沼地

「・・・・・・・・・って、みろ」

『・・・何?』

「・・・・・・やっ、てみろ、

 ・・・つったんだよ」

『・・・・・・』


激痛に顔をしかめながらも、俺はなおもアガレスの顔を睨み上げる。


『・・・どうやら、命が惜しくないようじゃな?』

「・・・・・・いや、命は惜しい、な・・・」

『・・・。

 この状況で、まだかような減らず口を叩くか!』


俺の返答を軽口と受け取ってか、アガレスの語気がわずかに怒気を孕んで粗くなった。


「へらず口じゃねーよ・・・。

 ・・・命は惜しいし・・・、おまえのことも、すげー怖い・・・」

『・・・』

「・・・・・・けどな、ひとつ教えといてやるよ。

 人間てのはな、自分が『正しいことをしてる』って確信があると、その惜しい命すらも案外ポンっと賭けられるもんなんだ。

 ・・・なんでだか、悪魔のおまえにわかるか・・・?」

『・・・・・・』


怪訝そうに俺の顔を睨みつける老悪魔を前に、俺はなおも言葉を続ける。


「それはな、正しいって確信がある限り、そこには絶対的な『損』が生じないからさ。

 ・・・人間が後悔する時ってのは、迷いがあった時だ。

 迷いがあると、損失が生じた時に喪失感にさいなまれる。

 ・・・だけど、信念があればどんな結果がもたらされたとしても、そこに喪失感はない。

 ・・・・・・すべてを失ったとしても、だ」

『・・・・・・・・・』

「守るべきもののために命を賭けたっていう、消えない事実が残るからな・・・。

 ・・・おまえらはただの自己満足とかいうかもしれんが、信念に命を賭ければ、どんなぶざまな死に方をしたとしても、そこには『犬死に』はないんだよ。

 ・・・・・・悟らせてくれたのはおまえらだ。

 四ヶ月前のアインとの戦いの時、おれはそう『確信』した」

『・・・小僧、一体なにを・・・』

「・・・それで、だ。

 ・・・・・・俺はお前にエーテルを吸われ続けているはずなのに、なんで干からびもせず、こんなベラベラと喋り続けていられるんだろうな・・・?」

『―――!?』


俺の言葉を受け、アガレスははっとしたように周囲を見回した。


「・・・へっ。

 周りにはなんにもねー・・・よ。

 ・・・・・・『周りには』、・・・な」

『・・・・・・・・・・・・』


・・・老悪魔の全身が一瞬の硬直と沈黙とに見舞われた、次の瞬間。


『!!

 ―――ぬぅ!?』


アガレスは突然、顔を歪めながらざぶりと右足を上げた。


そこには。


『・・・うぉお!!

 これは・・・!』


ヒル。

ヒル。

ヒル。


老悪魔の皺くれた足に、無数のどす黒い肉片のようなヒルが―――


・・・いや、肉片のようなヒルではなく、ヒルのような肉片が。

びっしりとこびりついていたのだ。


『・・・けぇェィッ!』


異常事態を目の当たりにしたアガレスは、その左手を反射的に右足へと伸ばす。



・・・俺の腕を掴む力が、あからさまに緩くなった。



「――――――ぁあァッ!」


―――直後。


俺はうめくような叫びを上げながら、アガレスの右手首目がけて力任せに右手刀を打ち放った。


『―――ぐッ!?』


どむ、という鈍い音が皺くれた腕から響き、片足を上げていた老悪魔の影が大きくよろめく。

拍子に、俺の手首を掴んでいたアガレスの右手が押し出されるように弾かれた。


「・・・さすがに・・・片足上げたままじゃ、踏ん張れねーよなあ?」

『・・・貴様っ・・・!』


肩を負傷した上での素人の手刀だったが、アガレスの一瞬の狼狽に付け入るには充分だった。

水面に着地した俺はそのままアガレスの右腕を掴み上げると、その腹目がけて前蹴りを放つ。


『・・・ぬぐ!』


体勢を崩していた悪魔はそれでも左腕でガードしたが、俺は構わずアガレスの身体を腕ごと前へと蹴り出し、そのまま大きく飛び退いた。

力任せの前蹴りでお互いの身体が押し出される形となり、アガレスとの間合いが大きく離れる。


「・・・・・・っ。

 ・・・へへ。

 悪魔でも、沼地でヒルに襲われれば驚いたりすんのか?」


反動で不格好によろめきながらも、俺は何とか体勢を立て直し、ふたたび悪魔を正面に見据えた。


『・・・小僧!

 一体・・・!?』


アガレスはさらに二、三歩後ずさりながら、今度は左足を水面から上げる。


・・・やはり左足も同様、黒い肉片に覆われていた。


「見たまんまさ。

 お前がおしゃべりに夢中になってる間に、『潜水部隊』に包囲させていた。

 ・・・細切れになったヒル人間の肉片にな。

 さっきのワニの一撃で肉片が飛び散ったままだったの、意識してなかったろ?」


そう。

最初のワニとの戦いの際に飛散したヒル人間の肉片を、俺はあえて再生させず、水中に放置していたのだ。

加えて、精霊憑きの発動でヒル人間からエーテルを回収する際も、肉片からだけは動力源を奪わないでおいた。


「・・・考えてもみなよ。

 いくら身体能力が跳ね上がったっつったって、俺は格闘技自体はてんで素人なんだぜ。

 そんなヤツがお前みたいなバケモノ相手に、例え破れかぶれででも正面から殴りかかったりすると思うか?」

『・・・!!』

「通用しないなんて、分かりきってるのにさ。

 ・・・狙うにしても、ダウンした状態から掴みかかるなら顔じゃなくて脚とかだろう。

 なんでわざわざ、遠く離れた顔を狙ったと思う?」

『・・・足元から意識を逸らすためだったと言うのか!』


そしてアガレスが俺とのやり取りに気を取られているスキにそれらの肉片を潜行させ、その足にまとわりつかせたのだ。


結果、アガレスは俺からエーテルを吸い取ったそばから足の肉片に再回収され、エネルギーの堂々巡りを起こしていた、というわけだ。


「そういうこと。

 ・・・正直、もっと早くに気づかれると思ったんだがな。

 まあ俺としちゃ最悪、お前がビックリして俺を離してさえくれればそれで良かったのさ」

『・・・ぬぅう!』


・・・とは言え、正直悪あがきというか、苦し紛れの不意打ちだったのは否めない。

元々肉片は奇襲用ではなく予備バッテリーのつもりで残していただけだったし、不意さえ突けばエーテルを吸収できるという確証もなかった。

正面からの吸収合戦になれば、確実に俺の方がパワー負けするのだから。


・・・それを確認するために、先ほどやんわりと不意打ちの有効性を聞き出そうとしていたのだが。


「アインは肉片が付着した途端に悶絶してたのに、お前はずいぶんと気づくのが遅かったな。

 ・・・さっきゴモリーのこと鈍くさいとか言ってたけど、己の鈍感さをこそ省みたらどうなんだ?」


・・・内包してるエーテルが段違いに多いから、かえって鈍感になっているのだろうか。

大型生物が沼地でヒルにまとわりつかれても、あまり意に介さないように。


「・・・ま。

 次からドブ河を歩くときは、せめて靴くらい履くんだな、じじい」

『・・・小僧ぉ~~!!』


アガレスの忌々しげな唸り声を合図として、その肩に停まっていた鷹の使い魔がまたしても大きく翼を広げる。

突撃のサインなのは容易に見て取れた。



―――ざばっ。



「・・・ごよう・の・ない・もの・・・!」

『・・・とぉ・しゃ・せぬぅう・・・!』


俺はその場から一足飛びに飛び退きながら、口早に呪歌を口ずさみ始める。

応じて、今しがた俺がいた場所の水面がごぽりと盛り上がり、海坊主のような黒い影を形作った。



ぐちっ・・・。



直後、挽肉を叩き潰したような生々しい音が地下道に響き、その影が大きくよろめく。


《・・・キィィ・・・イ!》

『・・・この・・・こ・・・の・・・』


・・・応じて飛び散る、無数の肉片。


突撃してきた鷹が、新手として呼び寄せたヒル人間に自ら激突してしまったのだ。

肉壁のカウンターだった。


『・・・ちぃい!』

「・・・『小僧~~~』・・・、ね。

 アンドラスからも、アインからも聞いたよ、そういうセリフ」

『・・・!』

「お前らってさ、見くびってる相手に裏をかかれた時の反応がみんな一緒だよな。

 勝って当然、って意識が思考を枯らせてるから、そういう反応になるんじゃないのか」


鷹はヒル人間の左胸部辺りに右半身をうずもれさせたまま、左の翼をばたつかせてもがいている。

めり込み、粘土細工のようにえぐれた亡者の胸元からは、すでに煙が立ち上っていた。


《ピ・・・ィイ!

 ・・・ピ・・・・・・ィ!!》


・・・いかに強烈な突進力を誇っていようとも、いったんヒル人間に捕えられたらもう自力ではどうしようもないだろう。


「・・・今の使い魔の突進、一撃目ほどの勢いがなかったぞ。

 使い魔をけしかけるか足のヒルを払うか、どっちかに集中するべきだったな?」


じゃなきゃ、ヒル人間による肉壁のカウンターなんてとてもじゃないが間に合わなかっただろう。

一撃目は肉眼で見切ることすらできなかったのだから。


『なめるなぁッ!

 こんなもの・・・!!』


アガレスが怒声を上げると共に、その両の足回りが緑色の光に覆われ始める。

同時に、左足にこびりついていた肉片がまるで急速な風化にでも晒されたかのように、ボソボソと崩れ始めた。

肉片からエーテルを吸い返しているのだ。

が・・・。


『・・・・・・ぬぅ!?』

「無駄だよ。手応えないだろ?

 そもそも、お前にエーテルを吸われ続けたのに、なんで俺がピンピンしてると思ってる?」


今アガレスの足にこびりついている肉片は、既にほとんど『残りカス』の状態だった。

エーテルを吸収したそばから本体である俺の方へと送らせていたため、アガレスが気づいた頃にはほとんどエーテルが残っていなかったのだ。


「お前の意識が向くと、途端にパワー負けしちまうからな。

 俺はとにかく、吸い殺されない程度にエーテルを維持しつつお前と距離を離せれば良かったんだよ」

『・・・・・・・・・・・・』


アガレスはしばし忌々しげに自らの足を見下ろしていたが、やがて小さく嘆息すると

口を横一文字に結び、改めて俺を正面に見据えてきた。

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