第170話「スレイプニルの中ですよ」

「で、だ。ここでエンドマーク、ってワケじゃないんだろ? あんまりめでたい状況でもないし」

 腕組みするファントム3――メイ・ローウェルのツッコミが、停滞しかけた空気を打ち砕いた。

「も、モチロン! アタリマエじゃあないですか!」

 いわおから勢いよく三歩くらい飛び離れた後、ヘルガは大きく息を吸う。大きく吐く。

 それで、平常心は概ね戻っていた。

「……コホン。皆へここに集まって貰った理由は、たったの二つ。アフリカ人造Rフィールド内部の状況打破、並びに黒幕を倒すため、です」

「に全て終わらせる、って魂胆か。分かりやすくて良いんじゃないか」

 頷く巌。口元には微笑が浮かんでいる。

「それは、つまり。私達の首魁である、ザイード・ギャリガンを倒すという事ですよね」

 小さく手を上げ、割って入ったのはサラだ。その隣ではペネロペが、眠そうながら頷いている。

「そうだね。当然、それも視野に入ってる問題の一つだけど……ご不満が、おありで?」

「そりゃあもう。とりあえず私達が招聘された理由は理解出来ましたが――」

 ちらりと、サラは奥へ目をやる。

 皆が寄り集まっている位置から、少し離れた場所。相変わらず広がっている格子模様の深淵を背景に、浮かんでいるのは複数の立体映像モニタ群。その中央にある一番大きな画面内には、chapter16で全員が辿っていただろう予測映像がループ再生していた。更にその隣のモニタは映像の注釈が表示されている。

 そこには様々な情報が載っていたが、とりわけサラの目を引いたのは以下の記述だ。

 フォースカイザーのサブパイロットは、chapter16-07の終盤で死亡している可能性が高い。

 レツオウガ・フォースアームド内部には、通常をはるかに超える霊力循環が発生している。何らかの術式の発動によるものだ。これが発する熱エネルギーに対するサブコクピット側の安全処置は、恐らく十全ではない。

「――それで協力し戦力になれ、というのはいささか頷けないですね」

「ふむ。命を助けたのに、ですか」

「あ、そこは感謝してます。ありがとうございます」

 ぺこり、と礼儀正しく頭を垂れるサラ。ペネロペも半分寝ながら倣う。

「ですが、だからと言って社長へ反旗を翻す理由にはならない。それだけの話です」

 頭を上げるサラ。双眸はバイザーがために見えないが、それでも意志は見て取れた。

「戦う理由が無い、か。理屈は分かるが生真面目じゃのう」

 言いつつ顎をさするのは、ファントム2こと雷蔵らいぞうである。虎の牙で不敵に笑いながら、雷蔵はかつてウェストミンスター区で交えた刃を思い出す。サラはおどけるように肩をすくめた。

「戦う理由、か」

 ぽつりと。ファントムXことハワードは呟く。

 集まる視線。グレンやサラ達とは違い、ザイード・ギャリガンと戦う理由を見出した男。

 その理由を聞かれる前に、ハワードは疑問を投げた。

「……そもそも、ここはどこなんだ? 霊泉領域に作用して全員の意識を繋げてる、ってエのは何となく解ンだけどよオ。こンだけの規模の術式を、しかも動作させるための霊力を、どッからどォやって工面したんだ?」

「あーソノヘンはまったくもって僕も同感なんだよネーむかーし僕が大枠をざっくり作ってみたものの有用性とか運用コストとかゆうせせこましいモンダイが立ち塞がってお蔵入りしたハズの術式にどことなく似てるってのがまたキニナルんだよねえ」

 矢継ぎ早にまくしたてる利英りえい。ハワードと聡い何人かは、少なくとも術式の出所がどこなのか察した。およそ過去二年の間、ヘルガは何の痕跡も残す事なく凪守なぎもりのシステムへ侵入出来ていたのだから。

「……だがまあ、ハワード氏の疑問も最もだ。ヘルガ、これ程の霊力を一体どこから?」

 改めて向き直った巌に、ヘルガは意味深な笑顔で返す。

「うふふ。実はアタシが用意したワケじゃあないんだなーコレが」

「? なら、どうやって?」

「うん、その辺を説明するための担当者が、そろそろ来ても良い……あ、来た来た」

 着信音を鳴らすリストデバイスを、ヘルガは手早く操作。辰巳たつみとグレンの通った扉が光り、二人は思わず一歩引く。接続設定が書き換わったのだ。

 かくて扉は開き、新たな人物が現れる。

 その姿にハワード、グレン、サラは目を剥いた。ペネロペでさえ少し起きた。

「お待たせしてしまったようですね」

 ロングスカートをなびかせながら現れたその女性の名を、グレンは呟いた。

「ファネル、さん? え、何でここに!?」

「ハハハ! そりゃあアタリマエだよキミイ」

 ヘルガはファネルへつかつかと歩み寄り、彼女の隣に立った。そこから一同を振り返る。

「何せファネル・クレイス女史もまた、そちらのハワード・ブラウン氏と同様にグロリアス・グローリィを見限った人だからねえ」

「ん、な」

 ハワードを筆頭に、絶句するグロリアス・グローリィの面々。そうした空気の混乱ぶりを受け流しながら、ファネルは雇用主へ一礼する。

「皆さん混乱されておられるようですし、ひとまずお茶の準備をしますね」


◆ ◆ ◆


 ファネルの準備は実にてきぱきとしたものだった。気付けば一同は大きなテーブルに座っており、手元には緑茶、紅茶、コーヒーなど何らかの飲み物が置かれている。なおどれもヘルガが術式で用意したものだ。

「今更指摘するのも何なんだが」

 湯飲みを置き、巌は隣のヘルガを見た。

「この場所、外とは時間の流れが違うな?」

「そりゃそうだよ。そうでもしなきゃこんなじっくり腰を据えた話し合いなんて出来ないもの」

 オレンジジュースの入ったコップ――これもまた術式による疑似再現物体――を置きながら、ヘルガは答えた。

「術式の行使に最適化された空間……しかも使われているのは重力制御……いや、韋駄天術式かなー?」

 エスプレッソをちびちび舐めながら、利英は分析する。

「どうやって入手したのかどうやって組み合わせたのか。疑問はどうにも尽きないけんども、何よりカニより気になるのはさっきも巌が言っていた点だよね」

「と、いうと?」

「原動力の霊力をどうやって用意したのか、さ。もっとも僕の見立てでは、そちらのお嬢さんが鍵を握っていると思うのだけどもどうでしょうそこんところ」

 口の端を吊り上げながら、利英は彼女を、ファネル・クレイスを見た。全員がそれに倣う。

 対するファネルは、巌の湯飲みへお茶を注いでいた。背筋はピンと伸びており、動揺する様子は全くない。

「どうぞ」

「ああ、ありがとう。素晴らしい手並みだね」

「恐縮です。ですがこの程度はメイドとして当然の務めですよ」

「成程。では、当然ついでに聞きたいのだが……」

 利英の質問を補足するように、巌は問うた。

「……君は、二年くらい前からヘルガに雇われていたのかい?」

「ゴブ、っハア!?」

 と、牛乳を吹き出しかけたのはグレンである。さもあらん。彼はギャリガンに仕えるファネルの姿を、今日の戦闘が始まる直前まで見ていたのだから。

 間一髪のところでどうにか飲み込んだグレンに微笑しつつ、ファネルは答える。

「少し違いますね。正確には、確か、一年半くらい前からでしょうか。ギャリガン様とは二重契約になっていましたが、最終的に殺されてしまうようでは、いくらお給金を頂こうとお話になりませんし」

「ん? あれ? って事は、私達が秘密拠点で色々やってた頃からそちらのメイドさんと知り合いだったって事なんですか?」

「え、知らなかったのかい霧宮さん」

 と、牛乳を飲みながら首を傾げたのは辰巳である。

「そりゃそうだよ、だって私寝てる時間長かったんだもの……でも、どうしてそんな事を?」

「それは当然、敵方の先見術式を欺く為だよ」

 一口、ヘルガはオレンジジュースを飲む。

「モチロンあの時、ファントム5アナザーとやった奇襲が通ればそれでも良かったんだ。けど敵方の未来予知の精度は、アタシの予想通りのものだった」

「でもあの時、私と一緒に驚いてたじゃないですか」

「そりゃそうさ、敵を騙すにはまず味方から。封鎖術式で記憶を制限してたワケ。でも、仕掛けた手品はそれだけじゃあない」

「と、言うと?」

 首を傾げる雷蔵。手元のブラックコーヒーはあまり減っていない。猫舌だからだ。

「さっきから出てる疑問の答えだよ。この場を構築してる術式、それをずーっと作ってたワケさ、こっそりと。風葉かざはが日乃栄高校で記憶を取り戻すよりも前からね」

「分霊を操作しながら、ですか? それってかなり大変なのでは? 右手と左手で別々の作業をするようなものだと思うんですけど」

 レモンティーの入ったカップを置きながら問うサラに、ヘルガは苦笑を返す。

「そりゃあもう大変なんてもんじゃなかったよ。他にも手が離せない作業が多かったから、遠隔操作もちょっと甘くなっちゃったりしてさあ。あの時のアタシの発音、ちょっとおかしな所あったでしょ?」

「そう、言われてみれば」

 思い返しながら、風葉は牛乳を一口飲む。確かに、主に立方体だった頃のヘルガは語尾が少し奇妙な所があった。あれは単に発音機構の仕様か何かだと思っていたのだが……。

「いやーホント大変だったよ。ファネルさんをスカウトして、向こうの先見術式の探知範囲にはまず入らないだろう場所を確保して、霊力もたっぷり融通するようにして」

「ストップ。ストーップ」

 二杯目の湯飲みを空にした巌は、ヘルガを止める。

「どうかした?」

「したともさ。さらっと流さないでその辺を詳しく掘り下げてくれないか」

「どの辺?」

「決まってるだろう。キミの奇襲を察知する程の先見術式の探知範囲から外れた場所と、この空間術式を維持する程の霊力の確保先だ。僕らは皆……いや、そちらのメイドさん以外は皆それが気になっているんだがね」

 きょとんとするヘルガ。丁度その斜め後ろに居たファネルは、小さく苦笑していた。

「……ああー! そっかそっか! そうだった忘れてたよ小さい事だったからさ」

 なんだかどこぞの研究者とはまた違った方向のトビっぷりだな――胸中で独り言ちながら、冥は答えを促す。

「それで? 結局ここはどこなんだい?」

「ああ、スレイプニルの中ですよ」

「え」

 冥、のみならず。

 ファネルを除いたその場の全員が、言葉を失った。

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