魔神二柱

『―――おぬしのそうした叙情家ぶりを疎ましく思う同胞もまた、少なからず存在するのじゃ。

 ・・・わかろう?ゴモリー』


―――汚水の中にうずくまる女悪魔を、老悪魔と猛禽の四の目が冷ややかに見下ろす。


外見こそみすぼらしい老人にしか見えないアガレスだったが、暗い地下道にひらめくその眼光は猛禽以上の輝きを湛えていた。


『我らは、悪魔。デーモン。デビルじゃ。

 人の子に目をかけすぎるルシファーやおぬしはデーモンとして正道で、純粋に力を求むる我らが邪道か?

 ・・・ワシはそうは思わぬ』

『・・・・・・!!』


ゴモリーは膝を折ったまま、その全身をぶるぶるとわななかせている。


・・・どうやら、先ほど足下に走った緑の光でなんらかのダメージを負ったらしい。


『むしろ魔神としては、ワシこそがよっぽどまっとうであろう。

 ・・・別に我らは、無駄に邪悪を働いておるわけではないのだ。

 犠牲は出ておるが、そんなものは人の子同士のいさかいでも生ずるもの。

 ・・・在るべくして在る闘争じゃ。

 まして、諍いの種を敢えて放置して闘争を引き起こそうとしておるのは、他ならぬルシファーぞ』

『・・・』


アガレスはばしゃばしゃと、ふたたびゴモリーに向かって無遠慮に歩み寄り始める。


『なれば、ルシファーが我らに蹴落とされる結果になろうとも、それはルシファー自身の責ではないか。

 ・・・おぬしの我らに対する怒りは、筋違いではないのか?』

『・・・・・・。

 ・・・そんなに手っ取り早く力が欲しいのなら、人間の国家から核でも盗めばいい』


山海高校制服のスカートの裾を汚水に晒しながらも、ゴモリーはようやくアガレスに言葉を返した。


『違うでしょう、老師・・・。

 貴方あなたたちは、ただ力が欲しいのではない。

 ・・・妬ましいのだ』

『・・・何ぃ?』


真正面で頭上から見下ろしてくるアガレスに対し、ゴモリーはうつむいたまま言葉を続ける。


『この高加索のことも、わたくしのことも。

 ・・・孔雀天使メレクタウスの転生体がシリアに降臨した時、誰しもその魂を無血で回収するのは不可能と考えていた。

 あそこはなにかと、戦禍の絶えない地だから』

『・・・・・・・・・』

『でもそれは、みなが「奪う」とか「騙し取る」とか、そういう発想しか持たなかったからでしょう?

 わたくしや、わたくしに同調する者たちの他には、誰も・・・

 ・・・人間たちを「満たす」という発想を持たなかった。

 ・・・・・・結果、わたくしは血の気の多いみなを出し抜いて、孔雀天使の魂の回収に成功した』


そこで一つ、ゴモリーは大きくため息をつく。

全身の震えはとっくに収まっていたが、それでもどこか痛みをこらえるかのような息の吐き方だった。


『別に暴力を否定したいわけでも、まして綺麗事を並べ立てたいわけでもありません。

 ・・・ただ、みな力の本質というものを見誤っている。

 真の力とは、目的を果たす上でもっとも効率よく、無駄な喪失を避けることができる「機知」・・・つまりは発想力のこと』

『ああ、そうだとも。

 なれば、ルシファーの力を手中に収めることこそが、不毛を避ける最効率の手段であろうが。

 ・・・我らの「発想」になんの誤りがあるというのじゃ!!』

『浅い、と言っているのです。

 ・・・聖下は元来、我らごときとは次元の違う力を持っておいでだった。

 それゆえ、誰よりも力の本質というものを知っておられる』

『・・・』

『老師たちが欲しているのはしょせん、力のうわっつら・・・。

 仮に聖下以外の者が聖下のお力をくすね取ったところで、それはたんなる借り物の暴力。

 ・・・暴力は相応の知力を得てこそ、初めて一つの力として完結するのです』

『・・・・・・』

『老師は先ほど、わたくしが聖下の真意を汲めていないなどと言ってくれましたね?

 ・・・その言葉、そっくりお返しします。

 老師やアインがやっていることは、宝そのものよりもそれが入っていた箱を欲しがっているようなもの。

 なぜ聖下がこの高加索に興味を持っておいでなのか、まるで理解していない』

「・・・」


ゴモリーはうずくまった姿勢のまま、後ろで立ち尽くしてる俺を肩越しに一瞥する。


『だから、この少年のことが妬ましいのだ。

 自分よりもはるかに弱く儚いはずなのに、自分にとって絶対的だった存在に気に入られているから』

『・・・・・・・・・』

『でも本質的な理解に至る努力を怠り、うわべの力に逃げようとしているのは老師の方でしょう?

 ・・・にもかかわらず、己の無理解を棚に上げ、あろうことか聖下を侮辱するとは・・・・・・

 ・・・・・・笑止千万ッ!!』


―――ゴモリーが、そう吠えるが早いか。

うつむき、くずおれたままの彼女の、頭部が。胸元が。足元が。

突然、青白い光に包まれた。


『—―—ぬ!?』


そして、次の瞬間。

青白い光はゴモリーの身体から弾かれるように飛び出して三つの光弾となり、眼前のアガレス目がけて飛びかかっていく。


・・・何事かと思ったが、即座に理解した。

彼女は頭髪の隙間や、上着のポケット・・・そしてスカートの内側に、ホタルの使い魔を忍ばせていたのだ。


『———それで不意を突いたつもりかぁッ!!』


アガレスの怒声が地下道内に響くと同時に、その右手に停まっていた猛禽がふたたび大きく翼を広げる。


『しィぃッ!!』


猛禽はまたも天体を巡る小衛星のごとき軌道で舞い飛び、三つの光球を一瞬ではじき飛ばした。


『・・・!』

『長話の挙げ句に不意打ちまがいとは・・・ゴモリー!

 おぬしにしては行儀が悪いのぉ!!』


そのままアガレスの頭上で滞空した鷹は、翼をはためかせながら琥珀の両眼を見開き、ゴモリーを鋭く見下ろす。

獲物に照準を定め、今まさに滑空せんとする一瞬の『間』。


しかし。


『こぉのぉこのぉななつのぉおおぉ』

『おぉいわいにぃぃいぃいぃ』


その一瞬の空白に、青ざめた肉塊たちが老悪魔の両側からなだれかかった。


『!

 ・・・いつの間に!』

「お前らが長話してる間にに決まってんだろ!」


ゴモリーが会話でアガレスの注意を引きつけている間に、バッテリー切れのヒル人間たちを引っ込め

アガレスのすぐそばに新たなヒル人間を召喚しなおせるようスタンバイしていたのだ。


打ち合わせしたわけではもちろんなかったが、先ほどのゴモリーからの一瞥で

そのタイミングが近いであろうことは何となく察することができていた。


『おふだをぉおさめにぃいいぃぃい』


がっ。


『まぁいりぃますぅぅうぅううぅぅ』


がっ。


『―――ぬぅう!!』


使い魔による攻撃の照準を定めんと『ため』を作っていたアガレスはヒル人間たちへの反応が遅れ、

その両腕をそれぞれ左右の亡者に掴み取られる。


「よし!吸え!!

 ・・・吸い尽くせ!!」


・・・言った所で吸う力が強くなるわけではないし、そもそも自我を持たないヒル人間が呪歌以外の言葉を解するはずもなかったが

千載一遇のチャンスをものにしたと思った俺は、思わずそう叫ばずにはいられなかった。

触りさえすれば、悪魔に対してはどんな武器よりも確実にダメージを与えられるはずなのだから。


『ぃい・きは・よぃ・よいぃいぃぃ』

『・・・かえ・りはぁあぁぁああぁぁ』


途端に、ヒル人間に掴まれた老悪魔の二の腕から

もうもうと煙が立ち上り始める。


―――が。


『こ・わいぃ・・・』

『・・・こわ・ぃ・なが、ら、も・・・・・・』

「!?」


・・・煙が立ち上ると同時に、急激にある異変が生じた。


『・・・とぉ・ぉ、・・・りゃ・・・』

『・・・・・・ん、せ・ぇ・・・・・・』

「なんだ?歌が・・・」


そう。

ヒル人間から発せられるとおりゃんせの呪歌が、あからさまにトーンダウンし始めたのだ。


『・・・・・・と・・・お、ぉお・・・・・・』

「・・・」


元々たどたどしく、およそ滑舌がいいとは言い難い亡者の歌声だったが、アガレスの半身が煙に包まれる頃には

それすらほとんど途絶えかけてしまっていた。


『・・・だめ!

 高加くん!その二体は見捨てて、新しいヒル人間を呼んだ方がいい!』

「!?

 ・・・先輩?

 一体・・・」


と。

俺がうずくまるゴモリーへ視線を落とした、その刹那。



ヒュ。



―――耳元で、風を切る音が鳴った。


「え」



・・・・・・次の瞬間、俺は背中に強烈な衝撃を受けながら、なぜか地下道の天井を見上げていた。



「ッ!?」


同時に視界の周囲で高らかに跳ね上がる、薄汚れた水しぶき。

一瞬遅れて、後頭部・・・と、背中と尻とに、じんわりと濡れそぼった感触が染みこんでくる。


「・・・ぁ、ぐ・・・ぅ!!」


・・・背中全体に鈍い痛みを覚えた直後、右肩の前面に鋭い痛みが走り

わけもわからないまま、俺はうめき声を上げていた。


『たかくわくんッ!!』

「・・・・・・ッ!!」


俺の名を呼ぶゴモリーの声が、地下道にけたたましくこだまする。



―――しかし上下の感覚を見失った俺は、ただ激痛に身じろぐばかりで

そちらへ顔を向けることすら叶わなかった。

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