『まかりかえすもの』

「・・・・・・・・・・・・」

『・・・・・・・・・・・・』


・・・忌まわしい・・・

・・・・・・再会・・・・・・と、言っていいんだろうか?


個体の区別なんて俺には付きようもなかったが、そのおぞましい容貌は一ヶ月前の怪事の象徴として、網膜にはっきりと焼きついていた。


『・・・・・・・・・・・・』


ヒル人間は一言も発さない。

と言うか、身じろぎすらしない。


・・・身体がずたずたなんで、それでも朽ちて垂れ下がった衣服だか肉片だかがかすかに揺れているが。


「・・・・・・うっ、うわぁあッ!?」


一拍遅れて、勝史さんが悲鳴に似た大声を上げながら

尻もちをつくかのように後ろへと飛び退いた。


・・・うん、まあ、そうだろう。

いくら勝史さんでも、恐怖しないわけがない。


「・・・説明してくれ」


俺は不動の亡者と相対しながら、タケミカヅチを横目に見る。


「・・・見ての通りだ。

 『それ』は今、そなたが召喚した」

「・・・『とおりゃんせ』を歌うのが・・・なんて言うか、

 召喚呪文っつーか・・・呼び寄せる合図なのか?」

「そうだ。

 ・・・と言っても、歌うのは呼び寄せるまででいい。

 そなた自身が歌いきる必要はない」


タケミカヅチは襖を閉めながら、言葉を続ける。


「そなたも知ってのように、この水死者を操る術は蛭子ひるこ殿の霊験だ。

 ・・・死返まかるかえしの術と言ってな。

 蛭子殿の本来の領分である大和の海原で命運尽きた人間は、蛭子殿の導きで海中の見えない海路を通り、常世へといざなわれるのが本来のことわりだが・・・。

 蛭子殿の力と権限とで、彼らにひとときの労役を仰ぐのがこの術だ」

「・・・その海路って、恵比寿様の通り道、ってやつか?」

「エビス・・・?

 ・・・ああ、俗話でそう呼ばれることもあるな」


と、今度はタケハヅチがヒル人間の横へと並ぶ。


「・・・と言っても、彼らの魂はとうの昔に水底みなそこで眠りに就いています。

 ここに在るのは、虚ろな残り香・・・

 ・・・俗に言う、残留思念です」

「・・・」

『・・・』


俺は―――あまりそうしたい容貌ではないけれど―――まじまじとヒル人間の顔なき顔を見つめる。


「今さらかも知れないけどさ。

 神様がそんな、死者を冒涜するような真似していいのか?」

「決して良くはありませんが、今は特例です。我々も余裕があるとは言い難い」

「・・・・・・」

「・・・既に申したように、先ほどそなたの右手のアザからそなたの体内へと入り込んだのは、蛭子殿の一部だ。

 蛭子殿はあの分体に、己の神気の大部分を集中させてわしに託した。

 ・・・故に、それを身に宿したそなたは死返まかるかえしの権限を蛭子殿から委任されたということになる」

「・・・つまり、俺にはヒル人間を操ってアンドラスたちと戦え、と・・・」

「そうだ。

 霊才も武才もないそなたはそういう形の方が智才を発揮しやすいであろうと、わしと蛭子殿が見立てた」

「・・・・・・」


こっちの意思や都合は無視かよ。

ひどい見立てもあったもんだ。


「・・・た、高加君っ・・・。

 君、恐ろしくはないのか?」


よじ登るように壁に沿って立ち上がった勝史さんが、上ずった声で俺に問いかける。


「・・・いやまあ、もちろん怖いですけど。

 ネタが知れた今となっては、学校で追いかけ回された時の恐ろしさとはもう比ぶべくもないですし」

「・・・・・・・・・そ、そうか・・・。

 君や美佳ちゃんは実際に襲われたんだものな・・・」


・・・て言うか、勝史さん・・・。

ついさっきまで、俺が涙目でとおりゃんせを歌うさまを好奇の目で見てたクセに・・・。


「・・・こいつらってさ。

 なんで『とおりゃんせ』を歌うんだ?」

「この者たちにとっての『とおりゃんせ』は、ラジオコントロール模型にとっての電波のようなものです。

 ただ先ほど建御雷タケミカヅチ殿も言ったように、電波の発信源・・・つまり、高加君自身が常に歌い続ける必要はありません。

 最初に歌って『はずみ』をつければ、あとはそれに呼応した彼ら自身の歌声が動力源になってくれます」

「・・・自給自足か。不思議なしくみだな・・・」


そもそも、神様直々に機械に例えて説明されるというのも少し妙な気分だったが・・・。

まあ、分かりやすくていいけど。


「美佳のじいさんは、わらべ歌には呪歌の一面があって、歌詞をいじって歌うとヘンなモノを呼び寄せることがある・・・って言ってたらしいけど」


ようやく落ち着きを取り戻して襟を正す勝史さんを尻目に見ながら、俺は兼ねてより気になっていた、怪異とわらべ歌に纏わるじいさんの言葉の真相をタケミカヅチに聞いた。


「言い方を変えればそういうことだな。『呼び寄せることがある』、というのは、歌い手にその意図がなくとも信号の混線ではからず呼んでしまうことがあるということだ」

「替え歌にしなくてもか?」

「本来はそういう信号の混線を極力避けるために替え歌を用いていたが、今ではどちらかと言うと出力切り替えのために替え歌を用いる」

「出力・・・?」


・・・また出力かよ。

美佳はまだしも水死者に対して出力がどうのと冒涜的にも程があると思うんだが、大丈夫なのかこの術。


「それも含めて、これからそなたに死返まかるかえしの術の具体的な運用法を教える。

 そなたは飲み込みが良さそうだから、一時間もあれば物にできよう」

「はあ・・・」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「・・・べ~~だっ」

『・・・・・・・・・・・・』

「あっかん・・・べ~~~」

『・・・・・・・・・・・・』

「おいやめろよ、死者に対して。不謹慎だぞ」


物言わぬ亡者の前で例によって奇行に走る腐れ縁に、俺は呆れた調子で釘を刺す。


「えー?いーじゃない、あんなに怖い目に遭わされたんだから、ちょっと仕返しするくらい」

「・・・・・・」


・・・こいつにとって、『あっかんべー』は報復行為に当たるのか・・・。


「美佳ちゃん・・・よく間近でそんなことがやれるな。

 まるで動じない高加君もたいがいだったが・・・」


すぐ横で正座している勝史さんが、美佳と亡者の一方的な掛け合いを呆れ果てたような表情で眺めがら言った。


「・・・ん~~~・・・。

 まあ、怖いっていえば怖いですけど・・・。

 ネタが分かっちゃった今となっては、学校で追いかけ回された時ほどの怖さはないですし」

「・・・」

「・・・」


ついさっき聞いたような言い草に、俺と勝史さんは顔を見合わせた。



―――同日、午後11時10分。

タケミカヅチたちから一通り術の操り方を教わった俺は、丁度目覚めた美佳と一緒に改めて作戦会議を行おうとしていた。


「にしても、不思議な感じだね。本物の神様の命令で、今度はわたしたちがヒル人間を操る立場になるなんて・・・」

「・・・まったくだな」


それまでのん気に寝息を立てていた美佳が、やはりのん気なあくびを上げたのが今から30分ほど前のこと。

それから俺と勝史さんの2人がかりで、美佳への状況説明に腐心することとなった。


警備員たちの正体が鹿島神宮と香取神宮の神様だということ。

アンドラスたちは宿魂石しゅくこんせきに封じられている天津甕星アマツミカボシの神気を強奪するため、この日本にやって来たということ。

後森先輩の正体が推測通りだったということ。

神様は政治的な事情で自分では戦えないから、一ヶ月前の件でヒルコに才覚を認められた俺たちに討伐を依頼してきたということ。


・・・そして、天津甕星とゆかりのある加賀瀬一族には霊的な才能の持ち主が多く、美佳もその一人であるということ。


「でも甕星様の魂なんて奪ってどうする気なんだろね」

「・・・さあな」


粗方のことは説明したが、やはり美佳自身が天津甕星の生まれ変わりだということと、じいさんがあのアインに殺害されたという事実だけは明かさなかった。

どちらも今は伏せておくようにと、タケミカヅチたちから強く釘を刺されたのだ。


・・・自身のことはともかく、じいさんの死の真相まで隠さねばならないことにはなんとなく違和感を覚えたが・・・。

まあ、あえて逆らうようなことをするつもりもなかった。


「・・・しかし、なんとも皮肉な話だな」


盗み見るように物言わぬ亡者をちらちらと見ながら、勝史さんがぼそりと呟く。


・・・当たり前だが、ヒル人間の容貌を正視することにまだ抵抗があるようだ。


「まあ、おかげでこいつらの性質みたいなものはある程度把握出来てますからね。

 生兵法でどこまでやれるかは分からないですど・・・」

「あ、うん、ヒル人間のことももちろんそうなんだが・・・」


言いながら、勝史さんは美佳の傍らにある袈裟袋へと視線を移した。


「・・・その布都御魂フツノミタマはな、記紀神話において建御雷タケミカヅチ神が葦原の中つ国を平定する際に用いたとされる剣なんだ」

「え?

 ・・・じゃあ・・・」


勝史さんは袈裟袋――つまり布都御魂に視線を向けたまま、小さく頷く。


「天津甕星との戦いでも直接用いたかまでは分からないが・・・。

 つまりそれは、天津甕星に代表される纏ろわぬ神々を誅した、天津神々の武威の象徴だ。

 ・・・それが今、天津甕星の・・・

 ・・・天津甕星を守るため、美佳ちゃんの手に渡った」

「・・・」


もっと言えば、天津甕星の生まれ変わりである美佳が手にしたことがある種の喜劇なんだろうけど。


「・・・君にも言ったように、俺は今まで、神霊とはもっと精神的、概念的な存在だと思ってた。

 ・・・・・・その理念自体は今も信じて疑わないが・・・。

 しかし、神様もまた運命とか宿命というものを抱えているんだな」

「・・・宿命・・・か」


天津甕星の力と魂とを抱いてこの世に生まれ出でてくることが決定付けられていたというのなら、これはまさしく宿命というやつなんだろう。

・・・いささか作為的ではあったが。


「ま、さっちゃんがいればなんとかなるでしょ!」


言葉の他力本願っぷりとは裏腹に、なぜか自慢げに美佳が胸を張る。


「いや、今回こそはお前が要だろ。俺は戦いどころか、ケンカすらロクにしたことないし・・・」

「そりゃ、将軍って自分では戦わないものでしょ?」

「しょっ・・・!?」


美佳の口から飛び出した予想外の単語に、俺は思わず言葉を詰まらせた。


「そそ。将軍。で、わたしが騎士。わたしたち2人の軍隊よ」

「・・・・・・」


・・・『わたしたち2人の赤ちゃんよ』みたいなニュアンスで言うなよ・・・。


「・・・すまん、二人とも。

 俺もなにかしらで戦力になれれば良かったんだが・・・」


勝史さんはうなだれるように少し顔を伏せ、唇をきゅっと結ぶ。


「勝史さんの戦場はここじゃないんだからしょうがないじゃないですか。

 無事に帰って、長として加賀瀬の家の人たちを守るのが勝史さんの本分でしょ」

「そーそー。

 さっちゃんが将軍だとしたらおじさんはシャイショーなんだから、戦いはわたしたちに任せてくださいって!」

「・・・もしかして今、宰相って言いたかったのか?」


噛んだんだか素で間違えてるんだか微妙な美佳の言葉に、俺はジト目で突っ込んだ。


「・・・そう・・・だな。

 今は、天神様方の・・・武神よりの加護を・・・

 ・・・いや、まさしく武運を祈るばかりだ・・・」

「・・・」


・・・『天神様方』か。

まあ、勝史さんは立場上はそう呼ばざるを得ないだろう。


・・・けど俺は、あのヒルコの共謀者だと知ったばかりということもあって、どうしてもあの三人を上に見る気になれなかった。


「でも、戦うっていっても具体的にどうするんだろうね?

 まさか町中で戦えっていうのかな、あの神様たち・・・」

「神社内に結界を張って、そこに引き込んで戦わせるとさ。

 ・・・今の今までアインがこの大甕神社に侵入できなかったのは、

 ヤツらみたいな人外の存在が敷地に足を踏み入れた時だけ術が反応して異次元結界に送り込むように『設定』してあったかららしい。

 ・・・山海の職員室で、俺やお前や・・・西宮先生だけが、異次元迷宮に飛ばされたみたいにな」

「あー・・・。

 それで神社の周りでだけボヤ騒ぎを起こしてたんだ、あの放火魔さん・・・」

「神社に足を踏み入れている間だけ、平行世界・・・つまり、まがい物の大甕神社に飛ばされてしまっていたわけか。

 ・・・確かに、人を超えた・・・神の業だな」


そう。

そして、そのまがい物の神社に腹いせに当たり散らした結果が、今日ここに来た時に俺と勝史さんが見た、無惨に焼け落ちた境内の光景だったのだ。


「そのニセモノの神社の方はメチャクチャにされちゃったんだよね?

 八つ当たりなんてみっともないなー・・・。

 あのフクロウ悪魔といい、長生きしてるっぽいのに落ち着きがないのかしら」

「・・・だな」




・・・・・・だけど、明日は我が身。

あのまがい物の神社を破壊し尽くした暴力的な放火の衝動が、明日には俺と美佳に降りかかろうとしているのだ。

果たして、俺みたいなガキの生兵法・・・いや、生兵法にすら及ばぬかも知れない小知恵が、海千山千の悪魔たちに通用するのだろうか・・・?

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