Chapter06 冥王 03

 時間は少々さかのぼり、メイ地獄の火ヘルファイア洞窟へ乗り込んだ頃。

 ランベス橋の北東、直線距離で約六キロの場所に、高い尖塔が印象的な一軒の教会がある。

 名をクライストチャーチ・スピタルフィールズ。十八世紀初頭に建築された、この区画のシンボルである。

 馬上槍さながらに青空を突き刺している尖塔は、二十一世紀となる今日においてもなお健在だ。そもそもこの建物自体が、英国教会が移民へ睨みを利かせるために造り上げたものなのだから、立派なのはむべなるかな。

 町並みは現在こそ随分と整備されているが、かつてこの一帯は汚濁と、貧困と、病気と、犯罪と……とにかく、ありとあらゆる悪徳に充ち満ちていた。中でも取り分け有名なのが、迷宮入りした無差別殺人事件の犯人、切り裂きジャックだろう。

 とかく本格的な開発の手が入るまで、この一帯――イーストエンドは、まさに掃き溜めと呼ぶにふさわしい場所だったのだ。

「ぬぅ」

 さて。そんな掃き溜めだった町の中を、しかめ面を浮かべて歩いている男が一人。

 やや日本人離れした大柄な体躯を持つその男は、ファントム・ユニットの2番、西脇にしわき雷蔵らいぞうである。冥と同じく私服――こちらは外套を羽織っている雷蔵は、先程から妙な動きをしていた。

 眼鏡をかけて何も無い空間を手探りし、外してまた顔をしかめる、という行動を繰り返しているのだ。

 大道芸、ではない。そもそも雷蔵がかけ外ししている眼鏡は、サイズこそ違えど冥が使っていた透視術式内臓のものと同じ一品だ。

 ちなみに制作の際、依頼された利英りえいは『えぇぇー。雷蔵にも眼鏡ー?』とすこぶる面倒くさそうな顔をしたが、まぁあまり関係無い。

 とにかく雷蔵は、この眼鏡で幻燈結界げんとうけっかいの向こうを見ていた。

 そして、途方に暮れていたのだ。

「ぬぅぅ」

 梅干しを食べた時より酸っぱそうな顔をしながら、雷蔵はもう一度眼鏡をかける。フレームに刻まれた術式が発動し、タブレットに変わってリストコントローラが連動。霊力光がレンズ上を走り、雷蔵の目に結界側の風景を映し出す。

 かくして雷蔵が目にしたのは、薄墨に沈むイーストエンドの風景――ではなく、ひたすらに濃密な霧のカーテンであった。

 思わず立ち止まり、辺りを見回す雷蔵。だがやはり尖塔どころか、脇に並ぶ建物の壁すらぼやけている有様だ。まともに歩けるような視界ではない。

「パントマイムをしに来た訳ではないんじゃがのう」

 鼻を鳴らし、再度眼鏡を外す雷蔵。先程からやっていた手探りは、これが理由だ。この区に入った直後はまだマシだったのだが、進む度に密度は濃くなって行き、今ではこの有様である。

いわおがある程度目星をつけといてくれて、ホントに良かったわい」

 独りごち、雷蔵は足を止める。その目星の場所に着いたのだ。

 クライストチャーチから二十メートルほど離れた位置にある、立体駐車場。

 白が眩しい鉄筋の骨組みを、雷蔵は無造作に見上げる。

 日乃栄ひのえ高校やウェストミンスター寺院とは違い、ここに霊的な施設は何もない。本当にごく一般的な、どこにでもあるただの駐車場である。

 強いて特徴を挙げるとすれば、かつて切り裂きジャックが最後の犯行を行った跡地がここだという点だろうか。立体駐車場となる以前、建っていた建物の一室で、凶行は行われたのだ。

 そんな場所へ、雷蔵はやって来た。

『僕の予想が正しければ、ここは怪盗魔術師マクワイルドにとって、ものすごく重要な場所のはずだからねー』

 通信越しにそう言った巌の言葉は、果たして的中した。

 駐車場の前でもう一度眼鏡をかければ、霧の密度はもはやカーテンより壁と言うべき凄まじさだ。足下を見る事すら覚束ない程の濃度である。

「では、行くかの」

 眼鏡を外し、雷蔵はリストコントローラを展開。左腕を眼前へ掲げ、鋭く叫ぶ。

「セットッ! プロテクター!」

『Roger Get Set Ready』

 丁度道を歩いていた老若男女が、何事だと一斉に雷蔵を見る。

 四方八方から注がれる視線。だがそれを物ともせず、雷蔵は大きく身体を捻って溜めを造った後、アッパーカットのように左腕を空へ突き出す。

鎧装がいそうッ! 展開てんかいィ!」

 直後、リストコントローラから噴出する山吹色の霊力光。幾条も迸るそれは精密回路のように分岐し、雷蔵の全身を包み込み――最後に、閃光が辺りを薙ぎ払う。

 光はコンマ数秒でかき消え、同時に雷蔵の姿も歩道から消えていた。

 首を捻る老若男女だが、まぁ無理もない。鎧装展開が終わった瞬間に、雷蔵は幻燈結界側へ移動していたのだから。

 かくてごろごろと喉を鳴らした後、虎頭の獣人と化した雷蔵は告げる。

「ファントム2……着装完了」

 全身の毛を逆立て、浅く腰を落としながら、素早く辺りを見回す雷蔵。だが一帯を飲み込む霧はやはり非常に濃く、一メートル先すら見渡せない。幻燈結界の外では認識の修正を受けた老若男女が、何事も無かったかのように歩き出してしているのだが、当然それも見えない。

「こう視界が悪くては、なッ!」

 故に、雷蔵は跳んだ。見回す際に腰を落としていたのは、この予備動作である。

 跳躍した理由は特にない。ただ指定された目的地は目の前なのだから、取りあえず屋上へ登ってみよう、くらいの軽い気持ちだった。

「おっ?」

 だが、結果的に雷蔵は当たりを引いた。良い事が分かったのだ。しかも、二つも。

 一つは、視界が開けた事。どうやら霧は建物の三階分くらいまでしかなかったようだ。

 もう一つは、その霧の発生源が駐車場の屋上に設置されていた事である。

「コイツがそうか……思っとったよりデカイのう」

 ネコのように屋上へ柔らかく着地した後、雷蔵は霧の発生源に歩み寄る。

 それは、雷蔵と同じくらいの背丈がある、円筒形のタンクであった。

 ガラスか、アクリルか、それ以外の何かか。判然としないがとにかく透明な素材で出来たそれは、内部に透明な液体が入っている。

「水、かの?」

 縁や胴といった要所は金属で補強されており、中央にはコンソールパネルが、最下部には噴出口が、それぞれ備え付けられている。

 噴出口は三百六十度隙間無く取り付けられており、ここから吹き出る霧が立体駐車場を這った後、町中へ流れ込んでいるようだ。そのため立体駐車場は霧で埋まっており、雷蔵も足首まで浸かっている有様である。

「番人がおらんのは少々拍子抜けじゃが、さて」

 この迷惑にも程がある霧を止めるため、雷蔵は一歩踏み出す。そして、すぐに止まる。

『困るねぇ、こんな舞台裏まで来られちゃあさ』

 雷蔵の正面。どこからともなく聞こえて来た声と共に、霧の一部が立ち上がったのだ。

 音は無く、しかし生き物のように凝集するそれは、瞬く間に一つの形を造り上げる。

 かくして現れたのは、目深に被ったシルクハットで目元を隠しながら、ステッキでアスファルトを鋭く突く怪盗魔術師――エルド・ハロルド・マクワイルドであった。

 背後にあるタンクのコンソールが独りでに起動し、浮かんだ立体映像モニタからサトウが顔を覗かせたのは、丁度その直後だった。


◆ ◆ ◆ 


 サトウの操作によって新たに浮かんだ、一枚の立体映像モニタ。四角く切り取られたその向こう側で、二人の男が相対する。

 先に動いたのは虎頭の男、雷蔵であった。

『特務退魔機関凪守なぎもり、特殊対策即応班『ファントム・ユニット』所属――ファントム2』

『怪盗魔術師、エルド・ハロルド……いや』

 己の名前を途中で切り、怪盗魔術師は頭を振る。

『ここまで嗅ぎ付けた相手に、もはや詐称は無用だな』

 次いでシルクハットを霧の中に放り捨て、ステッキも無造作に倒す。片眼鏡は最初から付けておらず、シャツの色はごく普通の白だ。

 かくて怪盗魔術師たるトレードマークを全て捨てた男は、本当の名前を朗々と告げる。

『ジャック・マクワイルド。それが俺の名だ』

『ああー、やっぱりか』

 大した感慨もなさそうに頷く巌。対する冥は、硬直しているサトウ達を見ながら薄く笑う。

「どうやらこのショーも佳境に入って来たようだが、一体どういう意味だ? エルド・ハロルド・マクワイルドじゃないのか?」

『その呼び名は三分の一が正解で、三分の二が不正解なんだなー。ま、順を追って説明するよ』

 語る巌の反対側、イーストエンドを切り取るもう一枚の立体映像モニタ。雷蔵と向き合っていたエルド――もとい、ジャック・マクワイルドが動いた。

 衝。

 半ば叩きつけられるように踏み出した右足に、霧が波打つ。その波を突き破り、二つの鈍色がくるくると飛び出した。

『まぁーとにかく大変でしたよ。色んなトコから色んな手を使って色んな情報を引っ張りまくりましたからねー』

 中でも決定打となったスタンレーの資料を、巌はちらと見やる。その対面で、ジャックは回転する鈍色を掴んだ。

 くの字に歪曲した、大振りかつ肉厚の刃。薄墨色の中で輝きを際立たせるそれは、ククリと呼ばれるナイフの一種であった。作りこそ簡素だが、刃の表面に刻まれた紋様は紛れもなく術式のそれだ。

『興味深い情報はたくさんありましたが、色々と絞っていった結果、辿り着いたのがこれですねー。かつてイギリスに存在した秘密結社、地獄の火クラブ。そこへ出入りしていた魔術師達の名簿です。色んな連中が名を連ねてますが、目についたのは三人です』

 淡々と語る巌とは対照的に、獣そのものの声で雷蔵が叫ぶ。

『セット! シールド!』

『Roger Break Shield Etherealize』

 相手にとって不足無し。霊力で編まれた二枚の大型シールドを、ボクサーグローブのように雷蔵は構えた。

 視線の交錯は一瞬。獰猛な笑みを浮かべる両者は、眼前の敵目がけて同時に踏み込んだ。

・リカード。・マッケンジー。ジャック・。三人とも当時地獄の火クラブに出入りしていた魔術師であり……クラブが閉鎖される間際、ある事故を起こした連中でもあります』

「その、事故とは?」

 素知らぬ顔で言うサトウ。背後に浮かぶモニタの中で、雷蔵とジャックが切り結ぶ。

『オオッ!』

 短距離疾駆、並びに体重を乗せた全力の刺突。霊力で強化されているのか、空気を裂く音が異様に鋭い。

『ぬぅん!』

 その刃に、雷蔵は真っ向から己の右シールドを叩きつけた。

 激突、衝撃、爆ぜ散る霊力。

 負荷に耐えきれなかったジャックの右ククリはガラスのように割れ砕けるが、雷蔵のシールドはビクともしない。流石は利英謹製の一品である。

『召喚事故です。自分達の実力を遙かに超える高位の分霊を呼び出してしまったのですよ。まぁ、最終的に制御には成功したようですけどねー。そうでなければ、ああして元気に動き回る事なんて出来ないでしょうし』

 得物の破損は、しかし戦いの流れをまったく変えない。返す刀で雷蔵は逆手のシールドを繰り出し、ジャックは大きく跳躍してそれを回避。軽業師のように雷蔵の頭上を跳びながら、もう一本のククリを投擲。半ば転がるように身体を捻った雷蔵の鼻先を、鈍色の刃が掠めた。

 それとほぼ同時に着地し、踵を打ち鳴らすジャック。その音に驚いたかのように、霧の中から新たなククリが二振り飛び出した。

 当然、ジャックはそれを掴む。仕切り直しである。

『では、如何にして彼等は己の手に余る筈の分霊を制御したのか? ここから先は僕の推論になりますが――』

「構わないさ。巌が言うなら、十中八九当たってるだろ」

 モニタの向こうで繰り広げられる戦いを観戦しながら、冥は足を組み直す。優美な仕草と相反する身も蓋もない言い方に、巌の目が更に細まった。

『――恐らく彼等は、自らの肉体を捨てたのでしょう。魔術を極める筋道の上で、人としての在り方を逸脱する事自体は、まぁ良くある話です。先日あなた方が使わした死霊術師リッチのように、ね』

 斬撃、打撃。斬撃、打撃。刃と盾が繰り広げる二重奏は、時折ガラスの破砕音を挟みながら、いつ果てるともなく続く。

『あるいは、人の形を捨てるしかない状況に陥っていたのかもしれませんが……』

『大した目星だな! それで正解だ!』

 立体映像モニタの向こう、未だ切り結び続けていたジャックが、唐突に肯定を叫んだ。

 凶暴な笑みを浮かべながら、遮二無二ククリを振るうジャック。息がかかりそうな距離で同じ顔をしている虎男の姿に、かつて戦った高位分霊が重なる。

 姿も、形も、まったく似ていない。だがこの身を焼く氷のような殺意は、いくら抗おうと到底埋められぬ実力差は、どうしようもなくあの時を思い出させた。

 しかしてそんな感傷は、当然ながら戦場において隙以外の何物でも無い。

『おぉあア!』

 激烈な踏み込みを元に射出されたシールドが、ジャックの反応を一瞬上回った。避わそうとするジャックだが、コンマ数秒遅い。

 左肩口に直撃を受け、木っ端のように吹き飛ぶジャック。対する雷蔵は体勢を戻しながら、小さく舌打つ。当たりが浅い。ジャックはシールドを受ける直前、バックステップで衝撃を軽くしたのだ。

『……とかく、彼等は肉体を捨てた。そして、何らかの方法で高位分霊と融合したのでしょう。ひょっとすると、最終手段としてそういう方法が用意されていたのかもしれませんが』

 アスファルトを這う霧を踏み潰し、着地するジャック。シールドの直撃を受けた左肩は、丸く抉れて吹き飛んでいる。腕は辛うじて繋がっているが、皮一枚でぶら下がっているような有様だ。

 常人ならば間違いなく死んでいよう。だが、ジャックの足取りは乱れない。致命傷ではないからだ。

 その証拠に、傷口の断面からは骨肉どころか血の一滴すら見当たらない。代わり溢れているのは、触れそうなくらいに密度の高い水蒸気――すなわち、霧であった。

 自身の推測を裏打ちするその光景に、巌の口角が少し上向く。

『かくして奇妙な存在が生まれました。エルド、ハロルド、ジャック。三人の意志と霊力を核として、高位分霊の身体を制御するという、実に奇妙な存在が、ね』

 巌の言葉を背景に、音も無く再生するジャックの左腕。切断面から盛り上がる霧が、瞬く間に肩を再構成する。

『洞窟の崩落は防いだものの、彼等は非常に不安定な存在でした。三人の意識と、高位分霊と、洞窟内に充満していた無形の霊力。それらを一つの身体に混ぜ合わせたのですから、当然ではあったかもしれませんが』

 二度、三度。拳を開閉して感覚に変わりが無い事を確認した後、ジャックはもう何度目かになるククリを霧の中から取り出した。

 そして構え――踏み出しながら投擲。今までとは違う攻撃方法に、雷蔵の目が少し細まる。

『日に日にぶつかり合い、重なり合い、削れ合う互いの自我。放っておけば間違いなく分霊の中へ溶け消えてしまうだろう自分自身の補強を、自分達はこういう人間だったのだという確認を、彼等は定期的に行う必要がありました』

「言うなれば意志の新陳代謝か。だが、どうやって?」

 小首を傾げる冥。その正面にあるモニタの中で、雷蔵も同じく首を曲げていた。

 コンマ二秒後、高速回転しながら飛んでいくククリが、縞模様の体毛数本を削り取っていく。

『具体的には生前の行動の模倣だねー。ある時はエルドとして興行を、ある時はハロルドとして雇われの事務仕事を。そして、またある時は――』

 もう幾度目になるだろうか、激突する盾と刃。時にぶつかり、時に受け流し、吹き荒ぶ闘志が竜巻のごとくに這う霧を巻き上げる。

『ジャックとして、一般市民を殺して回っていた』

 凄まじい事実を言い放つ巌。それと同時に、先程ジャックの投擲したククリが、薄墨を折り返して戻って来た。

 鈍色の軌道上にあるのは、雷蔵の首筋である。

『正確には人体実験だったんだけどねー。でも何も知らない第三者からすれば、それは単なる猟奇殺人にしか見えなかった。しかも大っぴらにやり過ぎてしまい、術式の隠蔽をはみ出して何件か世間に知られてしまった……ジャとして、ね』

「へぇ。って事は記録されてる数よりも、もっと多くのニンゲンを切り裂きジャックは殺して回ってたのか?」

『そーいう事になるねー』

 ククリの回転が止まった。雷蔵の首筋に突き立ったから、ではない。

 刺さる直前、雷蔵の尻尾がククリの柄を巻き取っていたのだ。

 笑う雷蔵、驚愕するジャック。

『返すぞ!』

 そのまま雷蔵は腰を捻り、左右のシールドに次ぐ三撃目として刃を突き出す。ジャックは完全に虚を突かれ、回避も防御も出来ぬまま脇腹に刃を撃ち込まれた。

『っ!?』

 たたらを踏むジャック。それと時を同じくして、サトウも一歩後退っていた。

 ――十九世紀、ロンドンを震撼させた神出鬼没の殺人鬼。その正体と真相を、巌は押さえていた。

 眉間の皺を深めるサトウ。巌は既に、こうしたカードを切れるだけの根回しを終えているという事だ。今頃BBBビースリー上層部とその周辺が忙しなく動いているのだろうが、今のサトウにそれを知る術は無い。

 更に巌は息もつかせず、核心へまっすぐに斬り込んでいく。

『こうした情報を隠蔽するため、当時のBBBは切り裂きジャックを全力で排除しようとしたんですが――』

 わざとらしく脇腹を押さえていたジャックだが、その表情が苦悶から余裕の笑みに変わる。

 押さえていたククリを引き抜けば、傷口はどこにも見当たらない。元を辿れば身体と同じ霧で出来ているのだから、当然ではある。

 ――このように非常に倒しにくい性質に加え、身体の土台が霧であると言う事が、当時の調査を難航させた。

 十九世紀、環境保全と言う言葉がまだ存在しなかった時代。燃料や照明等として燃やされる石炭の影響により、ロンドンは恒常的なスモッグの下にあった。

 切り裂きジャックからすれば、これほど状況が整った狩り場も無かっただろう。見つかりそうになったなら、姿形を解いて霧となり、スモッグに紛れれば良いのだから。

 では、BBBは如何にして切り裂きジャックの凶行を止めたのか。その方法を、巌は言い放つ。

『――隠蔽失敗が五件目に達した後、方針は転換されました。この怪物を排除するよりも、手駒として利用しようじゃないか、とね。切り裂きジャックを追ううちに、彼が何を求めているのか察したのですな』

「ほう」

 と、感嘆符を上げたのは冥だけである。サトウとハロルドにとっては周知の事実であり、雷蔵には最初から興味が無い。

 あるのはただ闘志だけであり、飽くなき刃と盾の交錯がまたも再開する。

 打突、打突、打突、打突。

 斬撃、斬撃、斬撃、斬撃。

 闘志と霊力と咆哮と濃霧が織り成す多重奏は、しかし演じている二人の耳にすら届かない。

 モニタの向こうでただ淡々と、巌の推理が披露されていくのみである。

『故にそれを提示したBBBの一派は、切り裂きジャックと秘密裏に提携を結びました。自我の補強手段を提供する事と引き替えに、派閥の障害となる要素を排除する提携を、ね』

「怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドの誕生、という訳か」

 ちなみにジャックの名が使われなかったのは、殺人鬼としてあまりに有名になりすぎていた事と、単純に語呂の良さを重視したためである。

 かくて依頼主は殺人鬼ジャックへ自己確認が出来る大義名分を、殺人鬼ジャックは依頼主の意に沿わぬ相手の排除を、それぞれ行っていたのだ。まさにギブアンドテイクの関係である。

 得心して頷く冥。だが、その首はすぐ新たな疑問に傾ぐ。

「だが、だとしたらどうしてこんな騒ぎを起こした? 概ね理想的な関係じゃないか」

『うん、もちろん理由はあるんだけど……』

 不意に、視線を上げる巌。視線の先にあるのは、未だ雷蔵とジャックが戦っているモニタだ。

「?」

 何かあったのか。そう冥が聞くより先に、答えがモニタの中へ現れた。

『……ここから先は、荒事が片付いてからにしようじゃないか』

 ディスカバリーⅢ。ホバーモードで一気に霧の上を突っ切って来た三機編隊が、雷蔵達のいる立体駐車場の手前に着地したのである。巌が推理ショーで時間を稼いでいる間、帯刀たてわきからの連絡を受けて動いたBBBの戦力が、ようやく辿り着いたのだ。

 程度は違えど巌以外の誰もが驚愕を浮かべる最中、ディスカバリーⅢのモノアイは霧を吐き出し続ける怪盗魔術師のタンクを、無表情に見下ろした。

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