モーニングスター(後)
『――サルガタナスか』
「!
・・・・・・サルガタナス!?」
思わず背後を振り返ってみたが、そこにはただゴモリーが跪いているのみで、他に人影は見当たらない。
・・・やはり姿は見せないらしい。
が、はっきり思い出した。
今の声は、確かにあのサルガタナスだ。
《・・・アガレスめが、京都市に入りましてございます》
『ふむ。
・・・ようやくか』
「・・・アガレス?って・・・」
『アガレス』という名には聞き覚えがあった。
・・・というか、つい昨日、初めて聞いたのだ。
あのタケミカヅチから、電話を切る直前に。
・・・つまり。
「・・・アガレス、って・・・。
タケミカヅチに負けて力を封じられたっていう、あの?」
『・・・ふん?
知っているのか』
「・・・まあ・・・。
タケミカヅチ本人から聞いたから」
そう。
タケミカヅチが電話で語っていた、日本にとって非常に危険な力を持つという悪魔。
三年前の防衛戦の際、戦いの神様であるタケミカヅチがかかりっきりになるほどだったという、強力な魔神。
「っていうか・・・。
・・・サルガタナス?お前そこにいんのか?
タケミカヅチは、お前がアガレスを
《・・・・・・》
『逃がすだけ逃がして、その後の動向を掴んでおられなかったのよ。
・・・逃がした張本人のクセに。
まったく、間抜けな話よねぇ』
《一部のデーモンたちの、聖下への翻意が露見したのは今年に入ってからだ。
・・・ゴモリー。
汝とて、それまではアインたちの不審には気づかなかったであろう》
『逃がした本人なら、責任持って動向を把握しときなさいと言っているんです。
・・・准将閣下?
そもそも、貴方の直属の主はアスタロト大公でしょう。
なぜ大公殿下を通さず、聖下に直接ついて回るのですか。
・・・越権行為にあたるのでは?』
《御聖座の直属ですらない汝に言われる筋合いはないが?》
「・・・・・・」
「・・・・・・」
・・・まあ、なんとなく知ってはいたが。
こいつら、めちゃくちゃ仲悪いな。
《・・・まあ、良い。聖下の御前だ。
この話はひとまず棚に上げておいてやろう》
『・・・・・・・・・・・・』
・・・『責められてるあなたの方がなに勝手に棚上げしてんの』
・・・・・・みたいな顔で、ゴモリーはなにもないはずの空間をきっと睨み付けた。
「つーか、あんたら・・・。
ひょっとして、アガレス・・・つーか、残党軍とやらを止めに来たのか?」
『・・・』
「総大将直々に?」
ルシファーはくるりと向き直り、ふたたびこちらへこつこつと歩み寄ってきた。
『・・・アガレスのパワーは強い。
あれが全力を振るえば、この京都・・・ひいては日本に、大きな混乱をもたらすことが可能だ』
「・・・」
『しかし、物事には何事もタイミングというものがある。
あれが今力を振るったとして、それによってもたらされる混沌は、私が求めるそれとは少しだけ違う。
・・・ほんの少し。
少なくとも、おまえのような者を見出だすような結果には繋がらないだろう』
やがてルシファーは俺の隣にまで来ると、ぴたりと歩を止める。
『・・・が。
どうあっても止めたいかというと、そういうわけでもない。
それならば、そもそも三年前の時点でアガレスの来日を禁じていれば済んだ話。
・・・だが、そうはしなかった』
「・・・・・・」
『・・・ゴモリーの
未来予知などより、そちらの方がよほど貴重な才能だと、私は思う。
例えば・・・』
肩越しにルシファーの視線を感じ、気がつけば俺は、無意識に拳を握り込んでいた。
『・・・この京都に住まうすべての人間たちの危機を救うため、魔神と戦う覚悟が持てる人の子・・・』
「!!」
『ゴモリーが見出だす人間というのは往々にして、そうした・・・愚直で、だが高潔で勇気ある人間だ。
・・・試してみる価値はあると、私は思う』
「・・・・・・!!
京都中の人間を人質に、俺らにアガレスと戦え・・・と?」
・・・思わず、握りしめた拳が震える。
『別に、逃げるのはおまえたちの勝手だ。
・・・ただ断じて言うが、天つ神々だけではアガレスの凶行は止められぬだろう。
おまえたちが何もしなければ、この京都には確実に災厄が見舞う』
「・・・!
・・・・・・い、いやっ、でも、アガレスは力を封じられているはずじゃ・・・」
『それを解く目処がついたから、あれは動向を読まれるリスクを冒してまでこの京都に来たのだ。
・・・おそらくはな。
封じた張本人が直々にこの地へ向かっているのも、それを察知したがゆえだ』
「張本人・・・。
・・・タケミカヅチのことか?」
ルシファーは返答する代わりに、その少女のような相貌を改めてこちらへと向け、俺の顔を流し目に見てきた。
『・・・重ねて言うが、逃げ出すのはおまえたちの自由だ。
少なくとも、私は止めない。
・・・そもそも、おまえたちには京都の人間たちの命を背負い込む義理などなにもないし、まして神魔と戦わねばならぬ義務もない。
加賀瀬 美佳は我が縁者だが、それはいわば不可抗力のようなもの。
アガレスと戦わねばならぬ理由にはならない』
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
『・・・が、おまえたちはそうはしないだろうという確信のようなものも、私は抱いている。
おまえたちは今日、確たる必然性もなしに、この鞍馬の地へゴモリーを追ってやってきた。
それはつまり、そうせずにはいられないという、宿命の証左だ。
・・・それを見定めるため、私はゴモリーにあえて中途半端なエサを撒かせ、この地に呼んだ。
おまえたちが釣られようが釣られまいが、どちらでもおかしくない程度のさじ加減で』
「・・・まんまと、俺らは罠にはまった・・・って、言いたいのか?」
『人聞きが悪いな。
・・・そうではない。
考えてもみるがいい。
もしおまえたちがゴモリーの誘いを無視していたなら、おまえたちは訳もわからぬうちにアガレスが引き起こした災禍に巻き込まれ、死んでいた可能性もあるのだ。
そういう意味では、おまえたちがゴモリーを追ってきたのは圧倒的に正しい。
・・・少なくとも、確実に自分たち
「・・・・・・!!」
・・・ルシファーの口元は微笑んでいたが、その眼差しは冷ややかだった。
『・・・もしアガレスと戦う決断をするというのであれば、私も協力しよう。
元はと言えば、私の不始末でもあるからな。
既に天つ神々がこの京都の地に網を張り巡らせつつあるゆえ、あまり表立った行動は取れないが・・・』
「・・・・・・。
さっき、天津神だけじゃ防ぎきれないだろう、って言っていたが・・・」
『・・・うん?』
「・・・そんな相手に俺らごときが刃向かったところで、何がどう変わるっていうんだ?」
『変わるとも。
おまえたちは我らとも彼らとも違い、人間だ。
・・・これが大きい』
「・・・・・・」
『人間は現世の規範だ。
魔神を討った・・・という箔がついた人の子と、
まして、今のアガレスらはいわば賊軍だ』
「・・・タケミカヅチは、俺らには関わるなと釘を刺してきたぞ」
『それは、おまえたちが私とこうして接触するのを危惧してのことだ。
彼らはおまえたちに「自分たちの側」であってほしいわけだからな。
私に触れて、おまえたちのスタンスが揺らぐのを恐れている』
「・・・」
『アガレスの件に関しては、本気で自分たちだけで始末をつけるつもりなのだろう。
おまえたちに何も言わなかったのは、
・・・が、私はしくじると考える』
そこまで言って、ルシファーがふいっと社の向こうを振り向く。
応じて、緋色のくせっ毛がふわりと揺れた。
『・・・ゴモリーは、もうしばらくおまえたちに預ける。
好きに使うがいい』
『・・・・・・』
『サルガタナス。
おまえは引き続き、残党どもの動向を探れ』
《・・・御意に》
その一言のみが背後から響いた直後、ふっ、と、
それまで背後にいたような気がする何かの気配が、掻き消えたように感じられた。
『・・・さて、索よ。
これからの展開だが・・・』
「・・・・・・いや、つーかさ、あんた自身はどうするんだよ。
こんなとこに隠れたまま、高みの見物か?」
『・・・・・・』
少し意外そうな表情を浮かべながら、ルシファーがこちらへと振り向いた。
『・・・不思議なことを聞くな。
私がここに留まるのが、そんなに気に食わないことか?』
「さっき、協力は惜しまないと言ったろう。
己の不始末だっていう自覚があるなら、矢面に立ったらどうだと言っている」
『・・・』
「そもそも、なんであんたはこんなとこにいるんだ?
鞍馬寺があんたとゆかりのある寺だっていうのは聞いたが、だから山中でコソコソしているというのもよく分からん。
・・・少なくとも、魔王の立ち振る舞いではないだろ」
『・・・・・・それは―――』
と。
ルシファーがなにかを言いかけた、その時。
―――魔王殿境内に、閃光が走った。
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