episode12 今さら紹介自己紹介
買い物に行ったら予想外に出来たてのパンを紙袋いっぱい持たされた都は、自分たち住処の前で怪しい人影を見た。髪を金色に染め上げたその男のことを、どこかで見たことがあると思いつつもゆっくり近づいてみた。
「あのう」
男は驚いて飛び上がりながら、都を見て「なんだ、あんたか」とため息をつく。その顔を見て、都もようやくその男が誰だか思い出した。
「ラムちゃん……」
「イマダだよ」
仏頂面のイマダに、少し笑いながら都は首をかしげる。「タイラのこと、呼ぶ?」と尋ねれば、イマダは苦々しく「呼ばなくていい。むしろ呼ぶな」と吐き捨てた。都は逡巡して、「じゃあ、入る?」と酒場を指さす。イマダが困惑した様子で「あいつ、いないんだろうな」と言いながらついて来た。
酒場のドアは、簡単に開く。
「あら、カツトシ。鍵をかけないで行ったのね」
「必要ねえよ。ここでおいたしたら黙ってねえ奴がいるって、大抵知ってるからな」
面白くもなさそうにそう言って、イマダはいつもタイラが座っているカウンターの席に座った。それにしても、と都を見つめる。
「あんたこそ無防備だな。俺なんかと二人っきりになっちゃあ、何があるかわからねえぜ」
微かに笑みをもらし、都は貰ったばかりのパンを出して見せた。「食べる?」と聞けば、「からかってんじゃねえぞ」とイマダが凄む。
「だって、今あなたが言ったわ。ここでおいたをすれば、黙ってないひとがいるって」
イマダは舌打ちをして、拗ねたように前を向いた。気にせず、都は皿にパンを切って載せる。「美味しいのよ」と言って差し出せば、イマダは素直に手を伸ばした。
「ここは酒場なのにバターもハムもねえのかい」
「あるけど勝手には出せないわ。あなた、お金出せる?」
「バカにすんじゃねえよ、それくらい出すっつうの」
思わず笑ってしまって、都は「ごめんなさいね」と謝る。イマダはぼうっと都を見て、顔を赤くした。「あんた、ほんとに美人だなぁ」と呟く。
「時々ほんと、狂おしいほどだ。殺されんの覚悟で手を出しちまおうかと」
いきなり、イマダは都の腕を掴んだ。「思うくらいだよ」と、本気の顔で囁く。
と、背後でドアを開閉する音が響いた。怯えて手を引っ込めたイマダが、ゆっくりと振り向く。紺色の制服を着た影が、音もなく近づいて、何か言う暇もなくイマダの手を掴んだ。そのままガチャリと、手錠がはめられる。都はそっと見上げて、安心の表情になる。
「本橋……ちゃん」
本橋は頬を膨らませ、腰に手をあてた。
「なーにやっちゃってるんですか、逮捕ですよ、逮捕!」
両手首に手錠をはめられたイマダは、安心したような顔をして、しかし強気に本橋を睨む。
「タイラの使い魔が」
「警官に向かって何ですか! 本橋は使い魔なんて禍々しいものじゃないですよぉ。都さんの危険を察知して現れた妖精です、フェアリーです」
「使い魔と何が違う」
「妖精の方が可愛い」
そう胸を張って、本橋は都に向き直った。「大丈夫でしたか、都さん」とイマダに掴まれていた手首をさする。「つうか、なんでこの店の異常にいの一番で気づくんだ、ストーカー」とイマダは吠えていたが、それを無視して本橋も丸椅子に座った。誰の了承もなく、そこにあったパンを食べ始める。美味しいですねこれ、と無邪気に笑ってみせた。
「……なあ、いいのか? 俺とこちらの美女が上手いことくっつけば、お前だってタイラとほにゃららできるかもしれねえぜ」
「ないもん。そんなこと、ありえないもん」
「なんでだよ」
「そもそもイマダさんが都さんと上手いことくっつくことがあり得ないもん」
「くそっ」
パンを口いっぱいに頬張りながら、本橋は「それに、タイラとはそういうんじゃないもん。そういうんじゃなくて結婚したいんだもん」ともごもご話す。「『もん』しか聞き取れねえよ」とイマダはため息をついた。
不意に本橋が外に向かい、大きく手を振る。またドアが開いて、中年の男が入ってきた。都も知っている。若松、という男だ。
「なんだい、イマダくん。昼間から美女と手錠プレイでにゃんにゃんかい……いいご身分だね」
「早速だけど帰ってくれねえかな、おっさん」
オーナー、と本橋が呼ぶ。「やあ」と若松は手をあげて挨拶した。
「元気かね本橋巡査」
「本官は健康そのものであります!」
そりゃよかった、と言いながら若松もパンに手を伸ばす。都は何も言わず、また新しくパンを切り始めた。何和んでんだよ、とイマダが嘆いている。
イマダの言う通り不思議に和みながらみんなでパンを食べていると、背後でガラスに何かぶつかった音がして振り向いた。小太りの男が、勢い余って、という顔でドアに突っ込んでいる。しばらくすると、慌てたふうに店に入ってきた。
「タイラぁ!」
都は落ち着いて、「ごめんなさい、タイラは今、留守みたいなの」と伝える。男は、半べそをかきながら「そんな、そんな」と繰り返した。イマダが嫌そうな顔で「うるせえぞ、デブ」と吐き捨てる。小太りの男はハッとして、「クルヒトじゃねーかぁ」と感激の面持ちで近づいた。
「元気だったかよぉ、クルヒト」
「暑苦しいから近づいてくんなよ竹吉」
竹吉と呼ばれた男は、それでも嬉しそうに「そうだよなぁ、そうだよなぁ」と繰り返した。にこやかに笑いながら竹吉が椅子に座ると、2階から人が降りてくる音が聞こえてくる。物音に気付いたノゾムが、部屋から出てきたようだった。
「あれ、なんかめっちゃいるじゃないすか」と呟きながらノゾムが顔を出す。都が「パン、食べる?」と尋ねれば、ノゾムはうなづいてカウンターの方へ歩いてきた。
「あら、実結は? あなたと遊ぶって言っていたけど」
「ああ……そのはずだったんですけど、先輩にとられちゃって」
「タイラに?」
パンを口に含みながら、ノゾムが二度ほどうなづく。「アイちゃんさんはどしたんすか」と今度はノゾムから聞いてきた。「ユメちゃんの買い物に付き合っていると思うけど」と都は自信なさげに答える。
「で、なんでアイちゃんさんいないのに、お客様だけこんなにいるんすか」
本橋と若松が手を振って見せ、竹吉がきょろきょろと周りを見て照れ笑いを浮かべた。イマダは「都ちゃん口説きに来たんだけどな」と言って手錠を掲げてみせる。「帰るに帰れなくなっちまった」と肩をすくめた。
「本橋は、都さんの危機に駆け付けた次第です」となんでもなさそうに本橋が言う。
「私はコーヒーを飲みに来ただけだ」と若松は手のひらを見せた。
「俺はタイラに頼みたいことがあって」と竹吉がバツの悪そうな顔をする。
へえ、と言いながら、ノゾムは店の外を指さした。「また増えるし」というノゾムの言葉に、全員が振り向く。店の外には高級そうな黒い車が停まっていて、そこからまだ幼さの残る顔立ちの青年が降りてくるところだった。都とノゾム以外が、にわかに騒ぎ出す。
「なぜこんなところに彼が」
「一人で来るつもりか?」
「何の用で」
こそこそと話しながらも、竹吉とイマダが背筋を伸ばした。青年が入ってくるのを見て、本橋が逃げ出すような動きを見せる。若松だけが、軽やかに手をあげた。
「やあ、アキラくん」
青年は立ち止まり、にっこりと笑って会釈する。「ご無沙汰しております、叔父さん」と、よく通る声で挨拶した。それからまた歩き始め、本橋の前で止まる。
「お久しぶりですね、本橋さん。今日も大変にお美しい。これ、どうぞ、ぜひ」
言って、青年は本橋に着けていたブローチを押し付けた。本橋は「はあ……いらないんですけどぉ」と顔をしかめる。
「お前、アラキの坊ちゃんになんてこと言うんだ」とイマダが目を剥いた。
「だって要らないしぃ。この子、苦手なんですよねぇ」と本橋はあくまで迷惑そうな顔だ。青年は気にせずにカウンターへ座る。あのう、とノゾムが手をあげた。
「誰っすか」
空気が凍る。特にイマダと竹吉が、驚いて目を丸くしていた。しかし当の本人は気にも留めていないようで、特に自己紹介もせず「ああ、タイラさんのお仲間ですね」と無邪気に頭を下げる。年のころはまだ15歳くらいだろうか。歳の割には物腰が柔らかい、という印象のみ残る。
ふと都が顔を上げると、カツトシとユメノが歩いて来るのが見えた。二人は楽しそうに談笑していたが、店内の様子を見て目を丸くする。慌てて入ってきたカツトシが、「店閉じてなかった?」と都に尋ねた。確かに鍵は掛かっていなかったが、最初にイマダを呼んだのは都だ。「ごめんなさい、入れちゃった」と謝っておく。その後ろから、ユメノが「ショーくん」と言いながら何者か不明な青年に近づいて行った。
「ユメノさん、お元気でしたか」
「元気だよー。ショーくんは元気だった? 会いたかったよー」
女子の盛り上がりを見せる一角を見て、カツトシが「あらまあ、ほんと」と嬉しそうにする。
「その節はどーも」
「ああ、カツトシさん。丁寧にどうも」
ああだこうだ懐かしそうに話し始めた三人を見て、「女子会ですか?」と本橋が興味深そうに言った。待ってくださいよ、といきなりノゾムが声をあげる。それから青年を指さし、「誰なんすか」ともう一度尋ねた。
「アキラくんなんすか、ショーくんなんすか、どっちすか」
青年は驚いた顔をして、「これは失礼しました」と頭をかく。わざわざ立ち上がって、「
「坊ちゃんのことショウなんて呼んでんの、そこの二人くらいだぞ」
仏頂面でイマダが言う。竹吉も激しくうなづいた。そんなイマダたちを見て、章は薄く微笑む。イマダが思わずという風に姿勢を正した。
「俺らなんかはただのチンピラなんで、坊ちゃんとなにか関わろうなんて思ってないっていうか」
「いえ、存じておりますよ。イマダさんに、タケヨシさんですね」
ついでに名前を呼ばれた竹吉まで、青い顔で首を横に振る。いいんです、と章が寛容な笑顔を見せた。「少しくらい悪戯する子がこの街には必要だって、お爺様も言っていましたから」とあっさり言って、興味もなくしたようにユメノたちに向き直る。いまいち力関係のわからないノゾムと都が、首を傾げただけであった。
ここまで、イマダ、本橋、若松、竹吉というらしき小太りの男、荒木章という青年。そう客が入るのも珍しいものだが。しかし、来客ラッシュは収まらない。
次にドアの鐘を鳴らしたのは、愛くるしい人形のような姿の女性だった。透き通った高い声で、「写真現像してきたぞー」と宣言する。「あっ」とユメノが思わず指さした。
「セトレミさん!」
「やっほー、当ったりー。覚えててくれてありがとね、ユメノちゃん」
ユメノが仲間たちに向かって、「この人は瀬戸麗美さんっていって、タイラの同級生なんだって」と説明する。麗美が慌てて「できればそういう、年齢を察せそうな話題は避けてほしいー」と訴えた。
「今さら年齢がなんだって? ドレミファババア」とイマダが小声で悪態をつく。
「瀬戸ちゃんは歳とっても美人だなぁ」と竹吉が嬉しそうに手を振った。
イマダと竹吉の存在に気付いた麗美が、「げっ」と声に出して嫌そうな顔をする。「なんでいるの、うちの母校の汚点がそろって」と呪詛のように早口で罵った。「ひどいぜ瀬戸ちゃん」なんて竹吉が泣きそうな顔をする。
知ってるの? と、誰に問いかけていいかわからない状況でとりあえずユメノが口に出した。だって、と言ったきり麗美が口をつぐむ。代わりに、イマダが「だって俺ら同級生ですもーん」と涼しい顔で言ってのけた。へえ、と言って黙ったユメノを見て、「いやいや」とノゾムが割って入る。
「なんかもう、わかんねえ。ややこしくなってきたから一人ずつ自己紹介してくれませんかねえ!」
ねえユキエさん、と振り向けば、都は若松や章と世間話に興じていた。経済の話などに花を咲かせている。「えっ、ほとんど初対面でそこまで仲良くなります?」とノゾムは思わず真顔だ。
「っていうか、よく見りゃすごいメンツじゃない」と麗美が目を輝かせてカメラを出す。
「街一番の高額納税者に、アラキ会長の孫に、チンピラ界のトップに、警官に、悪徳高利貸しでしょ」
「チンピラ界のトップはどう考えても小物だろうが、やめろ」
「俺ぁ、悪徳高利貸しじゃねえよ?」
写真は事務所を通しておくれ、と若松が手をひらひらと振った。章と本橋はどうでもよさそうにパンを食べている。不意にカツトシが手を叩いて、「さて、この中でうちの店に金を払う気がある人は?」と問いかけた。本橋と若松が手をあげて、章と麗美も穏やかにうなづく。様子見をしていた竹吉も手をあげ、イマダも仕方なさそうに手錠でつながれた両手をあげた。誰も、イマダの手錠については言及しない。
「じゃあ、手をあげたのが早かった人から飲み物を用意するから。その間に簡単につながりをはっきりさせといてちょうだい」
カツトシがそうきっぱり言って、カウンターに入っていく。その場の全員が顔を見合わせ、一番に本橋が立ち上がった。
「本橋と申します。って言っても、フツーにみなさん知ってますね?」
都やノゾムも、うなづいて肯定する。
「警官をやっておりまして、繋がりといえば……みなさんよくお話させていただいてますねー」
イマダが手錠を掲げながら、「はいはい、いつもお世話になってまーす」とヤジを飛ばした。できる限りお世話にならないでください、と本橋は腰に手をあてる。「こんな感じで」と話を打ち切って、本橋は自分の席へ戻ってしまった。
じゃあ、と言いながら今度は若松が立ち上がる。
「……そうは言っても、今さら自分のことを説明するのは気恥ずかしいね。名前くらいでいいかい?」
ダメだよ、とユメノが口をはさんだ。「なんでワカマツさんはオーナーって呼ばれてんの?」と邪気なく尋ねる。「今さらだね」と若松は苦笑した。
ここぞとばかりに手をあげた麗美が、「じゃあ私が説明しましょうか」と申し出る。「便利なんだなぁ麗美ちゃんは」と自分で言って、人差し指で頭をトントンと叩いた。「情報は全部、ここに入ってんだから」と。
若松は恥ずかしそうに、「簡単でいいよ」と話す場を譲る。麗美は張り切った様子で口を開いた。
「若松裕司、通称オーナーは、この街の飲食店及び接待飲食店すべてのオーナーと言っても過言ではないほど稼ぎに稼ぎまくってる偉い社長さんなのだ! つまり高額納税者ね!」
そんなに納税してないんだよ、と妙なところを突っ込みながらも、若松は概ね否定しない。もう紹介は終わったようで、次は誰かと思っていると、章がにこやかに「僕のことも簡単にお願いします」と麗美に依頼する。お任せ、と言いながら麗美は空咳した。
「荒木章ぼっちゃまは、あのアラキ会長のお孫さんで」
ピンと来ていない様子の都たちを見て、麗美は困惑の表情をする。「えっ、アラキ会長……知らない?」と確認した。
都はユメノたちを見る。カツトシは首をかしげ、ユメノは「知らない」と素直に言う。ノゾムは聞かれないよう、あらぬ方向を見ていた。
麗美たちは衝撃を受けたようで、顔を見合わせ「マジかこいつら」と小声で言い合う。「もう、7年も前に亡くなっていますから」と章はあくまで穏やかに言った。
「アラキ会長っていうのは」と麗美が補足する。「この街を造った人なのよね。もちろん自治体として形はあったし、行政もちゃんと町を作ったんだけど、そのフィールドで時計屋からどんどん畑違いの業種に手を伸ばしていって、アラキグループっていう、大きなネットワークを作り上げた。もちろん薄暗いこともたくさんやったけど、それも含めてこの街を一人で造り上げた人だったの。私たちからしたら王様っていうか」と、言いにくそうに説明した。
「でも盛者必衰っていうのかしらね、そのアラキ会長が7年前に……その、亡くなって。会長が亡くなる寸前まで内部分裂とか抗争が多発して、あれは凄かったわね。まあ、うん。そこは別にいいよね。それで、一人息子も亡くなっていたから、こちらにいらっしゃるお孫さんが後継者筆頭ってわけなの」
筆頭と言われても、と章は苦笑して若松を指す。「裕司叔父さんがいますから」と、控えめに推した。麗美がハッとして、「もちろんオーナーも筆頭ですよ、もちろん」と慌てて付け加える。「何いらんこと言ってんだよ」とイマダも慌てたように麗美を責めた。いいんだよ、と若松が恐縮の顔をする。
「私がこうして好きなことをさせていただいてるのも、親の七光り、会長の威光あってこそだ。その会長が、アキラくんにと言うのなら」
「いえいえ、お爺様は血のつながりに関係なく子供たちを平等に愛すと決めていましたから。本当にお爺様の意思を汲むのならば、孫の僕ではなく、息子の裕司叔父さんにまずはお任せするのが妥当かと」
お互いに謙遜し合う姿に、ユメノが声を上げた。「ちょー難しくてよくわかんないんだけど、オーナーってそのアラキ会長の息子なの?」と尋ねる。「血のつながりはないけど、アラキ会長が自分の子と認めたお弟子さんなの」と麗美が答えた。
「で、ショーくんはアラキ会長と血がつながった孫なんだ?」
「ええ、まあ」
「……めんどくさいね、ずいぶん」
めんどくさいんです、と章が楽しそうに言う。「というか、僕らは」と若松のことを気遣わし気に見た。若松もはにかみながら「うん、私たちは」と歯切れ悪く言った。
「私たちはどちらも、その、やる気がないんだ。周りに盛り上げてもらって申し訳ないのだけどね」
ガタ、と大げさな音を立てて、イマダと竹吉が立ち上がる。麗美も慌てたように唇に人差し指をあて、「しーっ」と若松たちを黙らせた。竹吉が外に出て行って、人がいないことを確認し、また戻ってくる。「勘弁しろよ、ここにいる誰かが外で言いふらしたらどうなると思ってんだ」と、イマダはため息をついた。どうなるんでしょう、と章が柔らかく笑う。どうなるの、とユメノも聞いた。「やりたくなきゃ、やらなくていいんじゃない?」と。麗美たちは顔を見合わせ、肩をすくめて黙った。
カツトシの用意した紅茶を一口飲んで、若松が口を開く。
「まあ、そこまで君たちに説明させるのもお門違いだね。未熟とはいえタイラの仲間だ……私から説明しよう」
未熟と言われ不満そうなユメノたちを制し、若松は「先ほど彼女が話してくれたように、アラキ会長はこの街の王様だった」と話し始めた。場が静まり返り、なぜか麗美がメモの準備を始める。「参考に聞くだけですから」と苦しい言い訳をした。
「荒くれ者たちを統治し、使役し、街の繁栄に一役も二役も買った方だった。街の悪戯っ子もアラキ会長の目に留まらぬよう自重していたし、存在が抑止力になるような、まあなかなか恐ろしい人ではあった。そんな方が亡くなったんだ……事は単にアラキグループの壊滅では済まされない。抑止力のなくなった街が荒れ果てるのは目に見えていた。危機感を持ったアラキグループの重役たちは、もちろん自分たちの保身もあっただろうが、アラキ会長の唯一の血縁……孫のアキラくんをトップに置こうとした」
祀り上げられただけなんです、と章はやはり柔和な笑顔で言う。それから章は、「まだ僕も7つやそこらで、お爺様の代わりになんてなるはずもなくて」と続ける。
「僕を祀り上げて実権を取ろうと考えていた重役たちは、しかし軒並み揃ってそのような才能がありませんでした。僕も会長になるには幼すぎたし、瓦解は秒読みでした。そんな中、すでに独立していた裕司叔父さんが、見かねて指揮を執り始めたというわけです。そうして7年……なんとかやって来れました」
「つまりこの街は、アラキ会長の孫であるアキラくんの威光と私の野心あふれる商売魂で形を保っているわけだね」
最後だけ茶化すように言って、若松はまた紅茶を口に運ぶ。ずっと難しい顔をしていたユメノが、「わかった」と声に出した。
「ってことは、2人が『やってらんねえ』って投げだしたらこの街がヤバいんだ!」
のみ込みが早いですね、と章はうなづく。呆れたように、麗美が「むしろここまで言わなきゃわかんないとか」と苦言を呈す。「渦中の2人に語らせるなんて贅沢だぜ」とイマダも唇をとがらせた。へへへ、とユメノは頭をかく。
「自己紹介の続きをしましょうよ」と本橋が提案した。
「というかお前は仕事しなくていいの?」とイマダは指さす。サボりでーす、と本橋が胸を張った。
「自己紹介って言っても……オーナーとか坊ちゃまみたいに凄いのはもう出てこないんだけど」
そうぶつぶつと言って、麗美は「小物よ、小物!」と言い切る。「小物だから私が3行でまとめてあげる」と言っていきなり竹吉を指さした。
「
「ひでえや、瀬戸ちゃん」
嘆いた竹吉は、「まあそうなんだけどな」としょげる。そんなことはありませんよ、と言ったのは章だ。
「竹吉さんは凄い方です。見る人が見れば、大変に値打ちのある方です」
「そうだね、竹吉くんは価値のある悪戯っ子だ」
若松までそう頷いて、竹吉は照れる。「甘やかすな」とイマダが吠えた。頬杖をつきながら、ノゾムが口を挟む。
「タケヨシさん……って、金貸してるんなら金持ってるってことっすよね。なんか、見えないんですけど。そうお金持ちには」
失礼なことを飄々と言って、ノゾムが「資金源はどこなんすか」とこれまた不躾に尋ねた。笑顔を引きつらせながら、「あはぁ?」と言って竹吉は麗美とイマダを見る。麗美とイマダは「わかんねーんでしょ」「わかんねーんだろ」と呆れたような顔をした。仕方なさそうに、イマダが話す。
「そもそもが、こいつは持ち前の人のよさだけを武器に仕事を転々としてるだけのデブだった」
「デブって言う必要あるかなぁ」
「それが何年前だったか、まだ若かったこのデブに惚れ込んだ金持ちがいてな。この街じゃ銀行も信用できねえし、預かっていてくれと大金を渡した。まあ使ってくれと言ったようなもんよ。が、こいつは人のよさだけが取り柄のデブだからな、1円も使いやがらねえ。そんでその金持ちが、ちょーっと困ったときなんかにな、どうせ全部使って逃げたろうと思っていたこのデブが『今お返しすべきと思って』と全額返したわけだ」
「この街じゃ、家族や銀行こそ信用できないっていうひねくれ者のジジイやババアが多いから、こいつの人のよさって高く売れたのよ。まあ、人の金を使い込む脳もないとみくびられてるのもあるんだけど。無駄に頭の良いやつより金の使い方もわからないバカの方が信用できるでしょ。ってわけで金持ちがこぞってこのデブに金を預けたわけ。そこまでは、まあ、このデブにとっては損でも得でもないわよね。だってこいつ、ほんとに人の金は使わないから」
デブデブ言わなくていいんじゃねえかなぁ、と竹吉はのんびり言う。「うるせえぞ、デブ」とイマダが怒鳴った。
「だけどな、ドレミも言ってたがこいつに金を預けるのは大抵年寄りだ……。そんな金持ちどもが死んだら、預けてた金はどうなると思う」
竹吉は初めて不満そうな顔をして、「俺の客を年寄りとか言うなよぉ」と訴える。それを無視して、イマダが「このデブだよ」と吐き捨てた。
「そもそもが家族も銀行も信じられなかった年寄りだ。死んで誰かに相続しようなんて気はねえ。そうすると、預けたやつが死んだりすれば、竹吉がそのまま美味しいとこどりってわけだよ。わかったか、青年。このデブに資金源らしきものがあるとすれば、それだ」
「しかも厄介なことに、命が惜しけりゃこのデブにちょっかい出すやつなんていないのよ。なんせバックについてるジジイもババアも面倒だから」
「この悪徳デブ高利貸しに天罰が下るのを粛々と待ってるしかねえってこと」
俺は高利貸しじゃねえ、と竹吉はきっぱり否定する。「そうだよな、お前、貸した金を覚えてないだけだもんな」とイマダが端的に馬鹿にした。「誤解だ、濡れ衣だ」と竹吉は顔を赤くして訴える。いい加減なのは本当らしく、章や若松もわかっているような顔で苦笑していた。
ノゾムは何度か頷いて、「端々に『デブ』をはさむもんで、あんまり話が入って来なかったっす」と言い放つ。いいんじゃないの、と麗奈はため息をついた。それから、今度はイマダを指さす。
「
イマダは何か言おうとして麗美を睨んだが、結局は「妥当な評価だな」と諦めたように肩をすくめた。誰もフォローを入れないので、ユメノが手をあげる。
「てか、イマダさんの仲間とかタイラが全員殴らなかった?」
「またイテーところを突くな、嬢ちゃん。あれが全員じゃねえんだけど、まあ、あいつ一人に壊滅させられる程度の戦力だ」
「えー、小物」
ユメノにまでそう言われて、イマダもさすがに「うぜえ」と舌打ちした。まあ、と麗美が目を細めて笑う。
「そう馬鹿にしない方がいいんだなぁ、小物っていうのも。こいつはクズだから、クズらしく卑怯な手が得意なのよ。こんなねちっこいチンピラが何人もまとわりついて来たら困るでしょう? それが脅迫も恫喝もするし、天狗になってた社長やらヤーさんやら、何人潰されたかわかんないわよ」
「散々な言われようじゃねーか」
「褒めてんのよ」
麗美は自分の前髪を直しながら、どうでもよさそうにそう言った。話を聞いていたノゾムが、講義を受ける学生のように手をあげた。
「そこのお三方って、同級生なんすよね?」
麗美と竹吉、イマダは、各々「そーだよ」とうなづく。「高校の?」と重ねて尋ねると、麗美が嫌そうに「クラスまで同じだった」と答えた。待って、と声を上げたのはユメノだ。麗美たちを一人ずつ指さし、特に麗美と竹吉をじっと見る。
「え、同じ歳? いくつ?」
腕を組んで冷たい目をしながら、「このデブが老けてんのよ」と麗美は吐き捨てた。「瀬戸ちゃんが変わらなすぎなんだ」と竹吉がため息をつく。
「……で、タイラも同じ歳なんだ? うーん、」
「あの男も童顔だろ。基準にすんな」
全員の飲み物を用意し終わったカツトシが、久方ぶりに口をはさんだ。「これだけのメンバーが同じ箱に入れられて、よく何もなかったわね」と、感心したように言う。何もなかったとは言わないけど、と麗美が面白そうにイマダを見た。イマダは知らない顔でウーロン茶を飲んでいる。
パンをまだ咀嚼中の本橋が、「そーいえば、本橋のところの上司もみなさんと同じ高校ですよねえ?」と、思いついたように口に出した。
「宝木警部補どの」とイマダが笑う。
「俺らの生徒会長だ」と懐かしそうに竹吉は言った。
「あいつが一番まともに社会に出たわよね」と麗美がしみじみうなづく。
その代り髪真っ白になっちゃってなぁ、とイマダがこらえきれず声をあげて笑った。「老けたよねー」と麗美も吹き出す。まるで同窓会のような空気に、本橋が「あと、あそこの」と水を差した。
「肉屋の」
ユメノは思わず、「菊花ちゃん?」と口を出す。しかし本橋は首を横に振り、「の、旦那さん。あんまり顔出さないけど、あの人も警部補の同級生だって、本橋は聞いたことがあります」
そうよ、と麗美が大げさにうなづいた。
「百瀬くんね、私たちの同級生よ。彼だけがうちのクラスの良心だったわ」
なぜかイマダが、これ以上ないほど苦い顔をする。そんなイマダの肩を、苦笑しながら竹吉が叩いた。
不意に今までずっと黙っていた都が、「大人になってもこんなにクラスメイトが近くにいるって、なかなかないことだと思うけど」と素直に感想をもらす。イマダがふてくされた顔で、「こんな街、俺も出て行きたかったっつうの!」と天を仰いだ。麗美も、深いため息をつく。
「自分で言うのも癪だけど? 結局こんな社会生活不適合者の集まり、この街以外で暮らせるわけなかったっていうか」
「俺ぁ、この街が好きだけどな。でも機会があれば、他のとこでもやってみたかったな」
それだよ、とイマダが身を乗り出した。「機会に恵まれなかった俺らとしちゃあ、大学なんかに行ってまで街を離れたくせに戻ってきたやつらの気が知れねえって話だぜ」と言って、麗美を見る。竹吉も同意を示しながら、「瀬戸ちゃんとか生徒会長とか……タイラとか」と指折り数えて見せた。それを聞いていた都たちが、唐突に椅子から落ちそうになる。イマダたちは驚いたように振り向いた。座り直したユメノが、「今、タイラが大学行ってたって話してる?」と確認する。イマダたちは顔を見合わせ、同時にうなづいた。知らなかったの? と麗美は訝しげだ。
「私、あいつと大学まで一緒だったんだから。いきなり猛勉強し始めて、奨学金かなんかで大学入ったのよ」
「スポーツ推薦じゃなかったか?」
「ああ……そうだったかも。でも高3の最後らへんはそこそこいい成績で、私とか宝木も抜くぐらいだったし。センター受けてた気もしたけど」
「いや、それは俺の記憶が受け入れない」
竹吉がのんびりと、「タイラはああ見えて努力家だからなぁ」と呟く。動きを止めた麗美が、「努力家……? 何それ私も無理、記憶が受けつけない。スポーツ推薦ってことにしときましょ」とうなづいた。この場にいないからといってあったかもしれない努力が揉み消され、都合よく捏造された。そんな民意の汚い場面に遭遇した、ユメノたちは閉口する。最終的にタイラの大学入学は、『スポーツなんかそこまで力を入れていなかったくせにスポーツ推薦で楽に大学に入って、入学金やら授業料は教授を恐喝して手に入れていた』という話になった。
「まあそんなロクデナシだから、卒業までしたくせにこの街戻ってきて、気づいたら清掃業者だったんだなぁ。タイラって男は」
あんまりだ、と都は思ったが、大人しくしていた。普段のタイラの様子を見るに、どちらか本当かは都にも判別がつかなかったからだ。章や若松が、「なるほど」「そんなことが」とまるきり信じて話を聞いているのは気になったが。章がふと、「タイラさんといえば」なんて言い出す。
「前々から譲ってほしいとお願いしているのですが、あの持ち手だけのナイフはどこで手に入れたのでしょうか」
ああ、と何人かが思い当たったような顔をした。「あの、切っ先が折れたやつか」とイマダが呟く。「あれ、折れたやつか? 元からないって俺ぁ聞いたぞ」と竹吉は首をかしげた。
「女に折られたんでしょ。私にはそう言ってたわよ」
「自分で折ったのだと以前言っていたような気がするが」
「あれも謎ですよね。柄だけ妙に強度が」
「工業用ダイヤだって自慢してなかったか?」
「僕には、サウジアラビアあたりの新鉱石だと」
軒並み黙って、口々に「たぶん全部嘘だ」と腕を組み始める。章までが、苦笑しながら「わかりませんね」とほとんど信用のない声色でひとりごちた。
それから麗美がポンと手を叩き、「というか、タイラいないなら私もう帰っていい?」と宣言する。「なーんかタダで喋らされちゃったし」と。
「お前の自己紹介がまだだぞ、ババア」と言ったのはイマダだ。麗美は途端に眉根にしわを寄せ、「今度ババアって言うごとにあんたの恥ずかしいエピソードをバンバン話してやるからな」と脅した。
「というか、私の自己紹介なんて必要? 情報を売って生きてんのよ。それ以上でもそれ以下でもない瀬戸麗美ちゃん、これで十分じゃない? 私に情報開示を求めるなら相応の金額で要相談って言ってるでしょ」
そんなことより、と不敵に笑って麗美は唇を舐める。「あなたたちのことが知りたいわ」と都たちに向き直った。「特にあなた」と指さしたのは、都のことだ。
「他のメンバーはもうほとんどわかっちゃってるんだけど、あなたは新顔よね? 名前は……ミヤコユキエ? 一人娘の名前がミユちゃん。ねえねえ、あれってタイラとの子? それとも」
「あ、あの、ちょっと」
右手を開いて見せて、都は麗美の話を遮る。「タイラの子じゃないわ」とだけ答えてうつむいた。ふうん、と言って麗美は都をじろじろと見る。
「それにしても相変わらず、芯ばっかり強そうなボンキュッボンの美人が好きよねえ、あの男」
「ど、どうも……?」
「褒めてないのよ」
おいおい、とイマダがにやついて言った。「胸の育たなかったババアが難癖つけんじゃねえよ、いくら恋敵だからって」と粘着質な声色でなだめる。麗美は一瞬で顔を赤くして、「殺す」と喚いた。えっ、とユメノが目を丸くするが、もっと大きな声で本橋が「えっ」と言って立ち上がっている。
「麗美さんもタイラのことが好きなんですかぁ!?」
「違うわよ! なんであんなやつ好きにならなきゃいけないわけ? まだカーペットについてる毛玉愛でてた方がマシよ!」
よく言うぜ、とイマダは呆れた顔をする。「あいつの死亡説が流れるたびに必死こいて目撃情報捏造してまわるくせに」と目を細めた。それは、と麗美が言葉に詰まる。
「いいのよ、その後本当になれば捏造って言わないんだから。そうじゃなくて、それはこの街が荒れても困るからであって」
「心配だったからだろぉ?」と竹吉まで楽しそうに言い始めた。「今さらごまかす意味もねえだろうに。瀬戸ちゃんがタイラを追いかけて大学まで行ったのも、俺らのクラスじゃ有名な話だよぉ」とまで言われ、麗美は思わずという風に竹吉の頬を殴る。「ひでえよ瀬戸ちゃん」と言いながら竹吉は転がっていった。
麗美は気を取り直して空咳をして、「人の噂って怖いわよね」と呟く。「人の噂を売り買いしてる奴が」とイマダは茶々を入れた。
「大学に関しては不運な偶然よ。あいつの死亡説は……だって、流れっぱなしでも困るでしょ。あいつが死んだら厄介なおバカさんたちが喜んでお祭り始めるかもしれないんだから」
はーい、とここぞとばかりにノゾムが手をあげる。「厄介なおバカさんたちって誰のことですか」と、質問を投げかけた。麗美たちが、そっと章と若松を見る。楽しく談笑していたらしい二人は、視線に気づいて飲み物をカウンターに置いた。
やがて若松が、「なるほどこちら側の話をしているんだね」と納得の表情をする。麗美が舌を出しながら、「本人らがいるのにおバカさんたちって言っちゃった」と反省の色を見せた。いいんですよ、と章が言う。「僕たちも常々愚かだと思っていますから」と。
「もちろん坊ちゃまやオーナーは馬鹿とは違うわ」
「それぞれの取り巻きがなぁ、厄介な連中なだけで」
麗美とイマダがそれぞれ苦い顔をする隣で、若松が「言ってくれるね」と可笑しそうに腕を組んだ。それからユメノたちに向かって、「本当に知らないんだね」と念を押すように尋ねた。ユメノたちは真剣な顔でうなづく。
「そう……それじゃあここに至る背景なんかをすっとばして、最短距離で説明しよう。アラキ会長の生前から、跡目争いはかなり激しかった。それが、まあアラキ会長が亡くなって一応の収束を見せたのだが、それにしたってだね。アキラくんがアラキグループをしょって立つ人間だというのはわかると思う。こんな時代でも血筋は重要視されるし、それにこの才華だ。が、私を見てほしい。親子の契りこそ交わしたが、アラキ会長とは血のつながりもなく、しかも一旦は独立した人間だ。見ようによっては裏切り者の部外者が、アラキグループにあれこれ指示を出しているんだ。重役たちが黙っていると思うかね」
「しかし実際に指揮を執れるお方は裕司叔父さんしかいないのです。いっそ僕ではなく、裕司叔父さんが名実ともにトップになってくだされば」
「それこそ重役たちが何をしてくるか。君のお母様の方の圧力だってある。それに私には、カリスマ的な何かが欠片もなくてね……。と言っても私たちの下では、街の隅々まで」
「派閥が分かれました。アラキ派か、ワカマツ派か、といえばつまらない話ですが今も至る所で小さな軋轢を生んでいるものと思います」
「私たちは今もこうして手を携え、何とか回しているというのにだ」
なるほど、と言いながらノゾムは考えるそぶりを見せた。「ちなみにイマダさんとかはどっち派なんですか?」と簡単に問いかける。「そんなキノコかタケノコか、みたいな」と麗奈が呆れかえった。いいか、とイマダが身を乗り出して小声で諫める。
「今後そんな事を簡単に人に聞くな。お前らがこんなに重要なことを知らなくてもこの街で過ごせていたのは、だな。ここらの界隈に『現状維持派』が多かったからだ」
「そういうのもいるんだ」
「そんな現状維持派の人間でも、アラキ派かワカマツ派かと問われれば胸に一物あるやつはいる。お前ら、危なっかしいんだから人一倍気をつけることだな」
そう心配いらないだろうけどね、と麗美が呟いた。「わざわざタイラのねぐらに飛び込んで、何派だどっち側だなんて騒ぐバカもいないでしょうよ」と。なぜそこでタイラが出てくるのか、と言う顔でカツトシが首をかしげる。
「ああ、遠回りしてしまったね」と若松が思い出したように続けた。
「さきほど情報屋のお嬢さんが言っていた『厄介なおバカさんたち』というのは、こうして派閥に分かれてしまった人々のことだ。いつでも何か火種を探しては決着をつけようとしていて、とてもデリケートな問題なんだ。そうだね?」
麗美は静かにうなづく。大人しく聞いていたユメノが、「それってさぁ」と頬杖をつきながら口を開いた。
「タイラと何の関係があるんだっけ? なんでタイラが死んだことになったらまずいんだっけ」
やっぱりその話になるか、という空気になり、本橋が「やめましょうよ」と控えめに手を叩く。「この先はほとんど推測になるじゃないですか、私たちが話すことじゃないですよ」と。それに対し、イマダはふんと鼻を鳴らした。
「じゃあ、事実だけお話すればいいんじゃねーの。こいつらにだって、隣人が何者なのかぐらい知る権利はあると思いますけど?」
圧された本橋は、自分の髪をいじりながら黙る。イマダが足を組んで話し始めた。
「そもそもが、派閥の分かれたような不安定な状態で、なぜ7年も目立った抗争もなく火花が散る程度でみんな大人しくしていると思う」
何とはなしに、章と若松を見る。この二人の威厳、などではなさそうだとユメノたちは失礼なことを思った。イマダが話を続ける。「アラキ会長は殺されたんだ。暗殺なんかじゃねえ、稀代の馬鹿が正面切って殴り込んだんだ」と忌々しげに言った。「みんなその、アラキ会長を殺したやつがこわいんだよ」と。
今までの話を聞けば、アラキ会長というのがどれだけ偉い人物だったかはユメノたちにもわかる。もちろんそんな人間が一瞬でも無防備であったはずがない。それなりに護衛などもあっただろう。そんな中でやり遂げた殴り込みであれば、周囲が恐怖を抱くのもわからなくはない。
でも、とユメノはちょっと笑う。「みんなっつっても、タイラとかそこら辺の馬鹿は別に怖がらなかったんじゃない?」と茶化すように言った。間髪入れずに、イマダが「タイラだ」と告げる。
「え?」
「アラキ会長を殺したのが、タイラワイチだ」
その場が、しんと静まった。理解の追いつかない様子ながら、ユメノが「なんで」と問う。「さあな。お巡りさんの言う通り、これ以上はただの推測になる。意味ねえ」と、イマダは突き放すように言った。
「というかお前ら、あの男と3年ぐらいは一つ屋根の下じゃねーの? なんでこんなことも知らねえんだよ。むしろお前らが俺らより知ってろよ」
ユメノも今度こそ完全に黙る。そこまで言わなくても、と本橋が気遣わしげな目をした。「で、」と口を開いたのは麗美だ。
「そのタイラワイチは今どこにいるわけ?」と。
言いにくそうな顔をして、カツトシが「タイラは」と呟く。「釣り……。ユウキと、ミユちゃん連れて」と、頭をかきながら続けた。「釣り……?」と、主に麗美とイマダが唖然とする。竹吉がうなづきながら「いいよなぁ釣りは」と肯定した。イマダが頭を抱える。
「なんだ、その休日のお父さんの家族サービスみたいな」
それから、章と若松を指さした。「対立しているはずのトップ候補2人がこうして仲良く茶を飲んで、曲がりなりにも抑止力として恐れられている男がガキを連れて家族サービスだぞ」と嘆く。
「でも海釣りだよ」
「えっ、だから何なの。何釣りだろうが心底どーでもいいんですが」
「いや海釣りが一番だろ、大物狙うなら」
「そういう話じゃねーよ」
つうかうるせえよ、とイマダが振り向いた。瞬間、動きを止めて絶句する。笑いながら「よお」と手をあげたのは、紛れもなくタイラワイチ本人であった。
「い、いいぃ、いつから」と声を震わせてイマダは尋ねる。
「『お前それ休日のお父さんの家族サービスかよ~』あたりからかな」
「よーかったー。そんな力の抜けるツッコミした覚えねーけどよかったー」
何の話してたんだよ、と言いながらタイラはイマダを蹴り飛ばした。無言で「ここ俺の席だから」という目をする。気が付けば、ユウキと実結もそれぞれ椅子に座って話に混じっていた。「釣れた?」と都が聞く。「釣れねえ!」とタイラは上機嫌に答えながらクーラーボックスをカウンターに置いた。
「ぼくはつれましたよ! 大きいやつです!」
「ミユもね、ミユもおさかなさわった!」
そう、と微笑みながら都は実結の髪をなでる。
麗美が腕を組んだまま、タイラに「元気そうじゃん」と声をかけた。「あれ、ドレミちゃんじゃん」とタイラも言い返す。
「ドレミちゃんに、ラムちゃんに、竹吉? 同窓会か?」
本橋もいますよ、と本橋が元気よく手を振った。それから章と若松も、控えめに手を振ってみせる。
「……どうしたカツトシ。繁盛してんじゃねえか、しかもこんなクセの強い客にばっか」
「あんたのおかげよ」
「馬鹿言うな、俺が呼んだわけじゃねえよ」
「あんたに呼ばれたのよ、ほとんどが」
そうかあ? とタイラは眉根を寄せ、カウンターに肘をついた。そうだよ、といきなり竹吉が立ち上がってタイラの足元にすがる。
「頼みがあるんだよぉ、タイラ」
「俺はお前の依頼は受けねえと決めた」
そんなこと言うなよぉ、と竹吉が泣きついた。それを見たユウキが、どこか怯えたようにユメノとノゾムの背中に隠れる。
「それではタイラさん、僕とお仕事をしましょう」
まるで素敵な提案だとでもいうように、目を輝かせて章が申し出た。「坊ちゃんの仕事はこの前受けたばっかりだからなぁ。フェアじゃねえなぁ」とタイラは考え込む。「なら俺の頼みを」と竹吉はあくまで諦めない。その様子を尻目に、若松がカツトシに「ワッフルを包んでくれないか」と頼んでいる。
不意に、17時の鐘が鳴り響いた。
大変、と立ち上がったのは本橋だ。「本橋はもう帰りますね! イマダさんは連行いたします」と、手錠をはめられたイマダを引きずっていく。「またお会いしましょうね、本橋さん」とにこやかに言った章に対しては引きつった笑みを浮かべ、足早に遠ざかっていった。
「マジか、おいマジか」と真顔で繰り返しながら、イマダはそれでも素直に本橋について行く。
次に立ち上がったのは若松だ。「私もそろそろ行こうかな。アキラくん、一緒にラーメンでも食いに行かないかね」
いいですね、と章は言った。それから振り向いて、「懐かしさで感傷に浸りたい気分ですので、お仕事の話はまたにしましょうタイラさん」なんて手を振っていく。
「お願いだから自分たちの立場をわかってほしいわぁ」と麗美が不安そうに言い、「懐かしさとか言っても、坊ちゃんまだ十代でしょうよ」とタイラがひとりごちた。それから、今なお足に縋り付いている竹吉を引きはがしにかかる。
「おいデブ……わかった、後で話だけは聞いてやるから今日のところは帰れ」
「本当か」
仕方なさそうにうなづくタイラに、竹吉は目を輝かせた。「嘘じゃないな? ほんとだな?」と言いながら、軽やかに帰っていく。
残ったのは麗美だけだ。麗美はゆっくりとタイラの前まで歩いて行き、バッグから写真を出した。
「この前の。現像したから、金払って」
「えええ、頼んでねえ」
後でいいから、と押し付けて、麗美はじっとタイラを見る。「元気なんでしょ?」と念を押すように尋ねた。「絶好調だよ」とタイラが答える。ふん、と鼻を鳴らして、麗美は踵を返した。「今日はなかなか興味深いことをたくさん聞けてよかったわ。じゃーね」と、振り向きもせずにドアを開ける。「何なのあいつ」と、タイラは呟いた。
そんなタイラの手の中から、ノゾムが写真を奪取する。
「――――うわ、どういうことっすかこれ!」
その写真は、タイラがユメノの膝枕で横になっているというものだった。それを見たカツトシまで、「どういうことよ、これ」といきり立つ。顔を赤くしたユメノが「違うよ、違うって」と弁解しようとしていた。
タイラが、都にそっと耳打ちする。「あいつらに、何か言われた?」と。都は一瞬言葉に詰まって、首を横に振った。「ああ、そう」とタイラは腑に落ちない顔をする。
「ちょっとタイラ、聞いてんの?」
「あ? ああ、それはあれだよ……なりゆきだよ」
「なりゆきって何よ! どんななりゆきでユメノちゃんに膝枕してもらえんのよ!」
うるせえよ、と言いながらタイラは逃げようとした。「どこ行くのよ!」「説明を求めます」と追いつめられ、ついにタイラが走り出す。店を飛び出したタイラを、カツトシとノゾムが追いかけて行った。
残された都は、ちらりとユメノを見る。ユメノは難しい顔で腕を組んでいた。
都も、先ほどタイラから『何か言われた?』などと聞かれたときに、なぜごまかしてしまったのだろうと考える。とても大切な機会を逃してしまったような気がしていた。ユメノも、同じようなことを感じているのだろうか。何か言いたげに唇を噛んで、うつむいた。
やがて、タイラたちが戻ってくる。
「話はついたの?」と都が尋ねると、タイラは椅子に座りながらうなづいた。
「今度、カツトシとノゾムも釣りに連れてくってことで」と。
何それ、とユメノが呆れる。カツトシとノゾムは、知らない顔でクーラーボックスの中を覗いていた。これだから男は、とユメノは嘆く。
都は目をつむり、それからタイラの服の袖を掴んだ。
「ねえ、タイラ」
「ん?」
空気が凍るようだった。カツトシたちが、緊張した顔で見ている。都は唇を舐めて、口を開き――――情けなく、笑った。
「私も、連れて行ってね」
タイラはからっと笑う。
「じゃあ、今度はみんなで行くか」と。ええ、と都は早まる鼓動を押さえつけてうなづく。それから、ユメノたちに向けてちょっと舌を出して見せた。仲間たちの安心したような顔が見える。誰よりも安心していたのは、なぜだろう、ユメノのように思えた。
カツトシが魚をさばくのを見ながら、タイラが呟く。
「理由なんて、ねえよ」
それを聞いていたのは、膝に乗っていた実結だけだった。「いたいの?」と実結が尋ねる。タイラは表情を変えずに、「少なくとも俺は痛くないだろうな」と他人事のように言って、実結の頭を撫でた。魚は、立派な活け造りになっていた。
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