episode32 罪人よ吠えろ

 こんなところにホールがあったかと、ユメノはしげしげ見つめてしまう。あったのかもしれないが、ほとんど廃墟と化していたように思う。それを真っ白に染め上げ、景色から浮き上がるような違和感を覚えさせていた。

 それにしても、と隣のタイラがぼんやりとそれを見ている。

「色んなことがあるもんだな、一晩で」

 ノゾムも怪我をしたと聞いた。なるほど、タイラがよく言っている「色々あって」という言葉も決してはぐらかしているわけではないのかもしれない。確かに、色々あるものだ。

 そんなことを他人事のように思いながらユメノは、「これからどうするの」と尋ねようとする。が、そんな暇もなくタイラは堂々とホールのドアに近づき――――

「カーツトーシくーん」

 制止する暇もなく、蹴開けて叫んだ。


「かーえろーっ」と、まるで子供のように。


 たくさんの、後ろを向いていた頭が振り返る。十、二十、三十、とユメノはタイラの隣で数えてみた。それが多いのか少ないのか、とりあえず全員が敵になるとすればその数はちょっと多い。多すぎる。タイラの後ろに隠れたくなったりした。

 タイラはといえば、相変わらず好戦的な表情で奥の壇上を見ていた。一点を――――ユメノにはタイラが何を見ているのかわからなかったけれど、何か一点をじっと見ている。


「よお……」


 驚いて、ユメノはタイラを見る。なぜだろう、その声色は好戦的というより。


「久しぶりだな、美雨メイユイ


 ひと欠片の憎しみが込められているように感じられた。

 傍で聞いていたユメノは、何か苦いものでも飲み込んだような気になる。タイラ? と呼びかけようとしたその時だ。ホール中が、どっと沸いた。

 見れば、壇上から人が下りてくる。

 ユメノは最初、それが女だとは思わなかった。否、生きた人間だと思えなかったのだ。それはひどく精巧なからくり人形のような造形だった。近づいてくるにつれようやく、目を見張るほどの美人だとユメノは気づく。女は、口を開いた。

「――――、一個愚蠢的人」

 聞き慣れない、言葉だった。思わず「え?」と言いながら、ユメノはタイラを見る。タイラも肩をすくめて、「わからん」と言った。女はため息交じりに、また何か呟く。表情からして悪口には違いないが、何を言っているのかはやはりわからない。仕方なさそうに、タイラが声をかける。

「お前の息子は」

 ぴくりと、女の表情が変わった。胡散臭そうに、タイラを見る。

「元気だぞ。親父によく似ているよ」

 何か女が言いかけ、飲み込んだような表情をした。それから不意に、憎々しげな顔でタイラをにらみつけた。そこに、人形のような美しさはない。代わりに人間らしい、愛嬌のようなものが滲んだ。

「――――本当に、いつもいつも邪魔をするのね、あなた。死んでいればよかったのに」

 綺麗なイントネーションの、日本語だ。タイラは嗤って、「覚えてるんじゃねえか、こっちの言葉」と投げる。しばらく2人の間に、何とも言えない空気が流れた。ユメノは緊張して、唇を噛む。呼吸すら許されないようなこの空気を、痛みすら感じる視線のぶつかり合いを、あるいは殺気と呼ぶのかもしれない。

 先に口を開いたのは美雨だった。

「何しに来ましたの?」

「あのさぁ、アイゼンカツトシってやつ、知らない?」

「……やっぱりあの子、あなたのところの坊やだったのね。そうだろうと思いましたのよ。目がね、あなたと似ていたから」

 美雨は何かひとしきり考えて、嘲笑うような表情をした。「どうぞ、連れ帰ったら? 奥にいるでしょうから」と暗がりを指さす。腕を組んだタイラが、美雨から目を離さないまま自分のベルトに手をかけた。

「あら、本当にいいんですのよ。ここは見逃して差し上げる。ふふ、のこともありますからね。私だって、あなたの身内に手を出したって何の得にもならないことはわかっています。ここはお互い、過去のことは忘れて、今後一切関わらないことで手を打ちませんこと?」

 何が何だかわからず放心するユメノの横で、タイラが半歩前に出た。その手には、愛用のナイフが握られている。「なに、してるの」というユメノの言葉を振り切って、タイラはそれを美雨に向けて投げた。風を切る音がして、美雨の顔の数ミリ横の空気を鋭く貫いていく。周囲の信者たちが、憤って立ち上がる。

「7年……か、それぐらいだよな、美雨」

 低く、穏やかな声でタイラは言った。美雨は興ざめしたような顔でじっとこちらを見ている。

「この7年、またお前に会うことがあったら殺すべきなのかずっと考えていた。ずっと、っていうのは言いすぎか。まあ、半年に1回くらいのペースで議題に上がっていた」

「光栄ね」

「が、結局考えても結論が出なくてな。……残念だ」

 あっけらかんと、肩をすくめてタイラは言った。

「これが当たったら、殺そうと思っていた」

 他人事のように涼しい顔をした美雨が、袖で自分の口を隠しながら「相変わらずですこと」とため息をついた。

「賭け事がお好きなのね、何にも変わらない……成長のない男」

 面白くなさそうに美雨は言う。ふん、と鼻を鳴らし、後ずさりしようとした。そんな美雨に、長髪の男が近づいて何か耳打ちする。美雨は目を丸くして、それからひどく可笑しそうに笑った。

「あらあら、ねえタイラワイチ? あなたのお仲間、暴れているそうよ。類は友を呼びますわね」

 顔をしかめたタイラが、「カツトシに何をしたんだ」と厳しい口調で問いただす。美雨は目を細めて、「どうして私のことを、悪役のように言うの?」と可愛らしい声で言った。端正な顔立ちに似合う、甘えた声だ。

 赤の女王。

 昔読んだ童話に出てきた、苛烈で美しい女王。“首を切っておしまい”と全てを見限るような。そんなことを、ユメノは思い出した。彼女はその女王によく似ていた。

「“免罪符”を差し上げたのよ。あなた方もおひとつ、どう?」

「免罪符?」

 鼻で笑ったタイラが、ユメノを肘で小突く。「免罪符だとよ、わかるか、ユメノ」とにやにや笑った。ぼんやりとしていたユメノは、小突かれてびっくりする。「ば、ばかにしないでよ、知ってるよ免罪符」と言い返した。

「欲しいか」と問われる。タイラは笑っていたが、その目はさっぱり笑っていなかった。怒っている、とわかったけれど、不思議なことに怖くはない。

 タイラとユメノは、顔を見合わせてお互いの言い分を瞬時に読み取った。そして、2人で一歩前に出る。


「――――いらねえ、そんなもの」


 声が、揃った。

 ユメノの声は少し震えていたかもしれない。タイラの声は、たぶん可笑しそうに笑っていた。茶化しているのだ、この期に及んで罪や神やそれら全てを。

 一拍、置いた。恐らくタイラはユメノが話し出すのを待っている。。だからユメノは深呼吸をして、口を開いた。

「神様になんか許してもらわなくたって結構だもんね! 誰の許しも必要ないもんね! 神様が何様のつもりだよ。そんな何にもしないやつなんかより、今生きてるあたしたちの方が偉いに決まってんだ。だからそんなやつに、上から目線で許してもらうような筋合いないっつうの」

 言い切った。不意に汗が流れてきて、顎のあたりで拭う。心臓がうるさく鳴っていた。

 どうだろう、と思う。嘘はついていないけれど、きっと全てが強がりだ。許してほしいと泣いたことがある。許さない、と恨んだこともある。だけどそれでも、カミサマなんかに縋ったってどうにもならないことがある。それを痛いほど、知っているから。

 ぽん、と頭を叩かれる。それがタイラワイチなりの『おつかれ』の表現だと気づいてちょっと泣きたくなった。

 タイラが、しっかりと美雨を見据えてユメノに続く。

「大体が、許してもらえなきゃ進めねえ弱さを肯定してどうする。他人に許されないなら自分が許せ。自分も許してくれなきゃ、免罪符なんてあったところで意味ねえよ」

 ほんの一瞬だけ、美雨が眩しげに目を細める。それから、「神も呆れ果てて救わない境地ね」とやはり嘲笑した。何が神だよ、とタイラは好戦的な笑みを浮かべる。

「お前、本当に神に縋ろうなんて気があるのか?」

「……信じない者に思想を語っても仕方がありません」

 あのな、とタイラは呆れた顔をした。「俺は、神を信じないんじゃないんだよ」とあっさり言う。

「いてもいなくても変わらねえ――――どうでもいいものについて、俺は『信じる』とかそういう言葉で語らねえんだよ。お前もそうだろうが」

 何も言わず、美雨は背中を向ける。「美雨!」とタイラが呼びかけた。

「もう一つ聞かせろ」

 美雨が立ち止まる。「長谷川ってガキを殺そうとしたのはなぜだ」と問いかけると、美雨は振り向いて小首をかしげた。それからにっこりと笑って「ああ、あの子」と穏やかにつぶやく。


「助けてあげようと思ったの。あんな生き方しかできなくて、可哀想だったから」


 そうして、もう二度と振り返らずに美雨は歩いて行った。それをじっと見送ってから、「嫌な女」とだけ、タイラは言った。

 美雨の姿が見えなくなって、周囲の信者たちはひそひそと言いながらタイラたちを指さしてくる。タイラは、ユメノの肩を抱き寄せながら「来るんなら来いよ」と面倒そうな顔をする。どこか委縮したように話し声がやみ、人々はただ立ち尽くしていた。

 沈黙が続く。かと思えば、そんな重い空気を蹴散らすような激しい衝撃音が響いた。舞台のようになっていた壇上が、ゆっくりと傾き始める。思わずタイラに引っ付きながら、ユメノはそれを見た。壊れかけの舞台に姿を現したのは、カツトシだ。

「アイちゃん!」

 叫んで飛び出そうとするユメノの腕を、タイラが掴む。よく見ればカツトシは、右手に何かを持っていた。棒だ。金属製の、何かの一部だったのだろうか。先の尖った棒だ。その赤が、端から垂れて水たまりを作る。

 カツトシは、言った。

「――――Reリー intoaインタァ!」

 目を輝かせ、まるで子供がテーマパークにはしゃいでいるような声。誰も動けないでいるその真ん中で、「場所を開けろ」とタイラが言った。




Re……とても

Intoa……楽しい

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