが?』

「その心は」

『若松裕司を上に立たせたい。荒木章が死んだという事実があればそれはかなりやりやすくなる』

「……道理はわかった。だからといって、あんたが殺したことにしなくても……」

『事故や病気だと死体が必要になるし、俺が殺したと言った方が自然でいいだろ。あいつはユウキを誘拐してるしな』

「だーかーらー、それは別にあんたじゃなくたっていいでしょ。何も好きこのんで捌け口にならなくてもいいんじゃないの、って言ってんのよ」

『物事には適材適所ってもんがあるんだぞ、麗美。俺じゃないとして、誰がやるんだ? 純粋に興味がある』

 言葉に詰まる。その答えを麗美は持たない。また頭痛を覚えながら、「とにかくそんなことに加担しませんからね」と吐き捨てた。

 一瞬、逡巡するような沈黙の後でタイラは言う。


『頼むよ麗美。お前以外にはできないことだ』


 適材適所。

 そう、それだけ。他意はないに違いない。

 それでも、それでも私は。

「……後で埋め合わせしてよね」

 あんたの役に立ちたい、たとえそれがあんたの破滅の手伝いだとしても。


 タイラが喉を鳴らす声が聞こえた。『まあな』と言って電話を切られる。盛大にため息をついて、麗美は酒場のドアを開けた。恐らく気になっていたのだろう、あの男の仲間たちがこちらを見ている。

 大袈裟に肩をすくめて、麗美は言ってやった。

「私は今からあの男を陥れる手助けをしてくるけど、何か文句ある?」




☮☮☮




 電話を切ったタイラが、煙草をくわえて深く吸い込んだ。そんな彼をまじまじと見て、章は「今の電話は?」と尋ねる。

「瀬戸麗美だ」とタイラが煙を吐きながら答えた。章が何か尋ねる前に、素早くタイラの方から「ユウキが帰っていないらしいが、何か知らないか?」と聞いてくる。

「……言い訳のしようもないです。朝になったらユウキくんがいなくなっていたので、てっきり帰ったのだと思い込んでいました」

「それは何時ぐらいだ」

「僕たちがユウキくんの不在に気がついたのは6時ちょっと前だったでしょうか」

「ぼっちゃんの家からウチまでは……まあガキの足でも1時間はかからないか。普通ならもうとっくに帰ってるだろうな」

「………………」

 一つだけ。一つだけ、章には気になっていることがある。


「まさか、まさかとは思うのですが、というかそれだけはないだろうと思って今まで思い出しもしなかったのですが」

「なんだ?」

「ユウキくんは、僕の母と話をしに行く……と言っていたような気もします。僕の代わりに話をつけに行く、と」


 は? と言ったタイラが一瞬で表情を失くす。「まさか」と笑い飛ばそうとする若松を制し、「あいつならやりかねない」とタイラは言った。

「そんな……ユウキくんといえば、あの子だろう? ちょっと人見知りしがちな小学生だ。その子が、美雨かのじょの元に? ありえないだろう」

「……裕司叔父さん。今では僕も、それ以外にないような気がしているのです。あの少年なら、本当にそうするかもしれないと」

 若松は顔をこわばらせながら、「美雨がどんな女性だか知らないからかい?」と尋ねたので、章は肩をすくめながら「知った上でです」と答える。

 煙草をもてあそびながら、タイラは言った。

ユウキあいつは俺よりやばいからな。将来が楽しみだよ、まったく。将来が訪れればの話だが」

 まだ信じていないような顔の若松に対して、タイラは「美雨に聞けばわかる話だ」と言って肩を竦めてみせた。

 それから恐る恐る章は手を挙げて、何とか発言権を得る。


「僕を死んだことにする、と仰っているように聞こえましたが」

「言った」

 思わず1歩後ずさってしまって、章は「冗談でしょうね?」と言った。タイラは薄く笑って、「お前の書いた脚本はよくできていた」と何でもないことのように呟く。

「なるほど、お前が殺されてオーナーが上に立つというのは自然な流れだ。美雨も気が済めば、この街に用はなくなる。ただ、別にお前が死ぬ必要はないと思わないか。があればいい。その歳で隠居暮らしは辛かろうが、まあ数年大人しくしてまた出てくればいい。美雨と実家に帰るのも手だぞ」

「……あなたはこの街で、全てを敵に回して?」

「なんだ、さっきまで人に死んでこいとか言っていたやつが俺の心配か」

 そうからかうように言って、タイラは目を細めた。章はできるだけ真っ直ぐに、その目を見る。

「あなたを一人で死なせるつもりはありません。それなら僕もご一緒しましょう、最初からそういう話です」

 腕を組んだタイラが、唐突に「じゃあ多数決な」と言い出した。


「俺がぼっちゃんを本当に殺した方がいいと思う人」

 戸惑いながらも、章は手を上げる。

「俺がぼっちゃんを殺したことにした方がいいと思う人」

 迷いなくというか、タイラも若松も手を上げた。「叔父さん!」と章は訴えるが、若松は頭をかきながら素知らぬ顔だ。タイラはにやっと笑いながら、「多数決で俺の勝ちだな」と言う。

「まあ、大人の言う民主主義はこれくらいアテにならない。いい勉強になったなぁ、章?」

 楽しそうに笑うタイラに、章は苦い顔をしてしまう。それを見てため息をついたらしいタイラが、章の頭に手を置いた。


「そもそも俺だって死ぬ気は毛頭ないんだ、悪いな」

 当然のように、そんなことを言う。

「お前にとって最悪の想定かもしれんが、俺は今まで99を敗者にしてきたしこれからもそうして生きる。俺が負けると思うか」

「いいえ、タイラさん。決して。あなたは負けないと思う」

「勝ってもいいか」

「……誰もそれを否定できない」

「ああ、章。生まれたからには生きる権利があるように、戦う意志があるやつは勝ってもいいはずだ。そうだろう?」


 ちょっと目を伏せて、章は「母と戦うんでしょうね」と囁いた。瞬きをしたタイラが、「お前、母親のことが好きか」と尋ねてくる。

 それは章にとって、非常に難しい問いだった。

 母とは、7年会っていなかった。その7年の間、彼女の悪評は耳にタコができるほど聞いた。

 それでも章は覚えている。母の腕の中で聴いた、彼女の故郷のものと思われる子守唄を。それは本当に厄介な感情ではあった。


「わかりません。僕は母を愛していますが、僕の愛した母が本当にあの人なのか自信がないのです」


 じっと章の目を見て、タイラはにやりと笑った。

「お前を殺さないで済めば、お前の母親と戦う理由はなくなると思うが?」

 そう、小首を傾げてみせる。ハッとして、章は彼を見返した。

「確かにお前を殺されたのなら、美雨は烈火のごとく怒り、その理由となったものを徹底的に潰しに来るだろう。俺もあいつとはやり合いたくなくてな……できれば話をつけたいところだ」

「……僕の母は、あまり話を聞かない人なんです。ご存知ないですか?」

「知っているよ、今では……そうだな、お前の次ぐらいには。だからわかるぞ」

 不敵な笑みを浮かべて、タイラは「章……お前の家に行くぞ」と言った。

 突然そんなことを言われ、章はぽかんとする。「どういう流れです?」と思わず聞いてしまった。

「だから美雨に会うんだよ」

「それなら、母の家に……」

「行かない。あそこにはあいつの部下が多すぎるし、何かゴタゴタが起きているらしいからな。だから麗美に情報を流してもらう。俺がお前を殺したという噂は遅くても何時間かで美雨の耳に入るだろう。どれだけ美雨の側が混乱していても、お前を殺されたとなればあいつも動かざるを得ない」

「母は怒りで我を忘れ、あなたを探しに行くのでは」

「賭けてみるか? あいつはまず、お前の安否を確認しに来ると思うぞ。俺のことなどどうでもいい。、探すはずだ」

 そうでしょうか、と言って章は口を閉ざす。母の気性の荒さを知っている。心配よりも怒りが上回りそうなものだが。


 それと、とタイラは続けた。

「個人的にお前の家に用がある。ユウキは部屋にいなかっただけで、まだぼっちゃんの家にいるかもしれないからな」

 屋敷中探させたので可能性は低いだろうが、ないというわけではない。「そうですね」とうなづいて、章はタイラと若松を連れ屋敷に帰ることを了承した。


「しかし……訳を話しても彼女が理解を示してくれないということは考えられないだろうか。話を聞いたうえでも章くんをトップに立たせようとする可能性は」と若松が眉をひそめる。

「まあ、その可能性は大いにあるわな。だから先に、俺と話をさせろ。どうしても話が通じないようであれば、美雨に対しても章は死んだことにしておいた方がいい」

 それでいいな? という風にタイラが章を見るので、章は複雑な思いでうなづいた。

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