地力

『―――即席にしてはなかなかの連携じゃが、いかんせん詰めが甘すぎるのぉ』


―――立ち込める煙の向こうから皺がれた声が轟き、ふたたび老悪魔がその姿を現す。


「・・・・・・・・・!!」


しかし今の俺には、そちらに目を向けているような余裕はなかった。

己の身に起こった事態を理解するので精一杯だったから。


『高加くん・・・!』


・・・結論から言うと、俺は下水の小河の中に仰向けで倒れていた。

吹っ飛ばされたのだ。いつぞやのアンドラスにやられたように。


そして右肩に走る激痛と、頭上を通り過ぎたシルエットとで、その原因というか攻撃手段も容易に推し量れた。


「・・・ぁ、づッ・・・!!」


シルエットは慌ただしく羽ばたきながら、アガレスの声がする方角へと戻っていく。


そう。

鷹が俺の右肩目がけて突撃してきたのだ。


『確かに、よい間合いで仕掛けてきたがな。

 ・・・じゃが、ワシには通じぬ』


苦痛に身をよじりながも何とかアガレスの方へ視線を戻すと、その両腕にはがびがびに乾燥したヘチマのタワシのようなものがまとわりついていた。


「・・・なん・・・・・・で!」


・・・『なぜ』という疑問が浮かぶ一方で、『それ』がなんなのかを理解するのに時間は掛からなかった。


ヒル人間の腕だ。


『・・・く。

 わたしの見立てが甘かった・・・』


乾燥したヘチマのように見えたのは、干からびたヒル人間の腕だったのだ。

それが肘の辺りでへし折れて、アガレスの両腕を掴んだままの形で残っていた。


『左様。

 ・・・小僧、ぬしは悪くないぞ。

 たんに、このゴモリーがワシを見くびっておっただけじゃ』


アガレスの後方へ目を凝らすと、やはりミイラのように乾燥したヒル人間たちの亡骸―――いや、もちろん元より亡骸なんだが―――が

まるで浜辺の砂の城のようにぼろぼろに崩れ、汚水の中へと沈みかかっている。


「・・・すい・・・・・・かえ、された・・・

 ・・・・・・のか・・・」


さすがにこの状況では、何が起こったのか俺にも理解できた。

アガレスにエーテル奪取を仕掛けたはずが、逆にヒル人間のエーテルを吸い返され

そのまま朽ちてしまったのだ。


『理解が早くて助かるわ。

 ・・・しかし、仕掛ける前に危ぶむべきじゃったな?』


ふたたび右手に鷹を停まらせながら、アガレスが鼻で笑う。


「・・・・・・。

 ・・・こん、な、こと、が・・・」

『できるとも。

 ・・・考えてもみるがいい』


言いながら、アガレスは下水に身を浸しながらもんどり打つ俺の元へ

ざぶざぶと歩み寄ってきた。


『周知のように、我が魔力は地震を司る。

 ・・・・・・地震じゃぞ?分かるか?

 ぬしのように取るに足らぬ人の子の命脈を幾万と呑み込んでなお余りある、大いなる大地の怒りじゃ』

「・・・・・・」

『言い換えれば、このアガレスは母なる地球ガイアとサシで取り引きをしておるということ。

 ・・・ぬしのごとき人の子が一朝一夕で覚えたようなエーテル操作で、地球と対等にエネルギーのやり取りをしておるこのワシと張り合えるとでも?』


ざぶり、と一つ大きく足を踏みしめると、アガレスは倒れ伏す俺の眼前に立ちはだかる。


『・・・とは言え、ぬしはよくもやってくれたわ。

 かわいそうに、ワシの可愛い使い魔たちをこうも無慈悲に殺めてくれようとは・・・』


アガレスはふいっと、後方に横たわる元白ワニの死骸へと振り返った。


「・・・おまえ、が、けしかけ・・・て、きたんじゃねぇか・・・」


ようやく呼吸を整え始めた俺は、息も絶え絶えにアガレスを睨み上げる。


『最後の白いので充分仕留められると踏んでおったからのぉ。

 ・・・ルシファー王がぬしらに余計な肩入れさえしておらなければ、な』

「・・・・・・」

『そこだけはわずかばかり、誤算であったわ』


アガレスは仁王立ちのまま、冷たい眼差しで這いつくばる俺を見下ろしてきた。


『―――ルシファー王も、つくづく分からぬわ。

 こんな取るに足らぬ小僧の一体何が、自身の大いなる力と秤にかけるほどのものだというのじゃ』

「・・・・・・へっ。

 それが、ただの・・・かいかぶり、だって・・・ことに、かんしては、おまえらと同意見、だけど・・・な」

『・・・』


減らず口を叩きながらも、俺は必死に呼吸を整えていく。

本当は口を聞く余裕すら惜しかったが、形だけでも間を持たせないと次の瞬間にでも攻撃されそうな気がしたのだ。


「・・・こっちは、たんに迷惑なんだよ。

 美佳のヤツが、めんどくさいもんかかえちまってるから、降りるに降りれない、ってだけで・・・さ。

 ・・・でも、おれにはあいつを見捨てるという選択肢は・・・ない」

『・・・・・・』

「とはいえ、正直、ちと後悔してるかな・・・。

 おまえみたいなバケモノと、こんな真っ正面からやり合ったんじゃ、そりゃ勝負にならないだろうし・・・な」

『・・・ふん。

 まるで、正面からでなければもう少しマシな戦いができたかのような言い草じゃな?』

「・・・」

『確かに、仕掛けてくる間は悪くはなかった。

 ・・・が、あれしきでワシの虚を突いたつもりでいるなら、片腹痛いわ』

「・・・。

 やっぱり、不意を突ききれていなかった、か・・・」

『見れば分かろう。

 現に亡者どもは、逆にエーテルをワシに吸い尽くされてしまったではないか。

 ・・・しょせん、人の子ごときの浅知恵でこのワシの虚を突くことなど不可能よ』

「・・・・・・」


俺は腹這いのまま左の掌を水底に着けると、上半身を起こすためにゆっくりと左腕に力を込めていく。

右肩は依然として痺れるような痛みにさいなまれ、上手く力が入らない。

ダメージの程度を確認したいところだったが、暗く、汚水まみれのこの状況では

肉眼や出血の加減でそれを量るのは難しかった。


『しかし、ルシファー王が目をかけるほどの才知が本当にぬしにあるというのなら、この状況も切り抜けられるはずじゃがのぉ。

 ・・・夏場のミミズのような今のぬしからは、知性のカケラも見いだせぬわ』

「・・・・・・なら・・・・・・

 直に目ン玉に焼き付けとけッ!!」


左手で地を打ち、両のつま先で地を蹴ると、俺は跳ね上がるように身を起こしてアガレスに飛び掛かった。

そしてそのまま老悪魔の顔面目がけ、掌打を放つかのように左手で掴みかかる。


『―――フン!』


・・・が、アガレスは厭わしげな表情を一瞬浮かべたかと思うと

伸ばしきった俺の左手首を右手でぱしりと掴み、それを難なく防いでしまった。


「!!」

『・・・言葉が通じぬのか?

 ワシは「この状況を切り抜けられるほどの知性があるか?」と問うたのじゃが。

 ・・・よもや、こんな無策の蛮武に頼るよりすべがないのか?』


そのまま左腕を頭上に引っ張り上げられ、俺は吊し上げられる。


「・・・・・・く!」

『見たか、ゴモリー。

 この小僧の、今のぶざまな仕掛けを。

 ただ窮して蛮行に逸るのみ。

 ・・・なんの知性があるというのじゃ』

『・・・・・・』

『分かったじゃろう。

 おぬしもルシファーも、ただ人間に甘ったるい幻想を押しつけておるに過ぎぬ』


アガレスはなおも腕を引き上げる。

俺の足のつま先は、もはや完全に水面から離れてしまっていた。


『・・・そういえば、ぬしは先ほど、ワシの使い魔からエーテルをくすね盗ってくれておったな』

「・・・・・・」

『あれはワシが掻き集めたもの。

 盗られたままでは、これより後の作戦に遅れをきたすとも限らんでな。

 ・・・返してもらうぞ』


アガレスが、そう言い放った直後。

掴み上げられている左手首の周りが、突然緑色の光に包まれた。


「ッ!?」


・・・途端に、きりきりと絞り上げられるような激痛が左手首に走る。


「あっ・・・づ!

 ぁぐっ・・・!!」

『―――ふん。

 苦しいか?

 これでも蛭子ヒルコ神のそれよりはスマートに吸っておるつもりじゃがな』


瞬時に感覚で理解できた。

アガレスの言葉通り、左腕から直にエーテルを吸われているのだ。


「・・・くっ・・・

 ・・・・・・そ!」


痛みにたまりかねた俺は、脚をばたつかせながらアガレスの右手首を右手で掴む。


・・・が、ヤツの右腕は俺の左腕を掴み上げたまま、まるでびくともしない。


『・・・学習せんのぉ。

 才知が聞いて呆れるわ』

「・・・!!」


右肩の負傷で力が入りきらないとはいえ、精霊憑き状態の今の俺の右握力は並の人間よりよっぽど強いはず。

だが、この老悪魔の痩せぎすな右腕はまるで鉛のオブジェのように微動だにしないのだ。


ルシファーほどではないにせよ、その老いさらばえた外見からは想像もできないような怪力だった。


『・・・分かっておったこととはいえ、正直失望したぞ。

 本来ならばここは見逃して、天津や国津との決戦の場で改めて甕星ミカボシもろとも叩き潰し、ヤツらへの見せしめとしてやるつもりじゃったが・・・。

 ・・・もはや、生かしておいてやる価値すら見いだせぬわ』

「・・・!」


右の掌からは、エーテルを吸えているような感覚はほとんどない。

お互いエーテル抜きの術を仕掛け合っている状態のため、パワー負けしている俺の方の術が機能していないのだろう。

先ほどのヒル人間の末路を鑑みれば、当然の状況だ。


『面倒じゃ。

 ・・・このまま干からびてみるか?』

「・・・・・・」



―――ぎりりと、アガレスの右手に込められている力がひときわ強くなった。

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