Chapter14 隠密 04
「ふー……」
「……まるで悪の科学者だな」
「おっと、勘違いして貰っては困るねえ。僕は魔術師だよ」
「悪の、ってトコは否定しないんだな」
「そりゃそうだろう? ここまで世の中をしっちゃかめっちゃかにした組織の首魁が、今更どのツラを下げて正義を名乗れると言うのかね」
「ま、それもそうだ」
辰巳は呆れ半分に、ギャリガンは喜色満面に、それぞれ笑顔を浮かべる。
そして辰巳は、不意打ち気味に問うた。
「出来ると、思ってるのか」
「もちろん、思ってるとも」
辰巳の笑みは消える。ギャリガンの笑みは消えない。
「ヴォイド、あるいは
「……さてな」
「シラを切るか? まあ良いだろう。だがキミは見たはずだ。ヒトの意識の底の底。
「……」
辰巳の態度は変わらない。だがその表情の微妙な変化を、ギャリガンは楽しむ。
「ふふ、そう隠さなくても良いじゃないか。実際それで目覚めたんだろう? 韋駄天の権能、その一端に」
「……。ま、確かにそうなんだけどよ」
こつ、こつ。机を軽く小突きながら、辰巳はギャリガンを睨み据える。
「なんでアンタ、それを知ってるんだ?」
「その辺は企業秘密、というコトにして貰えないかな?」
肩をすくめるギャリガンに、今度は辰巳がニヤリと笑う。
「ひょっとして、アレが関係してるのか?」
辰巳は親指で一枚の立体映像モニタを示す。四角く切り取られたその映像の中では、相変わらずグレンが、
そしてその掌中には、辰巳が新たな力として獲得し――ここではまだ披露していない筈の新装備、グラディウスが獰猛に閃いている。
恐るべき速度。その凄まじい斬光の在り方は、明らかに韋駄天術式のそれだ。
やり方までは知らねェが、グロリアス・グローリィはファントム4のあらゆるデータを、どうにかして事細かに取得してんのさ――以前内通者からもたらされた情報が、改めて辰巳の脳内でリフレインする。
「とにかく、だ。僕には虚空領域へ、ヒトの集合無意識が寄り集まる場所へと、干渉する手段がある」
「サラッと凄え事を仰られるもんだ」
空のカップを置く辰巳。流れるような手付きでおかわりを注ぐメイドを横目に、ギャリガンは笑う
「ふふ。分霊とはいえ、ギリシャ神話に謳われるハーデス神を戦力の一部としているファントム・ユニットが、それを言うのかね」
「あー。まぁ、確かにその角度からツッコまれると痛いな」
頭をかく辰巳。ギャリガンは穏やかに続ける。
「どうあれ、僕には虚空領域へ干渉する手段がある。今までのように、全人類の意志を読み取るだけじゃあない。手を加える事が、いよいよ可能になりつつあるのさ」
「それは、つまり」
慎重に、辰巳は言葉を選ぶ。
「人類全てを、洗脳して征服する準備がある、と?」
「ハハ、洗脳か。ちょっと違うな。まぁやれなくもないだろうが……そこまで強烈なコトをしたら、経済活動に支障が出てしまうじゃあないか」
「……?」
首を傾げる辰巳に、ギャリガンの笑顔へやや苦笑の色が混じる。
「そうだな。ふむ、アダム・スミスを知っているかね? 十八世紀の経済学者なんだが」
「……基礎出席日数すらちょっと足りない気味の高校生もどきに、そういう難しい話をされても困るんだが」
仏頂面でマドレーヌをかじる辰巳。ギャリガンは苦笑を深めた。
「そうか。では、手っ取り早く要点だけ述べよう。彼は著書『国富論』の中でこう述べた。『富とは黄金に非ず。日々の経済活動における生産物なり』――下手にヒトの自由意思を曲げてしまえば、その経済活動に支障が出るかもしれないじゃあないか。洗脳なんてとてもとても出来たものではない」
わざとらしく。これ見よがしに。ギャリガンは、右手を翳す。親指と人差し指で、何かを摘まむような形を作る。
「だから。ほんのちょっぴりだけ誘導するのさ。思考を。あるいは嗜好を。僕の、或いは同盟者達のプロデュースする商品を、ほんのちょっぴりだけ手に取りやすくなるように、ね」
「……呆れた。そういうのを、世間一般では洗脳っていうモンだと思うんだがな」
「ほほう? そうなのかね。初めて知ったよ」
肩をすくめるギャリガン。カップを取りながら、辰巳はあからさま過ぎるその余裕を訝しむ。
「しかし。そうなると、改めて意味が分からないな」
「と、いうと?」
「その計画を成就させるには、Rフィールドに俺達ファントム・ユニットが攻め込んでる今の状況を、解決しなきゃならない」
「そうだな」
「つまりそれは、俺達ファントム・ユニットを捕縛、ないし抹殺するって事だ」
「そうだな」
「そしてそうなった場合、グロリアス・グローリィは全世界から警戒対象にされる。指名手配犯になるようなもんだ」
紅茶を一口含む辰巳。丁度良い温度だ。術式の保温が効いているのだろう。
「……例えどれだけ規模がでかかろうと、どれだけ金や技術を持っていようと、世界的に有名な指名手配犯とおおっぴらな取引をしようと思う魔術組織なんざ、あるはずがない」
「まったくだな。寧ろそんな事をしでかす指名手配犯なぞ、討伐して組織の箔にでもしてしまって、その裏で金と技術を吸い上げてしまう方が余程良い」
紅茶を飲み干すギャリガン。嫌味なくらいにゆっくりと、カップがソーサーへ戻る。
「――うん、成程。これじゃあ世界制御なぞおぼつかないな?」
「だったら、何故」
おかわりをファネルに注がせながら、ギャリガンは更に続ける。
「逆さ。ファントム・ユニットが来たから失敗したんじゃあない。ファントム・ユニットが来たから上手く行くんだ」
「……」
眉をひそめる辰巳へ見せつけるように、ギャリガンはカップを持ち上げる。ゆらゆらと湯気がゆらめく。
「良いかね? 僕は先見術式で未来を既に見ている。その未来では、僕が構築したRフィールド内でファントム・ユニットが戦闘しており、あまつさえスレイプニルⅡ内へファントム4の侵入をも許していた」
「だったら――」
「だが。言い換えてしまえば、それだけだ」
ギャリガンは紅茶で唇を湿らす。そして続ける。
「解るかね? それだけなんだ。他の魔術組織が、ファントム・ユニット以外の勢力が介入してくる事は、まずありえない。特にこのRフィールドやスレイプニルⅡ内部が潜入制圧されるような事態は、絶対に起きない」
辰巳は息を飲む。ギャリガンはいよいよ喜悦を隠さない。
「そうとも、だから世界中の魔術組織にサトウ君を潜り込ませたのさ。ファントム・ユニット以外の勢力は全て黙らせる事が出来るのだと、先見術式が教えてくれていたからね」
「だからって数年……十数年どころじゃない下積みだったんだろ? つくづく、気の長い話だな」
口が渇く。思わず辰巳は一口含んでしまった。
「まったくだね、自分でもそう思うよ。けどね、僕にはそんな手段を取っても特に問題ないくらいカネと時間があったし……何より、常に先見術式が未来を確定してくれていた。失敗しない事が解りきっていた。こんな安全策、使わぬ方がおかしいだろう」
「ギノア・フリードマンや、エルド・ハロルド・マクワイルドによる一連の犯罪も、その一環か」
「犯罪とは心外だね、実験と言ってくれないか。彼等のお陰で神影鎧装を始めとした色んな術式のデータが取れたし、何より最高の時間稼ぎになった。もはや憂いはない。全ての準備は整った。始めるには実に良いタイミングだ」
しれりと言うギャリガン。思わず辰巳はむせた。
「良い、タイミングって、おい、まさか」
「そうとも。今まさに全ての魔術組織は麻痺状態に陥り、敵は僅かに
ぱきん。
ギャリガンが指を鳴らした直後、部屋全体が――いや、スレイプニルⅡそのものが、重々しく鳴動する。莫大な霊力が、得体の知れない術式が、ギャリガンの計画の根幹が。
いよいよ、その身をもたげたのだ。
「……。そうかよ」
少し思考を整理しながら、一息に紅茶を飲み干す辰巳。おかわりのため近付こうとしたメイドを手で制し、辰巳はじろとギャリガンを見る。
「だったら。俺が何のためにここまで入り込んだのかも、解ってるワケだ?」
「当然だろう? ファントム・ユニット、いや世界中を見渡してみても、タツミ・イツツジ、キミ程見事に潜入と拠点破壊を両立できる者なぞ、なかなかいないよ」
「そりゃどうも」
作り笑いを頬に貼り付けながら、辰巳は左腕を口元に寄せ――しかしギャリガンがそれを止める。
「おおっと待ってくれ。その前にこれを見て欲しい」
ぱきん。
ギャリガンがまた一つ指を鳴らすと、更に一枚新たな立体映像モニタが傍らへ浮かぶ。大画面の中へ映りだしたのは、どこかのオフィスのような一角。
電話がひっきりなしに騒ぎ、怒号があちこちを飛び交い、誰もが皆殺気立っている。いかにも修羅場といった雰囲気だが、しかし彼等は納期に追われている訳では無い。
「あれは」
画面奥、忙しく横切っていく中年男性の姿を、辰巳は目で追う。彼が来ていたのは一般的なスーツではなく、スイスの魔術組織エッケザックスの制服だ。
「じゃあ、この映像は」
「ご明察。僕が展開したRフィールド、それを監視している合同拠点の中のオフィスさ。そして」
カメラマンは立ち止まる。酷くゆっくりと、左手パーティションの扉へ向きを変える。
「この名前に、見覚えがあるんじゃないかな?」
アリーナ・アルトナルソン。
凪守へ秘密裏に協力し、ここに至るまで辰巳をサポートしてくれていたオペレータの名前が、扉に書かれていた。
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