ChapterXX 虚空 06

『――アンタ、なんなの』

 冷や汗をヘッドギア内側に滲ませながら、しかし画面に映るヘルガの照準は微動だにしない。構えこそ片手腰だめの不安定なれど、鎧装の機構がそれを補っているからだ。

 加えて、構えた銃はグレイブメイカー。大鎧装すら破砕せしめる特殊弾が装填された銃口を、しかも胸にほぼ密着した状態で、けれども男は笑っていた。

 フード奥に隠れた双眸を歪めながら、吟味するようにヘルガの表情を見ていた。

 そしてその嗤い方を、風葉かざはは知っていた。忘れようが無かった。

「あ、れ、は」

 驚愕、恐怖、憤怒。種々の激情がない交ぜになった呟きが、風葉の喉から絞り出される。

「そう。『あのヤロウ』だ。風葉や、アタシや……多くの人達を、自分のエゴで踏みにじり続けている、ド外道さ」

 虚空領域側のヘルガは忌々しげに吐き捨てて、しかしすぐさま自嘲の表情に変わる。

「ま、こン時のアタシはそれを見抜けなかったんだけどネ」

『おや、分からないのかい』

 丁度その時、黙していた無貌の男フェイスレスがおもむろに口を開いた。

『ご覧の通り魔術師だよ。技術方面で協力していた、ね』

『ああそう。技術者だってんなら、ちゃんと着てて欲しいモンだけどネ、白衣とか』

『ハハ、違いない』

 無貌の男は笑う。悪びれた様子なぞ微塵も無い。己の喜びを全身で表すその有様には、妙な無邪気さすら見える気がした。

『……で。その技術者サンが、一体ここで何してたのかしら? スティレットの秘密計画のお手伝い?』

『手伝いか、ちょっと違うな。何せ僕は、ここの主任みたいなものだからね』

『――!』

 小さく息を飲むヘルガ。動揺は、しかし五秒もせぬ内に余裕へ姿を変える。

『ヘ、ェ。ならザンネンだったね、計画は失敗だ。何せ御社の皆さんはたった今、体調不良で仕事が出来なくなったようだからね』

『……? え。体調不良はともかく、"たった今”?』

 妙な所に興味を引っかけた無貌の男は、無造作に階下を、白衣に似た魔術衣に身を包んだ仲間達を見下ろす。

 程なくして男は、ヘルガが束縛術式の事を言っているのだと気付いた。

『ああ、成程……ハハ、ハハハ! こりゃあ力づくな体調不良もあったもんだな!』

 心底愉快そうに言った後、無貌の男の哄笑はぴたと止まる。

『けど、おあいにく様。連中は最初ハナから体調不良なんだなコレが』

『えっ』

『良く見てみなよ。僕なんか見てたって、面白くもなんともないんだから、さ』

 この期に及んでふざけた事を。内心そう毒突きつつ、ヘルガは束縛した階下のスティレット構成員達を、横目でちらと見る。

『あッ』

 一瞬、ヘルガはグレイブメイカーの照準を揺らしかけた。まぁ無理もあるまい。捕縛術式で拘束した魔術師の全てが、皆一様に虚ろな顔をしていたとあれば。

 しかも、よだれを垂らしている者すらいたとなれば。

 確かに捕縛術式には高圧電流を発生させ、捕縛対象を無力化させる機能も備えてはいる。

 だが今ヘルガはそれを起動していないし、よしんばやったとて、ああまで死にそうな顔色になる道理も無い。

 なら何故彼等は今、たった一機でこちらを押すレツオウガのオーナーである彼等は今、あんな姿を晒しているのか。

 よくよく見れば男達には、霊力光の線が全身に絡みついている。伸びる線は複雑に分岐しながら床や天井を這い回っており、恐らくこれが地上で見た巨大術式陣へと繋がっているのだろう。

 更にこうした霊力の配線は、この地下区画の大部分を占める巨大な装置へ繋がってもいる。

 高さは二階建ての建物以上、幅は大鎧装を三機、いや四機は軽く並べられるだろうか。大小様々な立方体、あるいは直方体型のモジュールを出鱈目に組み合わせた、恐ろしく歪で巨大な機械装置。その表面上を、地上で見た術式陣以上の密度でもって、霊力の線が這いずり回っている。

 時折脈動するように淡く霊力線を明滅させるその様は、さながら巨大生物の内臓のようにも思えて。

『……成程。捕縛術式はいらなかった、ってワケ?』

 その異様へ飲まれぬようにと、ヘルガはあえて軽口を叩いた。

『そう言う事だな。いやそれにしても、少々肝が冷えたよ。必要量が集まるより先に、彼等が壊れてしまうんじゃないか、とね』

『必要量?』

『そうとも。そもそも、見れば分かるだろう? レツオウガの起動に、フォースアームシステムの試運転に、第二号虚空制御術式の敷設。どれも相当な霊力が必要だ。地下を走ってる霊脈から、霊力を吸い上げなきゃいけないくらいにね』

『な』

 ――霊脈。霊地がダムだとするならば、霊脈はそこへ霊力みずを供給する川、あるいはパイプラインと言える代物だ。そこに異常が生じたならば、当然霊地の管理局を通じて隠密作戦が露見してしまう可能性がある。

 だが、ヘルガが絶句したのはそこではない。

『何を、言ってんのよ。霊脈に流れてるのは、無形の霊力でしょ? そのままじゃあ――』

 そこまで言って、ハッとヘルガは口を噤む。もう一度、今度はしっかりと、階下の虚ろな男達を見やる。

『――まさか』

『そう、そのまさか。僕の大事な仲間達に、雑念のフィルタになってもらったのさ』

 屈託無く男は笑う。まるで、ちょっとした悪戯を見つけられた子供のように。

 しかして反対に、ヘルガは慄然とした。階下の男達が廃人じみた有様となっているのはその為だ。膨大な量の雑念を無理矢理に流し込まれたため、自我が破壊されてしまったのだ。

『なんて、ことを。けど、そんな事をしたら』

『そうだねえ。仮に計画が成功したとしても、その後が続かないよねぇ』

 くつくつと肩をふるわせながら、男は肩をすくめる。

『けどね、問題は何も無いのさ。元からこの計画は失敗する予定だったからね』

「はぁ!?」

 外野ながら、思わず頓狂な声を上げてしまう風葉。しかして当然、記録映像の男が言葉を止める筈も無い。

『先見術式、って知ってるかい? 未来予知系術式最高峰のアレ。ソイツでこの実験の後のスティレットがどうなるか、ってのを予想してみたんだけど……どうなったと思う?』

 くすくす笑う無貌の男。ヘルガは肩をすくめる事すら出来無い。

『コレがもうねぇ、何回やってもゼンゼン上手く回らないのさ。大きな目標の到達点に来たとはいえ、それが内輪もめのホイッスルになってりゃ世話無いよねぇ』

 先見術式。ヘルガも小耳に挟んだ事はある。一口で言うなら、それは術式とビッグデータの合わせ技だ。

 インターネットやテレビ番組といった分かりやすいものから、魔術組織の日報や霊地の稼働状況に至るまで。とにかく術式が敷設された周囲で観測されうる、ありとあらゆる情報を多角的に収集、検分する。そしてその上から改めて、既存の未来予知の術式――例えば北欧神話のスクルドや、トロイア王女カサンドラの権能を再現した術式を重ねる。これによって近い未来に起こりうる事象を、高い精度で導き出す術式なのだ。

 本来なら凪守なぎもりBBBビースリー、USCやエッケザックスといった大型魔術組織がようやく所有できる、巨大で強力な術式。

 保持にも運用にも莫大なコストがかかるはずのそれを、無貌の男は「身内の素行調査に使った」と、苦も無く言ってのけた。

 底が、知れない。

 そんなヘルガの戦慄を、やはり無貌の男は気にも留めない。

『だからいっその事敷設やらデータ取りやらも兼ねて、そう言う不安要素を全部間引いちゃおうと思ったのさ』

『……。それが、アレだっての?』

 ちらりと。ヘルガは階下で廃人同様の姿を晒しているスティレット構成員――後の調査で中枢を担っていた事が判明する者達の有様を、横目で促す。

『そうそう、その通り! 新型の濾過術式を使うって言ったら、ドイツもコイツもノコノコやって来てねぇ。後はお望み通りご覧の通り、術式に組み込んでやったってワケさ。ま、連中も長年の目的の礎になれたんだから幸せだったでしょ』

 けたけたと、無貌の男は笑う。あまりにも無邪気で、あまりにも邪悪な表情を剥き出しにする。

 ――絶対に、認める訳にはいかない。

 未だ背を走る戦慄に苛まれながら、ヘルガは眉間の皺を深めた。

『さぁーて、と。お喋りはここまでにして、そろそろ始めようか。オーディエンスもはしゃぎすぎで少々疲れてきたみたいだからねぇ』

『えッ』

 驚くヘルガだが、冷静に考えれば当たり前だ。この地下室に入ってから、一体どれだけ時間を無駄にしてしまっただろうか。

 まぁ実際には十分にも満たないのだが――それでもヘルガは、己の迂闊さに唇を噛んだ。

 そんなヘルガの焦燥を嘲笑うかのように、無貌の男は指を鳴らす。

 ぱきん。

 乾いたその音を合図に、一帯を這い回っていた霊力線の群れが、にわかに輝きを増す。巨大装置が唸りを上げ始め、濾過術式フィルター代わりにされた哀れな魔術師達が、びくりと身体を震わせる。

『なっ、何をするつもり!?』

『何って、そこの装置の術式群を本格起動させたのさ。決まってるでしょ? ……と、それはそれとして。見て見なよ、ほら』

 笑いながら、無貌の男は装置の反対側の壁を指差す。やはり壁面を覆い尽くしていた術式の群れは、その瞬間に一際強く輝いて――かくて閃光が収まると同時に、壁は消失していた。

 いや、それは正確では無い。消失しているように見えているだけだ。

『な』

「な」

 どうあれ画面内のヘルガと画面外の風葉は、同時に絶句した。

 さもあらん、何せそこには薄墨に染まる壁材の代わりに、外の光景が広がっていたのだから。

『ぐあああああッ!』

 吹き飛ぶ零壱式れいいちしき、鉄拳を引き戻すレツオウガ。信じられない話だが、接続先の空間が直に見えているのだ。既存の転移術式を逸脱した精度である。

 故に。

 無貌の男は、呵々大笑した。

『うッははは! 分かっちゃいたがとんでもない消費量だな! 霊脈から直接吸い上げてるのに稼働効率はギリギリと来た! やはり少々デチューンせねばならんかな?』

『あ、アンタ一体何を――!?』

『何って? フォースアームシステムを動かしただけだよ。ほら、アレさ』

 壁の向こう、空間をねじ曲げて繋がっている施設外の光景を、無貌の男は指差す。

 見れば未だに地面を覆い尽くしていた術式の内、一部が赤い輝きを放っていた。紋様が複雑すぎるため一目では分からなかったが、どうやら一体に走っている霊力線は、複数の術式が複合して出来たものらしかった。

 赤色の幅はおよそ六メートル。広がる形状から察するに、どうやら施設を中心にしてぐるりと円を描いているらしい。しかも、かなり大きめの。

『な、なんだ!?』

 何せ円の縁ギリギリで、雷蔵らいぞうの零壱式が狼狽えているのだから。

 今し方殴り飛ばされて左腕部から火花を散らす零壱式含め、動揺の度合いは皆似たようなものだ。

 だが、その中でたった一機。微塵も揺らぐ事無く、自然体で立ち尽くしている大鎧装が居た。

 言わずもがな、レツオウガである。

 施設の正面、地を這う巨大複合術式陣の中央にレツオウガが立ったのを確認した後、無貌の男は宣言した。

『では、始めようか。記念すべき実験と淘汰を。虚空領域への二度目のアクセスと、鈍刀なまくらと化した組織スティレットの打ち直しを』

 酷く芝居がかった仕草でそう言った後、無貌の男は再びヘルガを見据えた。

『……もっとも? 打ち終わる頃にはクズ鉄と化しているかもしれないがね?』

「よく言う。それが目的だったクセに」

 過去の自分へ拗けた嗤いを向ける無貌の男へ、虚空領域に囚われたヘルガは苦々しげに吐き捨てた。

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