藪の中(後)

「今、アインの星はどうなってる?」

「・・・え?あ、うん・・・」


美佳は気落ちしたような声で聞き返してきた後、あわててフツノミタマを構え直し、今来た道をすっと見据える。


「・・・見えてはいる・・・けど、けっこう離れてる・・・かな。

 軽く、100メートル・・・以上・・・は離れてると思うけど・・・」


社務所の裏側を抜けて森林地帯を進んできているため、今来た道を振り返ってみても

その社務所や樹木に視界を遮られ、後方の状況を確認することはできなかった。

少なくとも、目視ではアインの姿は確認できない。


・・・が、それはアインも同じことだろう。


「追ってきてるか?」

「たぶん・・・。

 でも、割とゆっくりだと思う」


敵が火を操る以上、木々に囲まれたエリアを進むことにリスクを感じないではなかったが、

それでも遮蔽物がない場所で姿を晒しながら逃げるよりはマシだと踏んだ。

距離があるうちは、向こうも・・・少なくとも、四方からの火攻めみたいなことは難しいだろうし。

美佳の星読みの力も、この進路に対して特に凶兆は示していないようだ。


「・・・。

 見えてるのは一つだけか?」

「うん・・・。

 あの透明悪魔は、少なくとも近くにはいないみたい」


それに関しては予想通りだった。

サルガタナスのスタンス的に、あれ以上アインに力添えするとは思えなかったし

アインはアインでなるべく他の悪魔の力を借りず、手柄を占有したいようだったから。

帰ってしまったのか、あるいは・・・

・・・俺たちの『品定め』をするために、まだどこかに潜んでいるのかも知れないが・・・。



・・・・・・。



「よし。

 このまま距離を取ってヒル人間の再召喚まで時間を稼ぎつつ、迎撃に適した地形を探そう。

 あいつの本来の機動力を鑑みて、いきなり追跡速度を上げてくる可能性もあるから、索敵は怠るな」

「・・・うん」




・・・俺は、タケミカヅチたちをもっと疑うべきなんじゃないだろうか。


ここまで流されるままに来てしまったが・・・・・・しかし、先ほどサルガタナスが疑問を口にしていたように、ミカボシ神・・・すなわち、美佳に対する天津神たちの扱いは、確かに矛盾しているような気がする。


美佳の中に宿るアマツミカボシの力を奪われないための戦いなのに、なぜその美佳に剣を持たせて、こんな危険な戦いに曝すようなマネをするんだろう。


人間に倒させないと意味がなくて、かつ並の人間じゃ悪魔に歯が立たないから、霊的な才能がある美佳の力を兵力として利用したいというのは分かる。

・・・にしても、ちょっとリスクが大きすぎやしないか。


「・・・・・・」

「・・・さっちゃん?」


・・・身の振り方を考え直すべきなんだろうか?

しかし、実際に協力してくれているタケミカヅチたちをあえて袖にして、

少なくとも現状では敵であるサルガタナスに下るというのは・・・。


そうすることによって、誰が敵になって誰が味方になるのかすら、俺には把握できていないというのに。


「・・・なんでもない。

 アインとの距離はどうなってる?

 縮まってるか?」

「・・・どっちとも言えない、かな。

 追ってきてはいるけれど、距離は・・・

 ・・・縮まっても、引き離してもいないみたい」


俺と美佳は先ほどから、駆けたり早歩きになったりを繰り返しながら移動しているが

その程度の逃走速度で距離が縮まらないということは、やはりアインの追跡速度は相当に低下しているということだ。

体力の回復を待つために、最低限の速度しか出していないのかも知れないが・・・。


・・・いや、少し違うか。

そもそも焦って追いかける必要がないんだ。

異次元の避難所はサルガタナスによって封じられてしまったし、神社の敷地がそのまま結界の領域になっているから、俺たちが逃げ回れる範囲なんてたかが知れてる。

今みたいに視界が悪い場所に潜まれたって、その気になれば得意の放火攻撃で焼き払え―――



――――――ボ!!



「―――うぉ!?」

「きゃっ・・・」


と、俺が今まさに火攻めの可能性を考慮し始めた、その時。

突如として背後から小さな爆音が響き、異次元世界の暗黒の空が少しだけ明るくなった。


「さっちゃん!」

「・・・・・・!」


思わず背後を振り向くと、俺たちが今来た方角―――100m弱ほど後方の森林地帯で火の手が上がり、木々が紅蓮の悲鳴を上げ始めている。


・・・言うまでもなく、アインの仕業だ。


「ど、どうしよっ?」

「・・・いや、落ち着け。

 ただの牽制だ。いくら何でも距離が遠すぎる」


依然として、アイン自身の姿は視界に認められない。


垣間見えている火のゆらめきはまばらで、火勢自体はさほど強くなさそうに見えた。

結界内は無風だから火の回りは早くないだろうし、遠隔放火にもさすがに射程距離みたいなものはあるだろう。

ヒルコの念動力がそうであったように。

少なくとも、アイン自身が目視できない座標に正確に着火できるとは思えない。


・・・だがそのまばらなゆらめきは、後方の森林部を左右30mほどの規模で散らばっている。

火勢が強くない割に、範囲が広いのだ。

今までの放火攻撃の中では最も広範囲に見えた。


「・・・でも、消火しといた方が・・・」

「さすがにこの距離じゃ、フツノミタマの『風』は届かないだろう。

 かといって、消火するために戻ったりしたら本末転倒だ」


・・・とは言え、こんなことを繰り返されていては、そのうち本当に逃げ場がなくなってしまう。

なにせ神社だ。燃えないものの方が少ない。

今はまだいいが、逃げ回るうちに知らず四方を火に囲まれた場所に追い込まれていた・・・なんて事態に陥らないとも限らない。


「・・・とにかく、今は逃げる。

 もう少しでヒル人間を呼び込めそうだから、全てはそれからだ」

「・・・うん・・・」


一つ確信したのは、やはり美佳を単身で戦わせるという選択肢だけは『ない』ということだ。

アインの炎の刃は、あまりに広く、長すぎる。

いくらその機動力を大幅に殺いだといっても、また美佳が持たされている神剣が神風を呼ぶといっても、人のちっぽけな腕で受けられるようなものじゃない。


「あっちだ。あの右手の社殿に向かおう。

 ・・・『暗がり』とかは出てないよな?」

「・・・・・・。

 うん、大丈夫。

 暗いのは、あの悪魔が迫ってきてる後ろの方角だけだよ」


・・・しかし。

美佳の口振りからして、俺たちの進行方向は

暗がり―――つまり、凶兆が出ていない代わりに、星―――すなわち、吉兆も出ていないということだ。

少なくとも、まだ決定打となるような『何か』には到達できないということだろうか。


敵が火攻めのスペシャリストである以上、長期戦だけは避けたいが・・・。



「!

 ・・・ん?」


と。

そこで突然、遠方からの轟音に混じって、俺の耳に聞き慣れた旋律が届いてきた。


「さっちゃん、それ・・・」

「・・・ん、ああ。

 スマホの着信―――」


・・・そこまで言いかけて。

俺は反射的に左の胸ポケットへと伸ばした手を、びくりと震わせる。


「・・・美佳。今の・・・」

「うん。

 メールの着信音だよね?さっちゃんのスマホの」

「いや、そういうことじゃなくて・・・」

「?

 うん?」


・・・つーか、なんでお前が俺のスマホの着信音の種類まで把握してんだよ。


・・・・・・先月変えたばっかなのに。


「・・・『ここ』って確か、通話不可能・・・つーか、そもそも電波届いてないはずだったよな・・・?」

「!

 ・・・あ!」


そう。

異次元結界内は基本的に、電話をはじめとした通信機器の電波が届かないはずなのだ。

この決闘に際して事前にタケミカヅチに確認しているし、実際、一ヶ月前の学園迷宮内で何度かトライした時はそうだった。


「・・・・・・。

 ・・・いや、ならなおのこと、取らない手はないか・・・」


もしかしたら、結界が破られたのを察知したタケミカヅチたちが

何らかの連絡をよこしてきたのかも知れないが・・・

・・・いや、その可能性は低いかな。

なにせ、本人の口から直に『決着が付くまで一切関知しない』と宣告されたわけだし。


しかしこの状況、やはり取らないという選択肢はないはずだ。


俺は意を決すると左胸のポケットからスマホを抜き出し、その画面へと視線を落とす。


「・・・」


―――あった。

手紙アイコンの右上に、『1』の数字。


「・・・・・・ッ」


わずかにこわばる指先で手紙アイコンをタップし、受信ボックスをタップし、そして―――







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――――――――――――――――――――――

From: ã´ã¢ãªã¼        11:45

件名: すぐにみろ

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From: 勝史さん         8月15日

件名: 午前の件

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From: 加賀瀬美佳       8月15日

件名: Re:昼メシだけど

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「・・・・・・」

「・・・文字化け・・・?

 ・・・してるんだよね?これ・・・」


美佳の言うとおり、差出人の欄は明らかに文字化けを起こしている。


・・・だが、それよりも俺の目を引いたのは・・・件名だった。


「・・・『すぐにみろ』・・・」


―――かすかな既視感が、脳裏をよぎる。


ひらがな。

命令口調。

・・・『見ろ』という指示。


「・・・まさか」


胸を打つ鼓動が、かすかに強く、早くなった気がした。

そうだ。俺は少し前、これとほんの少しだけ似た『指示』を、文字で見たことがある。


「さっちゃん・・・?」


今一度意を決し、先ほどよりもこわばる指先で件名をタップすると、そこには・・・。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――

とりいにいけ。とりいにいけ鳥居にいけ鳥

居に行け。鳥居をくぐれ。とりいをくぐれ

行けとりいにとりいをくぐれ。くぐれ。鳥

鳥居を。とりいをくぐれとりいにいけとり

いに。鳥居をくぐれ。ひだりのとりい。ひ

だりのとりいを。とりいをくぐれ。そこか

らひだりてのとりい。鳥居をくぐれ。鳥居

にいけ。ひだりての鳥居に行け。左てのと

り居をくぐれ。そこからひだり手の鳥いに

行け。すぐにとりいに。鳥居にいけ。鳥居

にいけ。鳥居に行け鳥居に行け鳥居に行け

そこから左に見える鳥居。とりい。すぐい

け。そこからみえてる鳥い。とり居にいけ

鳥居をくぐれ。今すぐ。今すぐ行くの。す

ぐそこから見えてる左手の鳥居をくぐれ。

ひだりてにいきなさい。左の鳥居。お願い

今すぐくぐりなさいくぐらなきゃ終わる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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