episode46 鬼ごっこをするのなら、まず鬼を決めること
誰もが呆気に取られている中、本橋と名乗った警官は迷いなく真っ直ぐに正真のもとに歩いてきた。何かわざとらしく、写真と正真を見比べる。
「あれー? 君、林田正真くんですね! やっと見つけましたよ、帰りましょう」
さっと伸ばされた手を戸惑いながら見て、正真はタイラの方を伺い見た。タイラは肩をすくめて本橋を見ている。
美雨の隣にいた男が、動こうとした。本橋はにっこりとその男に向かって、敬礼をする。
「ご協力ありがとうございました、皆さん。無事、林田くんを保護することができます。どうかなさいましたか、何かお話でも? 皆さんはこの少年のご関係者ですか?」
静かに手をあげた美雨が、「いいえ。何も。お仕事ご苦労様ですわね」と涼しい顔で隣の男を止めた。
「じゃあ、行きましょう。……そこの人」
いきなり指をさされたタイラが、少し嫌そうな顔をする。
「あなたは林田くんの関係者ですか?」
「……ああ、そうだな」
「ご同行願います」
言って、正真とタイラを連れ立って本橋は歩き出した。
不意に、美雨がよく通る声で言う。
「何をぼうっと突っ立っているんです。お巡りさんが帰られるのですよ。外までお見送りなさい」
ちょっと振り向いた本橋は「お気遣いなく」と笑ってみせる。美雨も人のよさそうな笑顔で「お気持ちですもの」と答えた。
前を向き直した本橋が、ほとんど舌打ちまじりに「とりあえず車をつけてあります。そこで話をしましょう」とささやく。それは恐らくタイラへの言葉だったろうか、タイラはまだ美雨を見て何か言いたそうにしていた。そんなタイラの腕を、本橋が強引に引っ張る。
「林田くん、来ていますね。君が今回のキーなんだから、ぼうっとしていたら困りますよ」と苦言を呈された。うなづいて、本橋から離れないように建物から出る。
「……とりあえず、敷地内から出るまでは見逃してくれるようですね。さすがに中で警官が死んだらもっと面倒なことになるからってことかなぁ」
「車は敷地内か?」
「ですよぉ。はあ……。とりあえず車に乗って、これからどうするか考えましょう」
車に乗る前に本橋は車の上のランプを回収した。「これつけて公道はやばいんで」などと言っている。そういえば、車も一般の自家用車のようだった。
乗り込んで、本橋がエンジンをかける。
「どうしましょうかぁ」
「お前、麗美に言われてきたのか?」
「……タイラは、もうちょっとあの人の気持ちも考えた方がいいですよぉ」
「宝木は?」
「しゅっちょーです。じゃなきゃ本橋だって、こんな無茶しないですよ。怒られるもん」
「帰ってきたら怒られるんじゃないか」
何も言わずむすっとして、本橋は車を動かし始めた。正真は恐る恐る、「門のところに人がいて、出られないってことはないですか」と聞いてみる。それはないでしょうね、と本橋は言った。
「敷地外に出さなきゃ意味がないです。公務執行妨害なんかのケチなネタで上げられたくはないでしょうから」
「じゃあ、出た瞬間とか」
「それはありますね。あとは、行き先が定まっているのだから待ち伏せも十分あると思いますよ。だから、ちょっと飛ばしましょう」
言って、本橋はアクセルを踏んだ。
シートベルトをしていてよかった、と正真は本当に思った。ちなみにシートベルトをしていなかったタイラは、隣で席から落ちた。
「大丈夫ですかぁ?」
「気にすんな、お巡りさん。ちょっと気合いが足りてなかったみたいだ」
ちょっと、面白かった。
ためらいなく、外に出る。スピードを落とさずに道路に合流した。
「美雨さんが国に帰って7年でしたか? その後できた道は2本です。何を喚こうと、結局あの方はよそ者ですよ。道と人のことで、
そう胸を張って、本橋は笑う。トップスピードのままウィンカーを出した。
「ただ一つ懸念が残るのは、お仕事を頑張っていらっしゃる
ハンドルを、切った。遠心力で息ができなくなる。シートベルトが腹を締め付けた。
どんどん市街地から遠ざかっていく。車通りも少なくなってきた。恐る恐る後ろを見ると、景色に似合わない外車がついて来ている。「顔出すなよ」とタイラに言われた。前に向き直りながら、正真は頭をかく。
「あの人ら、銃を持っているように見えましたけど」
「持ってるんだろう。持ってるだけじゃなくて撃ってくるぞ」
「他に人もいるのに?」
「あいつらは捨て駒だ。最悪何をしようと、美雨とは無関係にできる。あいつらが警官を殺したって一般人を殺したって、美雨は多少も痛くはない。あいつもそれだけの金を渡しているんだろうしな」
車には当てないでほしいんですけど、と本橋が真顔で言った。
「とりあえず、このまま林田くんの故郷に行けばいいんですよね?」
「そうだな。故郷なんて曖昧なゴール設定をしている以上、美雨もそう深追いするつもりはないんだろう。逆に、ゴール付近で林田正真を殺せば、俺たちが『ここはもうゴールの範囲だったはずだ』と主張できてしまう。俺とあいつのお互い譲歩できる線を考えれば、県境を抜ければこっちの勝ちだな」
であれば、その付近で解放されるのだろうか。そう思って正真は少し胸をなでおろした。
☮☮☮
新しいグラスを軽く回しながら、美雨は物思いにふける。その姿はさながら一枚絵のように美しいものだったが――――
「何ですの、あの男。昔よりずっとお行儀がよくなって気持ち悪い。
はぁーやだやだ、と何か煙たそうな仕草をしてグラスを傾ける。そんな彼女に、部下の一人が後ろから囁いた。
「お嬢様、またお客様がいらっしゃっています」
「そのお嬢様っていうのやめてくださる? 私、これでも夫と息子がいるのですけど」
「では奥様と? しかし今は独身でいらっしゃる。早く跡継ぎを連れて帰られませんと、お父様もご心配なさいます」
「首をへし折りますよ、
部下は黙って、美雨に小型のディスプレイを見せた。美雨は、わずかに眉をひそめる。
「何ですこの人たちは。見るからに下品ね……。ああ待って、どこかで見たことがありますわ。確か」
そこにいたのは、安物のジャージをだらしなく着た小柄な男と、いいスーツは着ているが腹の肉がはみ出ている男だった。監視カメラに気付いたらしい小柄な男が、こちらに手を振ってきている。
「ご機嫌うるわしゅう、美雨様。オレは
「ちゃんと俺の紹介もしてくれよぉ。俺、
「うるせえな、デブ。待ってりゃ開くよ。逆に言やあ、開くまで待ってろってことだ。わかるか?」
美雨は頭痛を感じながら、しかし「通しなさい」と部下に指示を出す。「思い出しました、タイラとレミさんのご学友ですわね。なんてレベルの定まらない学校ですの。あんなのもこんなのもいる……」とため息まじりに呟いた。
しばらくして部屋に通されたイマダと竹吉は、誰に言われるでもなく勝手に椅子に座った。
「どうもどうも、美雨様。さっきの自己紹介聞いてくれた?」
「お聞きしましたよ。ええっと……今暇? 来る? さんと、タケモトピ○ノさんでしたっけ」
「ごめんもう一回言ってみてくれる? ちょっと間違って覚えているようだったんだけど」
「名前を覚えるのが苦手なんですの。特に、可愛くもない男性の名前は」
うへえ、と嫌そうな顔をしてイマダは出された水を飲む。「イマダだよ。こっちは竹吉。あんたそんなんだから敵が減らないんだなー」と伏し目がちに文句を言った。
「今日は仕事の話をしに来たんだ。美雨様、あんたオレたちと組まないか?」
「アルバイトの募集はしておりませんの。あとは各店舗のリーダーに確認してくださる? 私、人事にはほとんど携わっておりませんので」
テーブルを指で軽く叩いて、美雨は新しい飲み物を持ってこさせる。慌てた様子の竹吉が、「俺のも」と訴えた。
「なあ美雨様、若松裕司に勝ちたくはないかい」
「若松裕司? あんなのはまったく、同じ土俵には立っておりませんけど?」
「そりゃあどうかな。少なくとも、あんたの息子はあれに懐いてる」
「……あら。私はあの方に感謝してますのよ。章が本当にお世話になりましたもの」
口角だけ上げて、イマダはにやりと笑う。「違う。取られたんだ。そう思っているくせに」と、挑発するようにグラスを傾けた。
「荒木由良を殺すようそそのかしたのも、若松裕司だとさえ思っている……ああ、これはオレたちが勝手にそう思っているだけか。失礼失礼」
そう言って、けたけた笑う。美雨は指でテーブルを弾きながら、面白くもなさそうな声で「あら、ユーモアのセンスがおありですこと」と呟いた。
「ええっと、イマダさん……と、タケモトさんでしたっけ?」
「竹吉ですけどもが……」
「あなたたちはなぜ、私と若松裕司を戦わせたいのです。てっきりお二人とも、いわゆる“若松派”? とかいうものだと思っていましたけれど」
竹吉が何か言おうとしたのを遮って、イマダが「あんたもわかっているでしょうよ」と口をはさんだ。
「もともとこの街に、アラキ派もワカマツ派もねえよ。全員が踊らされているだけだ。なんせ、若松裕司が一番の“アラキ派”だからな」
笑みすら浮かべずにイマダは美雨を見つめる。
「率直に言おう、女王様。あんたが上に立ったらオレたちに居場所はない。ただ、それだけ配慮してもらえりゃあ、オレたちは概ねあんたを支持している。存在の保証と経済的支援を約束してくれれば、あんたに力を貸してもいいぜ。って話を、今日はしに来たんだ」
対照的に美雨は初めて微笑らしきものを浮かべて、「素敵なお話ね」と呟いた。
「力を貸すとおっしゃいまして? 具体的な話をお聞かせいただいてもいいかしら」
「オレにはそこそこの人脈が。こっちのデブにはそこそこの金が。この2つで、若松裕司は転覆させられる」
「そこそこの、人脈とお金で?」
「あんた、ジェンガってやったことあるかい。あれはやってるうちに、絶対に取っちゃいけねえパーツができてくる。その1つを抜いただけで崩れるような、大事なパーツがな。そういうことだ、1手2手で十分だよ、組織を転覆させるには」
美雨は椅子の背もたれに体を預けて、腕を組んだ。その表情を満足げに見ながら、イマダが言い放つ。
「力を貸してやる。だからオレたちを保護しろ、一生涯な」
☮☮☮
まだついて来てますか、と本橋は端的に確認する。タイラが「ついて来てるし撃ってきてるぞ、音はしないが」と答えた。
「困りましたね。一回巻きましょう」
そう言って本橋がまた強引にハンドルを切る。それからまたすぐにハンドルを切り、小道に入ってはその先でまた曲がった。これは車が走るべき道なのか、と首をかしげるような細い道を通り、ぐんぐんと進んでいく。
「このゲームにどれくらいの人員が割かれているかは存じ上げませんが、このまま行っても林田くんの故郷の近くで待ち伏せされているのは間違いないです」
「そうだろうな」
「確認なんですが、タイラ」
「うん?」
「囮になるとしたらタイラですよね」
その突拍子もない言い草に、正真ですら驚いた。しかしタイラはにやにや笑って、「お前まで俺をそんな風に扱うのか? ショックだなぁ、イブ」と楽しそうに言うだけだ。本橋は「そんなこと思ってもいないくせに」とやはり笑う。
「どうするつもりなんだ」
「ここから3キロ後方に戻り、バイクを取りに行きます。本橋と林田くんはバイクでゴールを目指し、タイラはこの車で囮として走り回ってもらう……というわけです! 待ち伏せなんかされていても、バレなきゃスルーですよ! これ、天才じゃないです?」
「ああ、そうだな……。そのバイクってのはどこから出てきたんだ? お前、バイクなんか持ってたっけ」
「宝木警部補のバイクです!」
「なんだと?」
「繰り返しますが警部補は本日、公用車で出張に行かれました。いつも通勤に使っておられるバイクのキーはライダースジャケットのポケットの中と把握しております。これしかないと、本橋は、思いました!」
「本当にそれしかなかったか?」
「大丈夫ですよぉ。タイラがきちっと囮になって、鬼さんがこちらを追ってこなければ警部補のバイクは完全に無事です。絶対にバレません。逆に言えばタイラが仕事をサボってこちらに1人でも追手が来てしまうとバイクが傷つく危険性はあります。つまり、宝木警部補のバイクが傷ついた場合、それは完全にタイラのせいということになります」
「なるかな? 俺のせいなのかな、それは」
「少なくとも本橋はそう報告しますけど」
座席に身を沈めたタイラが、ため息をつく。「……これは殺されるな」と小さくつぶやいた。
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