剛力

『・・・・・・』

「・・・・・・」


―――なまっちろくて、ほっそりした腕だった。


・・・我ながら気色悪い表現だが、なまめかしさすら覚える。

やっぱりこいつ、少年じゃなくて少女なんじゃないかと考え直してしまうほどに。



――が。



ぱし。


「!!」


ルシファーに右手を掴まれた途端、俺は思わず身震いした。


・・・直感したのだ。

その・・・なんと言うか、男の腕に対しては不適切な表現かも知れないが・・・。


・・・その白魚のような腕から伝わる、異様な『力強さ』に。


「・・・ぅ・・・!」


ルシファーは、別段腕に力を込めているような素振りはない。

また、実際全然力は込もっていない。

だが実感があった。

幹に触れただけで、それが大樹だと判るように。



――こいつは、指先にほんのちょっと力を込めるだけで、俺の手首など簡単にねじ切ってしまえる。



『・・・・・・・・・・・・』


・・・いくら腕っぷしが強かろうと、人間相手じゃこんな感覚に襲われることはないだろう。

そういう意味では、初めて味わう悪魔的な感触だったが・・・。


しかし、どういうことだ。

悪魔としての力を全て失ったんじゃないのか?


単純な腕力は、悪魔としての魔力のうちには入らないということなのか・・・

・・・それとも、このルシファーという存在が本来持っていた力からすれば、それすらも『力』とは呼べる代物ではないということなのか。


「・・・・・・!

 っく・・・」


いや、しかし、触れられただけで伝わる腕力なんて、色んな意味で異常だ。

まして、俺のように勘が鋭いとは言い難い人間ですら即座に直感してしまえるとか、よっぽどだ。

少なくとも、アンドラスやアインにそこまでの腕力が備わっていたなら、俺も美佳も死んでいただろうし

タケミカヅチに腕を掴まれた時ですら、こんな感覚は覚えなかった。


・・・俺は身がすくみ上がるような思いで、その場で凍りついてしまった。

おかしな話だが、ヘタにこちらが動くとその拍子に腕が引きちぎられてしまうんじゃないかと感じてしまったのだ。


『・・・恐れるな。

 ただ殺せるというだけで殺すというなら、とうにそうしている』

「!!」


そんな俺の動揺を見透かしたかのように、ルシファーがぼそりとつぶやく。

俺とは目を合わせぬまま、掴んだ俺の右手をまじまじと見つめながら。


『・・・と、言うか、もう良いぞ。

 もう終わった』

「え・・・」


そう言うと、ルシファーは俺の手を離し、すっと身を引いた。


「・・・・・・・・・・・・っは!」


途端に、俺は金縛りから解放されたかのようによろめいて、大きく息をつく。

そのまま弾かれるように二、三歩後ずさると、後ろでどさりと何かにぶつかった。


「さっちゃん、だいじょうぶっ!?」

「・・・美佳・・・」


俺の背を支えてくれるためにか、美佳がいつの間にか背後へと回り込んでいたのだ。

・・・そんなことにも気づかないほど、俺はルシファーに呑まれてしまっていたらしい。


「ちょっと、さっちゃんに何したんですかっ!」

『別に何もしていない。

 ・・・いや、したことはしたが』

「・・・」


ルシファーはそのまま後ずさりながら、少し心外そうな面持ちで俺と美佳とを交互に見据える。


『今・・・高加 索よ。

 おまえの無意識に、少し刷り込みをかけた』

「・・・刷り込み・・・?」

『蛭子のネクロマンシーを、もっと柔軟に使えるという「刷り込み」だ』

「!」


俺は思わず、ルシファーに掴まれていた右手の甲のアザを見下ろした。


『蛭子のわざ・・・確か、死返まかるがえしの術といったかな・・・

 ・・・その術は本来、死体よりも霊そのものに働きかける術だ。

 これまでのおまえにとっては亡者をけしかける術でしかなかったかも知れないが、それはあくまで出力形態の一つに過ぎん』

「・・・・・・?」

『厳密に言えば、死体ではなく、死体にこびりついている残留思念を操る術だということだ。

 ・・・裏を返せば、出力先は必ずしも死体でなくともよいということ』

「・・・結局、どういうことだよ」

『・・・・・・こういうことだ!』


と。

ルシファーは突然、身に纏っていた黒いケープの内側から『何か』を取り出し、俺に向かって投げつけてきた。


「ッ!?

 ・・・・・・うぉっ!?」


俺は反射的に、突如飛んできたその拳大の『何か』に対して右手をかざす。

ぱしん、と水を打ったような音が響き、かざした掌にその何かが衝突した。


「・・・・・・ッ。

 ・・・ちょ、いきなり何すんだ!」

『・・・・・・』


俺はルシファーに抗議の声を上げつつ、掌に吸い込まれてきた『それ』を改めて見て・・・

・・・ぎょっとした。


「・・・・・・!」


『それ』とは、鉄球・・・

・・・いや、鉛玉だった。

ルシファーは拳より二回りほど大きな鉛玉を、俺に向かって投げつけてきたのだ。


「あっぶ・・・!

 ・・・おまっ、なんつーもん投げつけてくんだ!

 受け止め損なってたら、ヘタすりゃ死ん・・・」


・・・・・・。


・・・いや、違う。

何言ってんだ、俺。


拳よりデカい鉛玉だぞ。

しかもルシファーは、結構な勢いで投げつけてきた。

今、手に感じている重量からいっても、間違いなく中身が詰まっている。


・・・なんで俺はこんなものを、あんな軽々しくキャッチできたんだ?


「・・・・・・」

『・・・今、おまえの腕力は

 蛭子が操っていた亡者どもと同等になっている』

「!

 ・・・ヒル人間と?」


俺は今一度、手の甲のアザを見下ろした。


『ヒル人間などと呼んでいるのか・・・。

 ・・・まあ、言い得て妙だが』


ルシファーは、少し呆れたような面持ちで言葉を続ける。


『今おまえには、その亡者・・・ヒル人間を衝き動かしていた原動力である、残留思念が憑依している。

 ・・・シャーマンという魔術師マギの一種を知っているか?

 精霊と交信し、それらを身に宿して、神懸かり的な力を振るう呪術師の総称だが・・・』

「シャーマン・・・」

『ネクロマンサーも広い意味では、シャーマンの一種だ。

 彼らの本来の生業は、霊をその身に降ろして占術を行うことだからな。

 ・・・日本にも、イタコと呼ばれる降霊師がいるだろう』

「・・・・・・」

『・・・残留思念というのは・・・言い換えれば、恐ろしく程度の低い精霊とも言える。

 自我というものを持たないが、指向性のある霊なわけだからな』

「・・・指向性?・・・って、なんだ?」

『残留思念というのはみな、何かしらの想念に衝き動かされ、常に一定のベクトルに向かってそのエネルギーが働いている。

 ・・・おまえたち人間が、執念とか、怨念と呼んでいるエネルギーだ』

「・・・」

『ネクロマンシーによって操られる亡者・・・ヒル人間の筋肉組織は、基本的には朽ち果てていて

 物理的な筋力はむしろ生者より劣るはずだな?

 ・・・にも関わらず、彼らが生者より強い腕力を発揮するのは、その『想念の力』に因るところが大きい』

「・・・・・・」

『そして今、おまえ自身にそのパワーが宿っている。

 ・・・今のおまえは言うなれば、「精霊憑き」の状態だ。

 非常に低レベルな霊だが、むしろその方が単純なパワーを発揮しやすい』

「その・・・つまり、なんだ、早い話が、

 俺は今、怪力になってる・・・ってことか?」

『まあ、そういうことだ。

 だが、それだけではない。

 おまえ自身が直にエーテル奪取の術を使えるようにもなっている』

「エーテル・・・抜きを?」

『奪取したエネルギーは、おまえ自身のパワーとして還元フィードバックできるはず。

 後で試してみるとよかろう』

「・・・・・・」


俺は思わず、己の両の掌をまじまじと見つめた。


「・・・そんなもんを俺自身に取り憑かせて、本当に大丈夫なんだろうな?

 悪霊に身体を乗っ取られたりとか・・・」

『・・・心配せずとも、おまえは今の状態で既に悪霊に乗っ取られている状態だ』

「なっ!」

『だから、それ以上精神が変質することもない。

 ・・・重ねて言うが、残留思念というのは霊としては非常に微弱なものだ。

 生者の霊魂の方が、圧倒的に強い。

 ゆえに、同じ器に同居していたとしても死者の残滓が生者の精神に勝るということは、まずない。

 だからおまえは、下等な怨念のパワーだけを体よく利用すれば良いのだ』

「・・・。

 なんかそう、何度も下等とか低レベル呼ばわりされると、面白くないんだが・・・」


俺は手応えを確かめるかのように、両手を握ってはまた開くという動作を繰り返す。


『・・・くれぐれも言うが、その力は私の力ではなく、あくまで蛭子の魔力によるものだ。

 私は、おまえが蛭子の術を使いこなすのを、ほんの少し手助けしたというだけに過ぎぬ』

「・・・」

『先ほどはああ言ったが・・・私自身には、おまえに貸し付けられるほどの魔力は残っていないからな。

 ・・・ただ、おまえの潜在意識に働きかけ、今まで使いこなせていなかったものを「使えて当然」と刷り込むことはできる。

 これは魔力の多寡というよりも、感性の問題・・・

 つまり、無意識に思い込むことが肝要だ』

「ふーん・・・。

 ・・・よくわからんけど・・・」

『このやり方なら、天つ神々からけちを付けられることもなかろう』

『・・・』


今一度、ふいっとルシファーの肩越しにタケミカヅチを見たが

やはりただ成り行きを見守っているだけで、口出ししてこようという素振りを見せない。

俺らがルシファーと接触するのを恐れていたというなら、ルシファーに力を与えられるのも何かしら物言いをつけてきそうなものだが。

どうやら、本当にヒルコの術の範疇ということらしい。


「・・・・・・。

 ・・・そうだ。

 そういや結局、なんであんたはこの鞍馬山から出ない・・・つーか、出られないんだ?」

『この鞍馬の地は、日本における私の領分だからだ。

 ・・・鞍馬寺の職員たちには、私を信仰しているという意識はあまりないだろうが

 鞍馬弘教における魔王尊は、サナト・クマラという私の化身の影響を受けている。

 神魔にとって、己が信仰される地というのは

 国境や民族に関係なく、己の領地なのだ』

「・・・ふーん・・・」

『逆に言えば、この鞍馬の地より一歩でも外に出ると

 私はこの国の神々にとって非常に扱いづらい「不法滞在者」ということになってしまう』

「・・・あんた、あんましそういうことは気にしなさそうに見えるけど・・・」

『時節が時節だからな。

 平素ならば、そうした混乱を起こすのも一興だが・・・』

『聖下っ!!』

『冗談だ。

 ・・・とにかく、おまえたちがアガレスにあたるというならば、今は余計な面倒は起こさないでおいてやろう』

「・・・・・・」


・・・タケミカヅチのリアクションを見る限り、あんたが日本に来ていることそのものがけっこうな面倒事みたいなんだけれど・・・。


つーか、今ルシファーの発言を咎めたゴモリーだって、元は不法滞在者だったはずだし。


『今から精霊憑きの状態を自由に切り替えられるよう、練習しておけ。

 ・・・といっても、あまり強く意識するな。

 先ほども言ったように、肝要なのは自然体で「できて当然」と思い込むことだ。

 息を吸って吐くがごとくな』

「・・・。

 もう一つ、聞いていいか?」

『・・・うん?』

「なんであんた、そんなにヒルコの術のことに詳しいんだ?」

『・・・』


途端に、ルシファーは口を横一文字に結んで俺を見据えてきた。


『・・・またおかしなことを聞くな。

 そもそもの話として、悪霊の使役は我らデーモンこそがもっとも得意とする分野だ。

 そこのゴモリーも、その気になれば悪霊の軍勢を手足のように使役できるし

 私の下僕には、蛭子以上にネクロマンシーを得意とする者もいる』

『・・・』

「いや、・・・うん、まあ、そうなのかも知れないけど、

 なんか、こう・・・ネクロマンシーだから理解してるっつーより、ヒルコの術だから理解してる、って感じに聞こえたからさ・・・」

『索』


と。

それまで沈黙を守っていたタケミカヅチが、突然俺の名を呼んだ。


『あまり、思いつきでほいほいとそのルシファーに質問するな。

 そなたが今ルシファーから受けていることというのは、言い方を変えれば魔王に直に「借り」を作っているということだ。

 あまり調子に乗って知識を乞うておると、思わぬ形で「請求」が返ってくるやも知れぬ』

「・・・」

『わしが関わってくるなと釘を刺したのも、そなたらが我らの与り知らぬ所でルシファーに接触するのが、非常に危険だったからだ。

 どんな爆弾を貸し付けてくるか、分かったものではないからな』

『・・・ずいぶんな言われようだな。

 これだけおまえたちの面目を潰さぬよう、この私自ら気を遣ってやっているというのに』


ルシファーは両腕を後ろ手に組んで、俺とタケミカヅチとの間をおもむろに歩き始める。


『まあ、いい。

 ・・・索よ。

 なにか「ひっかかり」を感じたなら、自分の手で調べてみることだ。

 そういうことが存外、運命の岐路になったりもするからな』

「・・・・・・」



そしてそのまま俺とタケミカヅチの間を横切って、美佳の前へと歩いていった。

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