逆流

俺の右横で、再び旋風が舞った。


黒く大きな影が、黒く長い髪をなびかせて。

黒い裾をはためかせて。


美佳がアインに対し、今一度白兵戦を仕掛けるべく駆けだしたのだ。


『・・・ぬ!』


フツノミタマを下段に構え、身を低く落とし、前のめりに倒れ込むかのような姿勢で・・・

・・・やはり、その構えと動きは剣道のそれとはかけ離れていた。


「み・・・!」


・・・黒豹だ。


普段はちゃらんぽらんなこの腐れ縁に対し、俺は思わず一瞬、そんな心象を抱いてしまった。

身を屈め、眉間で空を切るかのように頭から突撃していくその姿は・・・それを背後から見送る俺には、黒豹のように見えてしまったのだ。


「・・・チィィィッ!」


駆けながら、独特の掛け声と共に剣を中段右に構え直した美佳を見て、俺はアインの周囲に待機させていた四体のヒル人間に総攻撃の思念を送った。


『・・・ちぃ・・・っと』

『とぉ・・・し・て』

『くだ・しゃん・・・』

『せぇぇ・・・』


ヒル人間たちはしぼり出すような声でいびつなわらべ歌を口ずさみながら、再びアインに対してのたのたと歩み寄っていく。


『ふん!

 性懲りもなく、また同じ仕掛け方か!』


美佳とヒル人間の肉薄を認めたアインは鼻で笑ったが・・・


その身体は、わずかに右に傾いている。


「そうよ!そして―――」


・・・それが意味するところは、一つしかなかった。

今のヤツは、重心を左足に預けられなくなっているのだ。

それはすなわち、まともに身構えることができないということを意味していた。


「―――また同じ仕掛けで!」


言うまでもなく、さっきヒル人間にやられた左足首のダメージによるものだろう。

あるいは、美佳の攻撃によってそれが悪化したのかも知れないが・・・とにかく、少なくとも今のアインには

本当なら鼻で笑っていられるような余裕などないと、俺も―――恐らくは美佳も感じ取っていた。


「・・・また打ちのめされなさいっ!!」


美佳がアイン目掛けて剣を伸ばす直前、四体のヒル人間がアインに一斉に掴み掛かっていく。


『・・・かァあッ!!』


アインは松明を左手に持ち替えて水平に掲げると、回転斬りでも放つかのようにその場で大きく一回転した。

松明の炎が中空に紅蓮の弧を描き、一つの大きな炎の車輪を浮かび上がらせる。


『ご・・・よぉ・・・おぉお・・・ッ』


掴み掛かろうとしていた四体のヒル人間は悪魔のトーチャーダンスに薙ぎ払われ、上半身から爆炎を吹きこぼしながら大きくよろめく。


『・・・ちっ!』


・・・が。

よろめいたのは、アインも同様だった。

左足の力を失っていた悪魔は、ターンを決めた直後

踏み止まることができずにそのままバランスを崩したのだ。




・・・・・・美佳が見逃すわけがなかった。




―――ベキャッ。


『グェッ・・・』


次の瞬間。

悪魔の三頭のうち、左肩に位置している蛇の頭に鉄棒が叩きつけられていた。

湿った硬いものを打ち砕いたような音とともに、大蛇の頭が大きくひしゃげる。


『ェ・・・ピ・・・・・・ギィ!』


蛇はその顔をますます歪めながら、本物の蛇とは似ても似つかぬ奇妙な悲鳴を上げる。


・・・しかし。

その断末魔が長く続くことは、フツノミタマが許さなかった。



――――バチチッ!!



『・・・ピ!!』


三たび、両者の間で大きな火花が散った。


『・・・・・・!!』


その青白い衝撃を受け、蛇の頭はひしゃげた形状のまま一瞬にして黒ずみ、そして沈黙する。


『・・・・・・がァあぁアッ!!』


と。

まるで断末魔を肩代わりするかのように、今度は中央の男の頭が苦悶の雄叫びを上げた。


『あ・・・・・・ぁアッ!!』


今度は電撃の反動でもあまり仰け反らなかったが、それが逆にダメージの大きさを感じさせた。


美佳は神剣を振り抜いた姿勢のまま、苦悶の声を上げて立ち尽くすアインをぎらりと睨みつける。


『・・・・・・ッ、

 ・・・な・・・』

「・・・・・・」

『・・・な・・・ぜ・・・』

「・・・・・・・・・」


アインは左肩をだらりと落としたまま、狼狽混じりの表情で美佳を睨み返す。


『なぜ・・・

 我が、炎が・・・

 ・・・かように、衰えているのだ・・・?』

「・・・・・・・・・・・・」


同様のことは、俺も先ほどから感じてはいた。


戦いの前半、異次元結界内で見せたアインの近距離着火攻撃は

複数のヒル人間を一瞬で粉々に吹っ飛ばすほどの火力だったはずだ。

だからこそ、俺は美佳が白兵戦を行うことを極力避けていたわけで。


ところがこの現実世界に戦場を移してからは、せいぜい身体の一部を燃え上がらせる程度にまで火力が弱まっているのだ。


・・・最初は、エーテル抜きによって力を吸われたゆえに

炎の魔力もガス欠を起こしているのかとばかり思っていたが・・・

だが、アインは先ほどから炎を放つたびに『なぜ』と疑問を口走っていた。

エーテル抜きという明確な原因により火力が衰えているならば、『なぜ』などとは口走らないはずだ。

サルガタナスとの会話の内容からしても、アインは恐らくエーテル抜きという術の性質を知っているだろうから。


「・・・カガセオの意志が、あなたの魔力の巡りを阻んでいるからよ」

「!」


と、そこで突然、美佳が剣を振り抜いた体勢のまま

意外な言葉を悪魔に返した。


『・・・何ぃ?』

「ここは宿魂石。

 神代のいにしえより、天香香背男アメノカガセオ御霊みたまが眠る地。

 ・・・あなたが今踏みつけているこの岩山こそは、香香背男カガセオむくろ

『・・・!』

「わたしたちは今、香香背男の背の上で戦っている。

 武葉槌タケハヅチに砕かれ、そして封じられたこの宿魂石は

 建御雷タケミカヅチ経津主フツヌシに鎮められながら、気の遠くなるような年月をこの地の霊力の要として過ごしてきた」


・・・・・・。


「割り込めると思う?

 あなたのような、毛唐けとうの・・・外からふらりとやってきたような、ならず者の魔力が。

 この地の霊的な力場は、宿魂石の神気で覆い尽くされているというのに」


・・・・・・なんで。


「だから、あなたが『他神ひとの縄張り』に足を着けたまま己の魔力を振るおうとしても、宿魂石から発せられる神気によって打ち消されてしまう。

 ・・・この地において、しょせん侵入者にすぎないあなたには『優先権』がない。

 霊的な力を行使するための、優先権が。

 ゆえに、土着の神格の霊力で飽和した地に接触していれば、力を振るえぬのが道理」




・・・・・・・・・・・・なんでお前に、そんなことが分かるんだ。




「言うなれば、あなたは今、霊的な権利争いに負けている状態なのよ。

 ・・・それでもそこまでの火力を出せるのは、大したものだけれど」


・・・なんだ?

美佳は一体、何を言っているんだ?


いや、言わんとしていることはなんとなくだが分かる。

要するに、宿魂石全体から発せられている霊力がアインの魔力をジャミングしているから、奴の炎は出力が相殺されて弱まっている・・・ってことなんだろう。

ゴモリーや武葉槌が宿魂石で戦えと言ったのも、恐らくはそれがゆえだ。

だが。

なぜ美佳が、それを知って・・・いや、こんな、まるでとっくの昔に熟知していたかのような口ぶりで、つらつらと語れてしまっているんだ?


いや。

いやいや。

百歩譲って、もしなんかの間違いで知っていたとしても。

こんな口頭説明は、はっきり言って美佳には不可能だ。

あいつが口頭でなにかを説明しようとするとイマイチ要領を得ない言い方になってしまうのは、ついさっきの武葉槌への状況説明でも実証済みだし。

子供の頃から、美佳に何かを説明させようとすると

おおよそはそんな感じだった。


・・・だが、じゃあ。

これは、なんなんだ。



これは・・・この女は、ほんとに美佳なのか?



『・・・・・・・・・・・・。

 なる・・・・・・ほど。

 ゴモリーに、まんまと謀られた・・・と、いうわけか』


と。

それまで怒りと狼狽に満ちて美佳を凝視していたアインの表情が、ふっと、冷ややかな面持ちに立ち返った。


「あなたの敗因は、欲の皮が突っ張りすぎたことよ。

 手柄の独占などにこだわらず、サルガタナスやアンドラスともっと密に連携を取っていれば、少なくとも戦闘では負けようがなかったでしょうに。

 ・・・あなたは、己自身に負けたの」

『・・・手柄?

 ・・・独占・・・?

 ・・・・・・ヒヒヒヒヒ』


よろめくように半歩下がりながら、アインが力なく笑う。


『・・・ああ、そうであったな。

 わしは浅ましく功の独占にはやり、またそのためにサルガタナスやアンドラスを差し置いて、いじましく抜け駆けした・・・のであったわ。

 ・・・ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ』

「・・・?」


・・・その言い草に、俺はわずかばかり違和感のようなものを覚えた。

まるで、己の立ち位置を今言われて思い出したかのような・・・。


だが。

それに対して考えを巡らせようとした時、アインが次に発した一言が、俺の思考を遮った。


『・・・せっかく、加賀瀬吉造を始末してまで時間稼ぎしたのになあぁ・・・』



「・・・・・・・・・・・・。

 え?」

「・・・・・・・・・・・・」



・・・・・・一転。

背筋が、凍り付いた。



「・・・・・・今・・・・・・なんて」

『・・・うぅん?

 加賀瀬吉造を始末したのは、時間稼ぎのためだと申したのだが?』

「・・・・・・・・・・・・」

『・・・・・・ほぅ?

 なんだ。

 ・・・汝、まさか知らされていなかったのか?』

「・・・・・・・・・・・・」

『・・・・・・。

 ・・・フ』

「・・・」

『フハ、フハハハハ、フヒヒヒヒ・・・』


・・・途端に。

投げやり気味だったアインの笑いが、嘲笑へと変わった。


『フ ハ ハ ハ ヒ ハ ハ・・・。

 こいつはいい。

 てっきり、祖父の仇討ちも兼ねて儂に挑んできておるものとばかり思っておったが』

「・・・・・・・・・・・・」

『まさか、何も聞かされておらぬとはなぁ。

 ・・・天津神どもも、人が悪い。

 いや、人でないのだから、当然か。

 ・・・フヒヒヒヒヒヒッ』

「・・・・・・・・・・・・」


まさか、こんなタイミングでバラされてしまうとは・・・。


・・・いや、違う。

仇と直接刃を交えているのだから、いつポロリとバラされてしまったっておかしくない状況だった。

なら、俺がじいさんの死の真相を美佳に隠し立てしていたこと自体がナンセンスで、

・・・いや、でもこれは、タケミカヅチやゴモリーからも隠しておくように釘を刺されたことだし、



・・・じゃあ、やっぱりなんで、そのことを美佳に隠しておくよう、彼らは俺に釘を刺してきたんだ?



『いかにも。

 汝の祖父を殺めたのは、このアインよ。

 ・・・というかなあ、汝・・・祖父のむくろのざまから連想できなんだか?』

「・・・・・・・・・・・・」

『粗末な炭くれの、残りかすと化していたであろうが。

 ・・・ああ、現代の人間の葬儀では、ぶざますぎる骸は衆目に晒さずに埋葬するのであったか』

「・・・・・・・・・・・・」

『だが・・・ヒ、

 その様子では、なぜ祖父が狙われる羽目になったのかも存ぜぬと見えるなあ?』

「!」

『汝の祖父はなあ、汝のせいで死んだのだ。

 汝の代わりに死んだのだ。

 汝が存在しているから死んだのだ』

「・・・え・・・」

『汝という疫病神を、一族の内に抱えたがために死んだのだ。

 ・・・汝は厄介者だ。災禍の種だ。凶事の大渦だ。悪魔の落とし子だ』

「・・・・・・」

『なぜなら、汝は――――――』

「・・・ま・・・!」


『――――――汝は、天津甕星アマツミカボシの生まれ変わりなのだからな』



「・・・・・・・・・・・・」



『汝は先刻、この宿魂石は天津甕星の骸だと抜かしたな?

 ・・・まさしくその通り。

 この岩山は、かつて天津神に打ち倒された天津甕星の骸が変じたもの』

「・・・」

『だが天津神どもは、天津甕星を完全に滅ぼすことはできなかった。

 肉体は滅びて、岩くれと化したが・・・その魂は数世紀に一度だけ人の子の身に宿り、現世へと舞い戻ってくるのだ』

「・・・・・・」

『それが汝よ。

 ・・・天津神どもは汝のような存在から霊力を抜き取って蓄えるため、天津甕星の骸に手を加えて宿魂石を作り出した。

 大敵たる甕星を封じ込めつつ、その膨大な霊力を独占するためになあ。

 ・・・ゆえに、汝自身には真実を隠し、しらばっくれていたのよ』

「・・・・・・」

『だが、汝の祖父は知っていた。

 ・・・天津神が教えたのだ。

 汝の力を御す役目を背負わせるためにな。

 ゆえに、汝の祖父は甕星の情報を握るカギとして我らに狙われ、そして死んだ。

 ・・・汝が、バケモノだったがゆえになぁあ』

「・・・・・・・・・・・・!!」

『フハハハハ。

 いわば汝は、天津神どもに二重ふたえたばかられていたというわけだ。

 ・・・フハ、フハハ


ゴキッ。


「!!」


・・・アインの狂気と悪意に満ちた嘲笑は、突如響いた不協和音によって遮られた。


『ブぁガッ・・・』


悪魔の笑い声を無理矢理封じるかのように、その鼻下辺りに強烈な打突が叩き込まれたのだ。


・・・ただし。


「・・・み・・・

 ・・・・・・!?」


・・・悪魔の顔面を捉えたのは、フツノミタマではなかった。


「・・・・・・・・・・・・」


拳だ。

白く、ほっそりとした拳。

幼少からの修行と、部活の練習とによって

タコと擦り剥けだらけになりながらも、それでも白く、ほっそりとした拳。


―――俺が知る限り、直接人を殴ったことなどないはずの、傷だらけだけど、たおやかな手。


「ああ、そう」


突然。

それまでひたすら沈黙していた、その拳の主の口から。

吐き捨てるような一言がこぼれた。


抑揚も色もない・・・・・・平たく言えば、心底どうでもよさそうな声色で。


「・・・ああ、そう。

 まあ、なんとなくは分かっていたけど」

「!」


言いながら美佳は拳を引き、半歩後ずさる。


『グ・・・・・・か!』

「あなたも他の悪魔も、さんざん思わせぶりに言ってたものね?

 加賀瀬吉造がどうのと。

 さすがに胸騒ぎくらいするわ」


ぐらりと、アインの身体が後方によろめく。


「・・・さっきからわたし、おかしいのよ。

 すらすらしゃべった後で、自分で言ったことに驚いてるの。

 あれ、なんでわたし、こんなこと知ってるんだろう、って」


・・・俺の角度からは、美佳の表情は窺い知れない。

さんざん見慣れたはずの、幼馴染みの顔が。

だがしかし、今はすごく見たくもあり・・・ほんの少しだけ、見たくなくもあった。


「でもなんか、今ので合点がいったわ。

 ・・・それはそうよね。

 星が見える、なんて。

 ・・・・・・バケモノじゃなくちゃ、なんなのよ」

「!!」

「でも・・・・・・

 ・・・・・・ふ」


・・・・・・。


「ふ、ふふふ・・・」

「・・・美佳・・・?」

「ふふふふ・・・・・・は、

 あははははっ、

 あはははははははははははははははははははははははっ」

「・・・・・・・・・・・・」


美佳の狂ったような高笑いが、宿魂石の山頂に響き渡る。


・・・狂ったようで・・・それでいて、嬌声のように妖しい笑い声が。


「は、はは・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・ありがとう、アイン。

 わたしの前に、立ちふさがってくれて」

『・・・!?』

「おかげで―――」

「っ!」


・・・一瞬。

大地が・・・いや。

宿魂石全体が、ずくり、と、震えたような錯覚があった。


「―――おかげで、おもうぞんぶん、こころゆくまで・・・・・・」


―――しかし。

果たしてそれが、本当に錯覚だったのか・・・


「・・・・・・やつざきにしてあげられるわ」


・・・・・・今の俺に、判別する術はなかった。

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