『ごめん』

----------------------


アイン(Aim)、もしくはアイム、エイム、アイニ(Aini)、ハボリム(Haborym)とは、悪魔学における魔神の一柱。

紀元前10世紀頃のユダヤ王ソロモンが使役していたとされる72柱の悪魔の一柱としても数えられ、またその序列は23番目とされる。


蛇、人間、猫の三つの頭を持った成人男性の姿をしており、巨大な毒蛇に騎乗して召喚者の前に現れる。

その手には決して消えることのない炎を灯した松明が握られており、その松明であらゆる都市や城砦に放火して回るという。

人間を賢明にする力を持ち、また隠された物事に関する質問に答えてくれる。


地獄においては公爵の地位にあり、26の軍団を指揮する悪霊の頭(かしら)とされる。


----------------------




「―――よかったわ。

 ちょうどここに、八つあたりできる肉くれがいてくれて」

「・・・み、美佳・・・」


―――冷たく、無機的な声色でそう言い放ちながら、美佳の長身がゆらりと揺れる。


「・・・ううん、八つあたりじゃないか。

 いちおう、わたしの血縁のカタキだもの。

 ・・・怒りにまかせてひきちぎるには、じゅうぶんな口実だわ」

「・・・・・・」


・・・と、言うか。


『肉くれ』って・・・。

どう考えたって、美佳の言葉選びのセンスじゃない。


『・・・「引き千切る」・・・?

 ふん、わしをか?

 ・・・ちっぽけな人間が、儂を引き千切るというのか!!』


アインは打たれた鼻っ面を腕でぬぐいながら、嘲笑を浮かべて美佳を見下ろす。


「わたしは人間じゃない。

 バケモノよ。

 ・・・さっきあなたも、そういったでしょう」

「・・・!!」

『ああ、そうであったなあ。

 いかにも、汝は人の皮をかぶったバケモノよ。

 人面獣心の魔神よ!!』

「・・・・・・」

『それも半端者だ。

 人のフリをしようにも力の漏洩をこらえきれず、さりとて魔神となりきるには力が足りぬ。

 人の世からも、神の世からも鼻つまみ者。

 それが汝だ』

「・・・・・・・・・・・・」

『ゆえに、我らは摘み取りにきたのだ。

 鼻つまみ者の、半端者をな。

 ・・・さあ、遊びは終わりだ。

 ゴモリーの浅知恵のせいで手間取ったが、タネさえ知れればどうということもないわ!』


と、言うが早いか。


・・・・・・突如、アインの身体が宙を舞った。


「な!!

 ・・・・・・!?」

「・・・・・・・・・・・・」


馬鹿な。

アインにはもはや、跳躍するような力は残されていないはず・・・・。


俺がそう思った直後、すぐさまその疑問に対する解答が視界に入ってきた。


「・・・・・・。

 ・・・蛇・・・!?」


そう。

見たこともないくらい巨大な蛇が、アインの身体を宙にすくい上げていたのだ。


それも大蛇おろちとか、そういうレベルじゃない。

胴の直径は一番太い所で、30~50cmほどもあるだろうか。

全長は・・・空中でせわしなくのたうっていてはっきりとは目測できないが、ヘタしたらこの岩山の端から端まで届きかねない。


それが突然、陽炎のようにうっすらと虚空に浮かび上がったかと思うと、見る見る実体化してアインを乗せ、そして宙に飛翔した。


『・・・ヒヒヒヒヒ。

 先ほどまでの成り行きで、本当に勝ったとでも思っておったのか?

 人と、人のなり損ないごときで、魔神の手札カードを尽きさせられるわけがなかろうがッ!!』


・・・ああ、そうだ。

昨日スマホで見た解説サイトの記述通りじゃないか。


―――魔神アイン。

松明を持っていて。

異形の三つの頭を持っていて・・・


・・・そして、巨大な蛇に騎乗している、って。


こんなとこまで伝承通りなのか。

・・・・・・いや、現代まで伝わっている伝承が、実態に対して正確すぎると言うべきか。


『要は、宿魂石やその周囲の大地に足を着けておらねばよいのであろう。

 ・・・他愛ない!

 亡者どもには多少、エーテルを奪われたが・・・宿魂石からの霊障さえなければ、汝らを消し炭にするには充分なはず!』

「・・・!」


どう見ても『多少』には見えなかったが・・・だがしかし、確かに人間一人を即座に焼死させられるだけの火力さえ残っていればいいわけだ。

そして本来の火力からいって、それだけの余力が残っている可能性は充分にあった。


『フハハハハハハッ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・ショー・ダウンだッ!!』


アインは―――アインを乗せた大蛇は、ひときわ高く―――俺たちの頭上10数mほどにまで舞い上がると、その身をよじるかのように空中で大きく翻り、そして―――


「!!」



―――次の瞬間、耳元で轟音が鳴った。



「・・・うぉおッ!?」


さらにその次の瞬間、俺の眼前で爆炎に包まれる、朽ちた人影。


『・・・と・・・ぉお・・・ぉおぉ・・・っ』

「・・・ッ!?」


ヒル人間だ。

アインへの攻撃に参加していたヒル人間のうち一体が、いきなり爆炎に包まれて弾け飛んでしまった。


「・・・く・・・!」


アインが騎乗している大蛇が上空で身を翻した直後、轟音が巻き起こるほどの速度で俺たちの脇を滑空し、ヒル人間の一体に松明で着火したのだ。


『―――フン。

 やはりなあ』

「!!」


背後から轟いた声にはっと振り返ると、既に俺たちの後方30mほどの距離で

大蛇に乗った異形の人影が滞空していた。


『本来よりも、ほんのすこーしだけ火勢にかげりがあるようだが・・・

 ・・・汝ら土くれを「浄化」してやる分には何の問題もないわ!』


・・・正直、俺はアインが後方まで滑空していくさまを目で捉えきれていなかった。

とてもじゃないが、見てから反応できるような速度じゃない。

恐るべき機動力だった。


「・・・『浄化』・・・?」

『ああ、そうだ。

 申したであろう。

 人の子の生は短く、故に人は学ばず、故に人は穢れ、故に人は汚す』

「・・・」

『ならば儂のこの行いは、紛れもなく「善行」だ。

 だが、儂が罪深き者を選んで焼き殺すのではない。

 ・・・儂に焼き殺された者が罪深いのだ』

「・・・・・・」

『汝ら人の子は、それを「運命」とか呼ぶがな。

 ・・・分かるか?

 汝の祖父は、不運故に死んだのではない。

 罪人であるが故に死んだのだ。

 汝という、罪科を生んだが故に死んだのだッ!!』


再び、耳元で轟音が鳴った。


「・・・・・・・・・ッく!!」


次の瞬間、今度は残っていた三体のヒル人間のうち、二体がまとめて爆炎に包まれる。


『て・・・・・・ん、じ・・・ぃ、い・・・・・・っ』

『ほ・・・そ、ぉ、おぉ、お・・・・・・っ』


断末魔と呼ぶにはあまりにか細いうめき声を上げながら、業火の中で亡者の人影が歪み、そして崩れていった。


「・・・くそっ!」


・・・残ったヒル人間は同じ岩場の上にいるのが一体と、下の岩陰に待機させているのが二体。

やろうと思えば新手を召喚できるが、この機動力差では戦術的に何の解決にもならない。


『――――フフフフフハハハハっ!

 ・・・地を這う亡者では対応できまいッ!』


アインの勝ち誇った声が、今度は先ほどとは反対側の中空から響き渡る。


「・・・!!」


美佳はかろうじて対応できるかも知れないが、俺は空中を舞い飛ぶアインの速度を目で追うことすらおぼつかない有様だ。

こちらに矛先が向く前に、何とかしなければ・・・。




ぐいっ。




「えっ」


・・・と。

突然、俺は背後から何かに服を引っ張られ、後方によろめいてしまった。

いや、何かも何も、この状況で俺の身体を引っ張る奴なんて一人しかいなかったが。


「み、美佳?」

「・・・」


いつの間にやら俺のすぐそばにまで戻ってきていた美佳が、俺の上着の裾を引っ張ったのだ。


「な、なんだ?

 てかお前、いつの間に俺の後ろに―――」


ぐいいっ。


「うおっ」


美佳は黙したままなおも俺の裾を引っ張り、まるで押し込めるかのように自身の背後に俺の身体を引き込んでしまった。


まるで、アインに対して自身の身体を盾にするかのように。


「あぶないから、サクはわたしのうしろにいて」

「・・・・・・」


・・・まるで、自分はそこまで危なくないかのような言い草だ。

この状況で。


「・・・・・・。

 ・・・美佳・・・」

「・・・」

「・・・・・・その、こんな状況で言うべきことじゃないんだけど・・・

 でも俺、お前に謝らなきゃならないことがある」

「・・・・・・」


・・・ほんと、こんな状況で言うべきことじゃない。

次の瞬間にでも消し炭になりかねないのに。


「じいさんのことも、お前の・・・宿命みたいなものも、俺も知ってた。

 知ってて、隠してた。

 ・・・ごめん」

「・・・そう」


美佳は―――美佳の表情は、少なくとも表面的には動じていないように見えた。


「・・・いいわけしないのね」

「・・・」


釈明するなら、いくらでも言い訳は出てくる。

美佳自身には隠しておくよう俺に口止めしてきたのは、他ならぬ天津神やゴモリーなのだから。

あえてそう釘を刺してきたということは、何かしら考えがあってのことなんだろう。


しかし、それはあくまで彼らの都合だ。俺の都合じゃない。

俺が美佳に隠し立てしていたという事実には変わりはない。


「・・・・・・すまん」

「・・・」


・・・その実に不甲斐ない謝罪の言葉を受けて、それまで別人のように冷たく堅かった美佳の表情が、ほんのわずかに緩んだ気がした。


「・・・・・・。

 ・・・ね、サク。

 わたしがなぜ、あのアインに、わざわざ有利になるような情報を教えたと思う?」

「・・・」


確かに。

宿魂石のジャミング効果をわざわざアインに教えなければ、あのまま白兵戦で押し切れていた可能性は低くないだろう。


「それはね、もう関係ないからよ」

「・・・?

 え・・・?」


美佳の言葉に要領を得ず、俺は思わず顔を上げて聞き返した。


「さっきの話だけれど・・・。

 ・・・口止めされたんでしょう?

 建御雷タケミカヅチたちや・・・おそらく、ゴモリーにも」

「・・・・・・」

「なんとなくわかるわ、その理由。

 ・・・おそらく天津神側で口止めしておくよう提案したのは、武葉槌タケハヅチでしょう。

 彼が考えそうな、こざかしいことだわ」

「・・・美佳・・・?」

『―――何をコソコソと話しているっ!』


と。

俺と美佳の背中合わせの密談を、突如、アインの野太い怒声が遮ってきた。


「っ!」


アインがいる方角から見て正面に立っているのは、言うまでもなく美佳だ。

今また突撃を仕掛けられるのはマズい。


・・・が。


「・・・とどのつまりね・・・彼らは、利用したかったのよ。

 ・・・・・・最後の、保険として」

「・・・え?」

「わたしの・・・ううん、『加賀瀬美佳の』怒りを」

「・・・」

「加賀瀬美佳という人間が・・・自身が天香香背男アメノカガセオの生まれ変わりだと強く自覚すれば、その精神的な衝撃で宿魂石の神気が逆流してくる。

 ・・・でも、ただその事実を伝えただけじゃ、本質的な啓発には到らないかも知れないでしょう?

 ・・・突拍子もなさすぎて」

「・・・・・・」

「だから、『別の衝撃』が必要だった。

 より強い事実を本質的に理解させるための、『前座の衝撃』が」

「・・・・・・・・・」

「それが加賀瀬美佳にとっての、加賀瀬吉造の死の真相・・・。

 ・・・ふふっ」

「美佳・・・・・・」

「いまいましい。

 天津神々は、いつだっていまいましい。

 特にあの、武葉槌は」

「!

 ・・・美佳っ!」


前方上空に対峙する悪魔の大蛇が、またしてもその身をよじり始める。

死の滑空の前触れだった。


「策とも呼べないような、杜撰ずさんな保険だけれど。

 ・・・でも、口惜しいけれど、今回はたまたま、そのこざかしさに助けられたわ。

 ・・・だって―――」

『・・・・・・土くれと還れェッ!!』


・・・アインの大蛇が身を翻し終えるのと、美佳の―――



―――その手から、フツノミタマが滑り落ちるのとは、ほぼ同時だった。




――――――ゴっ。




・・・・・・三たび、耳元で轟音が鳴った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る