episode42 祭囃子とおとなの話、こどもの話
ユメノとカツトシがいつものように、否、いつも以上にきゃっきゃとはしゃいでいる場面に出くわし、都は微笑ましく思いながら「ユメちゃん、カツトシ、今日はどうしたの?」と声をかけた。
「あ、先生! 知ってる?」
「準備してる?」
同じトーンで同じようにわからないことを言われ、都は笑いながらも「何?」と聞き返す。ユメノとカツトシは顔を見合わせて、ユメノが口を開いた。
「明日ね、この街の夏祭りだよ」
夏祭り、とオウム返しして都は何度かうなづく。懐かしい曲がいくつか脳内に浮かんだけれど、実際の夏祭り映像が浮かんでこなかった。
とにもかくにも、ユメノとカツトシは明日の夏祭りが楽しみらしい。「先生もミユちゃんも一緒に行こうね」と言われれば、都も誘われたことを嬉しく思って「そうね」と答えた。
「あたしとアイちゃんは去年の浴衣あるけど、先生はどうする?」
「買わせましょうよ、タイラに」
都が無闇に同意しているうちに、話がどんどんと進んでしまっている。「それはちょっと」と困って、ユメノは何とか2人を落ち着かせた。
「それくらいは……その、私は必要ないし、実結の浴衣ぐらい私が買えるから」
「ダメよぅ、先生も浴衣着ましょ! ぜーったい可愛いもの!」
困り果てて、都は頭の中の電卓をたたき始める。正直に言えば現在の稼ぎは雀の涙ほどで、否、むしろ少しでも出してくれるだけありがたいのだけれど。
貯金がない、わけではない。
新庄という男は、本当に皮肉なことばかりする人だった。都が外に出て金を使うはずもないとわかっていながら、いつも決まった金額を給与として都の口座に振り込んでいた。それがいくらになっているのか確認もせずに来たのだが、そろそろそんなものにも頼らなければならない。
こういう時、タイラなら何て言うだろう。きっと、「あんた時々考え方が甘いよな」なんて楽しそうに言うはずだ。金に綺麗も汚いもない。そんなことは、よくわかっている。どうせため込んでいても仕方ないのだから。
「……じゃあ、買おうかしら」
そうこなくっちゃ、とカツトシもユメノもにんまり笑った。嫌な予感……とは言わないまでも、都は激流を感知する。このまま流されても、それはそれでまあ楽しそうねと思って都は肩をすくめた。
ふと階段を下りてくる足音を聞いて、都は見上げる。タイラが下りてくるところだった。「部屋にいたの?」と尋ねれば、「いたよ」とあっさり返された。てっきり、外に出ているのだと思った。
「明日、夏祭りなんですって」
「ああそうだね」
「あなたも行くの?」
「行くよ」
本当? と嬉しく思ってタイラの顔を見る。タイラはカウンターに肘をつきながら、「向こうで会えるといいね」と笑った。
(なんだ、一緒ではないのね)
少し残念な気持ちで、「そうね」と都はうなづいておく。
きっとタイラのことだから、夏祭りに行く相手など困らないのだろう。誰と行くのだろう、女性だろうか。そんなことを考えて、控えめに咳払いをする。自分が気にするようなことではない。
隣を見ると、ユメノとカツトシから『浴衣を買うから金を出せ』と迫られたタイラが辟易としながら煙草を咥えるところだった。
☮☮☮
実結の髪を撫で、最後に髪飾りをつけてやりながら「でーきた」とユメノが満足そうにうなづく。都は思わず、「二人とも」と声をかけてしまった。
「こっちを向いてくれる? そう……ちょっと動かないで……笑顔ちょうだい」
言いながらカメラを構えてぐるぐると回る。360度じっくりと写真を撮ってため息をついた。可愛い。
鮮やかな水色に真っ赤な金魚があしらわれた浴衣のユメノと、シャボン玉のような柄で淡いピンク色の浴衣を着た実結。2人ともよく似合っている。実結は本当に嬉しそうに、ユメノは少し呆れたように都を見ていた。「先生だって」と指さす。
「可愛いのに」と。
都はパッと顔を赤くして、自分の浴衣を見た。白地に明るい黄色と薄桃色の花があしらわれた浴衣だ。年甲斐もなく派手じゃないかと心配しているが、ユメノは『可愛いよ、すっごく可愛い』と言って着付けてくれた。
階段を駆け下りてきたカツトシが、「ユメノちゃーん」と言って泣きつく。見れば、浴衣を上手く着られなかったようで、ユメノはすぐに着付け直してやっていた。それを後ろから見たノゾムとユウキが、「自分で着られないもん買っちゃダメっすよね」「ノンちゃんはうらやましいんですよね」「違いますけど? え、違いますけど?」と言い合っている。2人はそれぞれ灰と紺の甚平姿だ。
タイラの姿はない。カツトシに尋ねると、「もう行ったんじゃないの」と興味薄そうに返された。
楽しげな様子のユメノと実結から手を引かれて、都は外に出る。瞬間、どこかで祭囃子の音が聞こえた。
☮☮☮
楽しそうな仲間たちはどんどん先へ行ってしまって、慣れない下駄を持て余す都は当たり前のように取り残される。
「元気ね、みんな……」
明るいというわけでもなく、暗いというわけでもなく、薄ぼんやりとした空の下で、祭囃子が途切れることなく聞こえた。お面をかぶった子供を避けて、かき氷を持った男性にぶつかる。何だか、人酔いをしそうだ。
待ってほしかったけれど、みんなが楽しいのに水を差すようで嫌だった。実結だって、そろそろ母親といるより友達とはしゃいでいる方が楽しい年頃だ。少し息をついて、とぼとぼと歩く。
子供のころを、思い出すようだった。そうだった。友達はみんな祭りを楽しみにしているのに、幼い都だけは怖くて行くことができなかったのだった。熱に浮かされたような人々の目がこわくて、誘うような楽しい音や美味しい匂いがこわかった。
(どうしよう。私だけが帰ったら、みんな心配するかしら)
うつむきながら、とぼとぼと歩く。とぼとぼ、とぼとぼ。
「先生!」
聞きたかった声が聞こえて、都はハッとする。顔を上げると、すぐそばの夜店からタイラが手を振っていた。
思わず口元に手をあてて、都は驚く。「
彼は胸の開いたつなぎ服を着て、その上に祭りらしい法被を着ている。それから頭に巻いたタオルを少し上にずらして、「どうした? あいつらは一緒じゃないのか」と尋ねてきた。
「ええっと……はぐれて、しまって」
「あんたらしいな」
「どういう意味でしょうか?」
「急に目ぇ大きくすんなよ。怒ってんのかよ」
喉を鳴らしたタイラを見て、都は自分がひどく安心感を覚えていることに気付く。タイラは「浴衣。買ったのか?」と端的に聞いてきた。ええ、と都は応える。自分でも、浮かない表情をしてしまったとわかった。
案の定、「どうした」と顔をのぞきこまれる。都は目をそらして、「わたし」と拙い言葉を紡いだ。
「新庄さんに閉じ込められていた時も、お金をもらっていたの。給料のようなものとして。それには、あなたに薬を打った分のお金も含まれていて、私は……そのお金には、何となく手を付けたくなくて、生活するためにそんなこと言ってる場合じゃないのに。だから今日のために、浴衣を買ったの。思い切って、買ってみたの。普通のことだと思い込もうとして、使ってみたの。……あんまり、いい気分じゃないのよ。馬鹿馬鹿しいでしょう」
黙って立ち尽くしていると、じんわり汗をかく。タイラも頭に巻いていたタオルで汗を拭いてまた巻き直した。
不意にタイラが「そのお給料とやらは、君があんなことに巻き込まれず真面目に働きぬいていたら貰ってたはずのもんより高いわけ?」と問う。都は戸惑いながら、「それよりは、ずっと安いけれど」と口ごもった。
「なら、それは君が貰ってしかるべきと俺は思うけどね」
「でも」
「まあ……気持ちはわかるかな」
「えっ」
一笑に付されて終わりと思っていたので、驚きのあまり聞き返してしまう。タイラは目を細めて「清掃なんかやってた頃を思い出すよ。俺が掃除をして不幸になるやつなんてそういないからね。時々はこうして、林檎飴でも売っていたくなる」と言いながら小さな愛らしい菓子を手に取った。
「…………素敵なお嬢さん、林檎飴食べるかい。サービスするよ」
虚を突かれて、都は咄嗟に反応ができなかった。タイラは笑いながら、「サービスにサービスつけて、ほら、2本持っていきな」と本当に林檎飴を2本差し出す。
「お嬢さん、って歳じゃないわ」
「難しいこと考えんなよ。どんな悪人でも年寄りでも、子供でいられるのが祭りだぞ。おじさんはな、可愛い子にサービスするのが趣味なのよ」
ニイッとなぜだか悪い笑みを浮かべて、都に林檎飴を受け取らせる。
「金魚すくいはしたか? 的あては?」
「……まだ」
「楽しんでおいで。浴衣、似合っているよ」
都は何か言おうとしたけれど、後ろから「林檎飴みっつください」という少女らの声に背中を押されてまた歩き出した。タイラは、明るく笑って林檎飴を売っている。何か立ち話が始まったようだ。その後ろからも、また知り合いのような若い男がタイラに声をかけていた。
しばらく歩いて、彼がもう見えなくなってから都は林檎飴の包装を破く。しばらく舐めてから、一口かじった。
少女のころに夢見たような、甘くてやわらかい味がした。
ああ、そうだわ。あんなにこわいこわいと言いながら私は、それでも子供のころ、お祭りに行きたかったの。
「あー、せんせ! ここにいたの? 探したよ!」
大きな声が響いて、あっという間に手を掴まれる。ユメノが笑顔を輝かせて、「次かき氷食べよー」と指をさした。カツトシに抱かれている実結にそっと林檎飴を差し出すと、嬉しそうな笑顔で受け取った。
「なあに、これ」
「林檎飴よ。食べ物。甘くておいしいから食べてね、タイラからプレゼント」
タイラに会ったんですか、とユウキが聞いてくる。都はうなづいて、「あっちで林檎飴を売ってた」と説明すれば、ユウキとユメノが「どうして言わないんだ」と腹を立てた様子でタイラを探しに行ってしまった。残されたカツトシとノゾムが、「今年も夜店出してるのね」「テキ屋感ありますよね、あの人」と笑い合っている。
しばらくして戻ってきたユメノとユウキが、林檎飴にチョコバナナまで持って満足そうな顔をしていた。
☮☮☮
「林檎飴。でけえやつくれや」
そう声をかけられて、タイラは煙草を空き缶に押し付けた。
「もう売り切れたよ、柊さん。完売御礼。俺も休んでたんだけどな」
肩をすくめた柊が、「数を用意しない商売人はダメだな」と文句を言う。苦笑しながら、タイラは「向こうでも売ってたぞ」と教えてやった。ちらりとタイラの指さした方を見た柊は、「どうでもいいが、テメエはここで林檎飴なんか売ってる場合なのか」と吐き捨てる。
「あのなぁ柊さん、林檎飴なんかとはなんだ。林檎飴だぞ? 何を置いても真っ先に売るべきだろ」
「テメエ、林檎飴好きか?」
「2つは食えねえな」
「ぬかしやがって」
空咳をして、柊はため息をついた。
「街じゃあ、アラキの餓鬼と若松裕司が対立してるってもっぱらの噂だ。
「構図としてはなかなかいいんだけどなぁ。ここで今までビジネスライクだと思われてた荒木章と若松裕司が手をつないで、美雨の侵略を許しませんとでも言えばわだかまりはあろうがそれなりにまとまるだろう。が、」
「が?」
「荒木章にその気がない。それは確かだと、俺も思う」
柊がタイラを見る。タイラも柊を見て、「恐らく
「誰もが、ぼっちゃんを潰せば美雨が黙っていないと思っている。それはその通りだ。息子の身に何かあればあの女は半狂乱になって暴れるだろう。一番安全にできるだけ損害を出さずに、と考えれば手っ取り早いのはオーナーを消してぼっちゃんと美雨を上に立たせることだ。しかしそうなると、美雨を止めることはできなくなる。柊さんの言ったとおり、誰もが部外者に街を乗っ取られるのは怖い。できれば、オーナーに加勢してぼっちゃんや美雨と張り合いたい……そんなところか、この街の多数は」
「わかってんじゃねえか。で、お前は」
「オーナー側について美雨相手にひと暴れすることを望まれている? 困ったね。俺は今回、手を出さない約束なんだ」
「よく言うぜ。そうなるくせに」
タイラは目を細めて「どうかな」と呟く。「今回、先約は荒木章なんだ。もっと言えば……あいつの親父なんだけどね」なんて言って笑った。柊はそれを見て、もう何も言わずに去っていく。結局、林檎飴は諦めた様子だった。
☮☮☮
タイラだ、と実結が指をさす。煙草を吸いながら歩いてきたタイラは、神社の石段に腰かけた。
「何やってんの、お前ら」
「花火っすよ。この街の夏祭りは花火が上がらなくてつまんないっすよね」
ユメノとユウキが、派手な手持ち花火に火をつけて喜んでいる。実結は少しこわそうに、都の背中に隠れてそれを見ていた。そんな実結に、カツトシが線香花火を渡してやる。
「先輩もやります?」
「やらねえ」
「ノリ悪いなぁ。そーれ、先輩のとこ飛んでけ」
ノゾムが火をつけた花火は、一瞬で地を這って真っ直ぐタイラの足元に到達した。タイラがそれを避けると、不規則な動きで辺りを駆けずり回る。ユメノたちが驚いて悲鳴を上げるので、タイラはそれを踏み潰した。ねずみ花火のようだった。
「悪戯もいい加減にしろよ、ノンちゃん」
「自分も初めてねずみ花火見たっすけど、すごいっすね……」
駆けてきたユメノが、ノゾムの腹に一撃入れてからタイラの隣に座る。
「あのさぁ、」
「何だよ」
「来年はさぁ、一緒にまわろうよ。タイラも浴衣着てさ」
「来年の話か? 鬼が笑うな」
そう、タイラは茶化した。茶化して、結局何の約束もしなかった。
そこにユウキが来て、「来年はうちあげ花火みます!」と宣言をする。それはつまり『連れて行け』ということだったのだけれど、タイラは「そうか、お前も来年の話か。気が早いな」と言っただけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます